ー 昭和の名匠と謳われる成瀬巳喜男監督は、その作品の”遣る瀬無い内容”により、”ヤルセナキオ”と呼ばれたそうであるが、今作を観ると正にその言葉を実感するのである。-
■戦時中、インドシナで妻帯者である富岡(森雅之)と出会い、愛しあった若く美しく才気煥発なゆき子(高峰秀子)。
終戦したら、妻と別れるという富岡の言葉を信じ、彼のもとを訪れたゆき子だったが、富岡はウジウジとはっきりとした態度を見せなかった。
途方に暮れたゆき子は外国人の愛人となり、富岡のもとを去る。
それでも、腐れ縁の二人は、一緒に伊香保温泉に行ったりするのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・林芙美子による原作も相当に陰隠滅滅としているが、今作もそれ以上である。と共に、時折、妻には不貞を詰られ、ゆき子にも煮え切らない態度を取り続ける富岡をぶん殴りたくなる映画である。
・今作を観ていると、富岡とゆき子は、いわゆる腐れ縁という関係で、二人は戦中にインドシネであってから、敗戦した日本で零落した姿で会っても、その関係を続けるのである。
そこには、倫理観というモノは存在しない。
・二人と関係する伊香保温泉の主人も、妻を絞殺したという記事が新聞に載るし、”もう、どんだけ陰隠滅滅としているのだ!”と、夜中に鑑賞中に叫びたくなるのだが、何故か見てしまうのである。
・ゆき子を演じた高峰秀子さんは、ご存じの通り昭和の名女優であるが、今作は零落したパンパンをはすっぱな演技で見せている。
そして、彼女は富岡に裏切られながらも、只管に彼について行くのである。
<富岡の妻は病死し、そして、ゆき子も胸に病を抱え、二人は旅に出るのだが、雨が月に35日振るという屋久島に宿を取るのである。
富岡が居ない時に、ゆき子は一人息を引き取り、その亡骸を抱きしめて富岡は号泣するのである。
ゆき子の死に顔のアップの後に縦書きで出るテロップが、マア凄いのである。
”花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かりき。”
今作は、戦中戦後の許されぬ男女の関係性の変遷を陰隠滅滅と描いた作品なのであり、只管に男女の不可思議な愛の形を描いた作品でもある。>