天国の駅

劇場公開日:

解説

二人の夫を殺し、戦後唯一人の女死刑囚として処刑された女の半生を描く。脚本は「空海」の早坂暁、監督は「パリの哀愁」の出目昌伸、撮影は「空海」の飯村雅彦がそれぞれ担当。

1984年製作/133分/日本
原題または英題:Station to Heaven
配給:東映
劇場公開日:1984年6月9日

ストーリー

昭和45年6月11日、東京小管拘置所内の処刑場で、一人の女がこの世に別れを告げ、天国への階段をのぼっていった。林葉かよ、47歳。--昭和30年春。結城つむぎの織女として、また美人としても評判のかよは、まだ32歳の女盛りであった。夫の栄三は傷痍軍人で、下半身マヒの障害者だった。しかも初夜を迎えないままに出征したため夜な夜な嫉妬心のかたまりとなって、かよに辛くあたった。そんな彼女に目をつけて接近したのが巡査の橋本だった。満たされぬ日々に悶々とするかよと深い仲になるのに時間はかからなかった。妻の浮気を知った栄三は狂ったように折檻し、思いあまったかよは夫を毒殺。しかし警察はズサンな調べで脳内出血による死亡として処理した。栄三の死後、警察を辞めた橋本はかよの世話で東京の大学へ通わせてもらうようになった。そんなある日、橋本は東京から幸子という女を連れて帰って来た。橋本は、かよとの噂を打ち消すために、幸子と仮の夫婦になるのだと言い訳をするのだが、かよと幸子二人の女は、橋本に騙されていたことを知り手切金を渡して縁を切った。同じ男に騙された妙な連帯意識で姉妹のように仲良くなった二人は、綿谷温泉郷にたどりつき、かよは土産物店を開き、幸子は芸者として、人生の再スタートを切った。そして、結城の頃から、かよに想いを寄せていた通称ターボという知的障害の一雄も、いつのまにかこの地に住みついていた。大和閣の主人・福見は、かよに惹かれ、何かと援助を申し出ていた。ダニのような橋本が現われ、かよに金をせびりに来た時も、福見は手切金として300万円を渡して追い返した。しかし、福見には精神病院に入院している妻・辰江がいる。そこで、ターボのかよに対する気持ちを利用して、かよに危害がかかるとそそのかし、辰江を殺害させた。邪魔者はいなくなった。福見とかよは晴れて結婚し、幸子も芸者を辞めて大和閣に落ち着いた。ところが、300万円を費い果たした橋本が再び舞い戻って来た。幸子は、やっと幸福をつかんだ自分とかよを、不幸におとしいれようとする橋本が許せなかった。殺すしかない。そう決心した幸子は、登山列車から橋本をつき落とそうとするが、逆に谷底につき落とされてしまった。最愛の幸子を失なったかよは復讐のために橋本と会おうとするが、福見は許さなかった。かよは福見に過去の夫殺しを告白、生きた屍のように無気力となってしまった。一方福見も、先妻殺しをそそのかしたターボの存在が邪魔になり殺そうとする。しかしターボの抵抗にあい、かよに手助けを求めたが、かよは逆に福見を殺してしまった。かよは初めて自分を最も愛してくれていたのはターボであることを知ったのだ。二人は死ぬ覚悟で逃走した。駅へたどり着いた時、結城の事件以来、かよを追っていた五十沢刑事ほか警察官が待ちかまえていた。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

監督
脚本
早坂暁
企画
岡田裕介
矢部恒
和田徹
撮影
飯村雅彦
美術
中村州志
音楽監督
加藤和彦
音楽
矢野誠
音楽プロデューサー
多賀英典
主題曲
吉永小百合
録音
林鉱一
照明
小林芳雄
編集
西東清明
助監督
吉崎元
スチール
加藤光男
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受賞歴

第8回 日本アカデミー賞(1985年)

受賞

主演女優賞 吉永小百合

ノミネート

作品賞  
脚本賞 早坂暁
助演男優賞 西田敏行
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映画レビュー

4.0それでも…吉永小百合さんは美しい…

2024年7月15日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

“吉永小百合が毒婦を演じる“という謳い文句が気になり視聴しました。
この中の小百合さんに色々な評価が出来るのでしょうが、やはり彼女は美しい。
最も印象的だったのは、最終盤の彼女と西田さん演じるターボーとの抱擁シーン
の彼女の表情‥ハッとさせられました。

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luckykun

3.0小百合さんが美しすぎる

2024年5月2日
iPhoneアプリから投稿

映画の内容は好きになれないが最後まで観てしまった。
西田敏行が、一瞬ジミー大西に見えたが、いい芝居してる。

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あっちゃんのパパと

1.0DVD,買って大損!

2022年8月14日
iPhoneアプリから投稿

「教誨師」ってノンフィクションの死刑囚に携わった教誨師の生き様を描いた小説の中で、林葉かよが出てきて、その人物像に興味を持って、そうなると当然、ずーと、この映画が見たくて見たくて、DVDまで買ってようやく観ました。
 感想は、最悪。吉永小百合さんが演じてたせいか、小林カウを美化しすぎ。本当は、もっと欲深くで、卑劣な女だったと思う。実際の話を忠実に再現して欲しかった。ただの吉永小百合さんの話題作りの映画にしか思えなかった。

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ジェット

1.5白石さんのインパクト。

2021年7月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

単純

寝られる

かなり前に見た映画。
『百物語』の白石さんを初めて意識した映画。
あれだけの登場で、すべてを持っていく。
今映画を思い出しても、「ああ、あの白石さんの」という印象。
 そこから、ポツポツ、、周辺の場面を思い出していく。

西田氏の怪演もすごかった。
好青年のイメージが強い三浦氏の悪役も新鮮だった。
でも、西田氏は作り込みすぎ、昭和世代の典型的な役柄・演技。
三浦氏は小悪党ぶりが良かったけれど、及第点に見えてしまう。”普通”の役が一番難しいと聞くから演技力の証明なんだけれど。
 白石さんの前では霞んでしまう。

そして、吉永さんの演技。
戦後”唯一”の死刑囚(解説から)・初の悪役と呼び声が高かったけれど…。
 吉永さんを、これでもかと美しく女神のように見せるための演出。
 それが功を奏して、美しすぎる、悲しすぎる、運命に翻弄された女性の映画になってしまった。

でも、死刑囚を題材にした映画。これで死刑になるか?
 死刑の前に、ルージュを希望した、その心理がどうの、こうのというインタビュー記事を読んだ記憶があるのだけれど。
 解釈の違いなんだろうけれど、この映画のかよが、死ぬ前に望むものってルージュか?腑に落ちない。腑に落ちるように演技で作ってくれたのならいいのに、それもない。
 予告に「美しすぎるゆえに、翻弄された…(思い出し引用)」人生の最後に望むもの。最後の言葉「私きれい?」それをどんな思いで口にしたのか。
 映画途中でのターボとのやり取り。「私はきれいではありません(思い出し引用)」。それって単なる造形の美醜・見た目のことじゃないよね。
 そのうえでのルージュ。表情が”女優”。『モンスター』のセロンさんのように、顔を役柄に合わせて作り変えることなんて思いもよらぬのだろうな。そこまで役にのめり込むこともないのだろう。

映画のキャッチコピーは「いのちより愛」。この話で?愛にどん欲な場面とか、愛によって覚悟をきめた場面なんてない。
もう一つのキャッチコピー「天国の駅は、たった独りでしか乗れない」も、映画で納得させてもらえず、コピーだけが浮遊している。サユリストの「僕がお供したいのに~」という憐れ・同情を煽っているように見えてしまう。

「吉永さん、初の悪役」に興味を持って鑑賞。罪を犯せば悪役か?人を殺せば悪役か?
運命に流されるだけで、状況を自分の力で変えることをしなかったことが悪なのか?
そう見えるけれど、男に翻弄されるか弱い女性に甘んじることで、男どもを翻弄させて不幸にしたことを”悪”として表現しているつもりなのか?

実際の事件設定だけ借りて、実際の人物のいやらしさを示すエピソードは全く書き換えられている。
サユリストが作ったサユリストによるサユリストのための映画。サユリストが望む範疇を決して出ない。

心の中に潜む闇を演じられないのか。
きれいなんだけれど、イプセンの『人形の家』のノラにしか見えない。

コメントする 1件)
共感した! 1件)
とみいじょん

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