私もこの映画には思うところがありました。
愛とは何なのでしょう。
ヘルマンヘッセという作家の小説の中で、恋に破れた主人公に恩師が「恋と愛との違い」を語る場面がありました。「恋とは見返りを求める自分本位のもの、対して愛とは自分をいれない無償のものだ。これから君は人を愛しなさい…」と。
恋は、そのモノクロだった人生に色彩を与えてくれます。私にも経験があります。でも成就しない時、嫉妬心や独占欲などの煩悩(自分の心を煩わせ悩ますもの)がその心を苦しめます。夏目漱石の「こころ」で、煩悩から離れた仏門を志していた友人が、恋をしたことにより苦しみ、その信念に対する殉死を遂げてしまったように。
対して、愛には決して彩りがあるわけではありません。ただ、その人の幸福(発展)を願うだけのものだからだと思います。(人に限らず可愛がってきた動物や取り組んできた趣味に対してもそうだと思います)
極端に言えば、もしもの時、その対象のために死ねるかという事かもしれません。
そして人間は、愛を知って初めて「生まれてきた意味」というものをかみしめる存在だと思います。動物は初めから常に愛を持って生きていると思います。生まれてきた意味を知っているからです。人間はどうでしょう。
この世界の全ての人間が「あらゆることを自分を勘定にいれない無償の愛」を持って生きていれば、不幸な暴力や搾取などの無い生活が、彼女にもきっと送れていたはずです。
最後に、
愛をもって出来ることは、やはり赦すことと正すことだと私は思います。
主人公の過ちは、赦すことはできても、彼女の行為も、自分の行為も正すことができなかったことだと思います。角田光代さんの「八日目の蝉」や「紙の月」にあった歪んだ愛(母性)が暴走してしまったように。
湯川の、この友人に対する「愛」が、それを正してくれたのだと思います。それは主人公にとっても、彼女にとっても、これから生き続けていく上で、必ずや心の支えになるはずだと私は思うのです...