「モンパルナスの灯」を配信している動画配信サービス(VOD)
「モンパルナスの灯」の配信サービス一覧
配信サービス | 配信状況 | 料金 | |
---|---|---|---|
| 見放題 | 月額2,189円(税込)~ | 今すぐ見る |
「モンパルナスの灯」の配信サービス詳細
おすすめポイント
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配信形態
見放題 / レンタル / 購入
無料期間
31日間
月額料金
月額2,189円(税込)
ダウンロード可否
可能
複数端末同時視聴
可能
※最大4台まで同時再生可能
特典
(ポイント付与等)
毎月1200ポイント付与(購入・レンタル・コミック購入・ライブ配信チケット購入・映画館で使用可能)
支払い方法
クレジットカード(Visa/Master Card/JCB/アメリカン・エキスプレス/ダイナースクラブカード)、キャリア決済(d払い/au PAY(auかんたん決済)/ソフトバンクまとめて支払い/ワイモバイルまとめて支払い)、楽天ペイ、Amazon.co.jp、Apple Account、Google Play、ギフトコード、U-NEXTカード
全作品数
340,000本
見放題作品数
300,000本
映画作品数
見放題17,700本以上/レンタル1,200以上
ドラマ作品数
見放題5,400本以上/レンタル680本以上
アニメ作品数
見放題5,800本以上/レンタル260本以上
※2025年5月時点の情報です。最新情報は各社サイトにてご確認ください。
作品紹介

解説・あらすじ
夭逝の画家モディリアーニの悲劇的な晩年を、「穴」などの名匠ジャック・ベッケルが映画化した伝記ドラマ。
第1次世界大戦後のパリ、モンパルナス。売れないイタリア人画家モディリアーニは画商ズボロフスキーの友情に支えられながらも、貧困と病苦を酒で紛らわす日々を送っていた。ある日、モディリアーニは画学生ジャンヌと出会い恋に落ちるが、彼女の父親によって2人の仲は引き裂かれてしまう。病を悪化させたモディリアーニはズボロフスキーの勧めもありニースで療養することになり、ジャンヌは家族を捨てて彼と一緒に暮らし始める。ジャンヌの愛情と励ましを受け、自身の人生と芸術に前向きに取り組もうとするモディリアーニだったが……。
「花咲ける騎士道」のジェラール・フィリップが主演を務め、ジャンヌを「甘い生活」のアヌーク・エーメ、画商ズボロフスキーを「冒険者たち」のリノ・バンチュラが演じた。
第1次世界大戦後のパリ、モンパルナス。売れないイタリア人画家モディリアーニは画商ズボロフスキーの友情に支えられながらも、貧困と病苦を酒で紛らわす日々を送っていた。ある日、モディリアーニは画学生ジャンヌと出会い恋に落ちるが、彼女の父親によって2人の仲は引き裂かれてしまう。病を悪化させたモディリアーニはズボロフスキーの勧めもありニースで療養することになり、ジャンヌは家族を捨てて彼と一緒に暮らし始める。ジャンヌの愛情と励ましを受け、自身の人生と芸術に前向きに取り組もうとするモディリアーニだったが……。
「花咲ける騎士道」のジェラール・フィリップが主演を務め、ジャンヌを「甘い生活」のアヌーク・エーメ、画商ズボロフスキーを「冒険者たち」のリノ・バンチュラが演じた。
レビュー

きりんさん
投稿日:2024-07-21
アメデオ・モディリアーニ。
うちに大著の画集があった。折りにふれてページを開いていた僕だ。
美大を出た母の持ち物だった。
この映画を観るのも、もう僕にとっては50年ぶりのことになるだろう。少年時代に自宅のテレビで、その母と一緒に僕は観たのだ。
悲しい最後と、白黒映像のフランス映画であったことは覚えている。
もっとも当時、うちの白黒テレビで観たのだから、本物は天然色映像であったのかもしれないが・・
・・・と、今回DVDをセットするまえに、かつてのテレビの思い出が蘇って来たし、そして同時に、こんなことも考えるのだ、
50年もあれば、いろいろと僕も経験をしてきたのだから、作品の見え方も、そして人の世の色合いも、それは当然変わっているはずで。
苦労の挙げ句に、身重で死んだジャンヌ・エビュテルヌは、そしてくだんの貧乏画家の生き方は、
今の僕にはどう見えてくるのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・
国立新美術館で、
アメデオとジャンヌのコラボレーションの展示を観た。
半地下の、薄暗いガラスの中に妻ジャンヌの残した「素描」を見たときに、
はからずもその様に圧倒されたことを覚えている。
力強さ、質感、生命力、そして内側から発せられる光。
たかが腕一本のデッサンにも、知られざるジャンヌの画家としての力量を知らされて、僕はそんな事をまったく予想もしていなかっただけに、すっかり目を奪われて、その場を動けないほどだったのだ。
まるでギリシャの彫刻家の腕前だ。
しかし、かたや、並べられている夫モディリアーニの素描は、それはそれは、儚くて弱くて、まるでケント紙の上に煙草の灰で えがいたような、吹けば飛ぶような代物だった。
・・・・・・・・・・・・・
美術学校でイーゼルを並べていれば、師弟関係で、あるいは学生同士で、彼らのように恋人関係になる絵描きたちはたくさんいるのだろう。
僕は、我が娘の在学した美大の「卒展」を覗きに行ったけれど、
会場の雑踏の中に娘は立っており、長身の美しい男子学生が傍らにいて娘に話しかけているのが見えた。
「父です」と、娘が耳打ちしたのに違いない。青年は後ずさりして人混みに消えていった。
親を捨て、イタリアから来たユダヤ人画家の許へ走った愛娘のジャンヌが死んだときに、その父親はどれほどか嘆いただろうに。
・・・・・・・・・・・・・
映画は、
モディリアーニの作品があまり画面に映らない。少し変わった演出なのだ。モノクロのせいでもあろう、絵が見立たない。
そしていつも彼の絵は、意識的にだろう、裏返しに置かれている。
製作の風景も、意外にもとても少ない。
その代わりにモジのカンバスから飛び出したような女たち、男たちが動き出す。
「君を幸せにしたい」。
「幸せに出来なかったとしても、それは心ならずだ」。
貧乏画家に一目惚れして追いて行ってしまったジャンヌを、まだあどけなさが残る、若き日のアヌーク・エーメが演じる。
そして、今回の50年ぶりの観賞で判明したことは、この劇中では「ジャンヌの後追いの死」は触れられていなかった事だ。病院での夫の死と、その死を知らずに絵が売れたことを喜ぶ妻ジャンヌの、健気な笑い顔で映画は終わっていたのだった。
「ジャンヌはね、身重の体でアパルトマンの窓から飛び降りてしまったのよ」と、あの日、テレビが終わって母が呟いたその言葉。
僕はそれを完全に記憶の中で映像化していて、映画のラストシーンとして覚えていたようだ。
結核、酒、貧窮。
二人の出会いと、結婚と、その貧しい生活だけを、蝋燭とランプの薄暗りで映し出す、
古き佳き時代の、フランス映画の悲恋物語だった。
ジャンヌを演じたアヌーク・エーメは裸婦にはならない。他作「プレタポルテ」でも彼女は裸体を表わさなかったし、劇中口づけも無い。主義かもしれない。
けれどジャンヌを含めて、取り巻きの女性たちの髪が大変に美しいから、そこにもご注目を。
・・・・・・・・・・・・・
追記:
大人気の展覧会。美術館は満員でした。
モディリアーニの絵を観る人たちを、その様子を少し離れて後ろから眺めていると、面白いことに気付きます。ゆっくりと人の塊が絵の前を移動して流れながら、観客の首が右へと、左へと、一斉に風にそよぐんですよ。ご存じでしたか?
大勢のお客さんたちの肩越しに
絵のモデルの灰白色の目が
力なくこちらを向いているのが見えます。
画家は、画龍点睛を避けたのだろうか。幸せになることも避けたのだろうか。
そして彼は人々の視線からも逃げていき、彼自身が、
とうとう灰になってしまったのかもしれません。
うちに大著の画集があった。折りにふれてページを開いていた僕だ。
美大を出た母の持ち物だった。
この映画を観るのも、もう僕にとっては50年ぶりのことになるだろう。少年時代に自宅のテレビで、その母と一緒に僕は観たのだ。
悲しい最後と、白黒映像のフランス映画であったことは覚えている。
もっとも当時、うちの白黒テレビで観たのだから、本物は天然色映像であったのかもしれないが・・
・・・と、今回DVDをセットするまえに、かつてのテレビの思い出が蘇って来たし、そして同時に、こんなことも考えるのだ、
50年もあれば、いろいろと僕も経験をしてきたのだから、作品の見え方も、そして人の世の色合いも、それは当然変わっているはずで。
苦労の挙げ句に、身重で死んだジャンヌ・エビュテルヌは、そしてくだんの貧乏画家の生き方は、
今の僕にはどう見えてくるのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・
国立新美術館で、
アメデオとジャンヌのコラボレーションの展示を観た。
半地下の、薄暗いガラスの中に妻ジャンヌの残した「素描」を見たときに、
はからずもその様に圧倒されたことを覚えている。
力強さ、質感、生命力、そして内側から発せられる光。
たかが腕一本のデッサンにも、知られざるジャンヌの画家としての力量を知らされて、僕はそんな事をまったく予想もしていなかっただけに、すっかり目を奪われて、その場を動けないほどだったのだ。
まるでギリシャの彫刻家の腕前だ。
しかし、かたや、並べられている夫モディリアーニの素描は、それはそれは、儚くて弱くて、まるでケント紙の上に煙草の灰で えがいたような、吹けば飛ぶような代物だった。
・・・・・・・・・・・・・
美術学校でイーゼルを並べていれば、師弟関係で、あるいは学生同士で、彼らのように恋人関係になる絵描きたちはたくさんいるのだろう。
僕は、我が娘の在学した美大の「卒展」を覗きに行ったけれど、
会場の雑踏の中に娘は立っており、長身の美しい男子学生が傍らにいて娘に話しかけているのが見えた。
「父です」と、娘が耳打ちしたのに違いない。青年は後ずさりして人混みに消えていった。
親を捨て、イタリアから来たユダヤ人画家の許へ走った愛娘のジャンヌが死んだときに、その父親はどれほどか嘆いただろうに。
・・・・・・・・・・・・・
映画は、
モディリアーニの作品があまり画面に映らない。少し変わった演出なのだ。モノクロのせいでもあろう、絵が見立たない。
そしていつも彼の絵は、意識的にだろう、裏返しに置かれている。
製作の風景も、意外にもとても少ない。
その代わりにモジのカンバスから飛び出したような女たち、男たちが動き出す。
「君を幸せにしたい」。
「幸せに出来なかったとしても、それは心ならずだ」。
貧乏画家に一目惚れして追いて行ってしまったジャンヌを、まだあどけなさが残る、若き日のアヌーク・エーメが演じる。
そして、今回の50年ぶりの観賞で判明したことは、この劇中では「ジャンヌの後追いの死」は触れられていなかった事だ。病院での夫の死と、その死を知らずに絵が売れたことを喜ぶ妻ジャンヌの、健気な笑い顔で映画は終わっていたのだった。
「ジャンヌはね、身重の体でアパルトマンの窓から飛び降りてしまったのよ」と、あの日、テレビが終わって母が呟いたその言葉。
僕はそれを完全に記憶の中で映像化していて、映画のラストシーンとして覚えていたようだ。
結核、酒、貧窮。
二人の出会いと、結婚と、その貧しい生活だけを、蝋燭とランプの薄暗りで映し出す、
古き佳き時代の、フランス映画の悲恋物語だった。
ジャンヌを演じたアヌーク・エーメは裸婦にはならない。他作「プレタポルテ」でも彼女は裸体を表わさなかったし、劇中口づけも無い。主義かもしれない。
けれどジャンヌを含めて、取り巻きの女性たちの髪が大変に美しいから、そこにもご注目を。
・・・・・・・・・・・・・
追記:
大人気の展覧会。美術館は満員でした。
モディリアーニの絵を観る人たちを、その様子を少し離れて後ろから眺めていると、面白いことに気付きます。ゆっくりと人の塊が絵の前を移動して流れながら、観客の首が右へと、左へと、一斉に風にそよぐんですよ。ご存じでしたか?
大勢のお客さんたちの肩越しに
絵のモデルの灰白色の目が
力なくこちらを向いているのが見えます。
画家は、画龍点睛を避けたのだろうか。幸せになることも避けたのだろうか。
そして彼は人々の視線からも逃げていき、彼自身が、
とうとう灰になってしまったのかもしれません。
鑑賞日:2024年7月21日 DVD/BDで鑑賞
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