ヴェラ・ドレイク : 映画評論・批評
2005年7月5日更新
2005年7月9日より銀座テアトルシネマほかにてロードショー
マイク・リーの恐ろしさはプロの俳優使いにあり
平凡な庶民のとるに足らない人生から普遍的な物語をつむぎだす──こうした作風でマイク・リーと肩を並べる作家といったら、今年またもやカンヌのパルムドールを取ったダルデンヌ兄弟くらいだろう。だがリーの恐ろしいのは、ドキュメンタリータッチや素人俳優によるリアリティなどには目もくれず、徹底してプロの俳優を使い、「役」に息を吹き込ませるところにある。
この新作は、「秘密と嘘」などいつもの身近な物語と違い、舞台は1950年代、題材はとある<事件>だ。労働階級の平凡な主婦、ヴェラ・ドレイク。善意の固まりのような彼女が、善意ゆえに犯していた罪──望まない妊娠をした女性たちに堕胎の手助けをしていたこと。映画はヴェラとその家族の日常を淡々と描きながら、彼女の行為とその発覚までをサスペンスのような緊張に高めていく。取り調べ室で震えながら彼女は言う。「困っている娘さんたちを助けていました」
赤ら顔に笑みを絶やさない主演のイメルダ・スタウントンは、まさに、この映画でヴェラを生きた。彼女の<罪と罰>は「ミリオンダラー・ベイビー」で老トレーナーが行った行為にも似て、私たちに善と悪や救済の意味を無言で問いかけてくるのだ。
(田畑裕美)