ハウルの動く城のレビュー・感想・評価
全108件中、1~20件目を表示
今観ると思いっきりルッキズムの映画だった
映画館でやっていたので20年振りに鑑賞。
外見に自信が無くて周りに壁を作って生きていたソフィーが、魔女の呪いで老婆に変えられた結果、見た目を気にする必要がなくなり、逆にありのままに生きていけるようになる話。
歳を取るとコミュニケーションが若い頃より積極的になりがちなのは、自分もそうかも。
ソフィーが老婆に変わってしまったと知った時、慌てはするけど落ち込まないのは好印象。
逆にハウルは髪色が思い通りにならなかったぐらいで、あり得ないほど絶望的になっていて、対照的だと思った。
ソフィーの素晴らしいところは、たとえ憎悪の対象だとしても、相手が弱っていたら手を差し伸べられるところ。
なかなかできることではなく、ハウルが惚れるのも納得。
キスシーンが出てくる印象が記憶にあったが、久しぶりに見たら終盤はキスラッシュだったのでびっくり。
本当に宮崎駿が作ったのかと
女性のみに向けて作られた作品に思えました。
イケメンで頭良くてめっちゃ強くて・・・でも私がいなきゃダメ!!
気持ち悪すぎる
そこに反戦要素も入ってくる
内容盛り込み過ぎて何をメインにしたかったのかわかりませんでした。
ただ城の造形の美しさとベーコンエッグの描き方は流石としか言いようがないものでした。
パターンが出尽くした? DISNE◯映画になっちまってる。 単なる...
パターンが出尽くした?
DISNE◯映画になっちまってる。
単なる反戦映画に過ぎない。例え、悪い敵兵を殺戮しても、彼等にも可愛い娘、息子がいる事を忘れてはならない。それを踏まえれば、反戦映画でも良い。しかし、戦争はどちらかの侵略で始まるものである。必ず、理不尽な理窟が絡む。そして、侵略された側もそれを煽る場合がある。嘆かわしいとこだが。主人公の鳥をB29として見たり、エノラ・ゲイとして見れば、いくらアイドルの声であれ、救われるものではない。
このアニメの一番嫌なセリフ。
『逃げて』と言う女性の主人公に対して『いや!守る者が出来たから、逃げない』このセリフは大日本帝国が散々使ったセリフである。
途中放棄したのか??
高畑勲氏は映画監督として尊敬していますが、宮崎駿氏は「敬愛」と言うべきか…とにかく大好きであります。
だから、本作を観た時に違和感ありまくりで「思ってたのと違う」風味に戸惑いましたね。
整合性を途中で放棄したのかと思わせるくらい、つなぎ方が乱れている。
とりあえず、好きなシーンは婆さん二人が階段をヒイヒイ言いながら登るところと、神木隆之介さんの声が良かった事を書いておきます。
ソフィが居てこそまとまる作品
理解不足なのかもしれないけど、考えれば考えるほどよく分からなかった点が浮かんでくる。
何の為にハウルは流れ星を取った(契約をした)のか、なぜ荒地の魔女はソフィを呪ったのか、マルクルは何者なのか、、、
ソフィがハウルに再会したとき、この人がハウルだったのと驚かないのも不思議だし、魔法が解かれた後の荒地の魔女は見通したようなことを言ったり認知症みたいな言動をしたり、どういう人なのか定まっていないように見える。
こんなに不安定な物語なのに破滅しないのは、とにかくソフィが落ち着いているからかなと思う。
若い女の子がいきなりおばあさんになって誰にも相談できない中、鏡に向かって「大丈夫よ、あなた元気そうだし服も前より似合ってる」と言う場面で一気にソフィを好きになった。
起こったことを動揺もせず受け入れて前向きに行動し続ける、不気味なくらい落ち着いてぶれない主人公のおかげで物語が成り立っているように感じた。
こんなに分からないことだらけなのに、別に分からないままでもいっかと思わされる。
わざわざ細かく説明する必要はなく、作品の世界を素直に楽しめばいいんだろうな。
空から降ってくるカルシファーと少年ハウルと出会ったソフィーが涙をこ...
空から降ってくるカルシファーと少年ハウルと出会ったソフィーが涙をこぼすシーンが好き。
魔法というものは科学的根拠の説明が不要な便利な設定。めちゃくちゃなことも魔法だからということで片付いてしまう。
ゴチャゴチャしてて複雑な内容に見えるが、そんな世界の中でのソフィーとハウルの恋愛物語。
キレイな炎だね〜
この頃の宮崎駿は、必ず深い思いやメッセージ色を全面に出した物語を作るようになってしまい、子供が楽しめる映画じゃ無くなってるんだよね。歳を取ったからなのか、思想が変わったからなのか、もう昔の宮崎駿ワールドに戻れないのかな〜。いいじゃない、最後までワクワクドキドキするアドベンチャー映画でさ。ストーリーもさ、皆んなでサリマンの魔法から逃げつつ、面白おかしくハッピーエンドで良かったと思うよ。暗い過去や反戦を押し出した物語を子供は観たくないよね普通。
まぁ、余り言いたく無いけどやっぱり言わせて欲しい。主役2人の声優が糞過ぎるね。倍賞千恵子さんは、年寄りに変化した時だけで良かったよね?キムタクは最後まで糞でした。その他声優さんは素晴らしく、特にカルシファー役の我修院達也さんが最高にマッチしてた。
私にはあまり響かず
観る前、声がキムタクかあ~、微妙。
と思ってたんですが意外にもそんなに気になりませんでした。
それは置いておいて。
私のツボにまったくはまらなかった。
おばあちゃんになったら肝が据わるヒロイン像もあまり魅力を感じなかった。
友人はヒロインに共感して号泣していたから人によって極端に感想の違う映画なのかも。
恋に落ちる時
どこかのレビューサイトで、「主人公がハウルに恋するプロセスが描けていない」という意見に対する意見として「あんな出会いのシーン恋に落ちるに決まってる」というものがあって腑に落ちた事が印象に残っている。
兎角プロセスが重視されがちなストーリーテリングだが、積み重ねたプロセスを凌駕する圧倒的な説得力というものは確かに存在する。
内容以前のプロモーションにひいてしまった
アニメーションとしての表現力は、極限まで磨き上げられている。もちろん、CGの進化によって、アニメはまた違う次元に昇っていくことにはなるが、手描きの手法で、ここまでのクオリティを実現できたのは、ジブリのアプローチが正しかったからと言えるのではなかろうか。
ひとりの天才がいても、集団作業である映画製作において、傑作とはなり得ない。商業ベースに乗りつつ、定期的に質の高い長編を発表し続けることの難しさを、なんとなく想像してみた。『ハウルの動く城』は、その曲がり角にあった作品と言えるのじゃないかと思う。
内容よりも、話題が先行した作品で、夏のイベントと化していたジブリ映画にくさびを打ったんじゃないかと思う。表現の手法としては、主人公が魔法によって自在に若返ったり、年老いたりするという、アニメーションならではの展開にうならされる。それも、あれあれ、まあまあ、と、変化しながらよぼよぼになっていくんじゃなく、ある時は少女の表情。ある時は、腰の重たい老婆にと、場面ごとに変わっていきながら、同じ人物であることを破たんなく示すことが求められる。それこそが、魔法であり、心の向きようで、人はいくらでも若くいられるという、宮崎駿のメッセージに違いない。
その他にも、この映画では、いくつかの挑戦が試みられていると思う。ひとつは、「重さ」の表現。生きている城が、ガタガタと音を立てながら移動する場面や、体重が限りなく重くなる「競歩」のシーンに現れている。どちらかと言えば、鮮やかな飛翔シーンに見られるように、今までの宮崎アニメには「軽さ」を強調したものが多かったように思う。それが、真逆の方向に舵を切ったのだ。戸惑いと感動が同時に襲ってきた。しかし、その当時はその意味をあまり理解できないまま、「宮崎アニメは終わったな…」なんて漠然とつぶやいたりしたものだ。
正直に言うと、内容うんぬんよりも、木村拓哉の存在が大きかった。彼の実力は間違いないと思うのだが、どこか小バカにしたような作品への向き合い方に、始めから嫌な印象しか持たずに映画を見てしまったのだ。見終わった後で、あの声優誰だったの?と思うのとではずいぶん違う。
好きか嫌いか、面白かったかどうかよりも、キムタクはジブリにフィットするのかどうか?が、映画の評価軸になってしまった。残念な作品だった。それも含めて宮崎アニメなのだから、この映画は確実に曲がり角だったと思うのだ。
余談だが、『ミケランジェロ・プロジェクト』日本語吹き替え版で、あまりにもひどい声優が起用されていた。そのひどさゆえ、映画の内容よりも、「誰だ?あの声優」ということになって、調べたら、工藤静香だったという…
夫婦そろってまあ。
宝石箱のような映画
最初に映画館で観たときは、とにかく難解だなあという印象だった。
そこから約二十年ぶりに今回鑑賞した後、一番に感じた印象は、こんなに「恋愛映画」だったんだ!ということ。
地味で自分の容姿に自信がないけど、責任感が強く芯が真直ぐで美しい心を持ったソフィー。キザで格好良くて天才的な魔法の才能を持ちながら、実はピュアでナイーブで気が弱くて、誰にも言えない秘密を抱えているハウル。最初から最後まで、この二人の運命的な出会いと成長を軸に描いていることに、今回初めて気づいた。
そして、心ときめく(近代ヨーロッパの街並みと雄大な自然をモチーフにした)素敵な風景、そこに自然な形で組み込まれている魔法の世界、敵とも味方とも分からない掴みどころがないけど魅力的なキャラクター達がドタバタと繰り広げる映像表現は、まさに「アニメーションの魔法」というべき特別な体験をさせてくれる。城の造形や動きはマニアックでグロテスクでカッコいいし、荒地の魔女やカルシファーの変幻ぶりは見ていて飽きがこない。
本当に宝石箱のような映画だと思う。
最後の急展開な終わり方のドタバタぶりは、いつものジブリ作品に更に輪をかけていて、映画の理解や共感を困難にしている主な原因だと思うし(誰彼かまわずキスばかりするソフィーの行動しかり)、結末は余りにもご都合主義が過ぎる気がするけれど(急に戦争をやめると言い出すサリバン先生然り)、そんなことも全部ひっくるめて、これぞジブリ!という作り手の熱量に溢れた映画だと思う。(若干無理矢理かな。笑)
少なくとも僕は、初見で見たときと比べて(自分でも驚くくらい)純粋に、楽しんで観れました。
とにかくハウルがかっこいい
序盤、中盤、終盤と展開がコロコロ変わるので飽きずに楽しめた。
ただ盛り上がり自体は話が進むにつれ減速し、序盤のハウル登場が最大のピークでもあった。
ラストが流石に雑に感じたのが本当にもったいない。
不可思議でもまだ好感、
内容や設定も不可思議、不可解なとこはあれど、ハラたつような(笑)不親切な不可解さでもなく、そのまま見ていけるのも不思議。
それでもトータル的に「おもしろかった」と思えるし、★1つなどというものではないのも不思議。
あのばあさんは、トラブルメーカーの自分勝手なやつで「置いてってもいいやろ」とも思ったけど(笑)
なんでソフィーはあのばあさんにあそこまでやさしくできるのかも不思議。
この作品くらいからジブリはつまらなくなった・・・
TVで鑑賞。
公開当初、映画館へも見に行きましたが、かなり忘れているものですね。
中盤までは面白かったが、女王の宮殿へ行った辺りからつまらなくなりました。
そうそう以前もそう思ったことを思い出しました。
・魔法でなんでもあり! いきあたりばったりにどうにでもできています。
・登場人物の性格や、相手との対応とかも、なんでそうなるのか共感できない。
ジブリ作品は、このあたりからつまらなくなりました。
まぁ歌手でも、最初の数年の曲が今でも代表曲で人気と言うのが良くあります。
期待し過ぎちゃいけないね。
独特の世界がとても好きです!
ガラクラで作られたお城も、個性あふれる魔法遣いたちも!
荒地の魔女に、魔法で90歳の姿に変えられてしまったソフィが、自分に自信が出た時や、ハウルへの愛情が高まったときに、みるみる若返っていく!特に、マダム・サリマンと対峙するときは、カッコイイですよね!
本当は「戦争」という重いテーマもベースにはあるのかもしれないが、嫌なことから逃げてばかりのハウルが、愛する者を守る大人の男になっていく姿も良いし、最終的には、ハウル、ソフィ、マルクル、カルシファー、荒地の魔女、ヒン…。みんなで仲良く暮らしていく、ハッピーエンド感も良い!
一個だけ…声優だけは、どうにかならなかったのか!ハウルがキムタクにしか見えなくなってしまう…。残念でなりません…
宮崎駿監督の『ハウルの動く城』、テレビ放映で鑑賞しました。 初公開...
宮崎駿監督の『ハウルの動く城』、テレビ放映で鑑賞しました。
初公開の2004年にも映画館で鑑賞し、その後は、テレビ放映されるのを何度か途中から観ました。
初鑑賞時の感想は「ハナシ的にはよくわからないけど、なんだかすごいなぁ」というのが正直なところでしたが、今回再鑑賞して、ハタと気づきました。
もしかしたら、全然わかっていなかったのではないかしらん、ということに。
戦争が続くある国のこと。
父親の帽子店で日々、帽子を作りつづけていた18歳のソフィーは、ある日、荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆になってしまった・・・・
というところから始まる物語をいまさら繰り返す必要はないでしょう。
ソフィーが主役の作品のように思われますが、やはり、主役はタイトルにもあるハウル。
ハウルの立ち位置がよくわからなかったのですが、『紅の豚』、本作、『風立ちぬ』と3本並べると、本作の立ち位置がよくわかります。
ハウルは、平和を愛するが、逆に戦闘も好きな少年の暗喩で、戦争と平和の間で揺れ動く宮崎駿少年の姿でしょう。
ハウルはカルシファーという「火の精霊」の命を救う代わりに、心臓を与えます。
心臓を与えた代わりに得たハウルの能力は、鋼鉄の羽に覆われて空を飛ぶ能力。
ハウルはその能力を使って、人々を救うことを目的に戦場で敵をやっつけますが、人々を救うとはいいつつも、超人(鳥人)としての能力を発揮することが楽しくてたまらない。
そんなアンビバレンツな立場です。
「火の精霊」とカルシファーのことを書きましたが、正しくは火器の流れ弾、爆発の欠片の火花です。
爆発の火花は美しい。
しかし、それは人を殺すためのものだ。
人々を救うためには敵をやっつけなければならないが、それは敵という人を殺すことだ。
人を殺すことに魅了されながらも、平和を願い、平和を愛する・・・
自己矛盾の塊のような存在のハウル。
映画は、最後の最後で、停戦に向かうことになりますが、当初の案では「それでも戦争はつづいた・・・」という字幕が出る案もあったようです。
ウクライナでの戦争が続く中での新年最初に放送する映画として、本作を選んだテレビ局の英断に拍手を贈りたいものです。
全108件中、1~20件目を表示