黒部の太陽
劇場公開日:1968年2月17日
解説
木本正次の原作『日本人の記録・黒部の太陽』(毎日新聞社刊)を、「女たちの庭」の井手雅人と、「日本列島」の熊井啓が共同で脚色し、熊井啓が監督した黒四ダム建設のドラマ。撮影は「情炎(1967)」の金宇満司。
1968年製作/196分/日本
原題または英題:A Tunnel to the Sun
配給:日活
劇場公開日:1968年2月17日
ストーリー
関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣社長総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。間組の国木田と熊谷組の下請会社の岩岡源三は、ともに現場責任者の北川を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。源三の息子剛は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。国木田はそんな剛と、北川の長女由紀と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。昭和三十一年八月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。九月に入って剛は偶然、由紀と会い、親しさを増していったが、彼女が父の北川の身を心配するのを見て、源三の様子を見に黒部に向った。源三はめっきりと体が弱くなっていた。北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに十六人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。翌年の四月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯にぶつかったのだ。五月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。そんな折りも折り、北川は次女の牧子が白血病にかかって入院し、生命はあと一年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。現場は労務者が一人、二人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の十二月、ついに難所を突破。翌年十一月、剛は由紀と結婚した。そして二月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。昭和三十八年三月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。
スタッフ・キャスト
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太田垣滝沢修
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芦村志村喬
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平田佐野周二
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北川三船敏郎
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岩岡石原裕次郎
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源三辰巳柳太郎
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佐山玉川伊佐男
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国木田加藤武
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大野高津住男
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藤村柳永二郎
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塚本山内明
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森宇野重吉
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賢一寺尾聰
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小田切二谷英明
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熊田成瀬昌彦
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由紀樫山文枝
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牧子日色ともゑ
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君子川口晶
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加代高峰三枝子
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きく北林谷栄
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武本信欣三
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黒崎芦田伸介
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吉野岡田英次
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大橋庄司永建
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瀬山雪丘恵介
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倉沢長尾敏之助
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山口英原穣二
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千田鈴木瑞穂
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筈見岸野小百合
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芝田小柴隆
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高橋牧野義介
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土条大滝秀治
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坑夫1嶺田則夫
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坑夫2二木草之助
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坑夫3島村謙次
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坑夫4根本義幸
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坑夫5熱海弘到
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医師内藤武敏
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安部下川辰平
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坑夫A荒川常夫
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坑夫B平田重四郎
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坑夫C晴海勇三
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坑夫D伊豆見雄
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坑夫E榎木兵衛
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坑夫F千代田弘
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坑夫G武藤章生
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高木斎藤雄一
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竹山野村隆
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徳田宮崎準
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労務者イ石崎啓二
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労務者ロ小川吉信
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労務者ハ内倉正男
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労務者ニ山吉克昌
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労務者ホ近江大介
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木原宮阪将嘉
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料理屋のおかみ三益愛子
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地質学教授清水将夫