市子

劇場公開日:

市子

解説・あらすじ

「僕たちは変わらない朝を迎える」「名前」などの戸田彬弘監督が、自身の主宰する劇団チーズtheaterの旗揚げ公演として上演した舞台「川辺市子のために」を、杉咲花を主演に迎えて映画化した人間ドラマ。

川辺市子は3年間一緒に暮らしてきた恋人・長谷川義則からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の前に、市子を捜しているという刑事・後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼なじみ、高校時代の同級生など彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。やがて長谷川は部屋の中で1枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れるが……。

過酷な境遇に翻弄されて生きてきた市子を杉咲が熱演し、彼女の行方を追う恋人・長谷川を「街の上で」「愛にイナズマ」の若葉竜也が演じる。

2023年製作/126分/G/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日:2023年12月8日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第47回 日本アカデミー賞(2024年)

ノミネート

最優秀主演女優賞 杉咲花
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映画レビュー

4.5人生で一番幸せな味は…。

2024年3月13日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

悲しい

観たかったけれど、近くの映画館でやっていなかったので見逃してしまった作品が、Amazonプライムに登場していたので、さっそく鑑賞。劇団チーズtheaterの旗揚げ公演作品、舞台「川辺市子のために」を映画化したという変わり種の映画作品。

2度見返しての感想を書きます。
この映画を見終わって、真っ先に思い出したのが、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という本。
『置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。』だとこの本は教えてくれます。

プロポーズをされても、戸籍がないから書く名前がなくて心から喜べない人を実際に私は知らない。けれど、世の中にはそんな不遇な境遇に苦しんでいる人ももちろんいるのだとは思う。この映画が伝えたいのは、そういう不遇な境遇の人たちのどうにもならない生き方だけなのだろうか?
市子の母の「幸せな時もあったんよ」という言葉が耳に残る。終始不遇な境遇の中にあっても、市子にも幸せな瞬間はいくつかあった。友達の家でケーキをお腹いっぱい食べたあの日。将来一緒にケーキ屋さんになろうといってくれた友だちがいたこと。そしてその夢を実現しようとした日々があったこと。そして一番の幸せは、やはり彼氏となる長谷川との出会いではないだろうか。一緒に暮らし始めた時より、浴衣をプレゼントされた時より、プロポーズされた時より、一番の幸せだった瞬間は、彼と一緒に焼きそばを食べたあの瞬間ではなかったかと思う。永遠に続かないことを知っているからこそ、始まる瞬間がマックスである市子の幸せ。あとはいつか失うことを恐れながら暮らす日々であるから。

願わくば、ラスト歩き出した市子のその先に彼との再会があり、彼女が逃げることをやめて、己の不遇をまっすぐ受け入れた時、その痛みの先には、きっと彼とのささやかな幸せが待っていると信じたい。

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ななやお

3.5私を「私」と証明する方法は

2023年12月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

私はいかにして「私」となれるのか、と問われているような鑑賞体験だった。付き合っている男性から結婚を切り出され、結婚届けの書類を差し出されるカットがある。その書類には当然、名前を記入する欄がある。そのカットが写った瞬間は何も気にならないが、主人公の女性が実は偽名であり、戸籍のない存在であることがわかってくると、あのカットの重みが後半、変わってくる。公的な書類の名前記入欄に書ける名前がないということの苦しさが後半、どんどん立ち上ってくる。
自分という存在はいかに保証されるのか。社会のシステムとしての戸籍になければ存在しないことになるのか。しかし、戸籍こそが自分だなんと言う人はいないはずだ。もっと何か、実存の深い部分にある何かが「自分」じゃないのか。あるいは、関係する他者との距離や差異が「自分」を規定するのだろうか。私はいかにして「私」であることを証明できるのか。観客自身も存在を揺さぶられる作品だ。

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杉本穂高

4.0私が私として生きるために

2025年3月16日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

夏の道を鼻歌を歌いながら気だるそうに歩く若い女。
そのシーンで始まり、そのシーンで終わる。
2度目にみたシーンから受ける印象は、1度目にみたシーンから受けるそれとは全く別物になっている・・・。

この作品のテーマは何なのだろう。
戸籍制度の穴に落ちて「私」を「私」として証明できなくなった女性の悲しい物語なのか。貧困やヤングケアラー、一度落ちた者を救済する制度の弱い社会の問題なのか。愛なのか。
それは観る人によって解釈がちがうものだから、正解はない。
ただ、この作品を観て感じたのは、静かな佇まいの中にも、心の奥底に確固としてある「私として生きたい」という主人公の強い意思だ。彼女の「強さ」は子供の頃の場面から感じられた。

その意思を、強い言葉や動きで表現しない演出。杉咲花という俳優の演技。
感情を表に出さなくても、表情の変化に乏しくても、内から滲み出てくる何か。
季節はほとんんど夏だったように思う。気だるい暑さの中で滲み出てくる汗が何度もアップで映る。この汗には、主人公市子の悲しみや怒りといった感情が全部溶け込んでいるように思えた。

長谷川(若葉竜也)の行動で徐々に明らかになっていく市子の正体。長谷川の視点に寄り添ってみていけば、市子は悲しい、かわいそうな女という印象になるかもしれない。
しかし、どうだろう。
彼女がとった「私」を取り戻すための行動は、(それがほとんど発作的で衝動的な行為であったとしても)周りの人間の人生を確実に狂わせていっているのだ。悲劇である。
そう考えると、市子はとても恐ろしい女に思えてくる。底知れぬ怖さを持った女だ。

ほとんんど「素」の無表情に近い顔と演技で主人公市子を演じる杉咲花からは、いわゆる俳優の「オーラ」とは違う、形容しがたい「何か」がじわじわと迫ってくるものを感じた。
ああ、そういえば、顔面アップのポスタービジュアルからは、こちらに向かって「何か」を訴える力を強烈に感じたなあ。

戯曲の映画化と知って、なるほどと思った。悲しみ、哀れみ、絶望、悪、善、愛。一人の女の半生を通じて見せる。他人語りで見せる。最初と最後は同じシーンで。彼女の秘密を知った観客が、同じシーンを最後に見て何を思うか。
それを問いかける。問いかけられる。残った余韻の中で考えさせられる。
そういう映画なのかもしれない。

杉咲花に底知れぬ何かを感じた。

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TS

3.5杉咲花さんの実力が存分に

2025年3月16日
iPhoneアプリから投稿

無戸籍の市子の壮絶人生を描く
この重い背景の市子を演じる彼女の凄さに唸る

杉咲花さん以外オール関西人で固めたキャスティング
その中で違和感なく完璧に話せた関西弁のセリフ
耳が相当いいのか才能という他ならない

この問題は全国各地に実在するんだろう
生きづらいと思う

全体的に佳作だがちょっとなというところが散見
女性登場人物の全員が一人称「ウチ」と言ってるが、最近の関西弁はここまで濃くない
徳島へ大阪から行くのに必然性がない限りフェリーは使わない。遠くへ探しに来たという見せ方にしてもそれは違う

キャスティング完全勝利の作品でした

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零式五二型