昨日消えた男(1941)

劇場公開日:

1941年製作/89分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1941年1月9日

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映画レビュー

3.5江戸の長屋を舞台とした、モノクロ期の本格推理時代劇。ぜひ予備知識なしでご鑑賞あれ。

2024年12月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

【謹告】
これからこの作品をご覧になる方は、
なるべく予備知識をいれずに、
どんな映画であるかもあえて調べず、
今ここでこの感想も読むのをやめて、
真っ白な心で観ることをお勧めします。

本作には、監督・マキノ正博と、
脚本家・小国英雄の仕掛けた、
ちょっとした「お遊び」が隠されています。

大したネタではないかもしれませんし、
解説によっては、隠す必要などないと、
おおっぴらに書いてあるかもしれません。

でも、個人的には、「知らずに」観たほうが
絶対楽しめるたぐいの仕掛けなわけです。
(当時のポスターでも明らかに伏せてあるし)
ぜひ、びっくりしてください。
そして、ぜひ楽しんでください。
以上、さっき観たばかりの者からの忠告でした。

― ― ― ―

実は、タイトルのみは知っていて、
「古い邦画には珍しい本格ミステリ劇」
ということくらいは認識していた。
ずっと前から気になっていたのだが、
シネマリンの高峰秀子特集上映でかかることに気づいて、
朝からはせ参じた次第。

時代劇ではあるのだが、
なんでもダシール・ハメットの『影なき男』が原案だとか。
いま振り返って考えると、事前情報としてはちょうどいいくらいの知識量だった気がする。

長屋で起きる奇妙な殺人事件と、死体移動の謎。
容疑者は、長屋の住人全員。
みなに動機があり、誰もが怪しい行動をとっている。

目明かしの捜査が始まり、ついで与力によるお取り調べが行われるが、これに茶々を入れながら、独自に推理を働かせるのが、いなせな長谷川一夫の文吉と、山田五十鈴の芸者・小富。
はてさて、真犯人は誰なのか??

― ― ― ―

いやあ、予備知識ほぼゼロで観られて本当に良かった!
某登場人物が、しきりになんかいろいろ言い出すまで、
「例の仕掛け」に全く気付かなかったよ(笑)。

いちおう、種明かしの大分前には気づけたんだけど、
あれだけあからさまな「ヒント」まであったのに、
ぜんぜん思い浮かんでなかったの、結構ショックだなあ。

初老を迎えてだんだんバカになってきただけかもしれないけど、
「名前を変えた」だけで、俺こんな簡単に騙されちゃうんだ!!

考えてみると、
いかにも海外翻案っぽい時代劇らしからぬ邦題とか、
ダシール・ハメットの原案表記とかも含めて、
すべては巧妙なミスディレクションというか、
「さりげなくアレだとは思わせない」ための
考え抜かれた仕掛けなんだよね。
あと、メインキャラそれぞれが
ちゃんと長屋に住処を確保のも、
観客に先入観を植えつける巧い導入だ。

― ― ― ―

でも、ここでは、その件にはこれ以上立ち入らず、
別の面――時代劇のフォーマットで試された、「本格探偵もの」としての要素について、感想をつけておこうと思う。

もともと、時代劇における「捕物帖」というのは、シャーロック・ホームズやそのライヴァルたちの登場する欧米の推理小説に触発されて、その「日本版」として生まれた経緯がある。その先駆けとなったのが岡村綺堂による『半七捕物帳』であり、つづいて野村胡堂の『銭形平次捕物控』や横溝正史『人形佐七捕物帳』、城昌幸『若さま侍捕物手帖』が執筆される。とくに横溝の佐七ものは、戦時中に本格ミステリを封じられた横溝の、憂さをはらすための代替物として書かれていて、パズラー性がつとに高い。あと、そういえば、『伝七捕物帳』の映画(高田浩吉版)にも『影のない男』ってタイトルのがあったりするよね(もちろんハメットとは関係ないだろうが)。

さらに、長屋が舞台の時代物ミステリといえば、なんといっても都筑道夫の『なめくじ長屋捕物さわぎ』シリーズがまずはぱっと想起されるが、『昨日消えた男』のように、これだけ「長屋を舞台に容疑者が限定されたフーダニット」として狙いの絞られた時代劇も珍しい。

脚本の小国英雄は、映画界では比較的よく知られた海外ミステリマニアで、他の作品にもたくさん洋物の推理小説の要素を取り込んだ例があるときく。
本作などは、まさにその典型的なケースだろう。
時代は太平洋戦争へと雪崩れ込んでいく、きなくさい時局がら。
そんななかで、「人殺しの起きる海外風の推理劇をやりたい」といっても、企画が通るわけがない。ところが「時代劇」――それも誰もが納得する「あれ」で作るとなれば、勧善懲悪、人情たっぷり。まさに「通りやすい企画」に早変わりする。
実に賢い「翻案」の仕方だ。
しかも、そのフォーマットはハメットの『影なき男』というよりは、あきらかにアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』あたりを意識したものである。

長屋の誰もが毛嫌いする、鼻つまみ者の因業大家。
いかにも悪どい嫌われ者が殺されて、容疑が長屋の住人にかかる。
はりきって捜査する、居合わせた探偵役。
賑やかで騒々しい長屋の住人たちの隠された意外な一面が、徐々に明らかになる。
最後は、長大な謎解きを披露しての大団円。
まさに、クリスティ・フォーマットである。

さらにいえば、フーダニットに関しては、まあまあ面白いところをついてきていて、これを単なる探偵ものとして見れば「意外な真犯人」だが、「伏せ札」の要素が明らかになってみれば、一転してむしろ「王道中の王道」の犯人に印象が一新される、というアクロバティックな設定となっている。いろいろと感心してしまった。

もちろん、今の基準で考えると、本格ミステリとしてはいかにも弱い。
謎解きは適当だし、そもそも推理の前提条件となる諸要素がちゃんと提示されていない。
アリバイ調査や証拠品の捜査といった基本的なことがなされないので、観ているこちらとしては、作品にまかせて流して「いわれるがままに」受け止めるしかない。
せっかくの雪の日の殺人なのに、足跡の話も出てこないし(文吉が勝手に調べておしまい)。
とくに「死因」については、最後の最後に探偵役がいきなり断定口調で言ってた気がするけど、それってさすがにどうなのか(笑)。なんの映像的な伏線もなかったよね?
ぶっちゃけ、最後はすべて「力業」で押し通してる感は否めない。

それでも、「後から第三者が気を利かせて施した工作」によって、事件の真相がどんどんと覆い隠されていく顛末は、横溝の『犬神家の一族』に近いところもあるし、レッド・へリングのばらまき方もうまい。「生き人形」の使い方も、とても欧米のミステリっぽいやり口だと思う。

何より、「長屋全体」を「ミステリ演劇」の「舞台」のようにとらえた演出が素晴らしい。
前提として、複数の容疑者の住む家(部屋)が順番に並ぶ、「お屋敷ミステリ」のような構造がまずあって、何かがあるとみんなの集まる「大広間」の役割として、真ん中にとおる公道が位置づけられる。
それぞれの部屋の中では、それぞれの怪しい連中がさまざまなことをやっているわけだが、比較的、外に音や様子が筒抜けであり、なにかあるとわっと観客(長屋の住人)が押しかけて、玄関口に鈴なりになって中の動向を見守ったり、堰を切ってなだれ込んだりする。
要するに、長屋の住居ひとつひとつが「開放された舞台」のように設定されているのだ。

僕たちは、あたかも舞台上のセットでも見るかのように、長屋のドタバタを住人たちと一緒に「覗き見る」ことになる。
さらに、後半では居酒屋が「公開捜査」の場へと切り替わり、まるでイギリスの本格ミステリによく出てくる「検死審問(インクエスト)」のシーンを観ているかのようだ。
そして、お白洲での裁きの場面は、まさに「法廷劇」。
この物語は、一貫して舞台的なセットを用いることで、観客まで「捜査側のメンバー」に巻き込んだ、ミステリ演劇的な味わいを生み出しているのだ。

― ― ― ―

あとは、別の方がご指摘されているとおり、本作には濃厚な「落語」の味わいがある。
そういえば、都筑道夫の『なめくじ長屋』シリーズも落語と掛けたつくりになっていたが、本作では徹底的に「言葉あそび」と「掛け合い」で脚本が埋め尽くされていて、まるで名人の噺をひとくさり聞かされているようだ。
今となっては語り口は古くさいし、実はあまり落語の得意ではない僕にとっては、居心地の良いテイストではなかったのも確かだが(しょうじき、みんな言い回しがわざとくさいんだよねw あと「なあるほど、まったくだ」をはじめとする天丼ギャグがしつこい)、とても文語的で、なおかつ頭で練りに練ったようなタイプの、「文字に依存した」脚本になっていると思う。

ミステリ的要素を離れても、文吉・小富のさや当てはとても愛らしいし、親子や夫婦連れ、浪人者など、長屋の住人たちはいずれもキャラクターが立っていて、観ていて本当に飽きない。
画角の精度、場面転換の自然さ、表情をとらえるショットのうまさなど、いずれも洗練されていて、とても日中戦争の時代に撮られた映画とは思えないくらいだ。

あとは、おじいちゃん・おばあちゃんの状態でしか知らない俳優たちの若き日の姿を見るのは実に楽しい。
とくに、やっぱり山田五十鈴がいい。
きっぷがよくて。別嬪さんで。
僕の知っている山田五十鈴はあくまで『必殺からくり人』の仇吉以降なので、顔は怖いわ声はガラガラだわってイメージしかなかったけど(笑)、ほんとに鏑木清方でも描きそうな瓜実美人だったんだね。
あとは、サバンナ高橋みたいな顔の江川宇禮雄とか、
山田五十鈴以上に怖い顔してた清川虹子の若いころの姿とか。
それとやっぱり、長谷川一夫の殺陣はきれいで、躍動的で、素晴らしい。
なお、今回は「高峰秀子特集」としての上映だが、高峰秀子はそこまで大きな役ではありませんでした。高峰秀子を存分に味わうという意味では、このあと続きで観た『馬』のほうが断然よかったと思う。

ぜひ、ミステリ映画ファンの方は、観に行ってみてください。
けっこう楽しめると思いますので。
そういや、64年には市川雷蔵主演で、小国英雄が改めて脚本を書きなおした新版の『昨日消えた男』もあるんだな。こっちもなかなか面白そうなので、ぜひそのうち観てみたいもんだ。

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じゃい

江戸落語の端正さ

2024年12月28日
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鑑賞方法:映画館

 今年は高峰秀子さんの生誕百年に当たり、また、今日12月28日は24回目の命日です。そこで、高峰さんの14作品特集上映が横浜シネマリンで始まりました。これは行かずばなるまい。そして、まず第一作は、サイレント時代から日本映画を牽引して来たマキノ雅弘監督による本作です。江戸時代の長屋を舞台としたコミカルなミステリー。

 脇役の配置が的確でテンポも良く、名人の江戸落語を聞く様な心地よさ。長屋に暮らす浪人の娘・高峰秀子さんの可憐さも然ることながら、江戸っ子らしい勝気さと可愛さの同居する山田五十鈴さんが魅力的です。起承転結のメリハリの効いた端正な造りの一作でした。

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La Strada

4.5貧乏長屋で起こった連続殺人に遊び人のスチャラカ男推理が冴え渡る...  銀幕スター男女の若き姿のじゃれ合いに目を奪われつつ,渦中の事件は時代劇のデウスエクスマキナに瞬く間に裁かれる痛快娯楽映画

2022年12月26日
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鑑賞方法:映画館

 時代的に太平洋戦争に突入しようという戦中末期で、その時期に公開された映画というと戦意高揚映画や忠君忠孝の精神を元とした剣戟映画ばかりかと予断してしまいますが本作についてはそうした息苦しさはどこへやら、貧乏長屋で暮らす町人たちの痴話喧嘩や胸算用、若い男女の初心な意地の張り合いにその長屋で起こった連続殺人が騒ぎをもたらしそして…というハイブリッドな時代劇娯楽作に仕上がっております。
 "ぜいたくは敵だ!"の精神の折、よくこれだけの明るく楽しい作風が当時の内務省による検閲をクリアしたなという驚きがまずもって作品評価を上げてしまいますが、上記の下町人情に加え、本作からほぼ一世紀を経てもなおその名を広く知られている日本を代表する名探偵の多分にご都合主義的ながらも小気味のいい名推理と偉大なるマンネリを敷衍させる大団円が待ち構えており、日本人の琴線に触れる超王道のドラマツルギーという感じがします。
 実は事件を調べていた公権力側に犯人が居た、ということでよりフェアな情報提示や互いの駆け引きを描けばもっと重厚な作品に成り得たでしょうが、日本の名探偵にして時代劇キャラの金字塔というジョーカーを持ち出したことでかなりの程度の超展開が許され、そこで稼いだ尺で下町人情とラブコメ描写を盛り込んだことで結果的に先進的な複合ジャンルに跨いだエンタメ傑作に仕上がった、ともいえると思いました。

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O次郎(平日はサラリーマン、休日はアマチュア劇団員)

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