広瀬すず、23歳のリアル 感性で繋がった「痛み」と「救い」
2022年5月1日 11:00
李相日監督が2020年本屋大賞を受賞した、凪良ゆう氏の小説「流浪の月」を映画化すると聞き、意外な印象を覚えた映画ファンは少なくないのではないだろうか。だが、吉田修一氏の原作を映画化した「悪人」「怒り」、ハリウッド映画の金字塔をリメイクした「許されざる者」など、李監督が一貫して痛みや苦しみに耐えてきた人に訪れる救いを見出してきたことを鑑みれば、それも合点がいく。そして今作で、「痛み」と「救い」を一身に受け止め、共に歩むべき“戦友”として指名したのは、広瀬すずと松坂桃李だった。映画.comでは、ふたりにロングインタビューを敢行。前編として、広瀬編をお届けする。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)
広瀬にとっては、「怒り」で小宮山泉を演じて以来となる李組。今回は主人公の家内更紗という難役に挑むことになったわけだが、広瀬について李監督は「この映画でまだ眠っていたものがこぼれ出てくる。本人すら気づかなかった何かが見えてくると常に期待感を抱かせてくれる存在」と話している。その一方で、広瀬はどのような役割を求めて呼ばれたと解釈したのだろうか。
「分からないんです。撮影に入る前に『いま出来るか分からないです。どうしたらいいか分からないです』と相談をしたら、李さんからも『それじゃあ、この映画はダメだね』と言われました。そんな状態でクランクインしたので、絶対に後悔しているだろうな……と思っていたら、クランクアップの時に何も言っていないのに『後悔は1度もしていないからね』っておっしゃってくださいました。李さんの作品に声をかけてもらえることはとても嬉しいのですが、演じ切ったぞ! みたいな境地に辿り着けた実感がないだけに、いまだに私に更紗という役をくださったことが意外だと思う気持ちが、リアルなところかもしれません」
それほどの覚悟を要するほどに、今回の更紗という役が難解なものだと本編を観れば誰もが納得する。物語は夕方の公園、雨に濡れた10歳の更紗に19歳の大学生・佐伯文が傘をさしかけるところから始まる。
引き取られている伯母の家に帰りたがらない更紗の意を汲み、部屋に連れ帰った文のもとで更紗はそれから2カ月を過ごすことになるが、やがて文は誘拐罪で逮捕されてしまう。それから15年後――。いつまでも消えない「傷物にされた被害女児」と「加害者」という烙印を背負ったまま、ふたりは再会を果たす。
広瀬には、「怒り」で李監督の期待に応えきれなかったという苦い記憶がある。それだけに、「どうしたらいいか分からない」状態であっても試行錯誤を繰り返しながら、更紗という人物に対する理解を深めていった。
「更紗は普通に生きようとしているし、実際にバイト生活をおくりながら亮くん(横浜流星)みたいな人とも出会っている。違う人生が始まるかもしれない……、くらいの溶け込み方が出来る人だからこそ、実際はどういう人なんだろう? どういう動機で行動に移すんだろう? と考えたときに、ひとつひとつに理由があるのではなくて、更紗が持つ独特の感性、ものの見方が大きいのかもしれない。そして究極的なことですが、心の中だけでも文を思い続けていたら、生かし続けていたら意外と更紗になれるのかもって感じました」
劇中でも、腫れ物扱いされることにどこか達観した面持ちを浮かべながら「なんでも慣れた方が楽ですよ」と、さらっと言ってのける。世間の偏見、抑圧と隣り合わせで生きてきたからこそ、自分の感情を抑え込むことに慣れている。脚本を繰り返し読み、更紗と同化しようと七転八倒するうちに、「一緒にいないけれど文の存在だけを心の支えにすれば、生きる道しるべとして進めるんじゃないかと妙に腑に落ちたんですよね」という境地に至った。
コロナ禍で原作を読んだ李監督は、更紗と文の「自分たちにはこの人さえいればいい」という到達の仕方に不思議な清々しさを感じたという。だがその一方で、原作とは異なり映画では大人になった更紗を主軸に描くと決めたときに、ふたりが共に過ごした時間、文という人間の実像を本筋とは別のところで立ち上げるのに困難を強いられたようだ。それは、広瀬も現場で目の当たりにした光景でもあった。
「更紗は独特な感性で生きているから、答えが分かり難くて……。今回は李さんもすごく考えていらして、現場が止まる瞬間もありました。このふたりについて全て知るということは、第三者からはとても難しいことなんだと感じました。私は更紗として文と経験したからこそ感じる事ができましたが、それでも知るまでにすごく時間がかかった。どう生き抜いたかはもはや分からないですが、やはり文がいてくれたからじゃないかな。一番の光というか、桃李さんの姿をずっとどこか頭の片隅に置きながら、毎日過ごしていました」
そんな松坂とは、成島出監督作「いのちの停車場」での共演に続くタッグとなった。同作では、ふたりがラーメン屋で話し合うくだりなど、真正面から対峙するシーンが多かったが、今作の現場では役が役だけにどのような対話で関係性を構築していったのか、興味は尽きない。
「役については、あまり話さなかったですね。実は、本編ではカットされているシーンがあるんです。文と更紗がそこに至るまでに気持ちも何もかも脱ぎ捨てて……というシーンを撮る朝、李さんが現場に来てから『それをやらないとダメな気がする』とおっしゃって、3時間くらい桃李さんとふたりきりになれる時間をもらったんです。その時の私たちには『魂と魂が…』という表現の仕方しか出来ないのですが、とにかく一緒に過ごしてから本番に入りました。そのおかげもあってか、撮影もスムーズに進んで、文に対する見え方も一気に変わって、年齢も離れているのに愛おしいに近い感覚。本当に何とも言えない感覚なんですが、役とは関係のないところで私と桃李さんのあいだで信頼関係が作れたことがすごく大きかったんだと思います。特別な話をしたわけじゃないんです。家族の話や、ふだん現場で話さないような内容とか、互いを知るという時間を得られたことが大きかったですね」
ふたりの関係性がどのように構築されていったのかを知ったうえで観直すと、さらに作品の深部まで到達することが出来るはずだ。バイト仲間の安西(趣里)に連れられて訪れたカフェ「calico」で、修行僧のように淡々とマスターを務める文から発せられた「いらっしゃいませ」。15年ぶりにその声を聞いた更紗の衝撃を、広瀬は背中の演技だけで体現している。
今作は世間の枠からはみ出てしまったふたりの姿を描いているだけに、誰もが共感できる物語ではないかもしれない。だからこそ、この切ない役どころに息吹を注いでみせた広瀬と松坂の芝居には、瞬きすることすら忘れさせる説得力が宿っている。広瀬に、松坂にいま何を伝えたいか聞いてみた。
「文、ありがとう……ですよ。更紗を生き抜くには桃李さん、文が私にとって唯一の光。うーん、ありがとうでもないのか……。文は特別過ぎて言う事がないです。桃李さんには、現場で過ごす私にとっての希望であると、疑いもなく受け入れられるほど心の支えになってくださいました。役者として、先輩としてリスペクトしかないので、また共演できるように頑張ります! としか言えないかもしれません」
筆者が本編を鑑賞し終えた時に湧き出てきたのは、「ふたりとも自己ベストを更新してみせたトップアスリートのような芝居だったな」ということ。役者を続けていれば、必ずプロフィールにピックアップされる代表作なるものが否が応でもつきまとう。だが、その時、その年齢でしか表現できないアプローチがあるわけで、様々な作品で培った経験を肥やしに更なる高みを目指して次の現場へ向かっているはずだ。ふたりに対しては、忖度することなく「これまででベストパフォーマンス」と伝えた。広瀬にとっては、俳優としてデビューした2013年から9年分の蓄積を、23歳のリアルとして惜しみなく解き放ったことがうかがえる。
「『海街diary』や『ちはやふる』は確かにあの瞬間にしか撮れなかったと自分でも思います。今回の現場では、この年齢になったからこそ出来る表現の仕方が増えたなという実感は確かにありました。その中で、更紗は10年経っても演じられると思います。ちょっと大人っぽく見えるとは思いますが、これからの10年間で体得するわたしの人生経験が加わるだけで、やろうと思えば出来そうだと。自分の経験が増えていくごとに、どの作品に対しても『今しか残せなかった』『今だから撮れた』というのが分かるようになってきていたので、そんな風に言ってもらえてとてもありがたいです」
ふたりのベストパフォーマンスの一助となったのは、紛れもなく李監督の演出によるものだろう。そこには、感性で繋がっていると形容するほかない世界が広がっていた。
「李さんって、わたしにだけ伝え方がニュアンスなんです(笑)。皮膚に染み込むような感性、感覚を言葉で伝えてくれるので、それがニュアンス過ぎて分からない時は本当に分からなくて……。『もっと滞りを良くして』『うん、その方向性でもっと滞りを良く』って言われることがありました。最初は『ん?』って思ったのですが、やっていくうちにニュアンスだけ拾えるようになってきて……。あとは、『李さんには絶対に伝わっているから、読み取ってくれるはず!』って。それで、『10回やったけど4テイク目がいいね』『私はあの時こう思って、感情が一番動きました』『うん、そうだよね』みたいな会話が出来るようになりました」
それでも、「毎日が山場みたい」な現場で更紗として生きてきたため、いまだに完成した作品を客観的には観られないという。「シーンごとに感情の頂点を目指して試行錯誤してきましたが、不安しかなかったから本編を観て編集の凄さに感動しました。ただ、『怒り』の時もそうですけど、やはり自分のところは感情がよみがえってきちゃうから客観的に観ることは出来ないんです。毎日が山場みたいなエネルギーの削り方をしていましたから……」。
初号試写を鑑賞後は、「編集の凄さに感動はしたけれど、客観的には観られないから逃げるように帰った」という。李監督からは「何かあった?」とすぐに連絡が届いたそうだが、「大丈夫です。何もありません」と折り返したと明かす。
「李さんから『あなたの“大丈夫”の言い方は、何か違うのが分かる』と言われて(苦笑)。文が更紗に言った『更紗は更紗だけのものだ』という言葉をそのまま、すずに言ってあげたいよとおっしゃってくれました。李さんには、いつもの李さんでいて欲しい。自分を奮い立たせてくれる存在でもあるから、感覚がリセットされるんですよ。こうして取材を受けるようになって、『李さんがこんな事を言ってたよ』と教えてもらうんですが、その度に『本当ですか?』と聞き返しています。嘘でも嬉しいなという気持ちもあるんですけどね(笑)」
ここまでの話からも、李監督は広瀬の良き理解者であり、揺るがない信頼関係が構築されていることがうかがえる。「怒り」の撮影が始まった2015年夏から、7年近くが経過したことになる。広瀬は、現在に至るまで李監督とどのような心の対話を続けてきたのだろうか。
「李さんの人に対する観察の仕方、ロマンチストな部分は個人的にすごく興味深くて、好きなんです。だからこそ参加したい、またご一緒したいと思わせてくれる監督なんでしょうね。全員とそうなれるわけではない関係性で繋がれているから、問答無用で信用しているし、お仕事に関係のないことでも正解を知っていそう。李さんからも言われたことがありますが、『自分とすずの信頼関係がなかったら、誰がどこに付いて行くの?』って。そんな風に思ってもらえて、そういう会話が出来るだけでもありがたいことですよね。抽象的になってしまいますが、文みたいなんですよ。それを言葉にしようとすると、途端に分からなくなっちゃうんですが……。映画を観てください。そこに映っているものが、それですって感じです」
撮影期間は実に2カ月半に及んだ「流浪の月」で描かれている物語は、決して綺麗ごとばかりではなく、理解できない人がいても不思議ではない。本記事中盤で広瀬と松坂の「ベストパフォーマンス」と記述したが、李相日という映像作家のキャリアにとっても、紛れもなく「ベストパフォーマンス」であったことを最後に記載しておく。
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執筆者紹介
大塚史貴 (おおつか・ふみたか)
映画.com副編集長。1976年生まれ、神奈川県出身。出版社やハリウッドのエンタメ業界紙の日本版「Variety Japan」を経て、2009年から映画.com編集部に所属。規模の大小を問わず、数多くの邦画作品の撮影現場を取材し、日本映画プロフェッショナル大賞選考委員を務める。
Twitter:@com56362672
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