三國連太郎さん十三回忌、縁のある俳優たちが心温まるスピーチ 佐藤浩市・寛一郎が感謝「雲の上で聞いてくれていたと思う」
2025年4月15日 13:00

俳優・三國連太郎さんが90歳で亡くなったのが、2013年4月14日。丸12年の月日が流れた今年4月14日、生前撮影でも縁の深かった角川大映スタジオにて「三國連太郎 十三回忌」が行われた。

三國さんが活躍されていた当時の撮影現場の空気を感じられる角川大映スタジオに、生前に縁のあった俳優や関係者、総勢400名が集って行われた「三國連太郎 十三回忌」。会場内のスクリーン左手には、三國さんが活躍されていた時代の映画撮影現場のオブジェを印象的にレイアウト。美術監督・原田満生のデザインで、三國さんの私物のトレンチコート、帽子、バッグ、劇用指輪、葉巻パイプ、杖、撮影監督・木村大作の私物であるフィルムカメラ(ARRI 2C 35mmカメラ)が、照明機材や脚立と共に展示された。


会場後方には、特殊メイクの江川悦子作成の生前の三國さん、佐藤浩市、寛一郎の“親子三代のデスマスク”も展示。 司会は笠井信輔が務め、三國さんとのエピソードを振り返りながら開式。三國さん85歳当時のインタビュー映像が流れた後、佐藤家を代表して佐藤浩市の挨拶、その後、三國さんと縁の深かった来場ゲストによる心温まるスピーチが続いた。

会場限定での三國さんの活躍を振り返る映像が随所に流されながら、最後に、佐藤浩市・寛一郎からの挨拶により会が締め括られた。来場者一同の心に三國さんとの思い出が改めて甦るような和やかな会となった。

各挨拶、スピーチ内容は以下の通り。

●佐藤浩市/冒頭挨拶
今日は有難うございます。三國連太郎にはスタジオが似合うと思い、この撮影スタジオで執り行わせて頂きます。本日は最後まで三國の話をして盛り上げて、皆さんの楽しい笑い声を雲の上の三國に届けたいと思います。映画の創り方も変わってきましたが、三國がいた昭和・平成の時代の映画の話を含めて楽しい話を聞かせてください。今日はよろしくお願い致します。
●寛一郎/冒頭コメント
(小さい頃の思い出や印象を聞かれて)三國と親父の会話の独特の緊張感を覚えています。自分が軽々しく言えない存在ですが、尊敬する好きな俳優の1人です。
【ゲストによるスピーチ】

小林薫:この3人でよく飲みに行っていました。三國家を訪ねるツアーをして、三國さんはお酒は飲まないけどいつも本当に楽しそうにしていました。三船(敏郎)さん主演・近藤勇役を演じた「新選組」では、芹沢鴨役の三國さんが人間の業を圧倒的に出されて、主演の三船さんを上回るお芝居で負けず嫌いな姿を見せてくださいました。
渡辺えり:1988年の舞台「ドレッサー」で夫婦役で共演したときからの縁で、稽古初日に三國さんの台本が真っ黒で、600回台本読んで来られたと聞き驚きました。奥深く豊かな人柄に虜になってしまい、自分も引越して近所になって頻繁に飲むようになりました。

浅田美代子:14本共演した「釣りバカ日誌」は、途中参加だったけれど、温かく迎えてくれました。三國さんは普段は楽しい人でしたが、脚本は書き込みがすごくて、西田さんと喧々諤々議論が続き、撮影出来なかった日もありました。「息子」では父と娘の役柄を演じました。メイク室で、役柄にあわせて、爪のなかに汚しをいれて(役作りをして)いるのを見て、驚いた思い出があります。
吉岡秀隆:釣りバカ12のみの共演で、スタッフと勘違いされているのか中々覚えてもらえなかったんです(笑)。(※当時寅さんと釣りバカがセット上映だったことから)寅さんのことをA面と呼んで、寅さんに出ている自分のことを見ると「あ、A面の人がいる」とよく茶化していました(笑)。三國さんと西田さん、二人とても仲良いのがとても羨ましく思っていました。
朝原雄三監督:助監督として参加した「息子」では、衣裳あわせで、「この衣裳は頑として着たくない」と主張され、「大変な人だな」という印象でした。ただ真摯に向き合っていると、真摯に返して下さる方でもありました。監督として「釣りバカ日誌」でご一緒した折は、いつも三國さんがとんでもないことを言い始め、浅田美代子さんがそれにびっくりして、西田敏行さんが取りなす、という関係性でした。三國さんが「釣りバカ日誌」に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから、という思いだったのだと。毎作、「新しいお芝居のやり方でやりたい」とおっしゃって撮影に臨んでいらっしゃいました。

永瀬正敏:映画「息子」で共演させていただきました。とても良くして頂いていっぱい話してくださいました。役や映画についての話ではなく、自分の出身地を調べて話しかけて下さったり、見せてくれた後ろ姿もすべて勉強になりました。
羽田美智子:「美味しんぼ」親子共演にご一緒しましたが、私には当時言われていた親子の確執的なものはわかりませんでした。三國さんが、「ウチは普通の家とは違うので、(息子に対して)不憫なこともあったと思う」とおっしゃったり、見えないところで浩市さんの芝居を確認されたりするのを見て、緊張感はあれども愛し合っている親子にしかうつりませんでした。

石橋蓮司:三十歳ぐらい差があって、三國さんはスターで日常的な会話はほとんどした記憶がありませんでした。映画の撮影の際、三國さんと監督が議論になって夜が空け、二人の意見が一致しなかったことで撮影がなくなったこともあり、俳優として自分の意見を言って良いんだということを勉強させて頂きました。また、僕は三國さんとのエピソードは多くありませんが、三國さん・佐藤浩市さん・寛一郎さん、親子3代に渡って共演させて頂きました。
北大路欣也:急遽キャスト変更があった作品で、三國さんが稽古場に来て助けてくださったことを思い出します。本当に救いの神で、静かに現場を盛り上げてくださった。一方で役柄からセットで会うのも怖かった作品もあったり、「八甲田山」の撮影では、絶対に納得がいかないとOKが出ないこともありました。それでも40日間の過酷な雪山撮影で三國さんは文句を言わず、役者魂をぶつけられたような気がします。

佐藤浩市:これだけの方々が来て下さって昨日のことのように三國の話をして下さる。雲の上で聞いてくれていたと思います。今日の会で一生懸命手伝って下さったスタッフの皆様、本当に有難うございました。僕が言う事はもうありません。本当に今日は有難うございました。
寛一郎:本当に皆さんの話を聞くとエゴイストでクレバーな方だなと思いました。三國さんは芝居の中・映画の中でしか正直でいれなかったのかなと感じています。僕は三國さんの想いを受けてアクターにもスターにもならず、このまま邁進していきたいと思います。最後に一つ言えることは三國さんに恥ずかしくない作品を残していければと思います。今日は有難うございました。
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