ミュリエル

劇場公開日:

解説

心地よい小さな幸福に対する皮肉がこめられた、“幸福の文明”とでも名づけられる一種の不快をしみこませたアラン・レネ監督作品。製作はアナトール・ドーマン。脚本・台詞は、「黒人の女」の作者でレネの短篇「夜と霧」にも協力したジャン・ケイロル、撮影はサッシャ・ヴィエルニー、音楽はハンス・ヴェルナー・ヘンツェが各々担当。出演はデルフィーヌ・セイリグ、ジャン・ピエール・ケリアン、ニタ・クライン、ジャン・バチスト・チェレ、クロード・サンヴァル、マルティーヌ・ヴァテルなど。

1963年製作/フランス・イタリア合作
原題または英題:Muriel ou le Temps D' un Retour
配給:ATG
劇場公開日:1974年2月23日

ストーリー

エレーヌ・オーガン(デルフィーヌ・セイリグ)は未亡人で、養子のベルナール(ジャン・バチスト・チェレ)との二人暮しで、ドーヴァー海峡に面した町ブローニュに住んでいた。平穏だが孤独な毎日の生活をおくるエレーヌは、ある日、かつての恋人アルフォンス(ジャン・ピエール・ケリアン)に会いたい衝動にかられ、彼の居所を探しあてて手紙を書いた。アルフォンスはエレーヌが十六歳のときの初恋の相手だったが、第二次世界大戦の勃発によって、二人はひきさかれた。現在、バーのマネージャーをやりながらこれといってあてがなかったアルフォンスは、エレーヌの手紙を受け取ると、姪だという若い女フランソワーズ(N・クライン)を連れて彼女の家にやってきた。実は、フランソワーズはアルフォンスの情婦だった。エレーヌの強い希望で、二人はその日から彼女の家で暮すことになった。エレーヌは、情夫のド・スモーク(クロード・サンヴァル)の手引きで骨董店を経営している。息子のベルナールはアルジェリア戦争から帰還して以来、“ミュリエル”についての悲しい思い出のために打ちひしがれており、恋人のマリー・ドウー(M・ヴァテル)の傍にいるときだけ、わずかに心の安らぎを見出していた。アルフォンスとの再会に、エレーヌは何を求めたのだろうか? 彼を再びわがものにすることか、自分の生活を引きしめることか、それとも現在の生活から脱出しようとしたのか--彼女自身にも判らなかった。それは、アルフォンスがなぜ彼女のところへやってきたのかが判らないのと同じことだった。二週間という間、エレーヌは客たちをもてなしながら、情夫のド・スモークと会い、友人たちを招き、カジノに通う金策に神経をすりへらしながら、彼女の生活を続けていた。一方、アルフォンスとフランソワーズ、ベルナールとマリー・ドウーらも、自分たちの生活を続け、家の外と内を行ききした。たまにお互いがぶつかり合うことはあっても、彼ら自身のドラマは何の結びつきもなく、まじわり合うだけだった。

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映画レビュー

5.0映画的な表現、ストーリーではなく人間を描く、その演出が素晴らしいレネの一代傑作

2020年4月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画には、最近になく興奮させられた。全てを理解した訳でもないのに、このアラン・レネ監督の演出タッチの巧さに酔いしれたと正直に告白しよう。高校生の時に「戦争は終わった」を観た感動と衝撃を再び味わうことになる。
開巻早々、素早いショット割りで面食らう。主人公エレーヌのマンションに置かれた家具調度品の説明なのだが、こんな手法は初めて観た。そして、エレーヌは昔の愛人アルフォンスを迎えに駅へ向かう。亡き夫が遺した連れ子のベルナールは、ミュリエルと云う女性に会うため出掛ける。アルフォンスは若い女性フランソワーズを同伴していて、エレーヌに姪と紹介する。そして、4人の共同生活が始まる。映画は、それぞれに舞台であるブローニュの街を歩き見るシーンを何度もカットバックするが、それは物語の進展を生まない。それと、映画音楽ともいえないオペラ風な歌が数回、耐え難い生の息遣いの意味合いで流れる。この理屈では理解できない内容なのに、なぜか引き込まれて行く。登場人物の状態や行動を解説する表現はなく、通常の映画の形を無視したようなもので、だからこそ感覚としてでしか解ろうと努力するしかない。
しかし、映画を観ていて興味が湧くのは、エレーヌの心理であり、アルフォンスの心理である。そして、姪ではない愛人フランソワーズの本音であり、ミュリエルという幻影に取り憑かれるベルナールの感情である。ドラマツルギーの観点からすれば、この作品ほど訳の分からない映画作品は無いかも知れない。それでも、観終えて感じるのは、フランスの地方都市に住む男女4人の日常の生活に潜む寂しさや孤独が、自分が抱く人生の虚しさに共振する映画的なカタルシスなのではないかと云う事だ。
エレーヌを演じたデルフィーヌ・セーリグの演技が素晴らしい。感情の振幅を大きく表現する演技の対極にある地味なものだが、カジノ通いの刺激を必要とするどこか満たされない日常の生活感が全身から伝わってくる。アルベールとアルジェリア紛争の暗い過去を共有する友人との事件が、このドラマの唯一の出来事で、アルフォンスはエレーヌとの別れを故意に美しいものとして演出する。エレーヌは彼の偽りの過去を知るが、けして激怒などしない。鑑賞の焦点は、ドラマとしての話の展開ではなく、過去を秘めた現在の登場人物の心理の変化に注がれる。そこに、映画だけにある表現の面白さと魅力がある。ベルイマンの「叫びとささやき」の様な人間凝視の厳しさではない、冷静で写実的なモンタージュで創作された人間劇の秀作と評価したい。
 78年10月5日  アテネフランセ

1963年制作のレネ監督の余りにも映画的な映画の傑作だが、日本公開は1974年であった。「戦争は終わった」で衝撃を受けてレネ監督のファンになって、漸く劇場鑑賞の機会を得たのが、名画座ではなくアテネフランセの特別上映だった。ビデオもまだ普及するような便利な時代ではなく、一期一会が貴重な時であった。キネマ旬報のベストテンでは、第30位という有り得ない位置にあるが、選出した批評家のなかで飯島正氏が最も高く評価しているのが救いであった。淀川長治氏も映画日誌のコラムにおいて、一言”上手い”とレネ演出を絶賛している。「去年マリエンバートで」も「戦争は終わった」も、映画的な表現の難解さが先にきて理解するのが難しい。しかし、この作品は、映画演出を最優先に注視して経験を積めば、理解できる技巧と表現力があり、その素晴らしさが得も言われぬ快感を呼び起こす。残念にも40年以上も前の一度きりの感想の為、記憶違いがあるかも知れないが、映画を観て興奮する数少ない経験をした映画なのは確かなので、せめて映像の道に進む若い人に、このアラン・レネの傑作を是非経験することをお薦めします。

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Gustav