東京湾炎上
劇場公開日:1975年7月12日
解説
東京湾内で20万トン級のタンカーを占領した6人のシー・ジャッカーたちと乗組員、最悪の事態を避けようとする日本政府との攻防を描く。原作は田中光二の「爆発の臨界」。脚本は「沖田総司」の大野靖子と「ノストラダムスの大予言」の舛田利雄、監督は「紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る」の石田勝心、撮影は「ノストラダムスの大予言」の西垣六郎がそれぞれ担当。
1975年製作/100分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1975年7月12日
ストーリー
20万トン級タンカー「アラビアン・ライト」は、いま航海を終えようとしていた。突然、遭難信号が打ち上げられ、六人の遭難者を発見した。早速、乗組員は六人を救助したが、彼らはシー・ジャッカーだったのだ。乗組員に銃をつきつけ、磁気爆雷をセットした彼らは、船を東京湾の奥深く突入させ停止させた。そして日本政府に対して苛酷な要求を突きつけた。「鹿児島県喜山CTS及びコンビナートを破壊せよ。そして、その模様をテレビで実況中継せよ」というのだ。そして、要求不履行の場合はアラビアン・ライトを爆破する、とつけ加えた。彼らは資源公正分配推進組織(POFFDOR)と名乗った。喜山CTSは日本の石油の12%の貯油能力があり、これを失うことは国家にとって大打撃である。しかし、喜山の爆破を拒否してアラビアン・ライトが爆破された場合は、東京湾に10万トンの原油が流れ込み、気化した原油で関東一円がすっぽりと包まれるのだ。そうなるとマッチ一本で蓮鎖的な爆発が起こり、関東一円は火の海になってしまうのだ。アラビアン・ライトの船内は緊張による極限状態を超えようとしており、ゲリラに飛びかかっていった片岡機関士と寺田司厨長が無惨に射殺された。石油技師の館次郎がゲリラの銃を奪ったものの、爆雷のスイッチを握られている以上、無駄な抵抗だった。日本政府の対策本部長からの返事が届いた。「日本政府は喜山CTSを爆破し、全世界にテレビ中継する」と。その頃、新聞記者の岩動達也は、対策本部の動きに疑惑を感じていた。対策本部に、特撮映画の関係者、テレビのディレクターが呼び集められているのだ。だが秘かに調査中の岩動は何者かに拉致され、とある部屋に閉じ込められた。夜になった。航空自衛隊のF104戦闘機が喜山爆破のために飛び発った。実況中継が開始された。ゲリラたちは勿論、日本中が息をのんでテレビを見ていた。しかし、この中継は対策本部が考えた巧妙なトリックで、コンビナート爆破の特撮映画だったのである。突然、喜山に雨が降り始めた。テレビ局の調整室でフィルムの切り換えが一瞬遅れた。ゲリラのリーダーの顔色が変わり、爆破装置のスイッチを入れ、対策本部に電話を入れた。「面白い見世物をありがとう。一時間後にタンカーは爆発する」と冷たく言った。リーダーが乗組員を下船させようとした時、リーダーに不満を抱いている仲間の一人が発砲したことが発火点となり、ゲリラ、乗組員との間に死闘が開始、ゲリラ全員と宗方船長以下数名の乗組員が死亡した。そして、秘かに上船して来たダイバー隊と、館次郎の活躍で最悪の事態は免がれ、シー・ジャック事件も終幕となったのだった……。