バック・トゥ・ザ・フューチャーのレビュー・感想・評価
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永遠の神映画
BTTFはジュラシックパークと並ぶぐらい大好きなので、IMAXで復活すると知ってときは絶対に行こうと決心していました。DVDでは見たことがありましたが、伝説の名作を再び映画館で味わえて嬉しかったです。
4Kリマスターのためか、昔の映画とは思えないぐらい映像が綺麗でした。IMAX特有の奥行き感に引き込まれることで、自分もヒルバレーを探索しているみたいでした。
音響も大迫力で、特に嵐のシーンでは周りで雷が鳴っているような臨場感でした。また、あのテーマ曲をIMAXの豪華な音で聴けるだけでも感動しました。
勿論、ストーリーは完璧の一言でした。
冒頭のニュースやドクの部屋に置かれているアイテムがこの後の伏線になるとは、初鑑賞時には考えもしなかったです。そのため、改めて観たときは最初から最後までよく計算されて作られているなと感心しました。
所々で、ドラえもんを彷彿とされる場面も好印象でした。ジョージがビフにちょっかい出されている様子は、どうしてものび太がジャイアンにいじめられている所を連想してしまいました。他にも、マーティがスケボーでビフたちから逃げる場面は繰り返し見るぐらいお気に入りで、その後にビフが肥料まみれになる光景を見てなぜかスッキリしました。
挿入歌は印象に残るものばかりで、中でも深海パーティでマーティが演奏した『ジョニー・B・グッド』は永遠の神シーンとして最高でした。1955年はエレキギターがまだなかった時代なので、激しい音に戸惑った学生たちの反応を見たマーティが、「君たちにはまだ早かったみたいだね。」と言う姿はどこかリアリティに溢れていました。
個人的には、若きドクが「未来を知るのは危険なことだ!」と何度も言っている点が刺さりました。ここから、あまり先のことを知りすぎないことが大切なんだと痛感しました。
1985年の映画にも関わらず、当日は多くのファンが訪れて満席になりました。さらに、本編終了後には周りで拍手が起きるぐらい賑わっていました(勿論、僕もしました!)。
大好きな映画をIMAXで観れて本当によかったです。また今度、2と3も見返してみようと思います。
!!!
何度も見てきた そしてこれからも何度だって見たい名作
小学生の頃、地元の映画館は現在のシネコンの醸し出す小綺麗な空間とは程遠く、大人たちは自席で普通にタバコをくゆらせながら映画鑑賞が許されていた時代である。とにもかくにも、スクリーンに釘付けになった。何もかもが知らない世界で、クラクラきた記憶しかない。カルバン・クラインというブランド名も、この時に初めて知った(正確にはうろ覚えで後のCKフィーバーで思い出す)。テレビの再放送も、VHSでのレンタルも、リバイバル上映も、何度となく見てきたが、やはり最終的には今一度、劇場で見るというところに立ち返るのかもしれないですね。
Lethal Dose of American Culture
I've been away from the US for so long, after watching this movie for the first time in maybe over 20 years, I was surprised to see how much of American memorabilia this movie served me. The interior of the McFly house reminds me of so many American homes, and McFly's dad is just like my uncle. The position of the black characters in the film is relevant to recent news. A silly movie but fun.
未来は“いま”から始まる 〜1本として心に残る物語〜
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を改めて観たのは、名作と呼ばれる作品を、人生経験を重ねた今の視点で見直してみたいと思ったからです。若い頃は単純にワクワクするSF映画として楽しんでいましたが、40代後半となりコンサルティングの仕事に携わる中で、この物語が描く「時間」と「選択」の重みを再確認したくなりました。
劇中で特に印象に残るのは、過去の些細な行動が未来を大きく変えてしまう点です。マーティが軽い気持ちで起こした行動が、家族関係や自分自身の存在にまで影響していく展開は、何度見ても緊張感があります。一方で、ドクの奇抜な発想や軽快なテンポ、音楽の使い方など、娯楽作品としての完成度も非常に高く、まるで何度も読み返したくなる本のような魅力を感じます。物語の構造が明快で、因果関係が直感的に理解できる点も、この作品が長く愛されている理由だと思います。
この映画から仕事や人生に生かせると感じるのは、「未来は現在の積み重ねでできている」という考え方です。コンサルティングの現場でも、目先の判断や小さな意思決定が、数年後の企業の姿を大きく左右します。過去を変えることはできませんが、今日の選択次第で未来はいくらでも変えられる。そのシンプルで力強いメッセージを、この映画は楽しさと共に教えてくれます。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、人生の節目ごとに読み返す価値のある一冊の本のような映画だと感じました。
4DXでまるでデロリアンに乗っている気分に!?
人生初のスクリーンでの鑑賞。
今まで幾度となくDVDやサブスクで鑑賞し、セリフまで思い浮かんでしまう程に愛している作品が1週間限定(厳密に言えば延長され2週間)でIMAX・4DXで鑑賞出来るという事で「これは見るしかない!」と思い立ち、鑑賞に至った。
実は最終的な決め手は「水曜日のダウンタウン」というバラエティー番組でダイアンの津田さんが映画そのもののデロリアンに乗車するシーンがあり、「え、私も乗りたい!!」となり、わざわざ遠い映画館まで足を運び4DXで鑑賞した。
勿論作品は最高だったし、何度観ても笑って感動出来るハリウッド映画のスター作品である事に変わりなかった。
皆さんが気になるであろう4DXについてだが、座席がデロリアンに合わせて傾いたり、そのデロリアンの登場シーンは煙が出てきたり、タイムトラベルの際の光がしっかり再現されていたり、殴られれば背中がボコボコし、ドクの家のゴミ箱が焼けたら焦げ臭い匂いがしたり、「え、ここで?笑」みたいなタイミングで水がかかったりと、まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のアトラクションが戻ってきたような感覚にさえなって、色んな意味でめちゃくちゃ感動した。
ただ音響に関してだが、これはこの映画館が悪いのかどうしようもないのかはわからないが、吹き替えの声が終始キンキンしていて、家で見ていたら音量を下げたくなる感覚に陥っていた。
確かに随分前の作品だし、こういう音質になるのは仕方ないのかなーと思いつつも、勿論効果音や音楽はこれくらいの音量でも全く問題無しだが、音声だけ少し音量を下げてもらえなかったかな?と個人的には思った。
その点と、今回はたまたま両隣が酷くて映画の余韻に浸りづらく、「家で一人か気心知れた人達と観たいなぁ」と時折考えてしまっていたというのもあり、0.5引かせてもらった。
当然映画自体は文句無しの★5だし、アトラクション感覚でこの最高の映画をスクリーンで観れるというだけで2,800円の価値ありだと思う。
あ、あと個人的にだが、吹き替えの声はマーティ:山寺宏一さん、ドク:青野武さんのDVD版で育ってきてしまったのもあり、恐らく初めてマーティ:三ツ矢雄二さん、ドク: 穂積隆信さんで鑑賞したがやはり違和感しかなくていつもの方で観たかったなぁというのもその-0.5点に含まれている気がする。
個人的に青野武さんの優しくも落ち着きがあって、最後の辺りのセリフなんて特にそのセリフの言い回しで感動してしまうところがあり、そこは穂積隆信さんの残念ポイントではあったかなと。
とはいえ恐らくもう再上映がないかもしれないので、どんな環境であれ観れた事は誇りに思う。
2からまた家で見返そうかな笑
【98.7】バック・トゥ・ザ・フューチャー 映画レビュー
映画史という長大な時間の流れにおいて、エンターテインメント映画の「完全な形態」を一つ挙げるとすれば、本作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』こそがその筆頭に位置する作品であることは論を俟たない。1985年の公開から数十年が経過した現在においても、その輝きは一切失われることがなく、むしろ現代の複雑化したブロックバスター映画群と比較することで、その構造的な美しさと純粋な娯楽性は際立っている。本作は単なるタイムトラベルもののSF映画ではなく、完璧に計算された脚本、演出、そして俳優陣の魅力が奇跡的なバランスで融合した、映画製作における教科書ごとき金字塔である。
作品の完成度について深く考察するならば、特筆すべきはその「脚本の建築的堅牢さ」にある。ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルによって紡がれた物語は、伏線と回収の芸術である。冒頭の数分間に提示される些細な情報、例えば時計台のチラシ、寄付を募る女性、あるいは市長の選挙カーといった要素が、過去のパートにおいてすべて必然性を持ち、クライマックスのカタルシスへと収束していく様は圧巻だ。無駄なシーンが1秒たりとも存在しない。また、SFというジャンルでありながら、物語の核にあるのは普遍的な家族の再生と成長である点も重要だ。主人公が若き日の両親と出会い、彼らを人間として理解し、その上で自身の存在を肯定するというプロセスは、世代を超えて共感を呼ぶ普遍的なテーマである。タイムパラドックスという複雑になりがちな概念を、視覚的かつ直感的に理解させつつ、コメディとサスペンス、そしてロマンスを見事に調和させた本作の完成度は、映画史における一つの到達点と言えるだろう。
監督・演出・編集の観点において、ロバート・ゼメキスの手腕は冴え渡っている。スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮の下、ゼメキスは観客の感情をコントロールすることに長けている。特にクライマックスの時計台のシーンにおけるサスペンスの構築は秀逸だ。編集のリズムが物語のテンポを加速させ、ドクがケーブルを繋ぐ物理的なアクションと、マーティがデロリアンを走らせるスピード感、そして迫り来る雷というタイムリミットが並行して描かれるモンタージュは、映画的興奮の極致である。また、1985年と1955年の対比を、色彩や画面構成の変化によって視覚的に演出しており、観客をスムーズに過去の世界へと誘う演出力も高く評価されるべきである。
キャスティングおよび役者の演技については、本作の成功を決定づけた最大の要因の一つである。
主演のマイケル・J・フォックス(マーティ・マクフライ役)の演技は、まさにこの映画の心臓部である。当初のエリック・ストルツからの配役変更劇は有名な逸話だが、フォックスがもたらしたのは、深刻な状況ですら軽妙なユーモアに変える圧倒的な陽性のエネルギーと、観客が感情移入せずにはいられない親しみやすさであった。彼は「80年代の典型的なティーンエイジャー」を体現しながらも、母親に恋されるという倒錯的な状況における困惑や、ギターを手にした時のロックスターごとき振る舞いなど、身体全体を使った表現力が際立っている。スケートボードでのチェイスシーンにおける躍動感や、ドクとの掛け合いにおける絶妙な間の取り方は、彼がコメディアンとしてだけでなく、アクション俳優としての才覚も持ち合わせていたことを証明しており、本作を不朽のものとした最大の功労者と言える。
助演のクリストファー・ロイド(エメット・ブラウン博士/ドク役)は、映画史に残るマッドサイエンティスト像を確立した。白髪を振り乱し、眼を見開いて早口でまくし立てるその演技は、一歩間違えればカリカチュアに陥る危険性を孕んでいるが、ロイドはそこに深い知性とマーティへの純粋な友情を滲ませることで、愛すべきキャラクターへと昇華させた。彼の存在が、荒唐無稽なタイムトラベルという設定に説得力を与えている。
リー・トンプソン(ロレイン・ベインズ・マクフライ役)の演技の幅も特筆に値する。冒頭でのアルコールに溺れる疲れ切った中年女性から、過去のパートにおける恋に恋する可憐な少女への演じ分けは見事であり、特殊メイクの助けを借りつつも、声のトーンや姿勢の変化でその年齢差を表現しきった。彼女が醸し出す無垢な色気が、物語に緊張感とユーモアをもたらしている。
クリスピン・グローヴァー(ジョージ・マクフライ役)は、この映画の影のMVPとも呼べる存在である。極度の弱虫であり、挙動不審な父親像を、独特の身体表現とイントネーションで怪演した。観客に不安すら抱かせるその奇抜な演技が、後半でビフを殴り倒すシーンでのカタルシスを倍増させており、彼の成長物語としての側面を強固なものにしている。
最後にトーマス・F・ウィルソン(ビフ・タネン役)についても触れねばならない。彼は典型的な「いじめっ子」としての悪役を見事に演じきった。威圧的な体躯と粗暴な振る舞いは、マーティやジョージの立ちはだかる壁として機能し、物語の対立構造を明確にした。彼の単純明快な悪役ぶりがあってこそ、ヒーローの活躍が際立つのである。
脚本・ストーリーに関しては、前述の完成度の項でも触れたが、サイエンス・フィクションの設定を借りたヒューマンドラマとしての構成が秀逸である。「親もまた、かつては悩める若者であった」という視点の転換は、家族観に新たな光を当てた。また、タイムトラベルのルール設定(写真から人物が消えていく描写など)が視覚的に分かりやすく、SF初心者でも置いてきぼりにしない配慮が行き届いている。歴史改変の面白さと、元の鞘に収まる安堵感のバランスは、シナリオライティングの最高峰に位置する。
映像・美術衣装については、1950年代のアメリカへのノスタルジーと、1980年代の現代的な空気感の対比が見事である。プロダクション・デザイナーのローレンス・G・パウエルによるヒル・バレーのセットは、時代の変遷を雄弁に物語っている。特にタイムマシンの「デロリアン」のデザインは、ガルウィングのドアやステンレスの質感を含め、映画史上最もアイコニックなビークルの一つとして、その後のポップカルチャーに多大な影響を与えた。衣装においても、マーティのダウンベストが過去で救命胴衣に間違われるような、時代錯誤を笑いに変える小道具としての機能も果たしている。
音楽においては、アラン・シルヴェストリによるスコアが、映画の高揚感を最大限に引き上げている。冒険心を煽るファンファーレのようなテーマ曲は、聴く者の記憶に深く刻まれている。また、主題歌であるヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの『The Power of Love(パワー・オブ・ラブ)』は、80年代の楽天的な空気を象徴する楽曲であり、映画の疾走感と完璧にマッチし、大ヒットを記録した。劇中のダンスパーティーでの演奏シーンも含め、音楽が物語の一部として有機的に機能している。
受賞歴に関しては、第58回アカデミー賞において音響効果編集賞を受賞している。また、脚本賞、録音賞、主題歌賞(『The Power of Love』)にもノミネートされた。これらの評価は、本作が単なるアイドル映画や子供向け映画ではなく、映画技術の側面からも極めて高いクオリティを持っていたことを裏付けている。
総じて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、映画が持ち得るあらゆる快楽を詰め込んだ奇跡の一作である。時代を超えて愛され続ける理由は、その完璧な構造と、そこに宿る普遍的な人間愛にある。批評家の視点から見ても、これほど欠点を見つけることが困難な作品は稀有であり、映画史における永遠のスタンダードとして、今後も語り継がれていくことだろう。
作品[Back to the Future]
主演
評価対象: マイケル・J・フォックス
適用評価点: 30
(評価点 S10 × 3 = 30)
助演
評価対象: クリストファー・ロイド、リー・トンプソン、クリスピン・グローヴァー、トーマス・F・ウィルソン
適用評価点: 9
(評価点平均 9.25 [S10, A9, A9, A9] → 切り捨て 9 × 1 = 9)
脚本・ストーリー
評価対象: ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル
適用評価点: 70
(評価点 S10 × 7 = 70)
撮影・映像
評価対象: ディーン・カンディ
適用評価点: 9
(評価点 A9 × 1 = 9)
美術・衣装
評価対象: ローレンス・G・パウエル
適用評価点: 10
(評価点 S10 × 1 = 10)
音楽
評価対象: アラン・シルヴェストリ
適用評価点: 10
(評価点 S10 × 1 = 10)
編集(減点)
評価対象: アーサー・シュミット、ハリー・ケラミダス
適用評価点: -0
(減点なし)
監督(最終評価)
評価対象: ロバート・ゼメキス
総合スコア:[98.7]
(合計 138 × 0.715 = 98.67 → 98.7)
タイムトラベルものの最高傑作❗️
何度見ても面白い。これから先も何回見ても飽きることのない娯楽作の最高傑作。
もう公開してから40年経つんですね。最初見た時面白くて劇場で繰り返して見ました。
過去から未来に戻るシーンではハラハラドキドキでした。今見てもどうなるかわかっているのにハラハラドキドキでした。
ラストは続編に続く作りになっていて続きが、待ち遠しい感じですね。
3部作は続けてみるのかなによりです。
因果応報なタイムトラベル
本作は何度も観てきた作品ですが、実は「1作目」だけはこれまで映画館で観る機会がなく、今回が初の劇場体験でした。しかもIMAX。1・2・3すべてを映画館で観られた、という個人的な意味でも、ひとつの区切りになる鑑賞でした。
改めて強く印象に残ったのは、冒頭の演出です。
時計や小道具、靴、ギターといったクローズアップの連鎖から始まり、巨大なスピーカーの前でギターを鳴らし、主人公マーティが吹き飛ばされる。この一連は、映像的にも音響的にも「映画館で観る映画」であることを最初の数分で叩きつけてきます。IMAXの音圧と画面サイズによって、この導入部の設計の巧みさが、これ以上なく明確になりました。
技法面で言えば、本作は非常にクラシックでありながら、今観るとむしろ新鮮に映ります。
例えば、ビフに追われるマーティをダイナーの内側から追い、自然に若き日の母親のアップへと切り替えるカメラワーク。構造としては古典的ですが、切り替えのテンポと正確さが際立っており、決して古臭さを感じさせません。むしろ、40年という時間を経て一周し、再び鮮度を取り戻したように感じました。
そして何より、本作を特別なものにしているのは脚本の強度だと思います。
冒頭で母親が語る「両親の出会い」という一見どうでもよさそうな家庭内の会話が、物語の中核となる伏線として機能し、過去への介入によって崩れ、再構築されていく。その因果関係が、説明ではなく出来事として提示され、すべてがつながっていく感覚は、観ていて非常に気持ちがいい。脚本によって見せる映画の、ひとつの理想形だと思います。
本作はタイムトラベル映画でありながら、科学的な思考実験を主眼に置いたSFではありません。
描かれているのは、過去に介入する自由意志が、自己同一性や世界そのものにどのような影響を及ぼすのか、という倫理の物語です。過去を「都合よく」変えようとしたとき、自分の存在そのものが揺らいでしまう。この映画では、自由な行為には必ず代償が伴います。そこには明確な説教はありませんが、世界そのものが応答し、結果として罰が与えられる構造が存在しています。
この点で本作は、神が明示的に語られることはないものの、「神の摂理」や「越えてはいけない線」がまだ有効だった時代の倫理観の上に成立している映画だと感じました。80年代という、絶対的な道徳が薄れつつも完全には失われていなかった時代だからこそ、この物語は成立しているのだと思います。現代のマルチバース的な時間解釈を前提にすると、このような緊張感を持った脚本は成立しにくいでしょう。
それでも今なお本作がこれほど面白く感じられるのは、私たちが無意識のうちに「行為には意味と重みがあり、世界はそれに応答する」という感覚を手放しきれていないからではないでしょうか。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、その倫理的重力を、娯楽映画として極めて洗練された形で提示した、奇跡的な一本だと思います。
IMAXで観たことで、その完成度と強度を改めて実感しました。
時代を超えてなお、脚本の力で観客を惹きつけ続ける映画です。
鑑賞方法: IMAX
評価:92点
40周年記念 IMAX上映で, 数十年ぶりに鑑賞できました. 懐か...
やっぱり名作
若者よ、歳を取るのは楽しい事だよ
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