フィールド・オブ・ドリームス

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

監督第2作目のF・A・ロビンソンが、6年の歳月をかけて製作にこぎつけた秀作。レイ役のケビン・コスナーにとっては「さよならゲーム」に続く野球作品への出演。広大なトウモロコシ畑を営むレイは、ささやかながら幸せな日々を送っていた。ある春の日の夕暮れ、彼の人生を一変させる“声”を聞く。「畑をつぶして野球場を作れば、彼が帰ってくる……」オスカー俳優バート・ランカスターが、実在の大リーガー役を演じる。

1990年製作/107分/G/アメリカ
原題または英題:Field of dreams
配給:東宝東和
劇場公開日:1990年3月3日

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映画レビュー

5.0合理的に生きるばかりが良い人生じゃない

2021年8月31日
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鑑賞方法:VOD

メジャーリーグで、この映画の舞台になったトウモロコシ畑で公式試合をやっているを観て、久しぶりに映画の方も観た。改めて素晴らしい作品だと思った。
何が素晴らしいと思ったか。主人公のやっていることは、ひとつも合理的なじゃないところだ。トウモロコシ畑をつぶして野球場を作るなんてあまりにも無駄すぎる。損得勘定で考えたら100%アホなのだが、それが良い。何でも数字で可視化される時代になってしまったので、我々は無駄なく生きることができるが、代わりになんでもかんでも損得勘定で考える人間が増えてしまった。某メンタリストとかその究極だ。
無駄に力を費やすことは何もわるいことじゃない。実際のところ、世の中はすべて計算できるわけではない。現実にこの舞台でメジャーの試合をするという新しい風習が生まれもする。無駄から文化が花開くことがあるのだ。

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杉本穂高

4.0中学の時以来久しぶりに再鑑賞、やっぱ感動する。 奥さん役がキュートで良い

2024年12月31日
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中学の時以来久しぶりに再鑑賞、やっぱ感動する。
奥さん役がキュートで良い

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Mk.plass

4.5ケビン・コスナー巡り第一弾

2024年12月21日
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鑑賞方法:VOD

泣ける

単純

幸せ

たまに、ケビン・コスナー巡りをしております。

彼ほど、二枚目ながら口達者で楽天的に演じるハリウッド俳優はいないと思う。時折見せる、真剣な表情がまたカッコいい。吹替はもちろん津嘉山正種さんで。

本作は第62回アカデミー賞の作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネート。
謎の声に導かれて野球場を作った農夫の不思議な物語。

父親といえばベースボール、それに反発した主人公レイの気持ちを理解できる人も多いと思う。そして、その後悔も。本作は父親が亡くなっても、まだ和解できるチャンスがあるということを教えてくれる。父親に対するケビン・コスナーの演技がまた絶妙、少しの反抗心と敬愛と畏怖と後悔が混じった。遅かれ早かれ、みなベースボールの音や匂や一体感に引き寄せられるのものかも知れない。

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澄千代

5.0心を射抜く作品

2024年12月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

日本人にも突き刺さる感動を持った作品
日本での公開当時もこの話題が席巻したのを憶えている。
「If you build it,he will come」
レイに聞こえてきた謎の言葉
さて、
この物語は奇跡の物語として描かれているものの、謎の声の主は、レイ自身だったのではないかなと、今になって思うことがある。
誰にでもある心の声
その真の声こそ本心であり、同時にそれこそが神が求めていること。
これは「ドッグマン」でリュックベッソン監督が示した真理
何を作ればいいのかわからなかったレイだったが、やがてそれが野球場だと気づく。
妻を何とか説得し、近所からは頭がおかしくなったと言われながらも、彼は憑りつかれたように野球場を作った。
やがて、トウモロコシ畑の中から在りし日のベースボールプレーヤーたちが現れ、野球を始める。
このことが近所でも噂になってもう一度プレーしたかった彼らの夢を叶えていく。
レイがそうであったように、往年のベースボールスターたちにも心残りがあった。
彼らの夢を叶える場所
しかし、手製の観戦スタンドから落下した子供
この場所で野球ができる条件
引退後に医者になったアーチ-
彼は、現役時代にたった1イニングだけしかできなかった野球をこの場所で存分に楽しみ、子供のためにフェアフィールドの外へと出る。
一瞬で老人の医者となった彼は、子供の診察をした。
ブラックソックス事件で追放された選手たち
彼ら一人一人を思い出すように懐かしく野球を見るレイたち
しかし、
マスクをかぶっているキャッチャーが誰なのかわからない。
誰に尋ねても首をかしげる。
そうしてレイはそれが父ではないのかということに気づく。
息子に野球選手になって欲しかった父
しかしレイはそれを拒否して家を出た。
やがて父が死に、葬式の時にようやく帰ってきた。
父に対する想いは、レイの中でずっとくすぶり続けていた。
それに対する「声」
そのキャッチャーに、「キャッチボールしませんか?」と切り出すレイ
父は、もちろん自分ができなかった野球選手として野球をする夢を叶え、息子に声をかけてもらえたことでようやく息子と向き合う決心をしたのかもしれない。
父とするキャッチボール
父とキャッチボールした思い出
このシーンが特に胸に突き刺さる。
この奇跡によって長年のわだかまりが解けたレイだったと物語は紡いでいるが、現実に同じように誰かを赦すことができたとき、このような奇跡に近い形で世界が変わるように思う。
物語は赦すまでの過程を描いているが、おそらく赦すための過程などなくてもいい。
それは「いま」できることだからだ。
この「過程」がエンドレスにあることが、多くの人が持つ「悩み」の根源かもしれない。
「声」はいつでもある。
「声」は声としてではなく、映像として現れることもある。
それと自分の「真の願い」に気づくこと。
自分の本心に向き合うことは、時にレイのように傍から見れば狂ったかのようであるかもしれない。
でも、
もしそれができれば、人生は劇的に変わるかもしれない。

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R41