暴力教室(1955)

解説

エヴァン・ハンターの小説「ブラックボード・ジャングル」を「雨の朝巴里に死す」のリチャード・ブルックスが脚色、監督し「果てしなき蒼空」のラッセル・ハーランが撮影を担当した。編曲はチャールズ・ウォルコットで「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が主題曲となっている。主なる出演者は「欲望の谷」のグレン・フォード、「愛欲と戦場」のアン・フランシス、「第八ジェット戦闘機隊」のルイス・カルハーン、テレビスターのマギー・ヘイス、新人ヴィック・モローなど。1955年作品。

1955年製作/アメリカ
原題または英題:Blackboard Jungle

ストーリー

身重の妻をかかえて不良少年の多い下町の職業指導学校の教師となったダディエー(グレン・フォード)は先輩教師ジム(ルイス・カルハーン)に「ここは残飯入れなんだ」という言葉をきかされて教室に出たが少年たちは果たして手のつけられない程の無軌道ぶりであった。ダディエーは組のリーダー格の1人、黒人生徒のミラーを味方にして他の連中を矯正しようと考えた同じ日に新任教師となった美貌の女教師ルイス・ハモンド(マギー・ヘイス)は教室で生徒たちの揶揄にあい、教壇に立ち往生をしてしまう始末。しかも授業を終わって教室の外に出た彼女は1人の生徒に襲われ危いところをダディエーに救われた。ダディエーはその生徒を感化院に送ったので少年たちの彼に対する反感はますますつのった。ある夜街を歩いていたダディエーと同僚の数学教師エドワーズは突然少年たちに襲われて傷を負わされた。ダディエーの妻アン(アン・フランシス)は彼に学校を止めてくれと頼んだが彼は耳もかさず次の日も登校した。生徒たちのいやがらせはますますつのり遂にはダディエーがハモンドと関係があるという投書がアンのもとに来た。驚いたアンは早産をしてしまった。絶望の揚句改めて先輩ジムの言葉を思い出したダディエーは病院に妻を見舞ったが全快したアンの助言に励まされ再び学校に戻ることにした。教室に彼を待っていたのはもう1人のリーダー格の生徒、アーティ・ウェスト(ヴィック・モロー)の挑戦であった。ダディエーの前で平然とカンニングをするウェストに注意を与えたことから興奮したウェストはナイフ片手にダディエーに迫ったが、ダディエーの気迫にうたれ屈服した。最初の勝利を得たダディエーはようやく己のやり方に自信をもつことが出来たのであった。

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映画レビュー

5.0ロックンロール誕生の映画 そして人種平等こそがアメリカの目指す未来だ と示す初めての映画 それが本作の意義であり価値であるのです

2022年6月19日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1955年公開 二つのことで事に有名な作品です 一つは、主題歌に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が使われていること 演奏は「ビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツ」 冒頭とエンドマークの時に流れます もともとは1954年にビル・ヘイリーの友人のグループが発売した曲 今でこそ、ロックンロールといえばこの曲とされる程ですが、当時はそのrock'n'rollという言葉すら無かったのです この曲が本作の主題歌に採用されたところ、ビルボードの全米ヒット8週連続1位、1955年の年間総合チャート1位を記録する爆発的ヒットになったのです つまり、この曲が世界で最初のrock'n'rollだったのです この曲たった1曲でロックンロールというジャンルを作り出し、世界的ブームを巻き起こしたのです それが本作の主題歌なのです そしてもう一つは、若きシドニー・ポワチエの出世作であること デビュー3作目です 既に大スターになるであろうというオーラがあるのが、ハッキリとわかります 今でこそ黒人スターなんて当たり前ですが、当時のハリウッドで黒人俳優は自分一人しか居なかったと、ポワチエ自身があるインタビューで語っていました すなわち黒人はエキストラとか、台詞が有っても二言三言程度の端役しか与えられなかったのです 脇役としても、キチンとした役と台詞があり演技が要求される黒人俳優は彼が初めてだったのです つまり黒人の俳優が本格的な演技をする最初の映画でもあったのです 舞台はNYの公立高校 ノース・マニュアル・ハイスクール マニュアル・ハイスクールとは実業高校みたいな意味でしょうか? 主人公ダディエは、戦争から戻り、退役軍人に特例で認められた女子大学で学び教師を志して、高校の国語教師の募集を見て面接に来たところから始まります 1955年ですから、主人公は朝鮮戦争帰りでしょう 題名通り、この高校は大変に荒れており、別の新任女性教師は早々に校内でレイプされそうになる程です では本作の物語は、不良少年達と主人公の熱血教師との、対立、悩み、解決という筋立てなのでしょうか? その通りなのですが、実は違うのです この荒れた暴力教室には人種対立が水面下に潜んでおり、それが暴力を助長して教室の秩序を破壊していたのです よく見ると生徒達の人種や民族は様々なのです 白人、アイリッシュ、イタリア系、日系、黒人 その構造を主人公は次第に理解して解決に向かっていくのです 崩壊したクラスを立て直すために、黒人のシドニー・ポワチエが演じるミラーをクラスのリーダーに任命します 「君にはリーダーの素質がある、クラスの連中に好かれている、謙遜するな、誰よりも頭がいいとと自覚しているだろう」 主人公の教師は、肌の色は関係ない、個人の持つリーダーシップ、人間性、能力だけをみています 21世紀の私たちには何の違和感も感じません 当たり前のことです しかし、この当時はどうだったでしょう 本作のように人種を隔離せずに有色人種も白人と一緒に学校で学ぶことができたのは、ニューヨークのような北部の大都会だけのことだったでしょう 南部のほうでは、本作の前年に人種隔離教育は違憲であるとの判決が続々と出ていた、そんな時代だったのです つまり人種隔離は教育現場でも社会でも当たり前に行われていた時代だったのです 結局、クラスの秩序を崩壊させ、生徒達を悪い方に引きずっていた白人の不良少年のリーダーとその子分を排除することで一応の解決をみるのです 悪いのは個人であり、人種や民族ではない むしろ白人の方が悪い人間が多いのではないか? 詰まるところ、このクラスの荒れ方はアメリカそのものの縮図だったのではないのか? そんな問題提起だったのです 高校に通ったところで、黒人にはろくな就職なんかできない、それより夜に働きに行っている整備工場で自動車整備士になった方が将来の役に立つだろうから、高校は辞めたい そんなことを中盤でミラーは主人公にいいます その時に主人公がそんなことは今の時代言い訳にならない、諦めるなと二人の名前を出します ラルフ・バンチとカーヴァーです ラルフ・バンチはアメリカの黒人外交官 1949年の第一次中東戦争の調停に活躍して、翌1950年ノーベル平和賞を受賞している人です もうひとりのカーヴァーとは、植物学者のジョージ・ワシントン・カーヴァーのこと 綿の連作で消耗した土で農業を行う、貧しい南部の農民達の苦境を、ピーナッツなどの豆科植物と 綿花を交互に栽培することで、綿花の栽培を改善し、新しい作物を加えてその用途も開発して大成功を収めた偉人のことです 学校を辞めないと約束してくれと彼はミラーを説得するのです そうしてミラーは、やっぱり先生との約束を守って高校に通うと言いラストシーンとなるのです アメリカを諦めない 有色人種だってアメリカ人だ アメリカの発展の為に教育を受ける権利があるし、その権利を使って自分の能力を高めて社会に出ていく それこそがアメリカの理想だ そのような高い高い理想が掲げられているのです それが本作の本当のテーマだったのです ロックンロール誕生の映画 そして人種平等こそがアメリカの目指す未来だ と示す初めての映画 それが本作の意義であり価値であるのです ウエスト・サイド物語は1961年の公開 こちらの映画より遥かに社会性は上であると思います

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あき240