コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第19回

2021年8月6日更新

編集長コラム 映画って何だ?

東欧版「新聞記者」? いや、もっと凄い問題作をトロントでキャッチ

トロント映画祭にやって来ました。今年(2019年)は9月5日から15日までの開催です。
ジョーカー」や「フォード vs フェラーリ」などのメジャー案件や、トム・ハンクスメリル・ストリープニコール・キッドマンなど大物俳優の新作が北米大陸にお披露目されます。是枝監督の「真実」やタイカ・ワイティティ監督の「ジョジョ・ラビット」、そしてカンヌを制した「パラサイト 半地下の家族」なども人気を集めそうです。

トロント映画祭の看板
トロント映画祭の看板

私は、カンヌで見損ねたテレンス・マリック監督の「ア・ヒドゥン・ライフ」や、エリア・スレイマン監督の「イット・マスト・ビー・ヘブン」などの上映を見て1日目を終えましたが、2日目に、思いがけず「ぶっ飛びの一本」に遭遇しました。

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「コレクティブ(Collective)」というルーマニアのドキュメンタリーなのですが、もともと私は、この映画を見るつもりは全くなかった。完全にノーマーク。

当日は、見ようと思った映画が満席で入れず、別の映画に流れたら、レッドカーペットアライバルで入口が封鎖されててそちらも入れず、さらに流れた先が大当たりだったというオチです。

かいつまんで内容を紹介してみましょう。今年日本で大ヒットした「新聞記者」をご覧になった方は、あれを思い出してください。本作もまた、信念を持った新聞記者たちが政府や企業の不正・腐敗に鋭くメスを入れ、次々にスクープをものにしていく話です。

発端となったのは、2015年にルーマニアの首都ブカレストで起きたナイトクラブの火災。このナイトクラブの名前が「コレクティブ」で、映画のタイトルにもなっている。

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この火災では、ロックバンドのライブを見に来ていた若者たち27人が死亡し、100人以上が病院に搬送されました。そもそもこのクラブは出入り口が1つしかなく、消防当局の承認を得ていない違法建築だった。

火災から数週間後、ヤケドやケガで入院した人たちが、病院で何十人も亡くなっていることが発覚します。普通は治っていくはずの患者たちが、逆に症状を悪化させ、しかも大勢が死に至っている。この事態を不審に思ったSport Gazette紙(スポーツ紙です)が、特別チームを組んで取材を開始します。

取材を進めていくと、驚愕の事実が次々に発覚。これ、ホント驚きますよ。

まず彼らは、病院で使われている消毒液が薄められていて、基準の10%ほどの消毒成分しか含まれていないことを突き止めます。

消毒液は病院が薄めているわけではなく、納品の時点ですでに薄い。つまりメーカーの仕業。消毒液はルーマニア最大手の製薬メーカーの製品で、このメーカーと医療業界が完全に癒着していることも分かりました。わざと薄めて、利益率を高めていた。まさに水増しです。

記者たちの献身的な取材は会心のスクープを産み、テレビやネットなどに波及。ブカレストの街では、大衆が怒り、デモに訴えています。「病院と政治家はクソ! 新聞は神!」

保健省の大臣は、ほどなく辞任に追い込まれました。

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この映画の撮影クルーは、疑惑が明らかになるかなり前の段階から新聞記者たちに帯同していますが、面白いなと思ったのは、新たに赴任した大臣の決断です。保健省の新しい大臣は、クルーを積極的に密着させます。

新大臣としては、相当な決意と透明性を国民に見せなければ、信任が得られないと思って撮影を奨励したのでしょう。例えば日本で、行政機関の内部会議に民間の撮影クルーが密着している状態は、普通に考えたら異常すぎます。だけどこの大臣は、本気で改革をやろうとした。

もちろん、映画としては撮れ高が物凄いことになります。

そうこうするうち、また驚きの事件が発生。なんと、疑惑の渦中にある製薬会社の社長が自殺するのです。しかし周りの人々は「あの守銭奴な社長が自殺なんかするわけがない。マフィアに殺されたに違いない」と口を揃える。

ルーマニアの医療業界が、いかに腐り切っているかが次々に明かされます。ルーマニアの人たちが本当に気の毒になる。

ついには、当該病院の経理部門からも密告者が現れます。彼女たちがカメラに向かって告発するには、「病院では、偽造の請求書が山ほど作られている。医師たちは、患者の治療なんかに興味ない。彼らが関心あるのはお金だけです」

ルーマニアの腐敗の象徴といえば、なんといってもチャウシェスク元大統領。そのチャウシェスクが処刑されてからちょうど30年の今年、ルーマニアからの内部告発みたいなドキュメンタリーが現れました。まるで「この国は何も変わっていませんよ」っていうメッセージのよう。

上映後のティーチインに立ったアレクサンダー・ナナウ監督
上映後のティーチインに立ったアレクサンダー・ナナウ監督

これは、とんでもない問題作です。見る者すべてが怒り、呆れるような問題作。後半、映画はツイストしながら、観客の期待とは違う方向に向かっていきますが、そこも含めて国情が赤裸々に描かれている。

この映画が世界の多くの人たちに見られることで、ルーマニアの国や人々に良い変化が訪れてほしい。アカデミー賞にノミネートされて、世界中から注目される映画になってほしいと、心から願っています。

筆者紹介

駒井尚文のコラム

駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。

Twitter:@komainaofumi

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