わが恋の旅路
劇場公開日:1961年5月16日
解説
曽野綾子の「わが恋の墓標」を、「夕陽に赤い俺の顔」のコンビ寺山修司・篠田正浩が脚色し、篠田正浩が監督した恋愛映画。撮影も「夕陽に赤い俺の顔」の小杉正雄。
1961年製作/91分/日本
原題または英題:Epitaph of My Love
配給:松竹
劇場公開日:1961年5月16日
ストーリー
石橋潔はドイツ語を教えていた有閑夫人の宇佐美夫人との関係を清算し、自力で生活しようと、地方新聞である横浜タイムス社に入社した。ある日、社の先輩津田に喫茶店“朱印船”に連れていかれた。ウェイトレスの千江の清潔なたたずまいに強くひかれた。潔は足繁く“朱印船”に通うようになった。千江目当てに通ってくる客には、木村というブルジョア青年もいた。ある雨の朝、潔は街で千江に会った。二人の間は急速に深まっていった。潔は千江と結婚したいと、先輩の津田に相談した。千江から電話があった。競輪場のスタンドから父が落ちて入院したというのだ。翌日、潔は宇佐美夫人の許を訪れた。金を借りるためだ。夫人はしぶしぶ一万円の小切手を手渡した。潔は急に大阪に出張することになり、千江にも会えず出発した。その留守中に、千江は木村と結婚してしまった。が、この結婚には木村の父親が反対しており、千江の入籍も許されなかった。ある日、買物に出た千江は、自動車にはねられた。それから二カ月たった。初めて千江の輪禍を聞いた潔は、病院に駈けつけた。千江ははねられた時のショックで記憶を失っていた。千江は木村から離縁された。半月後、潔は千江を退院させて自分の下宿へ連れ帰った。潔は千江の記憶が恢復しなくても結婚しようと考えたが、千江は申し入れをきかなかった。潔が出張中干江は自殺を企て海にとびこんだ。未遂に終った。翌朝、千江は潔の名を呼んでいた。失われていた記憶がよみがえったのだ。彼女が一番行きたがっていたところは、彼女が身も心も潔にささげた、港が見える丘にある誰もいない外国人邸宅。庭に転がっている古ぼけた芝刈機だけが妙に印象的なところだった。二人は抱き合った。