【二村ヒトシコラム】恐ろしく面白い三角関係「あちらにいる鬼」と「全身小説家」
2022年11月15日 18:00
作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、作家・井上荒野が自身の父である作家の井上光晴と母、そして瀬戸内寂聴をモデルに男女3人の特別な関係をつづった同名小説を、寺島しのぶと豊川悦司の主演で廣木隆一監督が映画化した「あちらにいる鬼」、そして、原一男監督による井上光晴のドキュメンタリー「全身小説家」。三角関係の中心となった、作家の“モテ”について分析します。
「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」という童歌(わらべうた)がありますよね。こんな恐ろしい歌を手を叩いて鳴らしながら歌う人は、いったい何がしたいのか。鬼を舐めてるのかな。逃げられると思っているのか。せっかく「あちら」にいた鬼をわざわざ自分で「こちら」に呼び寄せて、鬼に食われてしまいたいのでしょうか。
江戸時代や明治大正昭和くらいまでのお金持ちの男性には、奥さんの他に決まった愛人がいる人が多かったそうです。現代のモテる既婚不倫男性の愛人は普通に仕事もしていて家賃は自分で払っているのでしょうが、その時代の愛人は「お妾(めかけ)さん」といって、愛人であることが職業ですから、生活費も家賃も全額、旦那が払うのです(現代のプロ愛人の人と昔のお妾さんはどう違うのかという話は「あちらにいる鬼」とあまり関係ないので、ここではやめときます)。そういう昔のことを描いた小説だったか昔の映画だったかで、奥様がお屋敷の使用人に「今日は旦那様は、あちらにお泊まりになるから」的なことを言っていました。
「どこか」ではなく「あちら」です。つまり「ここ」ではないけれども「どこなのかは知っている」という意味です。その頃の奥様の中には、お妾さんに毎年お中元やお歳暮を贈っていた人もいたそうです。
映画「あちらにいる鬼」の主人公の一人は寺島しのぶが演じる、売れっ子小説家・長内みはる。彼女は不倫を清算するため仏門に入って尼僧になります(カツラではなく、寺島さん劇中でガチで剃髪しています。気合い入ってる!)。我々が「あー、これは瀬戸内寂聴がモデルだな」などと邪推しなくても映画のホームページにモデルは寂聴さん(出家前のペンネーム=本名は瀬戸内晴美)だと、ばっちり書いてあります。
みはるの不倫相手・白木篤郎(豊川悦司)のモデルは昭和の大作家・井上光晴で、映画のもう一人の主人公は篤郎の妻・笙子(広末涼子)。みはると篤郎が出会った昭和40年代から、篤郎が癌で死ぬ直前まで(井上光晴の没年は平成4年)の物語です。井上光晴は文学的な評価が高い著名な人ですが、自分はプロレタリアつまり左翼の作家であるという矜持があって、お金持ちっぽい家に住んでるとかっこわるいと意識してたのでしょうか。映画の中でみはると出会った頃、篤郎は笙子と娘と自分の母(丘みつ子)と団地に住んでいます。
みはるは自分の文筆で大いに稼いでいたわけですから「お妾さん」ではありません。今ふうの婚外恋愛の「恋人」の、言ってみれば先駆けです。みはるは一軒家で若い男(高良健吾)と暮らしていましたが、篤郎と関係するようになってやがてその男を捨てます。
みはるにとっての「あちら」とは「篤郎の家庭」のことでしょうし、笙子にとっては「みはるが篤郎と会うために借りたマンション」のことでしょう。では「あちらにいる鬼」の「鬼」とは誰のことでしょうか?
みはるが篤郎にとって(そして井上光晴にとっての瀬戸内晴美も)今の言葉で言う「おもしれー女」だったのはまちがいありませんが、篤郎はみはる以外にも自分のファンの女性たちにもどんどん手を出し、ばんばんセックスします。家に帰ると笙子ともセックスします。篤郎は「一人では寝られない男」なのだそうです。そして笙子も、ただ我慢づよく物わかりのいい妻だったわけではなく(めちゃめちゃ我慢づよい女性だったことも間違いありませんが)やはり篤郎にとって、おもしれー女だったのでしょう。
今インターネットの辞書で調べたところ「おもしれー女」とは本来はヤリチンのイケメンが自分に簡単にはなびかない手強い女性に対して抱く感慨だそうですが、そうすると映画を見る限り、みはるも笙子も篤郎にとって、ちょろい女だとも言えるのかもしれません。しかし篤郎は晩年まで、みはるに対しても笙子に対しても関心を失わなかったようにも描かれています。みはるは数年間にわたる不倫交際の末、篤郎と男女の関係でなくなるために出家し、尼僧作家となった後も二人の交流は続きました。笙子も最後まで篤郎と離婚しませんでした。
男性にだって、ある女性から見たらおもしれー男もいればつまらん男も、ちょろい男も手強い男もいるでしょうし、同性愛でもそうでしょうし、ちょろかったけれどつきあってるうちに面白くなって長く続く相手もいるのでしょう。
しかし自分で書いててなんですが、この「おもしれー」という概念、ひどい上から目線ですね。好きじゃない相手から「おもしれー女だな」とか「おもしれー男だな」とか勝手に言われたら腹がたつでしょう。でも「私の本質や心の奥の孤独を本当にわかってくれる人は、なかなかいない」という自意識の持ち主が、内心では興味を持っていたけれどそれがバレると困るからツン的に対応していた相手から言われたら「この人は私を(俺を)わかってくれる人なのかも」と感じてデレッてしまうのかもしれませんね。
おたがい完全にセックスだけが目的とか、あるいは完全に相思相愛であれば、どちらかがどちらかを上から評価するような関係でなく、おたがいが対等に相手を「面白い」と思えるのでしょうか。
映画「あちらにいる鬼」を観たら、もう一本ぜひ観るべき映画があります。晩年の本物の井上光晴に密着したドキュメンタリー映画「全身小説家」です。監督は「ゆきゆきて神軍」の原一男ですから容赦ありません。井上光晴の奥さんも本物の瀬戸内寂聴も登場するどころか、井上光晴がかつてセックスしたりしなかったりしたであろう光晴ファンの女性たちもたくさん登場して、全員「井上先生はステキな男性でした、私はメロメロでした」と異口同音に述べるのです。
そんな井上光晴が、豊川悦司のようなエロいイケオジだったのかというと、「全身小説家」で動いてる実物を観てもネットで検索して若いころの写真を見ても、そんなことありません。ふつうのおじさんです(豊川さんも篤郎をかっこいいだけのモテおじさんとしては演じていません。お風呂でもセックスのときも絶対メガネをかけたままとか、個人的に笑えるポイントがいっぱいありました)。
「あちらにいる鬼」でも「全身小説家」でも語られていますが、大作家・井上光晴(と、彼をモデルにした架空の作家・白木篤郎)は、嘘つきでした。少年期の思い出や親族、作家になる以前の自分の経歴について、とにかく話を盛る人だったようです。彼は自分のことが、というより自分で作った自分自身のイメージが、大好きな男だったのでしょう。だから自分のことを好きになってくれる女性なら誰でも大好きだったのかもしれません。自分のことを好きになってくれそうな女性なら誰にでも「あんたは、おもしろい人だね」的な口説きかたをしていたのでしょうか。
自分で作った自分のイメージが大好きな男が(あるいは本当に素直に自分自身を大好きな男が)他人を惹きこむ話術があったり芸術の才能に恵まれていたりすると、そういう男はこういうふうにモテるのでしょう。あまりお薦めしたいモテかたではないし、そもそも真似しようとして真似できるモテかたでもないですが。
鬼というのは魅力的な人でなしのことでしょうか。恋愛依存症の男女のことでしょうか。相手のことを面白がっているようで結局自分にしか興味がなく、相手の気持ちがわからない人のことでしょうか。鬼ではなく人間だったら、もっと真面目に恋愛や結婚ができるのでしょうか。おもしれーと思って手を出した相手との関係が恐ろしい事態になってしまうことがありえるのは何故なのでしょうか。
「あちらにいる鬼」の原作である同タイトルの小説を書いたのは井上光晴の娘である直木賞作家の井上荒野さんで、荒野(あれの)というのはご本名なんだそうです。荒野さんは寂聴さんとも仲良しで、娘として幼少期からお母さんとお父さんの関係を見てきただけでなく、亡くなる前の寂聴さん本人にもお父さんと不倫してた当時の気持ちをたっぷり取材して長篇小説「あちらにいる鬼」を執筆されたそうです。
原作も恐ろしいし面白いし、映画版も「この3人しか、いないだろう」と思えるキャスティングで恐ろしくて面白かったし、「全身小説家」も恐ろしいし面白い映画です。
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