ティファニーで朝食をのレビュー・感想・評価
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原作の繊細さがほぼ表現できなかった失敗作。オードリーもあまり美しく撮れていない(ムービーでは)
ホリー・ゴライトリーとはどういう人物なのか。原作を読む限りでは3つの特徴がある。
1つ目は、偽善や、形式張った取り澄まし、「まやかし」を見抜く鋭い嗅覚を持っていること。
2つ目は、「まやかし」を糾弾しながらもある程度は受け入れる優しさがあること。
「男たちとセックスをして、金を搾り取っておいて、好きになろうと思おうともしないなんて道にはずれた話よ」(原作で私が一番好きなホリーのセリフ。映画には出てこない)
3つ目は、「旅行者」であること。これは彼女のメンタルを時々支配する「いやったらしい赤」(おそらくは後悔や不安といったネガティブな念を言っているんだと思うが)から逃れるため一箇所にとどまらないということもあるが新しい土地や新しく知り合う人達への純粋な憧れや興味があるからだと思う。
よく似ている人物がいる。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールド。ずっと後世の言葉で言うと「アダルトチルドレン」ということになるのか。処世術の上手くない純粋な心持ちの人達なのである。
サリンジャーとの符合は原作が世に出た当時から言われていたようで、映画でジョージ・ペパードが演じる作家ポールの短編集は「9 lives」という。サリンジャーの「9 stories」を踏まえていることは明らかでなんとも無神経。カポーティはさぞ腹がたっただろう。
ホリーと、気の弱い駆け出し作家が心を通わせる繊細な物語なのである。原作では作家の名前は出ない。ホリーは兄の名前であるフレッドと呼ぶ。名前が出ないのは視点者としての匿名性とまだ何ものにもなっていない若さを表現するためだろう。映画化にあたっては主要登場人物に名前がないとと単純に考えたのだろうが(猫はまあ良いとして)こういうところが浅はかなのである。
映画は原作の繊細なイメージをほぼ表現できていない。いくつか指摘すると、まずは作家の人物造形。この作家は原作者カポーティそのものであって小柄で内気な人物であるはず。ところが演じたのはジョージ・ペパードでマッチョなハンサム。全くミスキャストである上にセリフが特に原作とはかけ離れて脚色されている。例えば「身体を売っている」とダイレクトにホリーを非難するところ、そして最後のプロポーズで「あなたは自分のものだ」とか「自分の殻を破れ」とか言ってしまうところ。原作におけるホリーと作家の関係性ではあり得ないセリフであり当時の一般的な価値観からいってやむを得なかったのかもしれないが原作を捻じ曲げる脚色であると言わざるを得ない。
そしてオードリー・ヘプバーン。世間では彼女は神聖化されているので、ホリーを社会的に逸脱しているとか支離滅裂であるとか非難してオードリーが演ずる役としてふさわしくなかったと論ずる向きがある。
ホリーは前述の通り魅力的な人物であり、その性格なり価値観は、原作では相当に長い彼女自身のセリフで説明されている。映画はその十分の一の量のセリフしかないのでオードリーがホリーの魅力を再現することは難しかったと思われる。セリフが少ないのはそれだけセリフを覚える技量や時間がなかったのか、あるいは仮に覚えたとしても身についた言葉として表現する演技力がなかったかのいずれかだと思う。(余談だがこの映画は企画段階ではパトリシア・ニール主演で準備されていたのではないか。でないと原作にはない特に必要ない役で彼女が出演している理由がない)
不思議なもので脚本や演技が駄目だとヴィジュアルも駄目になる。この映画でのオードリーはあまり美しく感じない(他の作品と比較してという意味だが)
アートディレクションが優れているのは冒頭のティファニー前でパンを食べるシーンと、宣伝用のスチール写真。この2つは映画の出来にかかわらず美しい。特にキセルを持って正面を見ているオードリーのアップ写真は古典となった。
以前からこのスチールを撮ったフォトグラファーが誰なのか気になっていて今回もクレジットをよくよく見ていたのだが表示されていない。ムービーのフランツ・プラナーはモノクロ時代からの名手ではあるがこのようなファッショナブルなスチールは撮れなかったはずだ。ご存知の方がおられたらご教示ください。
パパ活女子とヒモ男の恋愛映画
パパ活女子の改悛
ティファニーで朝食を、と言えばタイトルだけは知っているが、タイトル以外のことは知らなかった。
トルーマンカポーティの中編小説をブレイクエドワーズ監督が1961に映画化したものだが原作とは違う恋愛コメディになっていてオードリーヘプバーンやジョージペパードが出ている。
最初は明け方のニューヨーク。ムーンリバーがかかっている。聴いたことのある曲だがティファニーで朝食をの主題歌だそうだ。
タクシーを降りた瀟洒ないでたちの女がぶらぶらと歩いてきてティファニー宝石店のショーウィンドウを眺める。
テイクアウトの紙袋からクロワッサンみたいなのを取り出してかじる。続いてコップを取り出し蓋をあける。湯気が見えた。1961年にすでにスタバみたいな蓋付きの使い捨てコップがあることにやや驚いた。湯気のでるところへパンをディップしてまたかじる。
早暁とムーンリバーのたそがれ感。終わりみたいな始まり方で「ティファニーで朝食を」ははじまった。
ホリー・ゴライトリー(ヘプバーン)は今で言うパパ活をなりわいとして生きている。
明け方に帰宅して物音を立てるので、いつも上階に住む日本人の芸術家を激昂させる。上階の住人は「ユニヨシ」と言い、ミッキールーニーが演じている。
ユニヨシは大時代の日本人のカリカチュアまんまの人物で、みにくく出っ歯で黒丸メガネをかけている。
おぞましいほど間抜けで起床時はかならず提灯にあたまをぶつけ、歩けばかならずどこかへけつまづく。
『映画が公開された1961年当初は、ユニオシについては好意的な評価があったが、29年経った1990年にはやっと『ボストン・グローブ』が「攻撃的でゆがんだ民族描写」と批判した。1993年には『ロサンゼルス・デイリーニュース』も「攻撃的なステレオタイプであり、侮辱と傷をもたらした」と批判するなど、映画版ユニオシへの批判が相次ぐ。』
ウィキペディア「ユニオシ」より
かつての外国映画には東洋人を嘲弄的に描いた人物像がよくあった。顔の特徴となまりを強調する。
われわれもたとえば中国人を表現するときラーメンマンのような辮髪にして語尾に「~アルよ」とつけることがある。
個人的にはこれらのカリカチュアを「現在は無理になった無邪気な表現」ととらえている。たとえばピーターセラーズが扮したフーマンチューは滑稽極まりない中国人だが、こういった昔の表現は差別と言えば差別にちがいないが活動家でないなら「時代性」ということで溜飲しておくほうがいい。ただしティファニーで朝食をに憧れるなら、そこで日本人がどんなふうに描かれているか知っておいたほうが賢明だと思う。
アパートに朝帰りした彼女は引っ越してきたポール(ジョージペパード)に出会う。ポールは一応作家だが有閑マダムに身体を売っている。すなわちママ活を兼業している。
ポールは作家だと言い張りじっさいに書いてもいるがタイプライターにリボンがはいっていないことをホリーに指摘される。
ポールはカポーティの分身でありティファニーで朝食をはポール視点で書かれている。
ホリーとポールのふたりはなんとなく気が合いつるむようになる。パパ活女とママ活男だがふたりの間はプラトニックで兄妹のような安らぎがある。
金づるに会っていないときのふたりの日常は今で言うパリピ。アパートで騒いではユニヨシを逆上させる。
ホリーは金持ちと結婚することを望んでパパ活にいそしんでいるが、田舎者の出自を秘匿している。ポールはそれを知ってホリーの生き様に興味をそそられる。ホリーは謂わば玉の輿をねらって都会に出てきた田舎娘、その野心も行動理念も稚気にあふれている。ポールの中で興味深く面白い女だったホリー、それがやがて恋心に変容してゆく。
ホリーは田舎を捨て、都市的・物質的な充足と刺激を楽しんでいる。例えるならちやほやされ盛りの港区女子といったところ。都市はきらびやかで男たちは寄ってくるしわりと簡単にキャッシュを得られる。
有頂天な彼女はひとりの男を愛することに意義が見いだせない。
ポールは、風変わりだがノスタルジア(郷愁)を抱えている彼女の性根を見抜き、真剣に愛するようになり、ジゴロもやめて就職し愛を告白するが、ホリーは金持ちをを見つけたので南米へ行くと言い張る。
原作を読んでいないのでカポーティの言いたいことは解らない。が、映画「ティファニーで朝食を」はマテリアルガールが真実の愛に目覚める話といえる。
『この作品で清純派であるヘプバーンが清純でないホリーを演じたことで、映画の中の女性像をすっかり変えてしまった、アメリカ人の既存の価値観をことごとくひっくり返したと言われている。』
ウィキペディア「ティファニーで朝食を (映画)」より
imdb7.6、rottentomatoes88%と91%。
はじめて見たが特に思うところはなく自らの感性のすり減りを感じる結果となってしまった。
見ながら脳内リメイク。現代日本に置換しロマンポルノに改悪してみた。
女は東京に憧れ田舎から出てきたがホストにはまって大久保公園で立ちんぼをするようになる。
男はホストをやっていたが故郷(勝手に同郷という設定にした)の訛りを話す女の純粋さに惚れホストをやめ就職し女に告白する。が、女は歳の離れた男と愛人契約すると言い張る。
舞台は歌舞伎町、昭和ポルノ出身の巨匠が赤裸々な性描写を交えあの名作「ティファニーで朝食を」を現代日本でリメイク!
て需要あるかな。笑。
おしゃれ!
主人公が怖かった
伝説の代表的日本人ユニオシと名前はまだない猫
初鑑賞
原作未読
原作は『冷血』のトルーマン・カポーティ
監督は『ビクター/ビクトリア』のブレイク・エドワーズ
脚本は『七年目の浮気』のジョージ・アクセルロッド
61年の作品
舞台は43年のニューヨーク
ロマンチックコメディー
猫好きにはおすすめの映画
原作と映画ではラストが違うらしい
それまでとは全く違う役のオードリーとファッションを楽しむための映画
ファッション雑誌を映画にしたようもの
無粋なヤフーユーザー民には良さが理解できまい
主人公はコールガールのホリー・ゴライトリー
カポーティの母親がモデルになっている
この作品で清純派を脱却したオードリー・ヘップバーンだが原作者は彼女に起用に猛反対したらしい
役はコールガールだが特にこれといってエッチな場面はない
清純派を脱却しようと吉永小百合は『天国の駅』であれだけのことやったんだけどね
お相手役を演じたのはジョージ・ペパード
役どころはホリーが住むアパートに引っ越してきたばかりの作家志望の青年ポール・バージャック
ホリーがあんな感じだからお相手役の男はクールが定番
だいたいにしてさホリーがバスローブ姿でポールの部屋に侵入し上半身裸のポールがベッドにいる隣で寝そべってなにもないってどういうことだよ
あとホリーとポールがストリップ観に行ったのにストリッパーの肝心なところを披露しないなんて『カルメン、故郷に帰る』かよ
まあ61年の作品だからね
ストリッパーの裸を見たであろうホリーののリアクションは好き
ホリーと同じアパートに住んでいる写真家の日本人ユニオシは白人俳優ミッキー・ルーニーが演じている
ユニオシの名前は画家の国吉康雄から来てるらしいが眼鏡以外は共通点が乏しい
彼に関してよく言われることだが人種差別反対だとか上映禁止放送禁止にしろとかそういう連中とは自分は全く共感できない
出っ歯ならさんまのモノマネする人の方がもっとすごいし自分はそれを見て差別だと思ったことない
なぜ腹を立てるのか自分は理解できない
ディスク特典の『アジア人から見たユニオシ』を観ても同情できなかった
そう簡単に感化されてたまるか
差別を逆手に取って活躍した悪役レスラーのグレート・トーゴーの方が尊敬に値する
むしろ自分は木村花を自殺に追い込んだ人とかパヨクとか嫌韓とか原作厨とかフェミとか阪神ファンの方がよっぽど腹立たしい
コメディーなんだからいちいちうるせーよと思う
だってさもう60数年前の作品だよ
時代錯誤ってどっちって話だよ
ホリーとポールが10ドル予算でティファニーに買い物しようとするのが面白い
パーティーで老婦人の帽子に火がついちゃったのは笑える
昔とんねるずのみなさんのおかげですで石橋が被ってたコント用のズラに火がついているのを思い出した
田村正和のパロディで自宅が焼けた設定だったかな
ホリーが拾ってきて飼っている名無しの虎猫がいい味を出している
ホリーが部屋で暴れたときの猫が特に良い
ラストでは間に挟まれる稀なキスシーン
あと映画comは役名の微妙な間違いわりと多い
バージャックなのにバージャクだしヨニオシなのにヨニヨシになっているしどうなってるの
切ないわぁ
やっと観たけど、あんま良くない…
ムーン・リバーをまた聴きたい
優しくて哀しげな“ムーンリバー”
早朝の人もまばらなNYの街角
パンをかじりながらショーウィンドウを眺める美しい女性
もう全部が素敵!冒頭から惹き込まれました。
『ローマの休日』の可憐なプリンセスのオードリーは言うまでもありませんが、本作の奔放な自由人のオードリーもまた魅力的でした。
天真爛漫で男性達を翻弄しながらも、主人公ホリー自身は寂しげでいつも何かを探し求めている。訳ありな過去を持ち、セレブ男性との結婚を夢見つつも現実は…。
あてもなくさまよう姿が儚げで、こんなにも危なっかしくてチャーミングな女性がそばにいたらきっとポールじゃなくてもほっておけない。
どこか懐かしくて刺激的なNYの街並みも魅力的で、そこで彼女がようやく見つけた“私が私でいられる”場所にほっこりしました。
【今作の趣を高めているのは、ヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が、全編に使用されている事である。特に、オードリー・ヘプバーンが窓枠に座ってアコギで歌うシーンにはもう・・。】
ー 正直に記すが、今作をかなり前にBSで観た際には、変な日本人の存在を含めて、余り面白く感じなかった。
けれど、先週、仕事の移動時に聞いた”ムーン・リバー”の紹介時に、”オードリー・ヘプバーンさんの・・”と言うコメントを聞き、”ええっつ!、あのシーン吹き替えでなかったのか!”と驚き、会社帰りにレイトショーでドキュメンタリー作品の「AUDREY MORE THAN AN AICON」を鑑賞した。
「AUDREY MORE THAN AN AICON」はオードリー・ヘプバーンさんの幼き頃の不遇から、晩年の人道主義的で、利他的な行いまでキチンと描かれており、とても面白かったが、作品内では「ローマの休日」は当然度々描かれていたが、驚いたのは、今作の冒頭のオードリー・ヘプバーン演じるホリーが早朝、ティファニーの店の前で紙袋から出したクロワッサンを口にするシーン(趣ありきシーンであった。)や、彼の有名なホリーがラフな姿でアパートメントの窓枠に座ってアコースティックギターで”ムーン・リバー”を、儚げな声で歌うシーンと、そのシーンにまつわるエピソードなど、非常に面白く・・。(私は吹き替えだと思っていた。)久方振りに鑑賞した次第である。-
■内容は、巷間に流布しているので、割愛。
<トルーマン・カポーティの原作とは、トーンを変えて、制作した今作。
内容には言及しないが、今作の作品価値を高めているのは、矢張りオードリー・ヘプバーンさんの、細身で、チャーミングな演技と、それを支えるヘンリー・マンシーニの全編に流れる”ムーン・リバー”の美しき調べとの、絶妙なシンクロ具合だなあ・・、と久方振りに鑑賞して思った作品である。
映画って、観る側の状況変化で、感想が変わる事を再認識した作品でもありました。>
オードリーよりも茶トラ猫❗️という人がいるかもしれません
本日午前に、ほぼ満席の日比谷シャンテで『オードリー』観てきましたが、実は、彼女主演の映画は『ローマの休日』『マイフェアレディ』しか観てなかったのです。
なんだか今さらながらの贖罪のような心持ちでDVDを借りて帰宅しました。
ニューヨークの社交界(の、ごくほんの一部)の雰囲気を味わいつつも、この頃にはまだ〝リメンバー❗️パールハーバー‼️〟という日本人への憎悪が残ってたんだ、という複雑な思いとともに鑑賞することになりました。
(ユニヨシという日系人カメラマンが登場するのですが、典型的なメガネ出っ歯のメイクでやたら短気)
オードリーの美しさは語るまでもないのですが、名無しの茶トラ猫くんの演技が最高でした。
アカデミー助演(オスメス不詳なので)脇役賞モノ‼️
ラストの茶トラ猫くんを挟んでのキスシーンは、初めて見る新鮮さ。意外にも以降の映画でも、そんなにオマージュというか再現とかされてきてないのかな?
とってつけたような窓際でのギター弾き語りによるムーンリバー。とてもいい表情でした。カットされなくて良かったです(午前中の映画の中で、プロデューサーがカットしようとしたのをオードリーが猛烈に抗議してやめさせた、という話がありました)。
テキサスの獣医兼農業の優しい夫が2回も言ってました。
骨と皮だけになって…
それでもNYで生きていくことを彼女が選ぶ精神性はどうして成り立つのか。
実はそこに深い問いかけのある映画なのかもしれないですね。
粋なタイトル
名刺の住所は旅行中
小説家、トルーマン・カポーティの
中編小説。
『Breakfast at Tiffany’s)
(ティファニーで朝食を)
映画では、自由奔放に生きるヒロイン
ホリー・ゴライトリー
大都会のお洒落な妖精♪
オードリー・ヘップバーンが
名演技を魅せてくれました。
名シーンも人気ですね。
ティファニーの
ショーウインドウを眺めながら
パンをかじってみたいと
思った方も多い事でしょう(≧▽≦)
飼っている猫も
名無しの猫ちゃん(=^・^=)
でも、タイトルロールに
しっかりと表記されていますよ。
劇中、オードリーがギターを弾き語る
ヘンリー・マンシーニの
『ムーン・リヴァー』
小説には出てこないのですが
ステキなメロディで大好き
永遠の映画音楽ですね。
2008年に村上春樹さんの
新訳(翻訳)版が出ていて
ティファニーブルーの装幀がステキです。
共感&コメント下さいました
レビューアーの皆様
ありがとうございました。
追記投稿でご迷惑でしたら
コメント削除願います。
追記
2024年 虎ノ門ヒルズで開催中の
「ティファニーワンダー」
世界初となる
作品が展示されています。
「ティファニーで朝食を」で
オードリーが来ていた衣裳も
展示され 台本や
オスカー像も見ることができます。
6/23迄開催
原作と全く違うお話。これじゃ、原作者怒ると思いました。ヘップバーン...
何度席を立とうと思ったことか
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