ハウルの動く城のレビュー・感想・評価
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「カルシファーが千年生き、ハウルが心を取り戻しますように」を聞きたくて見ているような物
初めて見た時は映像はジブリ的魅力にあふれていながらストーリーもセリフも取って付けのパッチワーク風で納得できたとはとても言えなかった。
だからレンタル中は毎日見直し、さらには原作本全巻、解説本なども随時見て自分なりに理解し納得できたような気になった瞬間もあった。
しかし、それから数年経ち十何度目の視聴になる今回、上の知識が完全に蒸発してしまったこともあり「単にとっ散らかっている映画」でしかなかった。苦笑
・・・なんて言ったらそれも嘘で、ファンタジーにうっとり耽溺できた部分がやはり大きく、そして、タイトルに掲げた「「カルシファーが千年生き、ハウルが心を取り戻しますように」」という呪文というか祈りに軽く心打たれ、これがあるからこそ十何度も見ているのだなと思い知らされましたよ。
というわけで、その文言ゆえに個人的にこのハウルは「永遠の映画」となっているようです。少なくとも現時点では笑
追記
徐々に不明部分を思い出してきたが、カルシファーは地球に落下するとすぐ息絶えてしまう「星の子」。
それを不憫に思った子供の頃のハウルが星の子を飲みこみ、ハウルの心臓を得たことで地球上でも生存できる「カルシファー」となり、代わりにハウルが強大な魔術を使えるようになった。
だからカルシファーは悪魔でも何でもない。
ではラスト、ハウルにカルシファーから心臓を移した後、ハウルが息を吹き返したのはいいとして、「星の子」の逆戻りしたカルシファーがなぜ生き永らえることができたのか?
そこは思い出せないけれどヒロインがキスをしたことで新しい命を吹き込まれたということなのかもね。
何れにしろ”度を過ぎた物凄いファンタジー”に過ぎないが、その度外れっぷりがある種の爽快感を産み出した一つの例だと思う。
後、ハウルたちが星の子に囲まれた際の呪文の意味も思い出せないが、それはネットなどでその他不明点も含め各自調べたほうが面白いかも。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズという比較的マイナーなファンタジー作家
(ル・グインとは違う)を翻訳がポンポン出るような扱いにさせた点では、良かったのかな。
声優陣は別に気にならず。ただもうあんまりワクワクしなくなってきた。
独特な世界観もよかったし、壮大な風景の画、そしてそれにぴったりの久...
独特な世界観もよかったし、壮大な風景の画、そしてそれにぴったりの久石譲の壮大な音楽が心地よい。
ソフィーのハウルを想う気持ち、人を愛する気持ちってとても素敵なことで温かいなぁと思える。
動きます、歩きます、楽しい
不恰好な脚がついて、蒸気をジュンジュン吹きながらギコギコ歩く楽しいお城。
こんな城に、一度は住みたいと思った貴方、さあハウルの手をとってソフィーと旅に出よう。
楽しめる事うけあい、日本の誇る映画監督の作品です。
原作のハウルは、もっと俗っぽい男で、お城は最初から浮いてますよ。
さて最初この映画の監督に抜擢されたのが、今やヒットメーカーとなった細田守。
原作をうまくひねったであろう設定で、お話を作っていたところ、ちょっとやりたくなった宮崎駿に仕事を丸ごとぶっこぬかれてしまいました。
細田守は「ああ、これで自分もアニメの仕事はおしまいか」と絶望したそう。
その後時をかける少女のスマッシュ・ヒットで捲土重来を果たしますが、細田守は「宮崎駿が死んだら全てを話す(やさしい微笑み)」と各所で語っております。
この時も宮崎駿監督は「細田君、大丈夫なのかな……」と心配だけしていたそう。
女性大好きのワガママ男、ハウルと宮崎駿を許す心の広さをもって、いざこの物語を楽しみましょう。
キムタクは主演俳優倍賞千恵子の相手役
天才木村拓哉の名演技に完全に喰われてしまった主演の倍賞千恵子。しかもキムタク脇役だし。まあジブリ史上最悪の駄作と言っても過言ではないだろう。つまり木村拓哉を主役にさせないばかりか、 脇役にしてヒロインである倍賞千恵子から遠ざけてる。 相手役で売ってるのにこの矛盾が映画を潰してる。キムタクは典型的な客寄せパンダ。
ハウルに心臓を盗られてしまいました。私が。(笑)
もうDVDなどで何度も観ていますが、この前の金曜ロードショーも録画をしていたのでまた観ました。何度観てもやっぱり名作。そして、私は何度観てもハウルに恋をする。
自分の心を取り戻して
「お姉ちゃん本当に帽子屋になりたいの?一生あの店にいるつもり?」
妹のこの問いに対するソフィーの答えに彼女のこれまでの生き方が凝縮されています。「私は長女だから。お父さんが大事にしてた店だから。」
自分の気持ちはそっちのけで、置かれた状況や空気を読んで行動する子。自分のやりたい事よりも、周りから期待されている事を優先する子。幼い頃からそうやって自分の気持ちに蓋をしていくうちに自分の本当の心を無くしてしまったソフィー。彼女は荒地の魔女に会うよりも前に自分で自分に呪いをかけていました。
街でハウルに助けられた時も、その見た目の美しさと好青年ぶりにときめきを覚えますが、自分の気持ちに気付けません。
荒地の魔女に老婆の姿にされてしまったソフィー。最初驚きはしたものの、悲観的になる事はなく、老婆ならではの知恵と逞しさを見せてくれます。老婆として周囲の世話を焼くうちにソフィー自身の心の壁も薄れていきます。そして、ハウルへの愛の大きさが彼女が自身の心を取り戻す原動力となっています。
「私、あなたの助けになりたいの!」「ハウル大好き!」
自分の気持ちに気付けただけではなく、それを言葉にして相手に伝える事のできる喜び。ソフィーは大きく成長できました。
ハウルの存在によりソフィーは自分の心を取り戻しました。そしてハウルはソフィーによって自分の心(心臓)を取り戻しました。ソフィーとハウル。お互いがなくてはならない存在であり、成長し合える仲。素敵な関係です。
前半のソフィーのように、「これでいいんだ」と自分を無理やり納得させ、自身に呪いをかけて生きてきている人って沢山いると思いますし、私もその一人です。世の中上手く渡っていく為にはそうやって自分を曲げる柔軟性も必要ですが、それをやり過ぎるといつか自分の心を無くしてしまいそうです。自分に言い訳ばかり言って現状を無理に飲み込んでいては、自分で自分の可能性を狭めてしまいます。
自分の心に耳を傾け、勇気を持って一歩踏み出せば希望に満ちた新しい世界が開ける。ソフィーはそんな事に気付かせてくれました。
【深い世界観】
「ハウルの動く城」は、色々な意味で奥深い作品だと思う。
宮崎駿さんが、当初の低い評価に怒ったというエピソードは有名だし、エンターテイメントだけ求めるやつなんか映画観に来なくて良いみたいな発言もしたとか、しないとか😁
まず、映像がすごい。
あの動く城は、緻密に構成されていて、物語の中で起こる出来事を見ても、内部の作りなど含めて、違和感などなく、ユーモアも迫力も満点だ。
そして、魔法でお婆さんにされてしまったソフィーが、気持ちの変化に応じて、若返ったり、また、歳を取ってみたり、とても自然に変化するのだが、内面の変化…、つまり気持ちの持ち様を表していて、この移り変わりも物語に奥深さを加えていると思う。
人は見た目ではない。
見た目でモチベーションが変わるのではなく、老いたのか否かは、心の底持ち様、つまり、内面や、モチベーションが重要であることは、対比される魔女からも明らかだろう。
ここはジブリの作画や動画の真骨頂だ。
そして、人を殺めるのであれば、敵も味方も同じだいうハウルの言葉。
僕達の生きる世界の危うさを示唆しているようだ。
いろいろな示唆に富んだ、僕は大好きな作品だ。
呪いを解いたその先に
"金曜ロードショー" で3回目の鑑賞。
原作は未読。
正直な話、本作がそんなに好きではありませんでした。物語のテーマが理解出来なかったからです。ソフィーがおばあさんから唐突に元の姿に戻ったり、かと思えばまたおばあさんになったり。他にも様々な物事の意味が理解出来ず、「全然面白くなーい」と云う感想になってしまったのでした。
「風の谷のナウシカ」や「紅の豚」などの幼少期から親しんで来た作品は好んで何回も観ていて、ストーリーを記憶していますが、本作は今回の放送が中学生以来の鑑賞となり、殆ど何も覚えていない状態でした。返ってそれが良かったのかもしれません。当時は理解出来なかったことがすんなりと頭に入って来たからです。少しは成長出来てるってことかな?
ハウルの動く城には呪いのかかった者たちが集まっている。そんな彼ら彼女らが呪縛から解放され、新たな生き方を見出すまでの物語がファンタジックに描かれていて感動しました。
ソフィーが一時的に元の姿に戻ったのは、ハウルへの愛がその時の彼女を突き動かしていたからかなと思いました。これまでは実家の帽子屋を継がなければいけないと云う責任感が彼女自身の呪縛となっていましたが、ハウルと出会い彼を愛するようになったことで、自分ではない誰かのためになりたいと云う想いが芽生えた…。再びおばあさんになってしまったのは、まだ自分に自信が無く、迷いがあったからでしょう。
自らを臆病者と云う呪いで縛り上げ、ゴテゴテといかめしい動く城をつくって逃げ回っているハウルを救おうと、懸命に奔走したソフィーはかっこいいしかわいい。
ジブリのヒロイン、とりわけ宮崎駿監督作品に登場するヒロインは、愛の力でどんな困難も跳ね返していくのが魅力的ですが、ソフィーもまたしかり。自らにかけていた呪縛を打ち破って、ひとりの成熟した女性となりました。
冒頭では大人しい雰囲気の地味な少女でしたが、「ハウル大好き!」と人前で抱きつき、皆に慈愛のキスをするような人格へと変貌を遂げました。「家族」の呪いを解いて、めでたしめでたし。恋は生き方を変え、自分の周りの世界を変えてしまう力をもっているのかもしれないなぁ…
人は知らず知らずの内に、自らに呪いをかけてしまっているもの。自分はこんな人間だと決めつけ、その場から踏み出すことに臆病になり、現状維持を掲げて自己肯定しようとする。
果たしてそれでいいのだろうか。そこから解き放たれた時、新しい道が自ずと拓ける。そんな希望を感じさせるメッセージが籠められた本作を、めちゃくちゃ好きになりました。
[以降の鑑賞記録]
2023/01/06:金曜ロードショー
※修正(2024/03/13)
まさに色んな人にかけられた呪いを解く物語。
何回観たかわからんけど、先日改めて観たら印象に残ってようやく言語化できたことがある。
物語の主軸のひとつに、「美しくあらねばならない」という呪いからの解放がある、というところだ。
これは主人公のソフィーのみでなく、ハウルにも、荒地の魔女に当てはまる。
ソフィーは長女であること、華やかな妹や母とは自分が違う(と感じている)こと、色んな呪いを自分にかけている。荒地の魔女の呪いにかけられる前から既に色んな呪いにがんじがらめにされてたのがソフィーなのだ。
というか荒地の魔女の呪いは内面の年齢というか自己認識のイメージを具現化させる呪いだったのだと思う。
だからソフィーは荒地の魔女におばあさんにされて驚きはするも割とすぐに受け入れているし、物語の進行に伴って見た目年齢が変化してる。
(眠っている無意識ときは本当の姿に戻っているし、ハウルの前で若い姿に戻りかけても「年寄りである」ということ口にした瞬間おばあさんに戻るなど)
最後は若いソフィーに戻るけど、それは荒地の魔女の呪いが解けたというよりは、自分の意思で行動し続けた結果、自分にかけていた呪いをソフィー自身が解いた(意識が変わった)というところなんだろうな。
✴︎✴︎✴︎
続いてハウル。ハウルも美しさに囚われている一人だ。
ハウルは元々美しい青年なのだけど、魔法の力で髪を染め、自分が美しいと思う自分になろうとしている。
それはたぶんカルシファーとの契約で心臓を手放し、「心」が欠けている自分に自信がないことも関係している(愛してくれる女の子を求めるのも同じ理由かな)。
その欠けた部分を、自分の自身のなさを補うために美しさに執着している(そう思うと「美しくなければ生きていても意味がない」発言と癇癪にも納得)。
あと悪魔との契約で怪物のような自分が生まれたことも怖かったのかも。
でもハウルはソフィーを見つけたことで、守りたいものができる。自分の美醜よりも大切にしたいものができたハウルも、「美しくなければ生きていても意味がない」という呪いから解放されている。
✴︎✴︎✴︎
続いて荒地の魔女。
荒地の魔女も、魔法で美しさと若さを保ち続けていた。
かつては偉大な魔女だったらしい彼女も歳を取り、肉体の衰えでできなくなることが増え、おそらくありのままの年齢の自分が受け入れなくなったのかもしれない。
彼女も美しさの呪いに囚われていたといえる。
サリマンに強制的に魔法を解かれた後は、そんな自分を受け入れてくれるソフィーやハウル一家に出会って、彼女も呪いから解放されたんじゃないかと感じた。
そしてラスト、頑なにハウルの心臓を離さない彼女を抱きしめるソフィーに完全に呪いを解いてもらったのではないかと思う。
というかあのシーン、改めて観るととても良かった…。
他にも色んなテーマを含んだ作品だと思うけど、この旧来の固定観点のような「呪い」(たとえば古いジェンダー観など)を解く作品群は最近よく目にするので、そんな中でこの作品を観るととても面白かった。
そして細かいことは差し置いても、改めてハウルはとても魅力的なのだった…。さすがジブリ屈指のイケメン。
ソフィーの勇気
ソフィーは、荒地の魔女から呪いを受けおばあちゃんになってしまったので今までの住み家から出て行った。ソフィーは、ハウルの動く城に入ってみる事にして、ハウルに掃除婦として認めさせた。年寄りにされようが、王様の魔法使いサリマンに会おうがほんとにソフィーは勇気あるしたくましいね。実はハウルは荒地の魔女におびえていたのにね。'
良かった
設定など、わからない部分はあるけど なぜか感動する。炎🔥のキャラは最初ざこキャラだと思っていたけど、かなり重要なキャラだったんですね。原作も"魔法使いハウルと火の悪魔"でしたよね。素晴らしい作品ですね。
心の声が
最近、わけあってソフトでみなおしたので。
劇場で観た時は終盤のたたみ方がめちゃくちゃに思えて、ポカーンとなってしまったクチでしたが、何度も観るうちにだんだん好きになってきたみたいです。
というのもいい場面がありすぎるし、このキャラたちのことを好きになってしまったから。
そして劇的ではないけど平和。戦争して悪魔に変化しそうだけど、なぜか平和。
ラピュタにおけるタイガーモス船内の暮らし、魔女の宅急便におけるオソノさんや奥様との交流など、好きな要素が生活の中で描かれているからだと思います。
ヒロインの造形に関しては、おれは地味で純朴な女が好きなんだ〜!という作り手の心の叫びが聴こえてくるよう。
逆に敵役の女はみんなお化粧してけばけばしく飾り立てている。
中でも面白いのは荒地の魔女。
王宮での階段登りのシーンが、「サンセット大通り」のノーマがスタジオに呼ばれるくだりとクライマックスの階段下りの合わせ技みたいに思えてきたからです。
自分を邪険にしてきた連中がとうとう自分に頭を垂れると期待して来たの
に、アテが外れてそれでも執念で思いを果たそうとする。
ノーマ・デズモンドでは?
しかしこんなに女性たちが軸になっているストーリーもめずらしい。
色ボケ爺の暴走とも言うべき無茶苦茶な映画。ストーリーテラーとしての役割を放棄することで、辿り着ける境地があることを教えてくれる奇跡の一作。
魔女の呪いにより老婆へと変身してしまった少女ソフィーと、荒野を歩く城に住む魔法使いハウルとの恋模様を描くファンタジー・ラヴストーリー。
監督/脚本は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』のアニメ界のレジェンド、宮崎駿。
魔法使いハウルの声を演じたのはドラマ『HERO』や『プライド』の、元SMAPの木村拓哉。
ハウルの弟子である少年、マルクルの声を演じたのは『千と千尋の神隠し』にも出演していた神木隆之介。
隣国の王子の声を演じたのは『千と千尋の神隠し』『猫の恩返し』に続き3度目のジブリアニメの出演となる、TEAM NACSのメンバーである大泉洋。
第31回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、作曲賞を受賞!
元々は『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督したことにより業界内では一目置かれる存在となっていた新進気鋭の演出家、細田守を監督に据えて制作されていた作品。
ジブリの採用試験を受けた経験もあり、また宮崎駿と同じく東映動画に在籍していたことも監督抜擢の要因となったのだろう。
注目の新人演出家ではあったがまだまだキャリアの浅い細田守にとって、宮崎駿の下で映画を作るのは相当な難事だったらしく、その制作は難航を極める。
結局、プロデューサー鈴木敏夫の判断により細田守は監督を降ろされ、企画立案者である宮崎駿が監督に就任することとなった。
この時の経験が『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』という映画に表れているらしいが、この映画の内容から察するに細田守の精神的なダメージは相当なものだったんだろうなぁ。凄く暗いアニメなので、まだ鑑賞していない方は是非。驚きますよ😵
『ハウル』公開から2年後、細田守は『時をかける少女』によってその地位を絶対のものにするのだから、人生はわからない。
挫折せずにトライし続けることが大事なのだということを学ばせてくれるエピソードですねぇ。
『ハウル』の印象的なセリフ「未来で待ってて!」と、『時かけ』の名言「未来で待ってる。」が非常に似ているのは偶然ではないんです。
ダラダラと無駄話をしてしまった😅本題に戻ります。
『千と千尋の神隠し』から、明らかに宮崎駿はストーリーテリングへの興味を失っている。
『千と千尋の神隠し』では、それでもまだ物語を語ろうという意思を感じたが、本作ではもうそんなことどうでも良い!という開き直りを感じる。
はっきり言ってもうこの映画、無茶苦茶💦
ハウルがいったい何と闘っているのかもようわからんし、カルシファーとの契約についてもようわからんし、クライマックスの展開もようわからん!
物語の目的がさっぱりわからんし、どこを目指しているのかもわからん。もうわからんことばっかり!
これは宮崎駿が「今回は本格的なラヴストーリーで行く!」というテーマを掲げておきながら、「ラヴストーリーってどうやって作るんだっけ?」と鈴木敏夫に相談したというエピソードから察するに、本人でもよく分からないままに作っていたんじゃないかな。
また、「オタキング」こと岡田斗司夫さんが本作のわかりづらさについて「ほとんどソフィーの主観で物語を描いているから」と解説していたが、これは正に言い得て妙!
ハウルの視点から物語を描いたり、回想シーンを入れたりすればもっとお話しがわかりやすくなったはずだが、あえてそうしていないのは、やはりこれが「本格的なラヴストーリー」を目指して作られたものだからだろう。
世界観の説明を極限まで省き、「キミとボク」にのみ着目するというセカイ系的な構造こそラヴストーリーであるというのが宮崎駿流の見解なんだろう。
無茶苦茶な映画なことは間違いない。じゃあ本作がダメな映画なのかと言うと、決してそんなことはない!むしろ、かなり好き!
久しぶりに鑑賞したが、子供の頃に観た時よりも一層面白く感じました😍
老人まみれのラヴストーリーという、監督の心境が反映されまくった歪な物語は、意味よりもパッションが重視された迫力のある映画となっており、その勢いには心が揺り動かされる。
画面越しにも情熱が伝わってくるような熱さがあり、何故か終始涙目で鑑賞していた🥲
冒頭のハウルとソフィーが出逢うシーン、ハウルの「やぁ、探したよ。」というセリフは、その意味が分かると爆発的なエネルギーを持つ素晴らしい伏線となっており、こういうワザをサラッとやってしまうあたり、本当にこの爺さんは天才だなぁ、と思わざるを得ない。
クライマックスの持つエモーションも素晴らしい!
「心って重いの。」というセリフが好きすぎてヤバい。
カブが人間に戻るところとか、もうめちゃくちゃなんだけど、だがそれがいいっ!
天才の開き直りほど心地良いものはないです😌
色々言われるキムタクの声優起用、自分は決して嫌いではない。
ただ、倍賞美津子さんは、うーん…😥
おばあちゃんソフィーは120点なんだけど、流石に18歳の少女役はキツい💦
「18歳から老婆まで同じ役者にやって欲しいー!」というのが宮崎駿の要求であり、それをクリアしたのが倍賞美津子だったらしいが、やっぱりキビしいっす…。
声のせいでソフィーの魅力が〜😣
海外版では、どの言語でもソフィーの声は老人と少女でそれぞれ別の人が担当しているらしいが、絶対にそれが正解だと思う。
これ以上型を崩すと、バランスが崩壊してしまうというギリギリのラインを保っている奇跡のような作品。
人によっては、これはもうバランス崩壊してる!と思うかも知れないが、自分としては結構好きな作品。
色ボケもここまで極めると立派っ!👏
全104件中、21~40件目を表示