ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地

劇場公開日:

ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地

解説

女性たちの社会や日常での生き方を真摯に見つめる作品を多く残したベルギーの女性監督シャンタル・アケルマンが、主婦のフラストレーションとディテールを丁寧に汲み取りながら、平凡な日常に綻びが生じていく様子を追った傑作ドラマ。ジャンヌはブリュッセルのアパートで、思春期の息子と2人きりで暮らしている。湯を沸かし、じゃがいもの皮をむき、買い物へ出かけ、“平凡な”生活を送る彼女だったが……。主演は「去年マリエンバートで」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」のデルフィーヌ・セイリグ。「シャンタル・アケルマン映画祭」(2022年4月29日~5月12日、ヒューマントラストシネマ渋谷)上映作品。

1975年製作/200分/G/ベルギー・フランス合作
原題または英題:Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
劇場公開日:2022年4月30日

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(C)Chantal Akerman Foundation

映画レビュー

5.0家とう牢獄で見せる家事の奥深さ

2023年1月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

カメラも主人公もほとんど主人公の自宅から出ない。郵便局などに用事がある時だけ主人公は外に出る。驚異的な規則正しさで毎日の家事のルーティーンをこなす主人公は、しかし、自宅で売春を行っている。
女性を家に閉じ込め、家事労働させる「牢獄」のようにも見える。たしかにこの主人公には自由がない。家事は終わりがないので、ひと時も休めない。毎日同じことの繰り返しの地獄のようでもある。
しかし一方で、彼女の無駄の一切ない動きには、家事という行為の奥深さや価値ある何かが宿っているようにも思う。熟練の職人の正確無比な動きに見惚れたことがある人は多いだろうが、この映画の主人公の動きにもそれがある。これほど家事という労働の価値を高く描いた作品はそうそう無いと思う。家事に価値がないことだと考える前提そのものを覆す力を持った作品ではないか。超一流の家事職人の織りなす一挙手一投足に目が離せない。私たちの日常に、これだけ豊穣なものがある。家事をバカにしてはいけない。

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杉本穂高

4.0伝説の映画を作り上げた天才っぷりにおののく。

2022年8月31日
PCから投稿
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村山章

2.0冗長

2024年2月25日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

ルーチンの綻びから人間の脆さみたいなものを表現するという試みは面白いです。
ですが、その綻び始めが見られるまで90分かかります。
最初の90分は#丁寧な暮らし、というハッシュタグが似合いそうな彼女の所作動作を延々と固定カメラで見させ続けられます。このリズムが、私にはひたすら退屈でした。生々しさなどのためにあえて長くしてるんでしょうが、とても時間が長く感じられました。
この映画は3時間20分もあります。あらすじに興味があったので我慢しましたが、見終わってからの感想としては、90分で十分まとめられる内容です。
この意図的な冗長さを、どう受け取るかは人によるんでしょうが、私には苦行でした。

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からくりおばけ

3.5「史上最高の映画」は流石に言い過ぎ

2023年10月12日
スマートフォンから投稿

知的

まずこの映画は近年になって英国映画協会が「史上最高の映画100」の第1位と位置付けた為にその名が一気に広まった物なので、その情報無しで鑑賞に至る人は非常に稀。つまり観る人のほぼ全てが、この作品がある映画界で権威を持った団体から究極の好評価を得ているというフィルターを通してしまっている。
そうなると大体の人はどこがそこまで評価されているのかを探るという所から入ってしまい、その時点で他の作品とは違う見方になってしまいがちだ。

端的に言ってこの作品は、「史上最高」と評すべき物ではないと思う。
家事に従事する女性の完璧なルーティンワークとそれが少しずつ乱れていくのを細かなアクションの中で見せていく手法や、奥ゆかしく画面を彩る小道具・美術や、家事という日常的な作業の奥深さやそれに伴う閉塞感を観客にジワジワと染み込ませるように伝えていく演出が、斬新で素晴らしいのは理解出来る。
理解は出来るが、どう考えても長すぎるシーンがいくつかあってテンポが悪いし(実際上映時間も長い)、編集・照明・カメラワーク・音響の介入は殆ど排除されているので、何をしているのかよく分からないシーンも結構ある。
それらは「ドラマの無い普遍的な日常を表現する為にあえてそうしているんでしょ」という事なのかも知れないが、それなら日中に自宅の寝室で売春を行なっているという設定と最後の主人公の行動は明らかにドラマ性を帯びていてどこにでもある普遍的な事象とは思えず、矛盾が生じる。
また、他の作品で同じように作り手が表現手段としてあえて何も起こらない長回しショットを挿入したのに対して「テンポが悪い」「ダラダラしてて退屈」といった批判が展開された事例は山程あるのに、この作品はそこが評価ポイントに変わってしまうのなら、それもおかしい。

やはり映画に客観的なランク付けをするなら色々な要素を包括した総合点で行うしかないと思うのだが、そこには前述の編集・照明・カメラワーク・音響に加えインパクトやエンターテインメント性等の優劣も加味されるべきで、それらを抜きにしてアート性や単純性に特化した映画を史上最高と評してしまっては、血の滲む思いで世界中の観客の心に強く響く素晴らしい作品を提供してきた数多の映画制作者達の立場が無いではないか。

結論、これは誰の心にも何かしら与える物があるという類の作品ではないと思う。
それこそ「ある視点」みたいな枠の中で評価されるべき。

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Matti Texan

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