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◯作品全体
タランティーノ映画の面白さは、登場人物を饒舌に語ることにあると思う。主人公も相手役も、今までの人生や事件事故の経緯、今に至るまでのそれぞれの考え方とその移り変わり、何を考えてなぜそうなったのか、ということを独特な語り口で明らかにしていくのが印象的だ。一方で語らない部分は徹底して語らない。本作でいえば、ビルと主人公との決別や、主人公自身の生い立ちなんかはブラックボックスになっている。『Part2』で語られるとしても、ラスボスのオーレン・イシイの生い立ちは事細かに語っておきながら主人公については語らないのは、大体なシナリオだな、と感じたが、語り口が面白かった。
例えば、そのイシイの回想は敵役でありながら生い立ちから語るのがまず面白いし、イシイにとって大きな心の傷である幼少期の出来事をジャパニメーションで語るアイデアも素晴らしい。今では実写とアニメーションの融合はさほど珍しいものではなくなったけれど、00年代初頭にジャパニメーションに目を付けている時点で新しさを感じるし、なにより日本の文化で育ってきたイシイを描写するにあたってその文化に則って描くのは説得力があった。
個人的に一番面白かった語り口はGoGo夕張。黒髪ロングの女子高生が空飛ぶギロチンを使うという時点でぶっ飛んでいるけど、女子高生の制服が狂気の隠れ蓑になっている、みたいなナレーションがとてもよかった。
日本語のセリフ回しやカメラワークに「見栄切り」を感じる演出が多かったのも印象的だった。邦画の作劇を意識しているんだろうけど、日本を舞台としている以上はその流儀に則っているのが多少不格好ながらも良さを感じたし、登場人物の語り口としては面白かった。ただ、そこに独創性みたいなものはあまりなく、邦画に馴染みある身としては既視感から退屈に感じるところもあった。馴染みない人から見るとタランティーノ映画と日本の作劇の融合、みたいに映るのかもしれないけど、個人的にそれを感じたのはアニメーションも使った回想の演出くらいで、終盤のチャンバラアクションは少しチープに見えてしまった。ただ、当時のタランティーノ映画にある若さあるオマージュ演出は唯一無二のものだったことは間違いない。
映像作品において視聴者が一番違和感を覚えやすいのは日常動作だという。自身の身近にあるものだからこそ、敏感になりやすい。日本人でいえば箸を使うとかが挙がるだろうが、邦画のメソッドというのもそこに含まれるのだな、と今回気づかされた。登場人物の語り口や語る内容にはその違和感は存在しなかったが、語る手法に違和感を感じるという、不思議な体験をする映画だった。
◯カメラワークとか
・シルエットの殺陣はかっこよかった。時代劇っぽい演出で邦画チックではあるんだけど、アクション自体はアクロバティックなのが良い。
・「ヤッチマイナ!」のときのポン引きが、なんかかっこよかった。このカットだけ見返すとギャグっぽいんだけど、流れで見るとポン引きのタイミングがバッチリ決まってる。
・『空とぶギロチン』みたいな武器を使うGoGo夕張のアクションは女子高生の制服と華奢な体型とのギャップが良かった。『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を見たのであれば正統派っぽく(?)日本刀にしてしまうだろうけど、そこであえての重量武器。ただ、ギロチン主観カットがなかったので『空とぶギロチン』ファンとしては少し残念。
◯その他
・タランティーノ映画でよく目にする登場人物をどん底に突き落とすときの容赦なさが好き。本作だったら入院中の医者にさんざん弄ばれたことを示唆するカットを入れてたり。
・ネットで偶に見る邦画のネガティブな印象論として「役者のセリフが聞き取りづらい」みたいなのを目にしたことがあるけど、國村隼演じるヤクザの組長が怒るシーンとか、まさしくそれのオマージュだったなぁ。この作品だと「温厚に見える日本人が激怒し捲し立てている」みたいなギャップの怖さが演出されている気がして、少し印象が違って見えた。