死刑になった夫は冤罪だった… 「白い牛のバラッド」衝撃の本編映像&著名人コメント
2022年1月27日 14:00
第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された「白い牛のバラッド」の本編映像の一部が披露された。死刑で夫を亡くした主人公のミナが、夫が冤罪であったことを知る衝撃の場面を収めている。
愛する夫を死刑で失い、ろうあの娘を育てながら必死で生活するシングルマザーのミナ(マリヤム・モガッダム)。1年後に突然、夫の無実が明かされ深い悲しみに襲われる。賠償金よりも判事に謝罪を求める彼女の前に、夫の友人を名乗る男レザ(アリレザ・サニファル)が現れる。ミナは親切な彼に心を開き、3人は家族のように親密な関係を育んでいくが、2人を結びつける“ある秘密”には気づいていなかった。
披露された映像は、ミナが裁判所の男から夫の死刑は誤りだった告げられるシーンを収めている。「遺族に2億7千万トマン(日本円で約7380万円)が賠償金として支払われます」と告げられたミナは、ただ茫然とすることしかできない。そして、事実を把握した後、ミナが泣き叫ぶ姿で映像は終わる。
主演であり、ベタシュ・サナイハと共に監督も務めたモガッダムは、ミナという複雑なキャラクターを演じたことについて、「性格は私自身とはまるで違いますが、彼女の葛藤や自尊心は理解できますし、悲しみにも共感します。彼女はイラン映画によく見られる典型的な弱い女性ではなく、弱さと強さを併せ持った女性です」と語っている。
あわせて、本作を鑑賞した著名人10人からのコメントが披露された。「菊とギロチン」「友罪」で死刑を描いてきた瀬々敬久監督、「ゆれる」「すばらしき世界」など人間の罪に切り込んだ作品を多く手がける西川美和監督、死刑制度についての本を多数出版する森達也監督らが本作に感想を寄せている。
「白い牛のバラッド」は2月18日から、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開。
それが神のご意志だと、運命だと言われて
受け入れることなどできようか
彼女が紅を引く時の強い瞳が
涙を流しながらも決して目を逸らさないその眼差しが
ずっと頭から離れない
イングマール・ベルイマンの「処女の泉」を思い出した。
「神」の名の下に、罪悪感や世の理不尽さから目を逸らそうとする人々。
それは「神」に限らず、「国民感情」や「多数決」でも同じことか。
「ひと言でいい、謝って欲しかった」冤罪を晴らしても謝罪しない司法に、免田事件の免田栄さんはそう言った。誤りや不正があっても無かった事にするこの国。イランはまだマシなのか…?「裁き」の重みと「赦し」の難しさを考えた。
これは、「白い牛(冤罪で殺された夫)」をめぐるイラン人女性ミナの話。
冤罪のリスクを認めず、死刑を「やむをえない」と8割が認めてしまう日本の私達に、はたして「白い牛(生贄)」は見えるのだろうか。
死刑制度を容認する人にも、反対する側の人間にも、今までそういうことを考えてこなかった人々にも、等しく響いてくる映画だ。悲劇でありながら、悲しいと叫ぶことでは済まされない現実、それが突き刺さってくる。
「神」に頼りながら尊厳を潰す仕組みが悔しい。
人を社会の隅っこに追いやる力にどうやったら抗えるのか。
未亡人になれば家も借りられず、世間から冷たい視線を浴びるイランの女性たちの厳しい現実にショックを受けた。刑務所の壁に囲まれた白い牛のイメージは、冤罪で死刑となった夫だけでなく、社会の囚われの身である女性たちでもあると思えた。そんな限られた自由のなかで、贖罪を誓った男に対して或る行動をとったミナの、決然として複雑な意思の光に息を呑む。
全ての光を失っていた主人公が、男の受難を助けようと奔走する時の輝きが感動的だった。人が救われるのは、人を助けられるときだけなのかも、と思った。宗教や文化のあつれきの中でもがきながら、やむにやまれぬ人の繋がりと赦しを丹念に描いた素晴らしいドラマだった。イランの演じ手たちの演技の確かさにも息を飲んだ。無駄や虚飾がなく、それでも観る者の心の真ん中をストンと射てくる。色々反省させられました。
死刑大国イランで起きた冤罪による死刑執行。その結果として多くの人たちの人生が狂わされる。先進国では例外的な死刑存置国の日本に暮らす僕たちにとって、この事件は決して他人事ではない。ラストは思わず声が出た。そしてもう一つ。女性の映画でもある。
理不尽な目に遭ったとき、人はどういう道に進めばいいのだろう。「法律内のことだから」「神の思し召しだから」と納得すべきなのか?特に女性に対しては「お金をもらい、優しくされたあとは、相手を許すべきだ」という空気が流れがちだが……。ミナは、自分の道を選んだ。