コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第98回
2021年8月26日更新
ロカルノ国際映画祭の様変わりに見る、パンデミック以降の映画祭の課題とは
8月4日から開催された第74回ロカルノ国際映画祭は、今年からアーティスティックディレクターが変わり、Netflixの新作「ベケット」がオープニングを飾ったことで、大きな話題を集めた。というのも、これまでロカルノと言えばアートフィルム寄りの映画祭というイメージがあったからだ。昨年はパンデミックで開催が中止されたものの、2019年に最高賞の金豹賞と女優賞(ビタリナ・バレラ)をダブル受賞したのは、ペドロ・コスタの「ヴィタリナ」だった。だが、この年就任したアーティスティックディレクター、リリ・アンスタンが「映画祭側との戦略の違い」を理由に昨年、突然辞任。その後白羽の矢を立てられたのが、新ディレクター、ジオナ・A・ナッザロである。彼は2009年からロカルノに関わってきた一方、ベネチア国際映画祭、批評家週間部門のディレクターも務めていた。そんな彼の新生ロカルノは、ストリーミング系の作品を受け入れるとともに、内容的にも娯楽寄りに様変わりをしたことで注目を集めたのである。
依然パンデミックの状況が続くなか、ロカルノの変貌は今後の映画祭を占う上で象徴的と言えるのか。取材に応じてくれたナッザロの発言から探ってみたい。
——昨今、ベネチアをはじめいろいろな映画祭がストリーミング系の作品を取り入れていますが、ロカルノのオープニングにNetflix作品を選んだのは大胆な選択と言えるのでは?
「『ベケット』を選んだのは単純にいい作品で、社会的なテーマを持っているからです。今回キャストがロカルノに来てくれたので、スターが必要だったからか、という憶測もありましたが、選んだ時点ではわからなかったし、それが理由ではない。フェルディナンド・シト・フィロマリーノ監督は以前短編でロカルノに参加していますし、本作はもともと劇場映画作品として企画され、Netflixは後から参加したに過ぎません。単純に選択肢としてあったまでで、それが映画祭のステートメントではないし、もちろん劇場公開作品に否定的なわけではない。ただ言えるのは、現在業界全体の経済的なランドスケープが変化しているということです。たとえばハリウッドのスタジオも、パンデミックの影響でその公開戦略がくるくる変わっている。残念ながらこの状況が元に戻ることはないわけで、そうしたシフトチェンジを見ながら、クリエイティブに対応していくことが迫られていると思います」
たしかに、最近ディズニーが「ブラック・ウィドウ」を劇場公開と同時に配信スタートしたことで、スカーレット・ヨハンソンが契約違反を訴えたように、大手スタジオにしても現在手探りの状態にある。もはやストリーミング系、劇場作品と区別をするのすら困難な状況になっていくのかもしれない。
さらに今回のロカルノで顕著だったのが、作品の傾向の変化だ。コンペティションを含む全体的に、アクション、スリラー、ファンタ路線など、「ジャンル系映画」が多い印象だった。折しも今年はロカルノ名物のピアッツァ・グランデ大広場の野外上映の50周年に当たり、「ベケット」の他、「フリー・ガイ」、細田守監督の「竜とそばかすの姫」、またプロデューサー賞を受賞したゲイル・アン・ハードがプロデュースした「ターミネーター」や、栄誉賞を授与されたジョン・ランディスの「アニマル・ハウス」など、エンターテインメントな作品が上映された。コロナ下の映画祭においては、地元の観客集めも、以前より重要な課題になってくるのだろうか。
「わたしにとって映画は映画。すべてのジャンルをリスペクトしているので、一部の映画愛好家に向けられたものでもなければ、彼らを排除するものでもありません。ただ門戸を広げたいということです。たとえば今回金豹賞に輝いたエドウィン監督の『Vengeance is Mine, All Others Pay Cash』は、男性闘士が女性闘士に出会って恋に落ちるカンフー映画ですが、ジェンダーの役割に対して疑問を投げかける、エンターテインメントでありながらとても社会的なテーマを含み、観客の予想を越える面白さがある。作家主義系という枠を越える自由な作品に注目したいし、若手の才能ほどその傾向にある。彼らをサポートしながら、より多くの人に開かれた映画祭を目指したいのです」
もちろん、映画祭のなかにはより作家主義的な作品に特化し、それを特色として押し出しているところもある。すべては映画祭の規模と作品のバランスに拠るもので、そのあたりの舵取りをいかにうまくこなしていくかで、今後はディレクターの手腕が問われるだろう。
最後に、日本映画に対する感想を尋ねた。今年のロカルノの日本映画は細田監督のアニメのみ。これまで日本映画は黒沢清、濱口竜介、富田克也、真利子哲也作品など、比較的ロカルノと縁があっただけに、今年の状況は気になった。
「日本映画は大好きですが、今回のセレクションを通して感じたことは、どこかの映画祭で見たようなタイプの作品が多かったということです。これも出品する側の『ロカルノ的』『映画祭向け』というイメージに拠るのかもしれません。わたしとしては、もっとフィールドを広げる、こちらを驚かせてくれるような作品を期待したいのです」
果たして、来年彼の選択眼に叶う日本映画は出てくるだろうか。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato