■参加メンバー
若菜めいさん(高校1年生)、根市すずかさん(高校2年生)、須藤はるかさん(高校3年生)、松田琉伽さん(大学1年生)、中田結月さん(大学2年生)、
大西隼さん(進行/本作プロデューサー)
――まずは映画を見た感想は?
中田 主人公の花田花梨の絶妙なウザさの演技がすごく上手。あそこまで振り切ってはないけど、私の同級生でもああいう子、いるいるって共感しました。あとは、なぜか花梨のお父さんの気持ちになっちゃって、娘に愛情はあるけど、どうにもできなくて大変そうだな……と思ってしまいました。
松田 見る人の年齢で感じ方が変わる映画だと思いました。自分が良いと思ってやっていることが、ほかの年代の人からしたら違ったり、そういうすれ違いが見ていてつらかったです。あとは、花梨のお父さんを見ていて、自分の家族をもう少し大事にしたいなって思いました。
根市 私が1番印象に残っているのが、渋谷のスクランブル交差点のシーンです。風子が花梨のことを見捨てないで、一緒になって声を上げていたのに感動しました。自分にはきっとできないし、できる人って本当に少ないと思います。ふたりの絆っていうか、こんな友情があったらいいな、こんな関係を築けていったらいいなと、友達といっしょに見たくなりました。
若菜 バーのシーンが印象に残っています。私も芸能活動をしていて、演技で声が小さいとか言われちゃうことがあるんですけど、あのシーンはほんとうにさらけ出していてすごい迫力でした。
須藤 小野さん、見上さんにとって演じるのが難しかったシーンを聞きたくなりました。
小野 花梨がSNSでやらかしてしまった後の、お父さんとのやり取りが難しかったです。表現としてすごく共感しづらいし、私だったら違う選択をすると思うから。あの場面は監督や古舘さんともたくさん話しました。
見上 私は最初、風子を理解するのが結構難しくて。風子は花梨のことが大好きで、常に寄り添うっていう姿勢だけは変わらないっていう軸を持つまでに、時間がかかりました。納得できるまで何度もリハーサルして、監督とお話して役作りに時間をかけました。
――SNSの可能性や怖さについて
大西 この映画は様々なトピックが詰め込まれています。SNSや家族のこと、引きこもりで学校に馴染めないキャラクターなど、それぞれがランダムに絡みながらラストに向かう映画です。この作品の中の1つの要素、SNSの可能性と怖さについてどんな風に感じましたか?
中田 映画はリアリティーがあって、もう今のSNSの世界そのままだなと思いました。SNSで個人の特定ももちろん出来るし、それを広めることもできる。軽い気持ちでYouTuberをやってみようと思った未成年が炎上させてしまって、SNSで「やりすぎました」と謝っているのを見たことがありますし、花梨も色んな人を巻き込んでしまうので、こういう流れになるのは自然だなあって。
松田 今、電車に乗ると、乗客のほぼ100%がスマホいじっているので、同じものに向かってみんなが同じことをしているのが、私は怖いなあと思ってしまいます。
小野 今はスマホですが、新聞や小説が出始めた頃は、みんなが新聞や小説読んでたと思うんです。もしかしたら媒体が変わっているだけかもしれないですよね。
中田 あと、私は自分のSNSの鍵アカウントを教えていない知人からフォローがきた時に怖いなと思っちゃいました。
根市 私は、普通のアカウントと活動用、推し専用など用途別に6つ使い分けています。
小野 投稿内容を間違えちゃったりとかは無いの?
根市 悪いことは書いてないですけど(笑)、間違えて自分の顔を載せちゃったことはあります。
若菜 私は以前、ちょっとした愚痴みたいのをインスタのストーリーにあげちゃったら、その瞬間にぱっと何千人に見られちゃったんです。だから投稿前に良く考えるようにしています。
小野 危険を感じてない人が多いのが、リアルな気がします。みんなが怖いと思っているものだったら衰退していくはず。それでも利用者がこんなに広がっているのは、ある程度の安全性が保たれている証拠でもあるかのなと思います。
松田 映画の中の花梨は、今後もSNSをやると思いますか?
小野 花梨は発信の仕方を変えるという成長をしたと思うんですけど、その発信を止めるという成長はしてない気がする。人間って根っこの部分は変わらないから、SNSはやってるんじゃないかな。
■主人公の花梨が問いかける、「普通」って何?!
――花梨は個性的なキャラクターで、協調性を求められる学校生活になじめません。学校という集団生活の中で、校則に従うこと、みんなと同じようにふるまうことについて、どう思いますか?
中田 私は小中学校と周りになじむタイプでした。高校生の時に初めてトランスジェンダーの子と一緒になって、実際に接したその子の内面はみんなと変わらなくて、受け入れられた経験があります。だから、花梨みたいに、みんなと違うって言われる子がいると、“みんなが一緒で普通”っていう方がおかしいことだと気付くのかなって。そういう違いが見えることによって、逆に自分の個性が削られているのかもって思いました。
根市 私も花梨とは真逆で、中学校までは楽しく生活を送りながら、世間一般に普通から外れたことはしないタイプでした。でもある1つの出来事で、自分の居場所がなくなることを経験したことがあります。でも、自分が普通か普通じゃないかって、周りからの視線で決まるわけじゃない。世界を広く見ることで、普通じゃないと思われるような人も受け入れることができると思うし、いろんな人に出会って自分の世界を広げて、みんなを受け入れる気持ちを持っていたら、花梨みたいな子も、学校での居場所を奪われずに、好きなように生きられるのかなと思いました。
須藤 私はすごく花梨の気持ちわかるなって思った部分もあったし、でも全部自由にしすぎちゃったら、個性が爆発しちゃって、結局ぶつかり合いになっちゃうかなとも思いました。個性を大事にすることも必要だし、ある程度のきまりも大事なのかなって考えました。
松田 私は高校生の時に、「華美ではない靴下」を履くっていう校則があったんです。私はキャラクターが入っている靴下は華美ではないと思ったので、履いていったら先生にすごく怒られて。その後、柄のない、蛍光ピンクにしたら、「それも華美だぞ」って言われて。「華美ではない」が分かりませんって言ったら、「いや、普通は黒や白でしょう」みたいな。言葉には人それぞれいろんな捉え方があるから校則は難しいと思います。
小野 私は全生徒が白いシューズで登下校する中学に通っていました。それがダサいなって思ってローファーを買ったんです。ある日生徒手帳を読んだら「登校時は白い靴またはローファーに限る」って書いてあったので、ローファーいいんじゃんって思って、次の日からローファーで登校したら、注意されました。「生徒手帳にも書いてあります」って言ったら、先生も知らなくて。伝統的にみんなずっと白い靴を履いていたから、先生も校則を知らなかったんです。それなのに「じゃあ生徒手帳に全部禁止事項を書かなきゃいけないのですか? あなたには想像力や協調性は無いの?」と言われたのを覚えています。3年間ローファーをひとりで貫き通しましたが(笑)。
根市 髪型、髪色の指定があって、髪を染めちゃいけないっていうのは理解できるんですけど、なんとなく髪が茶色っぽい子に対して、ドライヤーは髪の毛が傷んで茶色に見えるからドライヤーをするのをその子に禁止している先生がいて、怖いな、と思いました。
――この映画はどんな作品だと思いましたか? どんな人に薦めたいですか?
中田 なんか「自分写し」みたいですよね。SNSを始めて「いいね」が付くと調子に乗っちゃったりっていうのは誰でも経験したことがあると思うんです。だから、自分の鏡を見るように、未来を暗示するわけじゃないですけど、花梨は最悪なことになっちゃって、あなたも気づかぬうちにこうなっちゃいますよ、今、それで大丈夫? みたいな問いかけ、気づくきっかけになる映画だと思います。いろんな考察が深まるので、いろんな人に見てもらって、どう感じたかを知りたくなる映画だと思います。
小野 「絶対泣ける映画」みたいな宣伝はイヤだけど、なんでかわからないけど、涙が出てくるっていう感想も多かったですね。
須藤 SNSは身近にあるからこそいち早く情報発信できる良さがあって、その一方で誹謗中傷のように他人を傷つけたりすることもできる。可能性を広げられる場でもあるし、その可能性を狭めてしまう場所でもあるとみんなに知ってもらえる映画。私だったらSNSを使って紹介すると思います。
根市 私は「
街の上で」とか「
愛がなんだ」みたいに、登場人物が日常になじんでいて、自分の周りにこういう人いるな、こういう会話あるよな、という作品をよく見ます。「
プリテンダーズ」は、花梨と風子のやり取りが自然で、本当にあの高校生2人が存在しているかのように見えたので、同じ高校生としても感情移入して見やすい映画だと思います。高校の友人、中学からの友人にも薦めたいです。
10代後半から20代前半まで、総勢6人が集まったこの日、仕事や勉強から解放された昼休みや放課後を思わせる、和気あいあいとしたムードで座談会は進行。それぞれが映画「プリテンダーズ」と向き合い、受け取ったメッセージや作品の中に映された社会問題を様々な視点から考察し、実体験と共に熱く語り、小野と見上が学生たちに逆質問する場面も見られるなど、女優と学生という立場を超えた、今を生きる若者たちの時間が流れていた。彼女たちの心を動かした女子高生2人のアクションと結末は、是非「プリテンダーズ」本編で確認して欲しい。