【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「カーマイン・ストリート・ギター」
2019年8月5日 17:00
カーマイン・ストリート・ギターは、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある小さな楽器店の名前。ギター職人のリック・ケリーとその母親、それに職人見習いのシンディという若い女性の3人だけで営んでいる。このお店の特徴は、100年以上も経つような古いニューヨークの建物の廃材を使ってギターを製作しているということ。工事があるという情報を聞きつけると、リックは現場に行って廃材をもらってくる。それでギターを作るのだ。
本作は、このギター屋さんに次々とやってくるミュージシャンたちが演奏し、リックと会話を交わし、そして帰っていくというその繰り返しだけで描かれている。とてもシンプルな映画だ。でも彼らが幸せそうにギターを奏でている様子を眺め、深く美しい音色にうっとりと聞き惚れているだけで、観客の側もとても幸せな気持ちに浸ることができる。社会的ななにかを訴えているわけではないけれど、ただ過ぎてゆく時間の心地よさをじっくりと味わえる。そんな映画である。
音楽映画というと「ボヘミアン・ラプソディ」のような大掛かりな作品が頭に浮かぶけれども、この2019年は小さなレコード店を舞台にした佳作がいくつも公開されている年でもある。ブルックリンの海辺のレコード店を舞台にした「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」や、これは2012年の作品が今年になって日本公開になった作品だけれども、北アイルランド紛争時代のベルファストのレコード店を描いた「グッド・ヴァイブレーションズ」。
古くは、大規模チェーン店に買収されそうになっているレコード店の奮闘を描写した1995年の「エンパイアレコード」という作品もあった。なんと同作は来年、ブロードウェイのミュージカルになるそうだ。
本作の舞台はレコード店ではないしフィクションでもないけれども、これらの作品とどこか共通する世界観を持っている。それは何かと言えば、音楽好きの人々が集まるささやかで親密なお店こそが、音楽好きの共同体になりうるのだという信念のようなものだ。
21世紀に入って、音楽のあり方は大きく変容してきている。CDの売上は激減し、単体での楽曲ネット配信も縮小し、SpotifyやApple Musicなどのストリーミング主体へとリスナーの環境は変わってきている。ストリーミングではプレイリストが軸になって音楽が聴かれ、ひとりのミュージシャン、1つのバンドを中心にした「アルバム」の時代とはかなり様相が変わってきた。
一方で多くのミュージシャンが一堂に集まるフェスは人気を呼んでいるが、必ずしもそれはバラ色ではない。ミュージシャンの側からは「アンセム(名曲)ばかりが求められる」「踊れる音楽に流れていってしまう」という異議も聞こえてくる。
この先に「音楽に集まる」「音楽が好きになる」とはいったいどういうことなのか。その意味が拡散し、曖昧になってきているのは間違いない。そういう状況で、より親密な音楽の空間へと回帰したいという心持ちが、音楽好きの人たちの間で共有されるようになってきているのを最近感じる。レコード店を舞台にした映画や本作のような「親密な音楽の場所」が増え、注目を集めるようになっている背景には、そういう人々の欲求があるようにも感じる。
本作には、印象的な会話がいくつかある。ラウンジリザーズにかつて在籍し、トム・ウェイツとも共演しているギタリストのマーク・リボーが、店主のリックに語る。「多くの懐かしい人々が今はもういない。色んな場所もなくなった。クラブが消え、街は姿を変えて、見慣れた景色は様変わりした。この店は変わらなくて嬉しいよ。今でもこうやって顔を見に来られる」。リックは答える。「ずっといるよ」
これは古き良き時代へのノスタルジーなのだろうか。私は、そうではないと思う。
そういう話を紹介して、チャーリーは大笑いする。リックも大笑いして「ギターを作ったのが僕の運の尽きだ」と言う。
チャーリー「まったくだ。いつまでやる?」
リック「これからもずっとだよ。貯金もないしね。生業(なりわい)として続けるが、単なる仕事じゃない。それ以上だ」
チャーリー「人生だね」
リック「人生そのもの。ただ好きなんだ。やり足りなくて家でも作ってる。考えると素敵じゃないか。建築を支えた古材をギターに変えて、新たな命を吹き込むなんて」
小さくてささやかでもいいから、持続していきたい。それはノスタルジーではなく、ただ続いていく未来への希望ではないだろうか。そしてこういう「ささやかだけれど、続いていくこと」に共感を抱く人は、いまの時代には多いのではないだろうか。
「カーマイン・ストリート・ギター」は、8月10日から東京・新宿シネマカリテ、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。
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