コカコーラ・キッド

劇場公開日:

解説

コカコーラのセールスマンがオーストラリアにも広めようと苦心するコメディ・タッチのドラマ。製作はマーク・モファットとリッキー・ファーター、監督はドゥシャン・マカヴェイエフ、原作・脚本はフランク・ムーアハウス、撮影はディーン・セムラー、音楽はティム・フィンが担当。出演はエリック・ロバーツ、グレタ・スカッキほか。

1985年製作/オーストラリア
原題または英題:The Coca-Cola Kid
配給:シネマテン
劇場公開日:1987年10月31日

ストーリー

コカコーラ・カンパニーのオーストラリア支部長のところに、アメリカ本社からテレックスが入った。販売体制の建て直しをするため、本社きってのヤリ手社員ベッカー(エリック・ロバーツ)を派遣したというのだ。ベッカーはトラブル・シューター、すなわち難関突破の専門家だった。エリートらしくビシッと決めたベッカーはオーストラリアでまずホテルのボーイに歓迎される。彼はしかしベッカーをCIAのスパイと勘ちがいしてベッカーに大サービス。しかもその男前ぶりに見とれる始末。支部に出社すると待っていたのは秘書のテリー(グレタ・スカッキ)。彼女は、仕事の腕はあやしいものだったが、性格は良くセクシー、ベッカーはさっそく彼女と仕事の打ち合せ。セールス・レポートをチェックしているうちに、あることに、ベッカーは気づいた。一部の地域にコカ・コーラが一本も売れていないのだ。調査をするうちに、問題の地域アンダーソン峡はジョージ・マクドウェル男爵(ビル・カー)の領地で、コカコーラとよく似たソフト・ドリンク、マクコークというのを売り出しているのだった。ベッカーはすぐさま男爵の領地に乗り込んだ。工場を偵察していると何とその男爵に見つかってしまう。しかし男爵はベッカーを気骨のある男だと思う。一方、テリーは、そんなベッカーの行動が気が気ではない。彼女はアンダーソン峡に行くのをやめさせようとする。実は彼女は男爵の娘だったのだ。彼女は結婚して子供がいたが離婚して今働いていることは、秘密だったのだ。そんなことはおかまいなしで、ベッカーは大軍団を率いてアンダーソン峡に乗り込んで行き、思いどおりに事をすすめるのだった。

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受賞歴

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映画レビュー

3.0コーラ売り

2022年11月15日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

難しい

萌える

まともに主演でエリック・ロバーツの作品を観たのが初めてかもしれない、少し頭の飛んだ仕事人間が奔走する話かと思いきや単に恋愛映画を変わった感じのコメディ映画に、相手役を演じた女優が魅力的で可愛らしい、メチャクチャな性格でストーカーみたいに強引な割に嫌味にならないヒロイン像、何のために契約を取りたいのか互いの腹が見え隠れ、恋愛映画に進む展開に思えない物語と主要登場人物のハッキリしない考えに複雑なようで単純にハッピーエンドが、でもスッキリ楽しめる変わった映画だった!?

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万年 東一

5.0モンド

2021年9月7日
PCから投稿

エリックロバーツというと妹ジュリアは大女優だし娘エマも売れっ子若手女優だが、当人はB級沼にはまったまま出てこれなくなった。

だがエリックロバーツにはコカコーラキッドがある。それだけでじゅうぶんな一作品だと思う。

監督が亡くなった2019年1月、日本のメディアは以下のように報じていた。
『ドゥシャン・マカベイエフ氏(旧ユーゴスラビア、セルビアの映画監督)がセルビアからの報道によると25日、同国の首都ベオグラードで死去、86歳。死因など詳細は伝えられていない。
32年10月、ベオグラード生まれ。「保護なき純潔」(68年)でベルリン国際映画祭の審査員特別賞を受賞。「WR・オルガニズムの神秘」(71年)などセンセーショナルな性描写の作品が物議を醸した。』
(ウィキペディア「ドゥシャン・マカヴェイエフ」にリンクされている日刊スポーツのアーカイブより)

わたしが見た同監督の映画はスイートムービーとモンテネグロとコカコーラキッドだけで「センセーショナルな性描写」は知らない。
ウィキペディアに『WR:オルガニズムの神秘』(1971) について以下のように書かれている。
『スターリンがおごそかに行う国家式典と男女の愛撫シーンとを等価にあつかう物語は、当時欧米で大きな潮流となっていた実験映画の最先端としても注目されたが、同時にソ連に対する痛烈な政治批判になっていると受け止められ、この映画が上映されたカンヌ映画祭では観客から熱狂的な支持を集めている。』

察するに「センセーショナルな性描写」は反政府のために使われている。イデオロギーを嘲弄する目的で、ハレンチな描写をもってきた──わけである。
けっきょく母国(ユーゴスラビア)で発禁となり、その後はアメリカに渡って実質政治亡命状態で映画製作をつづけた、とあった。

スターリニズムを批判するために淫風の絵を対比させたのであれば「センセーショナルな性描写」はマカヴェイエフの持ち味ではない。と思う。
ではどんな作風だろう?
監督業の後期に属するスイートムービーもモンテネグロもコカコーラキッドも形容がむずかしい映画だが、道を外してヨーロッパの退廃に浸るジムジャームッシュ、バーニングマンに出品していた初期ウェスアンダーソン──という感じ、だろうか。どちらの形容にもぜんぜん自信はない。モンドでエロチックで、アートに埋没せずエンタメ色もある。

反政府するような気骨ある社会派だったマカヴェイエフが西側へ逃れて自由に撮った──それがスイートムービーやモンテネグロやコカコーラキッドだった、と思う。

近年(2019)、あちらのニュースでグレタスカッキがワインスタインについて述べた記事を見た。
「彼はわたしのキャリアを成功させるためにボタンを押す力を持っていました」と80~90年代を回顧し「30歳になってすでに地位を確立するまでワインスタインと出会わなかったことを幸運だと思っている」と述懐している。
また「もし私がワインスタインの望むことに協力したいと思っていたら、もっと成功したキャリアを持っていたかもしれませんが、私はそのようにするつもりはありませんでした」とも述べていた。

毎年毎年、新たなワインスタインの犠牲者もしくは証言者が出てくる。いったい何人口説いたのだろう。プロデューサーってそんな欲情した状態で務まるものなんだろうか。

だがグレタスカッキの証言はさもありなんだった。さもありなんとは、ワインスタインに狙われたのは当然であったろう──という意味である。
むかしグレタスカッキといえばグラマラスかつ脱げるひとだった。イタリア系でオーストラリアの女優──という無類のダイバーシティを持っていた。グッドモーニングバビロンのあらましをたいして憶えていないが夢のように美しいグレタスカッキは憶えている。

コカコーラキッドのグレタスカッキもよく憶えている。よくわからないキャラクターのエリックロバーツに色仕掛けでせまるこぶ付きの秘書だった。
コカコーラキッドはオーストラリアを舞台にしたオーストラリア映画。ロバーツはコカコーラ社の自信に満ちたセールスマンで、コカコーラが浸透していない地域に売り込みをかけるものの、地場の清涼飲料業者から、したたかな抵抗に遭う。という話。思いっきり商品名が使われているがコカコーラは無関係だったと記憶している。

映画はストーリーを語るというより、主人公のエリックロバーツからしてへんなやつで、穏やかに狂っている人々が繰り広げる世界が映画「コカコーラキッド」だった。狂っている──といっても過激方向へは振らない。とてもユニークでなんとなくノスタルジーもある。そして唯一明解な特徴──マカヴェイエフは暗くない。獲り損ねたがパルムドールにもノミネートされた。

前述したようにマカヴェイエフは反権力の象徴として性を用いた──に過ぎない。よって「センセーショナルな性描写」を特徴とした映画監督ではなかったはずである。ただし、訃報に寄せ、なんらかの特徴をあげて監督のことを紹介するばあい、そうなるのは仕方がない。なぜならコカコーラキッドやモンテネグロの特徴をあげることができないから。特徴をあげにくい形容しがたい、でも楽しい映画だった。とりわけコカコーラキッドとモンテネグロは必見。

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津次郎