午前十時の映画祭14にて。
この映画はロシアでも公開されたらしいが、当然ながら実際にスターリングラードの戦闘に参加した元軍人らは事実を歪曲していると非難したようだ。
ソ連赤軍司令部が狙撃兵ヴァシリ・ザイツェフを英雄に祭り上げることで戦意高揚を図ったというあたりが非難の的だと思うが、実際、ドイツ軍がザイツェフ対策に狙撃手エルヴィン・ケーニッヒを送り込んだというのは、ザイツェフをより際立たせるためのソ連側の捏造だったという説が有力なのた。
逃げようとする自国の市民にソ連の軍人が銃を向ける場面もあり、そのあたりも否定したい部分だったかもしれない。
史上最大の市街戦と言われたスターリングラード攻防戦。再現されたその風景は、廃墟と化したソ連有数の工業都市に累々と死体が折り重なって、文字通りの地獄絵図だ。
この密集する建築物の廃墟が物陰から狙撃する作戦に適していて、狙撃手たちの活躍が当初有利だった枢機軍を撤退させるに至った勝因の一つとされている。
この映画は序盤からザイツェフ(ジュード・ロウ)、ダニロフ(ジョセフ・ファインズ)と、ターニャ(レイチェル・ワイズ)の三角関係の匂いが漂っていて、ドイツ軍の狙撃手ケーニッヒ(エド・ハリス)が登場すると、狙撃手どうしが裏を読み合う心理戦に重なって、男女の三角関係も顕になっていく。
ジョセフ・ファインズが、友情と嫉妬に苦しみ、やがて盟友を貶めようとするソ連赤軍の政治将校を演じて、哀愁がある。
ターニャに想いが届かないと知ったダニロフは、友への逆恨みが愛国心をも揺るがし、イデオロギーへの疑問まで抱くに至る。だが、彼の最後の決断は衝撃的で、哀れだ。
ジュード・ロウは狙撃の天才を孤高のたたずまいで寡黙に演じている。敵が残したタバコの吸い殻から敵を想像するシーンなど、セリフのないシーンに説得力がある。
ロードショー鑑賞時のこの映画の一番の印象は、恥ずかしながらラブシーンでのレイチェル・ワイズの〝ヒップ〟だった。20数年ぶりに観た今、やはりレイチェル・ワイズが魅力的だ。
ソ連には女性兵士がいたのだろうかと当初は不思議に思っていたが、日本の女性も本土に敵が上陸したら竹槍で対抗するという訓練を受けていたくらいだから、もし義勇軍があったなら、そこに女性兵士がいたのだろう。
そして、エド・ハリスである。ザイツェフをギリギリまで追い込むドイツ軍屈指の狙撃手ケーニッヒは、冷静かつ冷徹で屈強な男。エド・ハリス以外に誰が演じられたかと思うほどだ。軍人役が似合う俳優だ。
それにしても、狙撃手の集中力、洞察力、忍耐力はどれほどのものか…。
お互い、敵がミスを犯すのをひたすら待つ。そして一瞬のごくわずかなチャンスを見逃さず、射つ。この持久戦のジリジリ、ヒリヒリとした緊張感に息を呑む。
フィクションだが、鏡を使った攻防のシークェンスは秀逸だ。
そして、最前線から一歩下がった場所でザイツェフとターニャを監視するダニロフの視線も緊張感を高めていく。
これらはまさしく一級の心理サスペンスだ。
そして同時に、この映画は極限の環境における熱烈なラブストーリーでもあった。
余談だが…
ターニャという女性も実在したようだが、ザイツェフの妻は別の女性である。