ヴェラ・ドレイクのレビュー・感想・評価
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15分見て二度目と思い出す
この映画の出来事はこの髭面爺さんの創造物だと言う事だけを頭に入れて見れば良いのでは。
兎に角、何が問題なのかわからずに、通報されて消される。
不快感をおぼえる。
【今作は、善良なる心の持ち主故に、若い女性を助けるために行った行為で重罪を課された夫人と、その家族の姿を描く重きヒューマンドラマであり、女性の人権とは何かを考えさせられる作品でもある。】
■1950年、ロンドン。
愛する夫と子供たちら家族を何よりも大切にし、家政婦として笑顔を振りまき生きているドレイク一家の主婦・ヴェラ(イメルダ・スタウントン)。
貧しいが、周囲への心遣いもある彼女は、皆に愛されていた。
だが彼女には、誰にも打ち明けたことのない秘密があった。
◆感想
・劇中、ヴェラが問われる1861年法第58条は、人心に対する犯罪法である。所謂、中絶を禁止した法律であったが、ヴェラが刑務所に入った際に同様の罪で獄に繋がれた女性達の会話が出るが、当時は頻繁に行われていた事が分かる。
・今作が、何とも言えない気持ちになるのは、ヴェラが自らの行為を罪と知りつつ、若き望まぬ女性の中絶をする際に、常に笑顔で女性を心配させないように振る舞っている事であると共に、彼女が斡旋していた女性から、一銭も受け取って居なかったことである。
・だが、罪は罪であり、それまで彼女に普通に接していた彼女の息子シド(ダニエル・メイズ)や義理の妹も、共にクリスマスの食卓を囲むことを拒むのである。
■今作が、心に響くのは前半は常に笑顔で、周囲に接していたヴェラが、罪に問われた時からの悲しみの表情である。ヴェラを演じたイメルダ・スタウントンは、凄い女優であるよ。
・一方、娘エセル(アレックス・ケリー)の婚約者レジー(エディ・マーサン)は、彼女がクリスマスの晩、渡してくれたチョコレートを貰い“生涯、最高のクリスマスの晩だよ”と彼女に告げるのである。
<今作は、善良なる心の持ち主故に、若い女性を助けるために行った行為で重罪を課された夫人と、その家族の姿を描く重きヒューマンドラマなのである。
又、女性の人権とは何かを考えさせられる作品でもある。
中絶の可否は、今でも国によっては選挙の争点にもなるし、重い問題ではあるが、一律に法を適用するのが正しいのだろうかと思わされる作品である。
尚、この作品は、20年前に公開された作品であるが、望まぬ妊娠をしたスーザンを演じたサリー・ホーキンスや、裁判長を演じたジム・ブロードベントなど、今では英国の名俳優が多数出演している作品でもある。>
すごい
ヴェラ役の女優さん、名前も知らなかったけど、いろいろ出ている方だった。
本当にどこにでもいそうな、化粧っ気のない素朴な田舎のイギリス?人という雰囲気で、家族にはもちろん、ご近所さんにもいつも笑顔で優しく接し、仕事も熱心。
そんな人が何をしてるのかな、と実は最初わからなかったけど、わかってしまうととても胸が痛んだ。
そういう時代だったとしか言えないが。
警察に捕まった後の演技がまたすごい。
一言一言、声を絞り出すように答えるヴェラ。
なんとかならないかと、誰か助けて!と叫びたくなる。
助けるためにしたこと。
望まない妊娠の相手は誰だ?
1人では出来ないことだよ?
誰もそこにはわかっているのに触れないのが最後までモヤモヤした。
娘役の人もすごいと思った。
地味で最後まで大声を出さず、お母さんに寄り添う姿に泣けるる
そしてちょっと舌足らずの息子が、なんとか理解してくれて救われたな。
無報酬でたくさんの女子を助けてながらも誰もヴェラを助けない。
本当にこの頃のアイルランド辺りの映画って、ありえないくらい理不尽である。
昭和の日本を彷彿させるシーンも多い。
狭い家で家族寄り添って、しかも他人を招いての食事。
こっそり娘のお相手を下調べ。
ヴェラの目に狂いはなかったらしい。
エディと2人歩く姿がなんだかミニチュアみたいで微笑ましい。
毛糸のティーポットカバーが娘のようで、可愛らしいかった。
こういう時代もあったんだな……
お互いを暖かく包みながら仲良く暮らす一家の、誰よりも働き者で、心優しい母親が、非合法の中絶処置をしていたことで有罪になる、という話。
主人公ヴェラが私欲のためではなく、純粋に「困ってる人を助けるために」やっていたことで罰せられるのは、なんとも理不尽に思えた。
罰せられるべきは、むしろ、依頼者からお金を取り、ヴェラにはそのことを一切ふせていた仲介役のリリーだろう。
今ほど避妊の知識も方法も一般的ではなく、中絶が犯罪だった時代。
中絶がいいことだとも、簡単なことだとも思わないけど、例えば、レイプされた時、例えば、既に子供がたくさんいて、これ以上養えない時、女性に選択肢がないのは、やはり辛い。
ここで静かに描かれる家族のありかた、絆もリアル。
誰よりも信じていた妻・母が、自分たちには黙って法を犯し続けていたことを知り、動揺し、怒りを感じ、それでもその事実を受け入れていく。
ラストシーンのあと、あの家族は呆然としつつも静かに母親の帰りを待ったのだろうと思いたい。
絶句した
イギリスで中絶が合法化したのが、1967年。私が生まれるわずか7年前のこと。まず、この事自体が信じ難いことですが、更にこの時代に中絶ほう助で禁固刑になることに、絶句しました。
この作品は当たり前ながら、中絶の是非を問う作品ではありません。国家の是非を問う作品となっています。
主人公のヴェラは、面倒見が良くお人好しな優しい人物。彼女は、望まない妊娠をした女性に対して、困っているから、助けたかっただけです。ただ、それだけです。
善意でしたことであっても、法という名の下でヴェラは裁かれ傷つきます。中絶も他人から言われる以上に、当人は十分傷つきます。男性達は国家の名の下に行われる戦争によって傷を受けています。
マイク・リーは、傷ついた彼らに寄り添う様に、時には冗談を時には本音を語らせ、権力を批判します。
「不公平だよ。金持ちならいい。食べ物が買えなきゃ子供を育てられない」
そして、ラストシーン。
中絶をほう助した罪で服役している再犯の女性達は、ヴェラに向かってすぐに出所できるとも、すぐに時代が変わるとも言える言葉を投げかけます。
「大丈夫よ、すぐよ」
フェミニストのメタファーともとれる再犯の女性達とヴェラの様な普通の女性が、「信条」ではなく「心情」が一致しているということを描いた瞬間。マイク・リーの懐深すぎます。本当どうなってるんでしょう。やられました。
彼女達の言葉から17年後、中絶はイギリスで合法化されます。
彼女から鼻歌が消える
人を手助けする事に生き甲斐を感じているヴェラが自分の犯して来た罪を初めて自覚した時にそれまで欠かす事のなかった鼻歌が消えた。
奥手の娘はただ悲しみ、息子はなじり続け、夫はひたすらヴェラを優しく受け止めるだけしかなかった。
警察にはヴェラの本当の心が分かるので対応は優しいが‘罪は罪’
映画はこの取調べの場面でのヴェラの表情と夫の戸惑い、刑事の本心では何とかしてあげたいとの感情を見事なカメラアングルや照明のコントラストで表現していて圧巻だった。
一見裁判の場面とは掛け離れて見えるクリスマスを祝うシーンはまるで家族裁判の様でもある。
そして唐突に見えるラストだが果たして今後もヴェラは罪を犯してしまうのか?映画は謎のサインを最後に残して終わります。
マイク・リーは終戦直後とゆう時代背景を通してお金や避妊用具、そして男のエゴ等でどうしても堕胎をしなければならなかった当時の女の人達の現実と、反面抜け道のやり方を対比させながら当時の現実を見つめて観客に問題定義を投げかけます。
堪能しました。
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