おもひでぽろぽろ
劇場公開日 1991年7月20日
解説
「火垂るの墓」の高畑勲監督が、岡本螢・刀根夕子原作の同名コミックを映画化した長編アニメーション。1982年、夏。10日間の休暇を取った27歳の会社員タエ子は、姉の夫の親戚が暮らす山形へ旅に出る。東京で生まれ育った彼女には、小学5年生の時、田舎がなくて寂しい思いをした記憶があった。旅の途中、彼女は当時の懐かしい思い出を次々と蘇らせていく。小学5年生の自分を連れたまま山形に到着した彼女は、親戚の家の息子トシオや農家の人々と触れ合う中で、本当の自分を見いだしていく。主人公・タエ子の声を今井美樹、トシオの声を柳葉敏郎がそれぞれ演じた。
1991年製作/119分/日本
配給:東宝
スタッフ・キャスト
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2022年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波
昔、子供の頃に観た時なんか大人になった気分になった。
子供から大人になるって感じ。
そんな感じがほのぼのと描かれています。
タエ子はトレンド最前線の姉たちにやや気圧され気味ではあるものの、根っからの東京生まれ東京育ち。そんなシティーガールが「田舎はいいなあ」みたいなうっすらとした憧憬を片手に山形の農村へ出向けば、そこに元々住んでいる人々との根本的ギャップが露呈してくる。
タエ子は農村の風景を小学5年生の頃の周囲の空気と重ね合わせる。すべてが曖昧に滲んでいて、いいことであれ悪いことであれ心の琴線に触れるようなできごとだけが存在する美しきノスタルジーの世界。
だけどこんなアレゴリーは田舎ネイティブの人々からすればたまったものじゃない。それは要するに田舎の都合のいい神聖化だ。田舎には都会のようなせせこましさも退屈さもなくて、野や花に囲まれた美しい生活だけがある、という。
トシオをはじめとする農村の人々は、タエ子を手厚く歓迎しはするものの、彼女の浅薄なノスタルジー消費にうっすら勘付いている。トシオは山や畑を指差して「これは全部人間が作ったものだ」と言ったが、ここにはタエ子の幻想に対する反感が込められている。
さらに追い打ちをかけるかのように、本家の親戚たちが「トシオに嫁入りしないか」と打診してくる。ありありと突きつけられたムラ社会の論理に、タエ子はたまらず家を飛び出す。村外れまで逃げおおせたところで結局偶然通りかかったトシオの車に拾われてしまうあたり「逃れられなさ」が強調されていてつらかった。
車中では小5のときの隣の席の「あべくん」という男の子の話が出てくるのだが、これまた田舎のアレゴリーとしてはこの上なく酷い。あべくんは貧乏で性格がひねくれており、クラス中が彼のことを嫌っていた。そんな中タエ子だけは嫌悪感をできるだけ露わにしないよう努めていた。しかし彼が転校することになってみんなに一人ずつ握手をしようという段になると、彼はタエ子にだけ握手をしてやらなかった。
タエ子はこれについて「私が誰よりもあべくんのことを嫌っていたからだ」と懺悔し、それをトシオが「男は好きな女にこそそういう意地悪をしてしまうものだ」とフォローする。それはそうとこの期に及んで「貧乏で性格の悪いあべくん」を田舎の人々のアレゴリーに用いてしまうタエ子はやっぱり根本的に都会人であるし、田舎暮らしには向いていないように思う。
しかし彼女は駅でトシオたちと別れたあと、東京に向かう電車を途中で折り返して彼らの元へ戻る。つまり田舎に嫁ぐことを決意したわけだ。その決断の是非についてとやかく言うつもりはないが、今までさんざっぱら家父長制的な圧力に自由を阻害されてきたはずの彼女が、より強大で旧態的な差別構造を根本に持つであろう田舎暮らしのリアリズムをサバイブすることができるのかと思うと少し不安になってしまう。
2021年2月10日
Androidアプリから投稿
数々のジブリ作品の中で、本作が唯一
等身大の"大人の恋"
を描いていますよね!
"思春期の恋"を描いた「耳をすませば」も好きなのですが、こちらの主人公は優等生すぎて現実感が薄いんですよねぇ
2020年12月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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