ティファニーで朝食をのレビュー・感想・評価
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パパ活女子とヒモ男の恋愛映画
リバイバル上映で鑑賞。
自宅でみてたら最後までみれなかった。
日本人の描かれかたが雑過ぎて小馬鹿にしている。
ドリフです。
初めましての男を部屋に招き入れて、電話を貸すのもどうなんでしょう。
50年以上前のニューヨークですよ。高級住宅街としてもありえなくない?
出だしがこんなんだから、物語に入り込めなかった。
オードリーヘップバーンや映画のタイトルが神格化しすぎてる。
パパ活女子の改悛
ティファニーで朝食を、と言えばタイトルだけは知っているが、タイトル以外のことは知らなかった。
トルーマンカポーティの中編小説をブレイクエドワーズ監督が1961に映画化したものだが原作とは違う恋愛コメディになっていてオードリーヘプバーンやジョージペパードが出ている。
最初は明け方のニューヨーク。ムーンリバーがかかっている。聴いたことのある曲だがティファニーで朝食をの主題歌だそうだ。
タクシーを降りた瀟洒ないでたちの女がぶらぶらと歩いてきてティファニー宝石店のショーウィンドウを眺める。
テイクアウトの紙袋からクロワッサンみたいなのを取り出してかじる。続いてコップを取り出し蓋をあける。湯気が見えた。1961年にすでにスタバみたいな蓋付きの使い捨てコップがあることにやや驚いた。湯気のでるところへパンをディップしてまたかじる。
早暁とムーンリバーのたそがれ感。終わりみたいな始まり方で「ティファニーで朝食を」ははじまった。
ホリー・ゴライトリー(ヘプバーン)は今で言うパパ活をなりわいとして生きている。
明け方に帰宅して物音を立てるので、いつも上階に住む日本人の芸術家を激昂させる。上階の住人は「ユニヨシ」と言い、ミッキールーニーが演じている。
ユニヨシは大時代の日本人のカリカチュアまんまの人物で、みにくく出っ歯で黒丸メガネをかけている。
おぞましいほど間抜けで起床時はかならず提灯にあたまをぶつけ、歩けばかならずどこかへけつまづく。
『映画が公開された1961年当初は、ユニオシについては好意的な評価があったが、29年経った1990年にはやっと『ボストン・グローブ』が「攻撃的でゆがんだ民族描写」と批判した。1993年には『ロサンゼルス・デイリーニュース』も「攻撃的なステレオタイプであり、侮辱と傷をもたらした」と批判するなど、映画版ユニオシへの批判が相次ぐ。』
ウィキペディア「ユニオシ」より
かつての外国映画には東洋人を嘲弄的に描いた人物像がよくあった。顔の特徴となまりを強調する。
われわれもたとえば中国人を表現するときラーメンマンのような辮髪にして語尾に「~アルよ」とつけることがある。
個人的にはこれらのカリカチュアを「現在は無理になった無邪気な表現」ととらえている。たとえばピーターセラーズが扮したフーマンチューは滑稽極まりない中国人だが、こういった昔の表現は差別と言えば差別にちがいないが活動家でないなら「時代性」ということで溜飲しておくほうがいい。ただしティファニーで朝食をに憧れるなら、そこで日本人がどんなふうに描かれているか知っておいたほうが賢明だと思う。
アパートに朝帰りした彼女は引っ越してきたポール(ジョージペパード)に出会う。ポールは一応作家だが有閑マダムに身体を売っている。すなわちママ活を兼業している。
ポールは作家だと言い張りじっさいに書いてもいるがタイプライターにリボンがはいっていないことをホリーに指摘される。
ポールはカポーティの分身でありティファニーで朝食をはポール視点で書かれている。
ホリーとポールのふたりはなんとなく気が合いつるむようになる。パパ活女とママ活男だがふたりの間はプラトニックで兄妹のような安らぎがある。
金づるに会っていないときのふたりの日常は今で言うパリピ。アパートで騒いではユニヨシを逆上させる。
ホリーは金持ちと結婚することを望んでパパ活にいそしんでいるが、田舎者の出自を秘匿している。ポールはそれを知ってホリーの生き様に興味をそそられる。ホリーは謂わば玉の輿をねらって都会に出てきた田舎娘、その野心も行動理念も稚気にあふれている。ポールの中で興味深く面白い女だったホリー、それがやがて恋心に変容してゆく。
ホリーは田舎を捨て、都市的・物質的な充足と刺激を楽しんでいる。例えるならちやほやされ盛りの港区女子といったところ。都市はきらびやかで男たちは寄ってくるしわりと簡単にキャッシュを得られる。
有頂天な彼女はひとりの男を愛することに意義が見いだせない。
ポールは、風変わりだがノスタルジア(郷愁)を抱えている彼女の性根を見抜き、真剣に愛するようになり、ジゴロもやめて就職し愛を告白するが、ホリーは金持ちをを見つけたので南米へ行くと言い張る。
原作を読んでいないのでカポーティの言いたいことは解らない。が、映画「ティファニーで朝食を」はマテリアルガールが真実の愛に目覚める話といえる。
『この作品で清純派であるヘプバーンが清純でないホリーを演じたことで、映画の中の女性像をすっかり変えてしまった、アメリカ人の既存の価値観をことごとくひっくり返したと言われている。』
ウィキペディア「ティファニーで朝食を (映画)」より
imdb7.6、rottentomatoes88%と91%。
はじめて見たが特に思うところはなく自らの感性のすり減りを感じる結果となってしまった。
見ながら脳内リメイク。現代日本に置換しロマンポルノに改悪してみた。
女は東京に憧れ田舎から出てきたがホストにはまって大久保公園で立ちんぼをするようになる。
男はホストをやっていたが故郷(勝手に同郷という設定にした)の訛りを話す女の純粋さに惚れホストをやめ就職し女に告白する。が、女は歳の離れた男と愛人契約すると言い張る。
舞台は歌舞伎町、昭和ポルノ出身の巨匠が赤裸々な性描写を交えあの名作「ティファニーで朝食を」を現代日本でリメイク!
て需要あるかな。笑。
おしゃれ!
オードリーのサングラスや髪型、ドレス等
とてもお洒落!街並みも。
ティファニーの店員さんの対応はさすが!
ホリーの奔放さを放っておけない
純情なポールの愛が、
自分で自分を檻に入れていたホリーを救った。
名無し猫ちゃんは名演でした!
主人公が怖かった
タイトルだけ知っていたが、見たことがなかったのをやっと鑑賞。もっと優雅に朝食を食べる映画なのかと思っていたが違った。ホリーが周囲の人への迷惑などを考えずに自由に生きる過程をみていてあまり気分がいいものではなかった。
ただ、オードリーヘップバーンが本当に美しくて、洋服もアクセサリーもすごく素敵で、街中もお洒落で画面を楽しむには凄く良かった。
伝説の代表的日本人ユニオシと名前はまだない猫
初鑑賞
原作未読
原作は『冷血』のトルーマン・カポーティ
監督は『ビクター/ビクトリア』のブレイク・エドワーズ
脚本は『七年目の浮気』のジョージ・アクセルロッド
61年の作品
舞台は43年のニューヨーク
ロマンチックコメディー
猫好きにはおすすめの映画
原作と映画ではラストが違うらしい
それまでとは全く違う役のオードリーとファッションを楽しむための映画
ファッション雑誌を映画にしたようもの
無粋なヤフーユーザー民には良さが理解できまい
主人公はコールガールのホリー・ゴライトリー
カポーティの母親がモデルになっている
この作品で清純派を脱却したオードリー・ヘップバーンだが原作者は彼女に起用に猛反対したらしい
役はコールガールだが特にこれといってエッチな場面はない
清純派を脱却しようと吉永小百合は『天国の駅』であれだけのことやったんだけどね
お相手役を演じたのはジョージ・ペパード
役どころはホリーが住むアパートに引っ越してきたばかりの作家志望の青年ポール・バージャック
ホリーがあんな感じだからお相手役の男はクールが定番
だいたいにしてさホリーがバスローブ姿でポールの部屋に侵入し上半身裸のポールがベッドにいる隣で寝そべってなにもないってどういうことだよ
あとホリーとポールがストリップ観に行ったのにストリッパーの肝心なところを披露しないなんて『カルメン、故郷に帰る』かよ
まあ61年の作品だからね
ストリッパーの裸を見たであろうホリーののリアクションは好き
ホリーと同じアパートに住んでいる写真家の日本人ユニオシは白人俳優ミッキー・ルーニーが演じている
ユニオシの名前は画家の国吉康雄から来てるらしいが眼鏡以外は共通点が乏しい
彼に関してよく言われることだが人種差別反対だとか上映禁止放送禁止にしろとかそういう連中とは自分は全く共感できない
出っ歯ならさんまのモノマネする人の方がもっとすごいし自分はそれを見て差別だと思ったことない
なぜ腹を立てるのか自分は理解できない
ディスク特典の『アジア人から見たユニオシ』を観ても同情できなかった
そう簡単に感化されてたまるか
差別を逆手に取って活躍した悪役レスラーのグレート・トーゴーの方が尊敬に値する
むしろ自分は木村花を自殺に追い込んだ人とかパヨクとか嫌韓とか原作厨とかフェミとか阪神ファンの方がよっぽど腹立たしい
コメディーなんだからいちいちうるせーよと思う
だってさもう60数年前の作品だよ
時代錯誤ってどっちって話だよ
ホリーとポールが10ドル予算でティファニーに買い物しようとするのが面白い
パーティーで老婦人の帽子に火がついちゃったのは笑える
昔とんねるずのみなさんのおかげですで石橋が被ってたコント用のズラに火がついているのを思い出した
田村正和のパロディで自宅が焼けた設定だったかな
ホリーが拾ってきて飼っている名無しの虎猫がいい味を出している
ホリーが部屋で暴れたときの猫が特に良い
ラストでは間に挟まれる稀なキスシーン
あと映画comは役名の微妙な間違いわりと多い
バージャックなのにバージャクだしヨニオシなのにヨニヨシになっているしどうなってるの
切ないわぁ
一番大好きなヘプバーンの作品です。
つかみどころのない女性ってなんだか魅力的ですよね。モンローでは「お熱いのがお好き」派です。
無邪気に周りを困らせて、勝手に自分で傷ついて、なんか切ないです。物憂げなムーンリバーの弾き語りのシーン、たまりません。
先日彼女のドキュメンタリー映画を観に行きました。
決して順風満帆ではなかった生い立ちと人生。晩年はユニセフ親善大使として恵まれない世界中の子供たちに最後まで寄り添い続けたその思い遣り。彼女は私にとってただのハリウッドスターではない、永遠の心の支えです。
やっと観たけど、あんま良くない…
有名な古典ですよね、やっと観た♪
『ラストナイト・イン・ソーホー』のオープニングで、エロイーズの部屋にもポスター貼られてますよね。
ラストは良かったし、ヘプバーンが歌う「ムーン・リバー」も良かったけど、あとは…
ガチャガチャしてるのと、いろいろ分かりずらい…
単純明快で、名作だと言いきれる、
『ローマの休日』の方が好きです。
なんか、ガッカリだ…
やっと観たのに…
有名な日本人役ユニヨシは笑った(笑)
昔は、あんなイメージだったんだろうな(笑)
トホホ(笑)
ムーン・リバーをまた聴きたい
優しくて哀しげな“ムーンリバー”
早朝の人もまばらなNYの街角
パンをかじりながらショーウィンドウを眺める美しい女性
もう全部が素敵!冒頭から惹き込まれました。
『ローマの休日』の可憐なプリンセスのオードリーは言うまでもありませんが、本作の奔放な自由人のオードリーもまた魅力的でした。
天真爛漫で男性達を翻弄しながらも、主人公ホリー自身は寂しげでいつも何かを探し求めている。訳ありな過去を持ち、セレブ男性との結婚を夢見つつも現実は…。
あてもなくさまよう姿が儚げで、こんなにも危なっかしくてチャーミングな女性がそばにいたらきっとポールじゃなくてもほっておけない。
どこか懐かしくて刺激的なNYの街並みも魅力的で、そこで彼女がようやく見つけた“私が私でいられる”場所にほっこりしました。
【今作の趣を高めているのは、ヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が、全編に使用されている事である。特に、オードリー・ヘプバーンが窓枠に座ってアコギで歌うシーンにはもう・・。】
ー 正直に記すが、今作をかなり前にBSで観た際には、変な日本人の存在を含めて、余り面白く感じなかった。
けれど、先週、仕事の移動時に聞いた”ムーン・リバー”の紹介時に、”オードリー・ヘプバーンさんの・・”と言うコメントを聞き、”ええっつ!、あのシーン吹き替えでなかったのか!”と驚き、会社帰りにレイトショーでドキュメンタリー作品の「AUDREY MORE THAN AN AICON」を鑑賞した。
「AUDREY MORE THAN AN AICON」はオードリー・ヘプバーンさんの幼き頃の不遇から、晩年の人道主義的で、利他的な行いまでキチンと描かれており、とても面白かったが、作品内では「ローマの休日」は当然度々描かれていたが、驚いたのは、今作の冒頭のオードリー・ヘプバーン演じるホリーが早朝、ティファニーの店の前で紙袋から出したクロワッサンを口にするシーン(趣ありきシーンであった。)や、彼の有名なホリーがラフな姿でアパートメントの窓枠に座ってアコースティックギターで”ムーン・リバー”を、儚げな声で歌うシーンと、そのシーンにまつわるエピソードなど、非常に面白く・・。(私は吹き替えだと思っていた。)久方振りに鑑賞した次第である。-
■内容は、巷間に流布しているので、割愛。
<トルーマン・カポーティの原作とは、トーンを変えて、制作した今作。
内容には言及しないが、今作の作品価値を高めているのは、矢張りオードリー・ヘプバーンさんの、細身で、チャーミングな演技と、それを支えるヘンリー・マンシーニの全編に流れる”ムーン・リバー”の美しき調べとの、絶妙なシンクロ具合だなあ・・、と久方振りに鑑賞して思った作品である。
映画って、観る側の状況変化で、感想が変わる事を再認識した作品でもありました。>
オードリーよりも茶トラ猫❗️という人がいるかもしれません
本日午前に、ほぼ満席の日比谷シャンテで『オードリー』観てきましたが、実は、彼女主演の映画は『ローマの休日』『マイフェアレディ』しか観てなかったのです。
なんだか今さらながらの贖罪のような心持ちでDVDを借りて帰宅しました。
ニューヨークの社交界(の、ごくほんの一部)の雰囲気を味わいつつも、この頃にはまだ〝リメンバー❗️パールハーバー‼️〟という日本人への憎悪が残ってたんだ、という複雑な思いとともに鑑賞することになりました。
(ユニヨシという日系人カメラマンが登場するのですが、典型的なメガネ出っ歯のメイクでやたら短気)
オードリーの美しさは語るまでもないのですが、名無しの茶トラ猫くんの演技が最高でした。
アカデミー助演(オスメス不詳なので)脇役賞モノ‼️
ラストの茶トラ猫くんを挟んでのキスシーンは、初めて見る新鮮さ。意外にも以降の映画でも、そんなにオマージュというか再現とかされてきてないのかな?
とってつけたような窓際でのギター弾き語りによるムーンリバー。とてもいい表情でした。カットされなくて良かったです(午前中の映画の中で、プロデューサーがカットしようとしたのをオードリーが猛烈に抗議してやめさせた、という話がありました)。
テキサスの獣医兼農業の優しい夫が2回も言ってました。
骨と皮だけになって…
それでもNYで生きていくことを彼女が選ぶ精神性はどうして成り立つのか。
実はそこに深い問いかけのある映画なのかもしれないですね。
粋なタイトル
映画タイトルとしては世界一有名なのでは!と思いつつ、初見でした。冒頭シーンから絵的に美しいですね。私も初めて行ったアメリカ旅行で、この場所に立ちました(入り口までです…笑)。アパートの表階段から男の部屋に忍び込んでみたり、そもそも結婚しているのに次々とつき合う相手を変えてみたり、奔放なホリー(オードリー・ヘップバーン)に翻弄される男たちが哀れになります(笑)。それにしても、ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」は今作の主題歌なのですね。最後は落ち着くところに落ち着いてめでたしめでたしでした!
名刺の住所は旅行中
小説家、トルーマン・カポーティの
中編小説。
『Breakfast at Tiffany’s)
(ティファニーで朝食を)
映画では、自由奔放に生きるヒロイン
ホリー・ゴライトリー
大都会のお洒落な妖精♪
オードリー・ヘップバーンが
名演技を魅せてくれました。
名シーンも人気ですね。
ティファニーの
ショーウインドウを眺めながら
パンをかじってみたいと
思った方も多い事でしょう(≧▽≦)
飼っている猫も
名無しの猫ちゃん(=^・^=)
でも、タイトルロールに
しっかりと表記されていますよ。
劇中、オードリーがギターを弾き語る
ヘンリー・マンシーニの
『ムーン・リヴァー』
小説には出てこないのですが
ステキなメロディで大好き
永遠の映画音楽ですね。
2008年に村上春樹さんの
新訳(翻訳)版が出ていて
ティファニーブルーの装幀がステキです。
共感&コメント下さいました
レビューアーの皆様
ありがとうございました。
追記投稿でご迷惑でしたら
コメント削除願います。
追記
2024年 虎ノ門ヒルズで開催中の
「ティファニーワンダー」
世界初となる
作品が展示されています。
「ティファニーで朝食を」で
オードリーが来ていた衣裳も
展示され 台本や
オスカー像も見ることができます。
6/23迄開催
原作と全く違うお話。これじゃ、原作者怒ると思いました。ヘップバーン...
原作と全く違うお話。これじゃ、原作者怒ると思いました。ヘップバーンが綺麗なのは分かるけど、ホリー・ゴライトリー役は出来ないでしょうね。原作のホリー・ゴライトリーの方がはるかに魅力的な女性だと思いました。コケティッシュって死語でしょうが、オードリーヘプバーンにはそれが無い。もっとも、マリリン・モンローって原作者は言ってるけど、それもね。
男を振り回すだけで良ければ、バトンの石原さんの方がオードリーヘプバーンよりも良いと思いますね。勿論、半分はジョークですが
何度席を立とうと思ったことか
午前10時の映画祭で鑑賞。
ヘプバーンの主演作品を映画館で観たことが無かったので、心ウキウキで映画館へ行きました。
が、途中で何度席を立とうと思ったことか。
理由は2つ。
まずはヘプバーンの演技。
脚本が悪かったのか、演技が悪かったのか。
全然ヘプバーンの魅力を感じられない。
次に日本人役のユニオシ。
これが一番の最悪。画面に登場する度に、ムカムカして来ました。
まあ、冷静に考えると、公開当時の日本人は、こんな感じに見られていたんだな・・と。
逆に公開当時の日本人は、この映画を観てどう感じたのでしょうか。
永遠なるファッションアイコン
朝ぼらけ。朝日が昇る直前の、空は夜の暗さと日の光が織り交じる頃、
その光を受けて、ゴージャスな衣装を身に包んだ女性が、コーヒー片手にクロワッサンをかじりながら、サングラス越しにショーウィンドウを見ている。
そのショットの美しさ。
オードリーさん、パトリシアさん達女性のファッション。
生活感の全くないインテリア。
日常生活では絶対にやらない悪戯・行動の数々…。
ー今でこそどこでも見られる食べ歩きも、この当時は品のなさの筆頭だろう。
眉しかめたくなるような行為のキュートさ!!!
NYの街並み。
様々な年齢の方々が集まる乱痴気パーティ…。
ストリップショー。
一つ間違えば、ダサくもなるシーンなのに、なんと軽やかで、砂糖菓子にも似たシーンなのだろう。
オードリーさんの魅力もさることながら、一つ一つのシーンをポップで豪奢にでキュートに仕上げたスタッフの力。これこそがこの映画の魅力。
日本なら、銀座・和光界隈、もしくは原宿から表参道が舞台で、地方から都会の華やかさに憧れて出てきた女の子の話。
と考えれば、この映画が、いかに、PVかMVかと言いたくなるように、憧れだけを詰め込んで憧れを壊さずに仕上げた映画として成功しているかが一目瞭然。
コールガール、愛人、子捨て、裏切りというネガティブな要素がたくさんあるのに、泥臭さも、悲惨さも、卑屈さもまったくない映画。
そのために、もっと人間ドラマとして深められたろうに、軽い雰囲気の映画になってしまった。
原作未読。原作者が怒ったと聞くが、さもありなん…。
原作者はモンローさんのイメージで執筆したとか。『紳士は金髪がお好き』とかのモンローさんの演技で観たかった気がする。きっと、コミカルで、ほろっともくるような、ぞくぞく来るものになったと思う。
『ローマの休日』の次の次位に、オードリーさんを売り出すために、あえてこのような映画・PVに仕上げたのだと思った。
実際は、『ローマの休日』から8年後、その間に何本も出演していらして、女優としての地位は確立していらしたろうに、なぜこんなふうに仕上げた?ジバンシーのアイコンをやっていたから、汚れ役にできなかった?
オードリーさんの出演作を全部見ていないので、このような評価は失礼なのかもしれないが、
「永遠の妖精」と評された如く、『ローマの休日』が一番の代表作であることからも、
イメージ先行から逃れられなかったのだろうか。
ちょっともったいない。
とはいえ、この映画の雰囲気に憧れ、真似したくなることは間違いない。
ージバンシーやサングラスをあんな風には着こなせないけれど。
窓辺のレースのカーテンや、アイマスクくらいなら…。
迷路のような、美男美女のラブロマンス
午前十時の映画祭11にて。
2021年5月5日に観賞したのだが、昨日(5月4日)はオードリー・ヘプバーンの誕生日だった。
原作小説の主人公ホリーは、セレブ男たちの間を渡り歩いて生活する様子から「娼婦」だと一部で捉えられ、作者のカポーティは「ゲイシャ」だと説明したという。
“社交界の娼婦”的な設定を当時の女性たちがどのように受け止めたのかは知らないが、一部からは自由奔放な生きざまが支持され、作者の近くにいる女性たちが「自分こそがホリーのモデル」だと主張しあった、とか。
そもそも、カポーティはマリリン・モンローの主演を希望したが、全くタイプが異なるヘプバーンがキャスティングされた(経緯は諸説あるものの)…というのは有名な話。
ヘプバーンは当初、娼婦の役はできないと難色を示したとされ、ヘプバーンに合うように原作とは異なるラブロマンスに脚色された…らしい。
だからというわけではないが、ストーリー展開には無理がある。
作家ポール(ジョージ・ペパード)がホリー(オードリー・ヘプバーン)に魅かれていくのは解らないでもないが、ホリーの心理の移り変わりが理解しづらい。
つかみどころのない不思議な女性としての魅力が、反って惹き立っているとはいえるが。
ポールのキャラクターも、パトロンと愛人関係にあって実力以上の生活をしていながら若い女に気移りしているあたり、今見るととても共感できるものではない。
そんな脚本はさておき、ブレイク・エドワーズ監督の演出は、お洒落なファッションやニューヨークの街並みを背景にした名場面のオンパレードで、ヘプバーンの画的な魅力を最大限に引き出している。
本作が彼女の代表作の一つに上げられているのは、ヘプバーン自身のコメディエンヌとしての才能によるのは当然かだが、監督の画づくりの成果だと思う。
ヘンリー・マンシーニの音楽も然りで、「ムーン・リバー」はヘプバーン自身に唄わせることにこだわって、彼女の声域に合わせて1オクターブで書いたという。その結果、スタンダードの名曲となったのだから、名作曲家とヘプバーンがもたらしたシナジー効果は高かったのだ。
全110件中、21~40件目を表示