アメリカの伯父さん
劇場公開日:1981年6月
解説
女性一人男性二人の行動や心理の動きを臨床心理学的な視点から分析しながら人間の心理と病理、記憶と行動との関係等を描く。製作はミシェル・フォール、監督は「プロビデンス」のアラン・レネ、助監督はレネ夫人のフロランス・マルローとジャン・ルオン、脚本はジャン・グリュオー、撮影はサッシャ・ヴィエルニー、音楽はアリエ・ジェルラトカ、編集はアルベール・ジュルジャンソン、美術はジャック・ソルニエ、衣裳はカトリーヌ・ルテルリエが各々担当。出演はジェラール・ドパルデュー、ニコール・ガルシア、ロジェ・ピエール、・マリー・デュボア、ネリー・ボルジョー、ピエール・アルディティ、ジェラール・ダリュウ、アンリ・ラボリ教授など。
1980年製作/フランス
原題または英題:Mon Oncle d'Amerique
配給:東宝東和
劇場公開日:1981年6月
ストーリー
ジャニーヌ・ガルニエ(ニコール・ガルシア)は、1948年、パリで労働者の娘として生まれる。芝居の女優になることを夢みた彼女は、両親の反対を押し切って旅巡りの劇団に加わったりした後、家を出て左岸の小劇場で舞台女優となった。ジャン・ル・ガル(ロジェ・ピエール)は、1929年、ブルターニュ地方の富裕な家庭に生まれ、野心家の彼は政界か文壇に出ることを望み、情報文化大臣官房を経て、75年には放送局の報道部長となり、放送批判の本なども書いた。その彼が、ジャニーヌの芝居を見て彼女に惹かれた。やがて当然のように愛し合う仲になる二人。ジャンはジャニーヌに、アメリカにいる伯父さんがいつしかフランスに帰って来て島に隠した財宝のありかを教え、皆に幸せをもたらしてくれるのだ、と語った。妻子を捨ててジャニーヌの部屋に住むようになるジャン。しかし、仕事に出かけようとするジャニーヌのもとに、ジャンの妻アルレット(ネリー・ボルジョー)がやってきて、ジャンを返してくれと懇願する。すでにジャニーヌの芝居ヘの情熱を理解しなくなりはじめていたジャンに、彼女は別れを告げた。二年たち、ジャンは政界に進出し、一方ジャニーヌはコピーライターとして碓固たる地位を築いていた。仕事で系列会社の役員に会いに行ったジャニーヌは、そこでザンボー(ピエール・アルディティ)役員と話しこんでいたルネ・ラグノー(ジェラール・ドパルデュー)と会った。彼とは、業界の仕事でいくどか会ったことがあった。ルネは1945年、メーヌ・エ・ロワールの農場経営者の家に生まれ、19歳で家を飛び出し、紡績会社に就職し、今では支店の技術部長にまで昇進していた。しかし、今、ルネはザンボーから不本意な異動を宣告され、全ての希望を失っていた。しかも、彼の妻テレーズ(マリー・デュボア)は、新しい任地へ行くことをいやがり、三人目の子供を宿していることを初めて口にした。持病の胃潰瘍が、そして家庭、職場の問題が彼をしめつける。睡眠薬を飲み、首を革ベルトでまくルネ……。病院で一命をとりとめたルネにつきそうジャニーヌ。その足でジャンの家に何かった彼女は、そこでアルレットの冷たい態度に驚く。ジャンと会う彼女。「人間は共存するが、一体にはならない」と、この三人の“サンプリング”を臨床心理学的な視点で分析し続けてきた生物学者アンリ・ラボリは語る……。
スタッフ・キャスト
- 監督
- アラン・レネ
- 脚本
- ジャン・グリュオー
- 製作
- ミシェル・フォール
- 撮影
- サッシャ・ヴィエルニー
- 美術
- ジャック・ソルニエ
- 音楽
- アリエ・ジェルラトカ
- 編集
- アルベール・ジュルジャンソン
- 衣装デザイン
- カトリーヌ・ルテリエ
- 助監督
- フロランス・マルロー
- ジャン・ルオン
- 字幕監修
- 山崎剛太郎
受賞歴
第53回 アカデミー賞(1981年)
ノミネート
脚本賞 | ジャン・グリュオー |
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第33回 カンヌ国際映画祭(1980年)
出品
コンペティション部門 | |
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出品作品 | アラン・レネ |