リトルマン・テイト

劇場公開日:

解説

天才少年とその母、少年を英才教育へ導こうとする児童心理学者、三者三様の姿をヒューマン・タッチで描いたドラマ。主演のジョディ・フォスターの初監督作品。脚本は「愛と死の間で」のスコット・フランク、撮影は「死の接吻(1991)」のマイク・サウソン、音楽は「ビリー・バスゲイト」のマーク・アイシャムが担当。

1991年製作/99分/アメリカ
原題:Little Man Tate
配給:コロンビア トライスター映画
劇場公開日:1992年7月18日

ストーリー

フレッド・テイト(アダム・ハン=バート)は生後数カ月で文字を理解し、4才で詩を書いた。7才の現在、彼はあまりの天才児ゆえに同級生になじめず、世界情勢を気にするあまり胃かいようを患っている。そんなフレッドの唯一の話し相手は母親のディディ(ジョディ・フォスター)だ。少しハスッパなところのある彼女だが、フレッドに対する情愛は美しく、2人だけの生活は素敵なものだった。フレッドの父親が誰なのかは分からない。そんなある日、母子の住むアパートへ、天才児ばかりを集めた英才教育施設を主宰するジェーン・グリアソン博士(ダイアン・ウィースト)が訪ねてきた。ジェーンはフレッドを_頭脳オデッセイ_ツアーに参加させたいという。ディディは一度は断るが、フレッドのために、しぶしぶツアー参加を承諾する。ツアーの間、フレッドは天才少年少女を前に一歩もひけをとらなかった。デーモン(P・J・オクラン)という鼻っぱしらの強い数学天才児にいじめられるが、やがては仲良くなる。ツアーを終えたフレッドは、さらにジェーンの勧めで夏の間ルイジアナのフィールド・ハート・カレッジに通うことになった。フロリダで母子ともに過ごすつもりだったディディは「息子に何かあったら殺すわよ」とジェーンに言い捨てる。サマー・スクールへ通うフレッドは、大学生エディ(ハリー・コニック・ジュニア)と仲良くなり、キャンパス生活をエンジョイしようとするが、やがて大人と子供の世界の違いに気づき、ついには天才児特集のテレビ番組出演中、スタジオを出ていってしまう。フレッドはディディの元へ帰ってきた。それから間もなく、ディディ、ジェーンも交じえて、フレッドのごきげんな誕生パーティが開かれるのだった。

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映画レビュー

4.0すてきな母親

2020年7月11日
PCから投稿

ジョディフォスターはギフテッドだったのだと思う。リセへ通い13歳で女優賞をとる。イエール大へ進学し、フランス語を流ちょうに話し、メンサのメンバーでもあるという。それらがwikiに書いてあった。
マネーモンスターの広報で来日していたジョディフォスターが5時夢に出たのを見たことがある。映画の内容に副って、ジャックしてもかまわないゆるい情報番組ということで5時夢だったらしい。マツコの週ではなかったが、それでもかなり奇天烈な絵面になったが、気取らない人で、頭がいい人だと解る即応性があった。

子供から映画産業にいた人である。堂に入ったもので、初監督を思わせない。映画をわかっている人が撮ったことがわかる映画だった。

ところで、奔放な親が内向的な子供を見守るというドラマは、映画的だと思う。とりわけこの映画のごとく、粗野な母親が、粗野でない我が子にたいして、じぶんなりの愛情をそそぐという関係性は、映画用と思えるほど映画的──だと思う。

このとき、子供はあるていど親に翻弄されるのがいい。
竹内結子のサイドカーは親ではないけれど、あの感じがちょうどいい。
大人はある種の自由人で、子供からは計り知れない知見と生き様を持っている。でも、それらが子供心に刺さる。これは見て楽しい構図だ。マスクのシェールか、チャイルドプレイのオーブリープラザのように多少淫奔であってもいい。淫奔でも、子供に対する愛情があるなら映画的である。きれいな若い親なら更に映画的だ──と思う。

リトルマンテイトはそれを満たしている。
母親のディディは軽く明るく鉄火肌、男たちをいなす処世も度胸もある。サバサバと言えばきょうびわが国ではポーズの一種になってしまっているのだが、ディディに真性のサバサバを見ることができる。
ただし母性はしっかり描かれる。
フレッドを預けると、我が子が次第に自分から離れ、手の届かないところへ行ってしまうような疎外感を、巧く描き/演じていた。

奔放であっても、子供に対する愛情は深い──それをサラリと描いているこの映画が、なぜすごいのかと言えば、そこに過剰が見えないからで、過剰へおちいるのを防いでいるのは、フォスターの経験値と頭の良さだ──と思う。

いちいち脈略もなく引き合いにしたうえ、なにかを褒めるための反面材になってもらって申し訳ないとは思うが、日本映画はおそらくネグレクトは撮れてもハートウォーミングな親子関係は撮れない。衝撃や過激へ持ち込んだほうが手っ取り早い←ペーソスをつくらなくていい←意識高そうな雰囲気を醸し出せる。もしハートウォーミングへ振るなら、お涙頂戴へ振る。お涙頂戴へ振るなら問題提起もしてみる。問題提起をするなら、監督に箔も付けてみる。わたしが知っている日本映画の方法論とはそんな感じで、そこに諦観をもつ人がリトルマンテイトを見ると、その抑制に大人を見る。つまり、映画をわかっている人が撮ったことがわかる映画だった。

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津次郎
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