天才ダンサーのサクセスストーリーの背景と原点を映す「リル・バック ストリートから世界へ」監督に聞く
2021年8月20日 16:30
ジャネール・モネイのMV出演やマドンナのツアー、ユニクロやAppleのCMでも知られる世界的ダンサー、リル・バックのドキュメンタリー「リル・バック ストリートから世界へ」が公開された。リル・バックの驚異的なダンス、アメリカ有数の犯罪多発地域として知られるテネシー州メンフィスのゲットーで育ったダンサーの軌跡を映したルイ・ウォレカン監督が、作品を語った。
彼に出会ったのは、2013年か2014年頃で、僕がバンジャマン・ミルピエの短編を撮っている時でした。ミルピエは映画「ブラック・スワン」の振り付けやパリ・オペラ座の芸術監督に抜擢されたことで有名ですが、当時、ロサンジェルスでダンスプロジェクトをやっていて、その様子を撮影するためにLAのスタジオに行ったら、そこでリル・バックが踊っていたんです。それまで見たことがないようなダンスで、瞬く間に魅了されました。5分もたたないうちに、彼を映画にしたいと思いましたよ。早くしないと他の人に映画にされてしまうから、早く撮らなきゃって(笑)。結局、それから映画を発表するまでには6年近くかかってしまいましたけれど。
初めてメンフィスに取材に行った時、そこでリル・バックのマネージャーに会い、メンフィスのコミュニティの人たちと交流するようになったんです。そこから、この街自体を捉えるんだと明確に考えるようになりました。土地の子どもや若者がジューキンを楽しんだローラースケート場のクリスタルパレスの話を撮ったり、90年代のオールドラップについてカバーしたり、メンフィスのギャングについて取材したりしたわけですが、それらをフィーチャーした意図の一つには、「リル・バックのルーツがどこにあるのか」ということを描きたかったという意図がありました。彼のダンスの真実の意味での感動は、メンフィスの街を描かなければ、触れることはできないと思ったんです。
メンフィスのコミュニティに対しては本当に”リスペクト”しかありません。そこにいるダンサーたちは、暴力がそばにあるタフな毎日で、様々な困難もある中で、それでもダンスを、生きることを謳歌している人たちです。だからこそ彼らの放出するエネルギーは凄くポジティブなエネルギーなんですよ。そしてダンスを通してたくさんのことを共有している温かいコミュニティで、お互いに助け合う精神を持ち、お互いに対するリスペクトもある。そのコミュニティは家族のようです。そして、一人一人が“ストリート・フィロソファー(ストリートの哲学者たち)”です。凄く聡明な人たちなので、彼らにはぜひ明るい未来を生きて欲しいと思っています。
僕がいつもカメラで人々を捉える時に意識することは、その人たちに自由にしてもらうことです。フレーミングは監督である自分が決めることでも、そのフレームの中で、その人が何をやるか、というのは彼らに委ねたいというのが基本姿勢ですね。そんなやり方からリル・バックの人柄から滲み出るものが捉えられたのではないかと思います。そして今回、特に意識して撮影したのは、彼の母親のインタビューでした。あのインタビューはかなりの情報量だと思いますが、それと同時に母親のエモーションが伝わってくるので、彼女の気の済むように話してもらいました。それは、リル・バックがどういう人間であるのか、その“深み”の中に“リアルさ”が伝わってくる重要な証言となっています。僕にとって、あのインタビューは非常に重要な要素でした。
スパイク・ジョーンズにインタビューを取り付けるのはなかなか難しかったですね。LAでぜひ取材させてくださいと頼んだら「イエス」と言ってくれたので、LAへ飛んだら、“僕は今からニカラグアへ行く”とスパイクからテキストメッセージが来たんです(笑)。もちろん、その時は会えずじまい (笑)。その後もずーっとスパイクにテキストメッセージを送って、インタビューをお願いし続けましたが、「忙しい! 忙しい!」という感じで。最終的にはリル・バックにも間に入ってもらったんです。リル・バックはヨーヨー・マとの動画以来、スパイクと時々交流があって、「her 世界でひとつの彼女」に協力してましたからね。スパイクはハリウッドのコミュニティの人ですから、仕方がないことです。ハリウッド・コミュニティはとても堅固で、部外者はなかなか入らせてもらえないんですよね。色々なところから勧誘が来たり、誘いが来たりするので、それは当然のことだと思います。リル・バックのおかげでなんとかインタビューをとりつけましたが、インタビュー中も「忙しい!忙しい!」という感じでどうなることかと思いました。ですが、完成した映画を見てくれて、最終的には満足して出演してよかったと思ってくれたみたいです。ほっとしました。
あれは偶然、撮れたシーンです。本当はもっとクリスタル・パレスを撮影したかったのですが、撮影の途中で閉鎖が決まってしまいました。そこでオーナーと交渉して、閉鎖ということで中の設備は撤去された後でしたが、もう一度撮影させてもらえないかと。それで、リル・バックをクリスタル・パレスに行かないかと誘い、がらんとした内部で撮影し、クリスタルパレスがどういう所だったのかということを、彼の言葉で伝えてもらおうと思ったんです。そしてその撮影の日、ランチに行ったら、そこのテレビにクリスタル・パレスが閉鎖されるというニュースが流れたので、本当にたまたま撮影できたんです。その後で、ニュースをやっていた地元の局に問い合わせて、ニュース映像のフッテージも使わせてもらえました。そういう偶然からあのシーンは成立しました。
リル・バックがもう一度、メンフィスへ――つまり彼のルーツへ戻ってくる、という円環を描こうと考えました。どんなサクセスストーリーにもその背景や原点があり、それを描くこと、彼が最終的にはコミュニティに還元しているところを描くことが重要でした。彼のジューキンの原点であるローラースケート場も、皆がぐるぐる円になってスケートしていますが、それも一つのメタファーだと思っています。地元から飛び出て、そして世界へ羽ばたいて、そして最終的には自分のコミュニティへ戻ってきてそのコミュニティに還元する。これはフランス人の僕から見ると、とてもアメリカ的な精神だと感じるのです。アメリカ的なチャレンジと奉仕のスピリットですよね。僕はリル・バックの中にその精神を感じました。だからこそ、一番最後のシーンはやはりメンフィスのストリートであり、車上であり、夜である、というカットで締めました。