室町無頼 : インタビュー
大泉洋、芸能生活30年を迎えて願うこと。そして明かす時代劇への思い
俳優の大泉洋が主演するアクション時代劇「室町無頼」が、1月17日から全国で封切られる(IMAX先行公開中)。オファーを受けてから、足かけ8年。コロナ禍での製作延期を経て完成した意欲作で、大泉は時代劇というジャンルに何を思ったか。また、芸能生活30年を迎えて願うことなど、軽妙洒脱な語り口でありながら、真摯な眼差しで語った。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)
入江悠監督がメガホンをとった今作の舞台は、垣根涼介氏の歴史小説「室町無頼」(新潮文庫刊)が原作。時は室町、“応仁の乱”前夜の京(みやこ)―――。大飢饉と疫病の連鎖、路上に重なる無数の死骸。そんな混沌の世の中に風の如く現れ、巨大な権力に戦いを挑んだ者たちがいた。蓮田兵衛(はすだ・ひょうえ)。日本史上、初めて武士階級として一揆を起こし、歴史にただ一度だけその名を留める男。彼の元に結集した「アウトロー=無頼」たちの知られざる闘いをドラマチックに描いている。
■オファーのきっかけは三谷幸喜演出「子供の事情」
大泉に熱烈オファーを出したのは、「探偵はBARにいる」シリーズを手がけた須藤泰司プロデューサーによるものだが、原作の世界観をアップデートしたかのような本格的な殺陣・アクションを披露している。大泉が息吹を注いだ蓮田兵衛は、己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぎ、密かに倒幕と世直しの野望を抱く無頼漢で剣の達人という設定。どのようなやり取りを経て、オファーを受けるに至ったのか、改めて聞いてみた。
「須藤さんは『探偵はBARにいる』で僕を抜てきしてくれて、3本も作るようなシリーズに育ててくれた。僕という人間への愛情も深いわけです。最初のきっかけは、僕が出演した三谷幸喜さんの舞台『子供の事情』でした。面白い転校生のキャラクターではあったのですが、転校前のあだ名が“ちんげさん”だったという(笑)。
非常に爽やかでかわいらしい舞台だったのですが、須藤さん的には『我らが大泉洋を“ちんげさん”とは何事だ!』と思われたようで、わたしに『東映は大泉洋をこう描く!というプレゼンをさせてくれ』といって持ってきてくれたのが、この作品でした。台本を読んだときは、確かにやったことのない役だと嬉しかったことを覚えています。仲間を思い、国を慮って行動していく。すごい役をオファーしていただいたなと思いました」
23年11月に京都・太秦の撮影現場を訪れた筆者に、室町時代を舞台にした映画作品がほぼ存在しないため苦労はあったものの、図らずも8年近い準備期間が製作にはプラスに働いたと須藤氏と入江監督が前向きな表情で話していたことが印象に残る。
入江「研究者や大学の先生に取材をして調べていくと、意外とアナーキーな時代で封建制度もそれほど確立されていなかったということがわかりました。それで、描く自由度はあるのかなと気が楽になって、『マッドマックス』のような世界観でもいいのかなと舵を切れました」
須藤「文献を相当読み込んでいましたよね」
入江「7年くらい室町や日本の中世についてずっと調べていました(笑)。身分が固定化されていない時代で、江戸時代のような武家社会でもなく、人々が色々な階層を行き来できた時代だととらえています。大泉さん演じる役も階層を明確にし難いけれど、顔が広くて慕われている。その自由度も含めてぴったりだと思いました」
■改めて時代劇が好きになりました
企画を成立させるために、度重なる製作延期にも決して諦めるという選択肢を持ち合わせていなかったふたりが、大泉の殺陣を絶賛していたことも記憶に新しい。大泉にとっても、太秦の剣会の殺陣師たちと行った厳しい稽古、実現までに8年もかかったことも踏まえ、思い入れの強い作品になったことは想像に難くない。
「時代劇への愛情というか、改めて時代劇が好きになりました。現代劇では描けない熱が詰まっている。リアルといえばリアルだけど、ファンタジーでもある。だって、誰も室町時代のことなんて知らないわけですから。スタッフの皆さんも、そこを楽しみながら作っている。
衣装に関しても、資料はあるんでしょうが工夫しながら遊んでいる。決まりがあるようで、ない。誰も当時の衣装を見た人なんていないわけですし。ヘアメイクディレクターの酒井啓介さんの作り出すメイクの世界もすごかった。現代劇であのメイクだとちょっと違和感がありますが、時代劇というパッケージの中では全てが収まる。時代劇でしか出来ない感情表現というものがありますよね」
大泉が時代劇映画に出演するのは、「清須会議」(三谷幸喜監督)、「駆込み女と駆出し男」(原田眞人監督)、「新解釈・三國志」(福田雄一監督)、そして今作と4本目になる。個性の異なる監督との仕事を経験したからこそ、現代とは異なる虚しさ、儚さ、潔さに惹かれるものがあると明かす。
「現代よりも死というものが身近ですし、考え方も野蛮といえば野蛮。寿命も今よりも短いし、風邪をこじらせても死んでしまう時代。ましてや武士の世界なんて、簡単に命を捨てないといけない時代だった。大きな決まりがあるから、その中でしか表現できないものがある。『こんなことで死ななきゃいけないの?』っていう。でも僕らは『この時代、この武士は死ななきゃいけないんだ』という不条理な切なさを把握しながら見るわけですよね。美しさといったら語弊があるけれど、虚しさ、儚さ、潔さと言いましょうか、そういう点でも興味深いですよね。もちろんお金も時間もかかるから、昨今は大がかりなものを作り難くなってきているけれど、これからも日本の時代劇が続いていけばいいなあと改めて強く感じました」
■役者としては、なるべくパブリックイメージなんてものは付けない方がいい
大泉は今作で、パブリックイメージとして定着している“笑い”の要素をほぼ封印して撮影に挑んだ。「僕が常日頃思っているのは、パブリックイメージをいかに覆せる役者になっていくかということ」と意に介しておらず、「役者をしていくうえでは、バラエティをしなきゃいいって話なんですよ。ただ、それが僕のやりたいことなのかと言うと、そうじゃない」と胸の内を聞かせてくれた。
「バラエティはやりたいんです。どうにもこうにも、人を笑わせたいという思いがある人間なもので。底抜けにバカバカしいことをして笑わせながらも、今作の兵衛のような役を演じたときには切り替えて見てもらえる役者になりたいと思ってやっています。どうしても人にはパブリックイメージが付いて回ります。亡くなられた高倉健さんや田村正和さんのようなスターは、私生活が全く見えなかったじゃないですか。役者としては、なるべくパブリックイメージなんてものは付けない方がいいんでしょうね」
今作の見どころのひとつとして、一揆のシーンにおける大泉と堤の一騎打ちは素早い展開の殺陣が繰り広げられて圧巻だ。撮影当時、大泉は50歳(現在51歳)、堤は59歳(現在60歳)だが、しっかりと土台を築き上げてきた者同士の対峙に思わず前のめりになってしまう。50代を迎え、何か変化があったか聞いてみると……。
「体のガタがひどいんですよ(笑)。僕の体が50歳を機に生まれ変わっちゃったというか…。僕への体の信号がすごかった。『今までのやり方では無理なんです、そんな働き方はもう出来ないんです』って、ずっと僕に言ってくる。デイシーンの後、夜中までナイトシーンはもう撮っちゃダメなのね、急激なダイエットもダメなのね、みたいな。50歳になった途端にでしたから。50歳の体に慣れるのに、まだ時間がかかっている感じです。自分の体に合ったトレーニングをしていかないと、いよいよ待ったなしなんだなと痛感しています」
■30年間やってきたからこそ出てくる僕の良さが伝わればいいなと祈るばかり
大泉が50代ということに驚きを禁じ得ないが、芸能生活30年ということを考えれば、さもありなん。30年続けてきたからこそ見えてきたことは、どのようなものなのだろうか。
「30年前はもちろん何も見えていなかったんだろうけど、僕は一度始めたことを辞めない人なんですね。なんとなく続けることに意義があるっていう人なんで、役者とバラエティをずっと続けてきたからこそ出て来るものに期待するような気持ちなんです。何か見えるようになっているかは分からない。おそらく色々なものが見えているんでしょうが…。ただ、30年間やってきたからこそ出てくる僕の良さみたいなものが映っていればいいな、見てくれる方々に伝わればいいなと祈るばかりです。
辞めるのは簡単じゃないですか。劇団にしたって揉め事なんてよくあるし、人気があるうちに辞めちゃえば『TEAM NACSってすごい人気の劇団があったんだ』って伝説なり、思い出になるのも良いこと。でも、30年やってきたから出せるものもあるわけで、それは時間にしか作り出せないもの。もう一度、今から何かを初めて30年というのは相当難しい。80歳になっちゃいますから。せっかく続けてきたものを辞めるのはもったいない。僕にも30年続けてきたからこそにじみ出る味わいがあるといいなあ」
年齢を重ねることで、「欲」は出て来るものか問いかけてみると「役者をやっている以上は、ただただ面白い作品に出合いたいって思っているかな。自分で面白いものを作り出せるほどのエネルギーがあればいいんだろうけどね。好きなクリエイターと作るという道もあるんだろうけど、一方で馬券や宝くじみたいな予想外の出合いにも期待しちゃうんです」とほほ笑む。
「僕はギャンブルと呼ばれるものはほとんどしない。ただ、役者の仕事にはどうなるか分からないというギャンブル性がある。そして結果がついてくる仕事ですよね。ドラマは視聴率、映画は興行。そこには多分にギャンブル性がある。他でギャンブルはしないけれど、仕事のギャンブルには勝ちたいね。そして、さらに面白い作品に出合いたいという欲は、手放すことがないでしょうね」
日本映画界にとって、もはや欠かすことのできないポジションを確立した大泉が60代、70代と年輪を重ねることでどのような芝居を見せてくれるのか興味は尽きない。