太平洋のかつぎ屋
劇場公開日:1961年1月27日
解説
「すべてが狂ってる」の星川清司と「霧笛が俺を呼んでいる」の熊井啓の共同脚本を「街から街へつむじ風」の松尾昭典が監督した小林旭の航空アクション篇。撮影も同じく「街から街へつむじ風」の岩佐一泉。
1961年製作/87分/日本
原題または英題:Pacific Porters
配給:日活
劇場公開日:1961年1月27日
ストーリー
ロスアンゼルスに向う日新航空のパイロット立花哲次は、民間航空会社パシフィック・ポーターズの機長ジム・ブラックと羽田空港を飛び発った。ウィスキーをラッパ飲みしていたジムは、ホノルルのコントロール・タワーの指令を無視して着陸したため滑走路外に突っ込んで機体は炎上した。哲次は失神したジムを助け出すのが精一杯で積荷を救うことができなかった。日新航空の査問会でジムはその時失神しなかったと証言したため哲次は腕を惜しまれながら解雇された。「航空界」の編集長南部順平だけが哲次の味方となって庇ってくれた。哲次はジムを詰問するためパシフィック・ボーターズの事務所を訪ねた。ジムはあくまでシラを切った。空気が険悪となった時、宮崎航空大学で同期の杉江洋介が入って来た。杉江と哲次は航空大学学長の娘典子を秘かに愛していた優秀な青年だったが、杉江は事故で顔に傷を負って以来、世を拗ね人を拗ねてパシフィック・ポーターズで働いていたのだった。杉江が哲次に見せた態度は憎悪に燃えていた。哲次のことを新聞で知っていた品田学長は哲次を航空大学によんだ。哲次は航空大学の教官として地上勤務につくことになった。典子と品田の温かい心使いにも哲次の心は淋しかった。一年経った。やがて学生達の卒業式がやって来た。巣立ってゆく若いパイロットの姿にたまりかねた哲次は、禁を破って大空を飛んだ。やはり俺には空が一番だ、空を自由に飛び廻りたい一心の哲次はたまらなくなって東京へととび出した。しかし、事故者の前科があるパイロットに職はなかった。哲次の腕を知っているパシフィック・ポーターズの支配人アンディ・白井は哲次を会社に入れようと懸命であった。意を決した哲次はパシフィック・ポーターズに入った。典子は父の反対を押し切って上京、父の弟南部の会社で働くことになった。或る日、沖縄が津波で被災した知らせがあり事務所は救援物資輸送に従事することになった。一番機として出発した杉江とマイクの組がエンジンの故障で洋上に不時着した。立花は台風が接近しているにも拘らず、シブるジムを連れて水上機で救出し飛び立った。捜索二時間の末やっとのことでライフボートに乗っている杉江を見つけた。日没間近の海上は激浪と強風が吹き荒れていた。激浪に邪魔されて着陸は一回、二回、三回とやり直しが続いた。ジムは自殺に等しいから着陸は止めるようにと哲次にいうが、哲次は耳もかさない。哲次の決死の着陸で救助は見事に成功した。哲次のフライト・スピリットにジムは前非を悔い自己の責任を明かにした。まもなく、日新航空は哲次に復帰をすすめてきた。しかし、哲次は俺には仲間がいるんだと言って杉江、ジムのいる基地に帰って行くのだった。そこには哲次の帰りを待つ典子の笑顔があった。