ダンケルクのレビュー・感想・評価
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ノーランの闇の深さ
人物に内臓が存在しないことが、ノーラン作品のひとつの特徴だと本作をみて強く思った。
兵士は凄惨な大撤退の最中にあり、いつ殺されてもおかしくない状況にいる。空から敵の戦闘機がやってきて撃たれるかもしれない。陸からナチス兵が港を襲うかもしれない。海から乗っている船が襲撃されて沈没するかもしれない。現にそれらの襲撃は起こっていて、多くの同士が死んでいる。あまりにも悲惨な光景。
しかし皆が綺麗に死んでいる。彼らは最低限の流血で死んでいく。腹を撃たれて腸が飛び出るわけでもなければ、爆破で手足が欠損することもない。港が血の海と化さず、綺麗な浜辺を維持していることが逆説的に本作のグロテクスさを語っている。
もちろんその描き方はノーランのスタイルであって、事実の真偽の問題ではない。しかし私は批判的に捉えたいと思う。所詮はノーランも時制を崩したり、SFに傾倒する単なる技術屋だったと。そこに兵士の実存に迫る語りはないし、大撤退を称揚するだけで国家への批判的な視座はないのかと。
かろうじて内臓があると思わせるのは、苺ジャムの食パンによってだ。ボトルに入った水を飲んだり、紅茶が出てきたりと飲む行為はいくつか確認できるが、食べる行為はジャムパンのみではないだろうか。それぐらい食べることに焦点が当てられない。
思えば『TENET』において主人公が武器商人にはじめて会う場面は会食の場ではあるが、彼は席に座り食事をする前に会食の場から出て行ってしまうし、『インターステラー』は宇宙の話だから(!)もちろん食べることは登場しない。このようにノーラン作品では「人物は食べないこと」で一貫されている。ノーランもきっと食に興味がないんだと思う。
だから本作の演出部で消え物担当になった人はかわいそうだと思う。あのノーラン作品の制作に携わり、消え物を担当する一役を買われたのに準備したのは「ジャムパン」のみ。きっと脚本を読み込んで、当時兵士が何を食べていたか調べ、リストを作成していたと思う。そしていざ演出部の会議でリストをみせたらノーランにジャムパンだけでいいと言われてしまうという…
上述のことはもちろん妄想よりのフィクションではある。それでも、もし本作にジャムパンがなければ、彼らがイメージではなく、内臓を持ち合わせたひとりの人間であることは想像/創造されない。それはかなり誇張表現ではあるが、重要なディティールであることは間違いない。
本作はノーラン作品において、史実を扱い戦争/歴史を描く作品だから、『オッペンハイマー』における歴史的側面に着目する上で重要な作品である。私は本作をみて正直、ノーランに政治的な態度は期待できないと思ってしまった。だが『オッペンハイマー』をみて思った。『オッペンハイマー』は『ダンケルク』から確実に進歩しているし、ノーランの政治的な態度はそんなに単純ではないと。そして闇が深いし、生生しい。
「生への執着」に絞った、戦争ドラマのない戦争映画。
◯作品全体
自分の頭の中にある戦争映画とは、少し違う感覚の映画だった。
映画において戦争ドラマは登場人物が気の合う・合わないを抜きにして、軍隊の規律によって強制的に同じ空間いるのが常だ。その中で衝突したり、理解しあったりすることでドラマが生まれるわけだが、本作にはそうした戦争ドラマコミュニティはほぼ存在しない。
陸を舞台にしたトミーの物語は、一貫して生き残るための脱出口を探し続ける。そこに生身のドイツ兵は描かれず、立ちはだかるのは砲弾と階級や部隊に縛られたイギリス兵だ。後にフランス兵だとわかるギブソンとは長く時間を共にするが、会話らしい会話を一切していないのが興味深い。それによって兵士同士のドラマではなく、生き残ることへの泥臭い執着に焦点が絞られていた。
そして陸から溢れる生存への執着に呼応するように、空からは生存への脱出口を作り出す姿が描かれる。計器が壊れても戦う姿は陸の兵士とは対比的だが、墜落してしまえば生き残るためにもがかなければならないのは陸の兵士と同様だ。
それぞれがもがき、生き残ることで、イギリスという国家も生き残る。この部分は海での物語で遊覧船の船長が「国が滅べば帰る場所はなくなる」と話していたが、ミクロな視点でもマクロな視点でも「生き残るために」に一貫していた作品だった。
生き残るため最善を尽くすことに、多くの言葉はいらない。「ドラマ」よりも「執着」を描いた本作は、戦争映画でありながら戦争ドラマを描かない独特な作品だった。
◯カメラワークとか
・ポジフィルムっぽいグラデーションのかかった空、海の青が印象的だった。
・序盤で街を抜けて海岸にやってきたトミーのカットが良かった。奥に色彩豊かな街があって、手前には鈍色のコンテナが並ぶ。色のコントラストがかっこいい。
序盤はかっこいいレイアウトが多かったけど、後半はアクションが多くて撮り方も普通のアクション映画だったのが少し残念。ラストの燃料が切れた戦闘機のシーンも綺麗ではあったけれど、ちょっとフィクション臭さが強かった。
◯その他
・セリフがほとんどないっていう試みは面白いんだけど、序盤でトミーたちが担架を運ぶシーンで乗り遅れそうなのに「どいてくれ!待ってくれ!」とか言わないの意味わかんないし、ギブソンはフランス人だから喋らないっていう意味付けみたいなものをトミーにも与えてやって良かったんじゃないかなって思った。
軒並みノーラン作品が嫌いなおっさんは本作をこう見た。
クリストファー・ノーランの世間でいうベストって何だろう。
ファンが選ぶノーラン作品ベスト10
1位.「ダークナイト」
2位~5位.該当なし
6位.「メメント」
7位~8位.該当なし
9位.「インセプション」
10位.「インターステラー」
そもそも10作品も監督作あったかすら覚えていないが、はっきり言って、こんな感じだろ。(「インソムニア」とか、ひどかったなあ)
「ダークナイト」はヒース。
というオレは、「ダークナイト」自体は全く好きでなく、ノーランの「リアル路線」を鼻で笑ってきたオレからすると、「リアル路線」の崩壊が笑える、というか、むしろそれがありがたかった「ダークナイトライジング」が一番好きだ。
「ダンケルク」
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そんなオレなので、本作をあまのじゃくにレビューするしかないわけで、はっきり言って本作に思い入れは全くない。
1).ノーランの、いつものスタンスが嫌い。
今回もリアル路線(笑)の、CGを極力使わない(当たり前だが、全くではない)、といううたい文句が鼻につく。というか、それが作家性や作品のスケールを委縮させていることに知りつつも、開き直っている感があり、まあ、それこそが「作家性」なのかもしれないが。
2).今回も音がうるさい
緊張感?冗談でしょ?どう見てもただうるさいだけ。本作、はっきりいってジマーの劇伴を取っ払った「無音」のほうがよかったと思う。
突如背後から売ってくるライフル音、海岸沿いの行進の足音、静かな海上の船のエンジン音、遠くから徐々に近づいてくる飛行機の音。
あくまで個人視点の作品で、スケール観は「実写」で撮れる範囲のものなので、音響なんか、ここぞという使い方であるほうがよかったのではないか。
3).カットバックが相変わらずうまくいっていない
時間軸の違った視点での展開。これは、彼の持ち味で、実はそうではないと思う。ただ、そういうのが好きなだけにしか見えないほど、緊張感を削ぐことが過去作にも多い。ストーリー自身に自信がなく、時間軸の操作でごまかしてきている点はこれまでもみられる。
4).「プライベートライアン」との比較について
「プライベートライアン」は、良しあしはともかく、「戦場」のリアルを凄惨描写で描き、一方で「ヒロイック」な物語性を持たせたものだった。
その方向から、いやオレはCG使わないから、大スケールな戦争映画作らないよ、とか、いやオレは時間を操るマジシャンだから、ストーリーは上手く書けないけど、複数の違った視点でのヒーローを描くよ、とか言って、それとの勝負から「あからさま」に逃げている。
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だから、結果とってもいびつな作品に今回も仕上がっている。
だがそれは、ノーラン自身、やれることをやって作品を作る、という意味で、作家としてのスタンスは素晴らしいということを評価しないといけないのかとも思った。
そう考えると、今回の作品は、2)の「うるさいだけ」がオレにとって大きなマイナス点だけで、ノーラン作品としては、とっても「個人的な思いの詰まった」作品なのだと思うようにオレはなった。
CGを多投しない自身の趣味を貫き、描写はあくまで、個人視点での「戦場」。カットバックは確かに上手くいっていないが、ストーリーに頼らない、「違った視点での個々のヒーロー像」を描こうとしているゆえの、ノーランのこだわりが詰まった「スケールの小ささで描く戦争映画」は十分伝わった。
とにかく、もうハンス・ジマーと組むのやめてほしい。映像作家、という売りの作家であるならば、劇伴を入れないことで得られる緊張感、という表現方法もあるだろう。
追記
「ライジング」の次にこれが好き、というオレもかなりいびつではある。なんだけど、まあ、1日で忘れてしまう程度の内容だけどね。
「1.43:1」のIMAX画面比率による圧倒的な絵力、映画館で味わってほしい体感型映画
日本公開時、日帰りで109シネマズ大阪エキスポシティに見にいったときにも感銘をうけましたが、都内でIMAXの「1.43:1」バージョンが見ることができるのは本当に嬉しいことです。
降伏をうながすビラが空からヒラヒラと舞い落ちてくるファーストカットから、この画面比率ならではの効果に「おっ」と思わせるものがあって、大スケールの映像美に魅せられます。全体的にセリフは少なく、厳しい状況下での撤退戦を、淡々と「絵力ありまくりの画面」で語るタイプの作品です。
チクタクと秒針が進む追いたてられるような音楽で緊張感をあおり、座っている椅子がブルブルと震えるような戦闘音が時折ズガーンとくる音響も最高で、IMAX版を3回見た「ゼロ・グラビティ」と同じ、映画館の映像と音響でしか味わえない魅力がとても大きい“体感型映画”です。
苦しい戦時体験とカタルシスのバランス
クリストファー・ノーランは、戦争についてのイデオロギーは極力排し、観客に戦場を体感させることに主眼を置いた。英雄賛美も戦争反対の大きな声も手垢がつきすぎてしまった現代で戦争を語ることの困難さがこの映画には溢れている。
暗くどぎついことの連続である浜のシーンで、人は戦場の苦しさを嫌というほど体感するだろう。しかし、観客に与える苦しみは「サウルの息子」ほど徹底されず、救助の民間船のエピソードでは、希望やヒロイズムが謳われる。
戦場を体感させたい、しかし苦しみを強いるだけの鑑賞体験では観てもらえない。ノーランはそのジレンマに向き合った。
机上の空論を振りかざすことをやめ、生々しい戦場に向き合わなくてはならない。しかし、映画としてのカタルシスなくして、多くの人に訴える力があるのかどうか。
非常に難しいバランス感覚だが、見事にこの困難な戦時体験映画を商業映画として成り立たせ大ヒットに導いたノーランの手腕は見事だ。
言われたくないだろうけれどぜひ大阪IMAXレーザーで。
正直、普通の映画館で観た時はピンとこなかったが、フィルムにこだわりIMAXを推奨するノーランが可能な限りIMAX70mmで撮ったのだから、ノーランが本来想定しているであろう1.43:1のアスペクト比で観てみようと、唯一1.43:1で上映している大阪エキスポシティのIMAXレーザーに行ってみた。
結論を言うと、別物、まったくの別物だ。フィルム時代のIMAXを知る人は、デジタルIMAXであの時の衝撃を味わえず歯痒い思いをしたことがあると思うが、デジタル上映とはいえフィルムのIMAXの持っていた広大な空間の広がりを、三度目のIMAXレーザーで初めて感じた。
大仰に思えた音響もこの巨大なスケールだとピタリとハマる。ストーリー的な不満は解消されたわけではないが、IMAXレーザーの「ダンケルク」、観られるうちにぜひ一度とお勧めしたい。最安だと東京からだと深夜バスで平日片道約3000円。その価値はあると思います。
戦争映画に「時間」の概念を絡ませた異色作
もぬけの殻となったダンケルクの市街地を抜け、海岸線がスクリーンいっぱいに広がった瞬間、これまでに感じたことのない映像の深遠さが胸を貫いた。そしてここから陸・海・空の3つのタイムラインを駆使したダンケルクの撤退作戦が展開するなんて誰が予測しえただろう。
さすがノーラン作品には「時間」という概念が密接に関わってくる。『インセプション』と同じく3つの異なった時間の尺度を展開させる手法には舌を巻くばかり。その結果、各々のテリトリーが交錯する「点」にて運命がスパークするわけだが、この語り口はもはや戦争アクションを超えた、緻密なるサスペンスの域と言えるだろう。
ちなみに、本作ではトム・ハーディが操縦する戦闘機内に響く無線音声の中でマイケル・ケインのカメオ出演がある。かつてケインが『空軍大戦略』で空を滑空していた映画史を押さえておくと、ノーランの密かなこだわりをさらに深く咀嚼することができるはずだ。
ラスト20分のカタルシスも映画のリアリズム!
強烈な閉塞感が神経を虐め続ける。容赦ない爆撃から身を守ろうとして砂浜にへばり付く兵士たちは、地上という行場のない牢獄で、はたまた閉じ込められたまま沈没していく船内で、遙か眼下の海原を見下ろすコックピット内で、その身を拘束されたまま時間に弄ばれているかのよう。個人の視点から見れば、戦争とは、戦場とは、なんと全体像がつかめない怪物如き存在であることか!?従来の戦争映画が当たり前のように駆使してきた想像の域を出ないCGI仕様の俯瞰映像を頑なに拒絶して、クリストファー・ノーランが提示する新リアリズム。それが映画的な快感と呼べるかどうかは甚だ疑問だ。しかし、延々と続いた怪物からの逃避行が、やがて達成感に変わるラスト20分のスタルシスは、画面の形状に関係なく、観客の心を強く掴み取って離さない。それもまた、映画のリアリズムだと思うのだ。
可能ならIMAX版を観るのが吉
第二次大戦期の英戦闘機スピットファイアを3機も飛ばすだけでもすごいのに、さらにその操縦席後部にIMAXカメラを設置してコックピットからの視点で写すという、ノーラン監督らしいこだわりの映像を満喫できる。敵機との空中戦や、沈没しかかった船から海に飛び降りる兵士たち、浸水し転覆した船内で溺れそうになる若き兵など、縦幅の長いIMAXの画角を活かした構図もふんだんにある。通常の上映はIMAX版の映像の上下をカットして映すので、大げさに言えば「まったく別の映像体験」。
IMAX版でも、フィルム>レーザー>デジタルという映像品質の差があるのだが、残念ながら「ダンケルク」の日本公開は主要な外国よりも1カ月以上遅れているため、これから外国で観ようと思っても場所がごく限られるはず。IMAXフィルムは日本になく、IMAXレーザーは大阪のみ。厳しい状況だが、それでもIMAX版で観る価値は間違いなくある。
タイトルなし(ネタバレ)
色調を抑えた映像が美しくシナリオが作り込まれており、大変面白くみた。
説明的な台詞は排除されている。映像から観客が読み取った情報のみで物語を理解するよう作られている。
そして誤った推察に迷い込ませるための抑制があちこちに仕込まれてい、しばらく観るうちに幾度も(あっあれは伏線だったのか)ともがく事になる。
再度見ると見落としたトラップへの理解が更に進み、くっそおうここでもやられてたのかああ 自分のばかー! と余計に口惜しくなる(嬉しい)。上質。
ドローン的恐怖など欠片も無い人的リソースに依存する(これぞ第二次世界大戦)な空中戦、海に落ちた戦闘機乗りを掬い上げた小船で差し出される熱い茶(琺瑯のマグ)、上手い事やって潜り込んだ引き揚げ船で振る舞われるもてなし(毛布・紅茶(琺瑯)・ べッ! べッ! とヘラか何かで乱暴にジャムを叩きつけたのであろうスライスパン(大量もあり少なめもあり仕上がり色々 (あれパン乾いちゃってバサバサなんだろうなあ、でも命に染みる美味しさなんだろうなあ))、なのに攻撃されてやっぱり沈む船(引き上げ兵乗船時には志願して乗り込んだのであろう女性たちが案内していた。だが沈んだ船から泳ぎ離脱できたのは運に恵まれ強健な肉体を持った男性兵士のみ。いやあのドレスじゃね…)、死の顎門から救われ本土を踏み故郷への帰還叶った兵士の、銃後の同胞民衆からの批判への恐怖、その弱さ。まあ当然プラスされる暖かい救い。
リアルで楽しい。
今ひとつハマらず、
感情移入が難しい
敵の攻撃から命からがら逃げ出した若い英国軍人と途中から担架を一緒に担ぐ者。冒頭のいくつかのシークエンスでこの2人が主人公なのだろうとあたりをつけますが(うち一名は違ったようですが、映画進行上の重要な役割があります)、とにかくセリフが少なく人物像の掘り下げもされないので、意味がよく分からないまま尺は進んでいきます。後世に残る30万人とも40万人とも言われる軍隊の一大脱出作戦(ダイナモ作戦)です。とてもじゃないですが全容は撮れませんのでいくつかの切り口から状況が見えてきます。
映像は素晴らしい出来だと思いますが、群像劇かつ、あちこちで発生する戦闘や爆発で物語の流れが分かりにくいうえ、各エピソードも単発なのでこれといった見どころもない。スピットファイアの大活躍は爽快ですが、燃料切れのはずなのに敵機を撃ち落とせたり、降着装置が故障してもご都合主義で不時着できたり、はしけ船に隠れた一団が敵の銃撃を受けますが弾痕を見るかぎり海側から撃ってきてたり、いろいろ白ける演出が目白押しです。欧州戦線に興味のある人は面白く視聴できると思いますが、不案内な者は傍観者として観るしかないので今ひとつというところで星3
戦争悲惨だよねってお話。 史実を基にしているとのことでドラマティッ...
戦争悲惨だよねってお話。
史実を基にしているとのことでドラマティックな演出や感動的な展開は無い。
ただ過酷な状況から逃げるだけ。
ほとんど台詞が無く緊迫した雰囲気は伝わるが、当時の戦況とか軍事に詳しくないのでなんの思い入れも無く淡々と観終わった。
たぶん二度と観ないであろう作品。さようなら。
「死んでるぞ」
ノーラン作品ぜんぶ見てみようの会
この作品も含めて、みたことがないのは
プレステージ
バットマン・ビギンズ
メメント
くらい?
まだあるのかもだけど
緊迫感が半端じゃない。
救う救わないの話じゃない。
ひとが死んでいく。どんどん死んでいく。
この時代を生きていた人々と
いまの時代を生きる人々が、同じ種であると思えない。
「あっ、」「あっ、」と驚き続けたさきに待っているのは、、、、、
頭を打った少年があっけなさすぎました。「死んでるぞ」って…
「やっと帰れる」
「陸を見たいんだ」
戦争なんてしないでほしい。お願いだから。
でもだからって、そこに生きた人々を否定してはならない。
今年こそ、平和への祈りを込めて。 生きるもの、死ぬもの、それは紙一...
生き残ることへの執念が三つの時系列を束ねて芸術性へと昇華されている...
本質論よりも先に方法論から入る手法には…
以前観た時は随分と戸惑った。
3つの異なる時間幅での構成の作品との
事前情報を知らないで観たので、
1W・1日・1時間という3つの時間軸を
交互に描く構成に、
正直なところ全く訳が分からなかった。
この奇をてらったような構成の狙いは
果たして何なのだろうか、
物語の本質に対して意味があり
成功しているものなのだろうか、
との観点でTV放映を機に改めて観てみた。
また、ネットの作品紹介では
“圧倒的な迫力とリアリティで描いた…”
とあったが、
私には真逆な印象の作品。
かつてのような大作映画の製作が難しい
時代であることは理解出来るが、
今どきのようなCG処理も無かったようで、
かつての「史上最大の作戦」をはじめとする
大作を懐かしく思い出すばかりで、
迫力感とリアリティ感は全く受けなかった。
また、冒頭から、
色々と気になる点ばかりが目に付き、
浜で大勢の待機している兵士のすぐ近くで
ドイツ軍に銃撃される状況なんか
あり得るのか?
爆撃機数以上の爆裂数なんて変では?
演出として時間の全く異なるシーンに
同じ音楽をまたいでかぶせる?
等々、冒頭から乗り切れない鑑賞になって
しまった。
また、この作品の主役は
“戦争そのもの”だったせいかもしれないが、
その手段としての人物のウエイトが分散
してしまった上に、それぞれが希薄なために、
各登場人物へ感情移入出来なかったのも、
この作品に乗れなかった原因かも知れない。
キネマ旬報ベストテンでは、
第1位「わたしは、ダニエル・ブレイク」
第6位「沈黙-サイレンス-」
第10位「ラ・ラ・ランド」が上位を占める中、
第4位の高評価なので、
世間的には成功しているのだろうが、
3つの異なる時間幅の構成も、
私には「1917 命をかけた伝令」と同じような、
やはり興行的な方法論的手法にしか
感じられなく、特殊な方法論に基づく本質性
は見えてこなかった。
例えば、ミュージカルという奇天烈な手法
を使って戦争の悲惨さを見事に描いた
名作「素晴らしき戦争」に比べ、
同じ冒険的な手法ながらも、
その“意味性”を感じられない。
本質論よりも先に手法論から入る
昨今の映画製作の手法には
少し違和感を感じるばかりであるが、
残念ながらこの作品もその一つの
象徴的な作品に感じるばかりだった。
なんだこりゃ?
故国へ連れ帰れ! 〜 ダンケルクからの救出
1940年の第二次世界大戦、ドイツ軍に包囲され、フランス北部のダンケルク海岸に追い詰められた英仏連合軍兵士33万5千名を救出した「 ダイナモ作戦 」を、ダンケルク海岸・海上・空、それぞれの兵士達の視点から捉えた作品。
未だ若きイギリス陸軍兵士トミー( フィオン・ホワイトヘッド )、民間の徴用船船主ドーソン( マーク・ライランス )、戦闘機スピットファイアを操る英国空軍パイロット、ファリア( トム・ハーディー )とコリンズ( ジャック・ロウデン )、何度も攻撃を受ける桟橋で乗船の指示を出す英国海軍中佐ボルトン( ケネス・ブラナー )。
ドイツ軍からの爆撃を受け撃沈する艦艇。生存をかけ海へと身を投じる兵士達。
極限状態での兵士達の孤独な戦いを、臨場感溢れた映像でクリストファー・ノーラン監督が描く。
ー 我々は決して降伏などしない
ー ダンケルクスピリット
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
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