キリエのうた

劇場公開日:2023年10月13日

解説・あらすじ

「スワロウテイル」「リリイ・シュシュのすべて」の監督・岩井俊二&音楽・小林武史による音楽映画。

石巻、大阪、帯広、東京を舞台に、歌うことでしか“声”を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエ、行方のわからなくなった婚約者を捜す青年・夏彦、傷ついた人々に寄り添う小学校教師・フミ、過去と名前を捨ててキリエのマネージャーとなる謎めいた女性・イッコら、降りかかる苦難に翻弄されながら出逢いと別れを繰り返す男女4人の13年間にわたる愛の物語を、切なくもドラマティックに描き出す。

2023年6月に解散した人気グループ「BiSH」のメンバーとして活躍してきたアイナ・ジ・エンドがキリエ役で映画初主演を果たし、主題歌「キリエ・憐れみの讃歌」を歌唱するほか劇中曲として6曲を制作。「SixTONES」の松村北斗が夏彦、「リップヴァンウィンクルの花嫁」の黒木華がフミ、「ラストレター」の広瀬すずがイッコを演じる。

2023年製作/178分/G/日本
配給:東映
劇場公開日:2023年10月13日

スタッフ・キャスト

監督
岩井俊二
原作
岩井俊二
脚本
岩井俊二
製作
吉村文雄
竹澤浩
白石直人
中村浩子
岡田美穂
川上伸一
寺内達郎
玉井忠幸
栗花落光
檜原麻希
小林武史
渡辺裕介
企画
紀伊宗之
プロデュース
紀伊宗之
プロデューサー
水野昌
岡部圭一朗
田井えみ
撮影監督
神戸千木
撮影
雪森るな
照明
高田紹平
阿部良平
録音
中川究矢
井口勇
岩間翼
美術
我妻弘之
松浦健一
装飾
大和昌樹
スタイリスト
申谷弘美
ヘアメイク
小林麗子
音楽
小林武史
主題歌
Kyrie
助監督
佐藤匡太郎
内田知樹
志賀共記
セカンド助監督
加藤拓人
サード助監督
加藤雅斗
李潤秀
キャスティング
田端利江
山下葉子
制作主任
徳永崇志
山田哲郎
クガイ
制作進行
宮﨑彩
野田あかり
制作デスク
石塚真央
アシスタントプロデューサー
谷口侑希
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映画レビュー

4.0 今もなお響き続けるあの歌声

2023年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画を観終わってしばらく経つが、今なお胸中で歌声が深く響き続けている。類稀なる歌声を持った少女が才能を開花させていく物語ならば、過去に幾つか観た覚えがある。しかし本作における「歌」のあり方はそれらとは根本的に違う。主人公には頼れる者が誰もいない。思いを口にすることすら困難だ。そんな孤独に生きることを余儀なくされた少女が、歌うことによってのみ、この世界と繋がり続けようとする。と同時にこれは彼女が自分でも意識せぬうちに一つの使命に身を捧げていく旅路でもあるかのようだ。言い換えるなら、祈り。大切な何かを忘れぬため、これまでもこれからも「共に歩いていること」を実感するために、彼女は今日も無心になって歌い続けるのだろう。こうした歌声の周りにいつの間にか多くの人たちが集まっていることの尊さ。その人生を記憶のタペストリーの如く伝える本作もまた、私たちに忘れてはいけない何かを強く思い起こさせてくれる。

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牛津厚信

3.5 過去作品と交差し、ループする“岩井俊二ワールド”

2023年10月20日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

知的

二人の少女、雪、地方の景色、誰かを想い佇む人物、人物の感情に寄り添うようなカメラワーク、自然光の多用、学校、制服、時空を超えた恋や友情、青春、手紙、同じ俳優や本物の歌姫の起用など、過去作品のキャラクターやシーン、設定やセリフ、物語、音楽を想起させる“岩井俊二ワールド”の記号が散りばめられています。

それらとつなぎ合わせて見ると、まるで岩井監督の頭の中のパラレルワールドがそれぞれの作品で交差し、ループしているようにも見えてきます。本作でも時代の空気をつかみとり、魂の救済を見つめ、小林武史の音楽とともに映像に昇華して、見る者の心と共振しようとしているのではないでしょうか。

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和田隆

3.0 アイナジエンドの歌ありきの作品

2025年12月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

アイナジエンド扮する路上ミュージシャンキリエは歌う事でしか声が出ない。

広瀬すずが脇役なんだね。話が行ったり来たりで分かりにくいな。人間関係も若干複雑だしね。ちょっと凝りすぎかな。まあアイナジエンドの歌ありきの作品の様な感じだね。疑問点がいっぱいで消化不良さ。

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重

5.0 等身大の物語

2025年12月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

名前を捨てても、魂は歌う――映画『キリエのうた』をめぐる小さな真実の話

約三時間の長い呼吸のような物語を見終えたとき、私の胸に残っていたのは、形容しがたいこの世の不条理と、失われても決して消えない想いの残響だった。
この映画は、大きな事件の連続で心を揺さぶるのではない。むしろ、誰かの小さな喜びが剝ぎ取られ、なおその人が生きるために握りしめた微かな確信が、歌となってこちらの胸に届いてくる――そんな、静かで激しい作品だ。

Ⅰ 名前を捨てる、という幻想
物語は、結婚詐欺を続けながら都会の波を軽やかに泳ぐイッコ(マオリ)が、路上でギターを抱え眠るルカを見つけるところから始まる。
翌日、ルカは気づく。派手な衣装のイッコが何者なのか、そして彼女が「イッコ」と名乗るのは、過去を捨てるための別名であることを。ルカもまた、自分を「キリエ」と呼ぶ。過去を捨てた者の新しい名で。
だが、過去を捨てるというのは、あまりにも甘美な幻想だ。
自分という意識が消えるほどに過去を切り落とすことは、ほとんど不可能である。むしろ、捨てたはずの過去は、名を変え、姿を変え、影として寄り添い続ける。
この映画の背景に流れる感覚――“それでも生きていかなければならない”――こそ、私たちの共感を呼び覚ます適温であり、同時に残酷な温度でもある。
イッコとキリエ。二人は別名を纏いながら、同じ匂いに惹かれ合う。
イッコは、ルカの放つ独特のオーラを見たとき、おそらく自分の裏側を見た。悲しみの輪郭。孤独の深さ。呼吸の仕方。
だから手を差し伸べたのだろう。高校時代、図書室にいるルカを見つめていたときと同じように。あの頃、家庭教師の塩見に頼まれたこと――それは行為としては些細でも、彼女の生にとっては方向を決めるほどの大きな力だったのかもしれない。

Ⅱ 「さよなら」と「自由だね」――歌が先に知っていた未来
冒頭、ルカが歌う「さよなら」。
あの歌は、未来のマオリに手向けられた伏線だったのではないか。歌はときに、言葉より先に未来を知る。
「さよなら」「僕らは自由だね」――この二つの言葉は、マオリの生き方を決める羅針盤になった。自分らしく生きるための手段としての結婚詐欺。倫理としては誤りでも、彼女の生においては“やむなく選んだ自由”だった。
東京でルカと再会したとき、マオリは自分の秒針の音を聞いたのだろう。使命――ルカを羽ばたかせること。
高校時代に塩見から聞いたルカのこと、父のギターを渡したこと。その父は“勝手な男”の象徴でもあり、恨みきれない存在でもあった。
「女の武器」と「勝手な男」。苦しみながら生きるより、楽しんだ者が勝つ――そんな思いが芽生えたのは、東京の大学に出てからだ。東京の男たちは、地方とは違う速度で“勝手”だった。
イッコの終わり方は、無情だった。恨みによる殺人は、端から見れば因果応報だ。だがイッコにとっては、「生きることの精一杯」だった。
その生き方を誰かが憐れむことはできる。けれど、キリエにとってはそれが恩である。
雪に寝そべって聞いた「さよなら」を、彼女はいつかの海辺で思い出す。歌は過去を連れ戻し、未来に手を伸ばす。

Ⅲ 小さな喜びを奪う社会、それでも届く魂の声
路上ライブ――学び合うよろこび。
歌を教えてくれた男性が警察に連行される。小さな喜びが、制度の名のもとに剝ぎ取られる。
キリエにとって、人は信用に値しないものだった。再会した塩見と引き離され、施設で暮らし、牧場で働こうとした矢先に、自動保護団体が押しかけて保護する。
この世界は、彼女のささやかな喜びを根こそぎ奪う。誰が、彼女に向かって「心を開け」と言えるだろう?
「行けば、迷惑になる。」
その心の叫びが、歌声となって人々の心を動かす。ミュージシャン同士が彼女の声でつながり、いまのキリエの等身大が輪郭を得ていく。
フェスは警察の介入で中止が宣告された。だが、その雑音は、キリエの魂の声に追いやられた。
社会的には間違っている――そう言われる生き方でも、イッコは満足したように見えた。何よりも、自分の暗さの象徴だったルカが、路上ライブを通して自分自身を取り戻し始めたからだ。
狭い寮生活へと移ったキリエの歌は、他の寮生の耳に届く。魂の歌は、雑音とは違い、魂を持つものに届く。
それは、美学でも理屈でもない、経験の真実だ。

Ⅳ 塩見夏彦というグレーゾーン
塩見の心理は、解釈が乱れる。
恋に積極的だったキリエに押され、やがてそれは恋になる。だが、医学部への進学、そして彼女の妊娠――高校生であることも含め、“男であれば誰でも考える時間が必要だ”という現実が、ここにはある。
言い寄られての関係は一般的にありふれている。けれど妊娠は、生活を捻じ曲げる現実の重量を持つ。医学を志す彼にとって躊躇は自然で、だからこそ、彼がどう経て“結婚しよう”に至ったのか――映画はそこを語らない。
この作品は、過去の視点を本人に委ねない。特にルカの過去は、先生と小川くんの視点で語られる。
過去の回想や夢は、本人の視点であるべきだ――その原則を外れることで、物語の中心が少しぼやける。
しかし、そこを深掘りすると、見えてくるものがある。不条理な社会の中にも、思いやりの心を持つ人がいる――という真実だ。
この“悩ましさ”が、この作品の核に絡みついている。

Ⅴ 言霊としての歌、嘘のない芸術
言葉も歌も、本心が込められるとき、人の心を揺らす力を宿す。
かつて尾崎豊が同世代の心を根底から揺るがしたように、キリエの歌も人々の心を根底から動かす。
それは、おそらく、真実だからだ。何も足さず、何も引かない。
どこかのCMの言葉に似ているが、彼女の歌はそれを真正面から実践している。嘘がないということ――それは、すでに芸術の域にある。
形を持たない魂の叫びは、今この瞬間にしか届かない。
その一瞬を、私たちは“視聴者”というかたちで共有した。
この本心の叫びこそ、現代社会に欠けてしまったものなのかもしれない。
制度や常識の名で、人の小さな喜びを奪い、痛みの声を雑音と混同する世界で――それでも届いてしまう声がある。
それが“歌”であり、“言霊”であり、名を変えても消えない魂の証だ。

結び――「自由だね」と言える世界へ
イッコは、社会の尺度では間違った生き方をしたのかもしれない。けれど、彼女の秒針が示していたのは、誰かの魂を羽ばたかせることだった。
キリエは、過去を捨てるために名を変えた。けれど、名は皮膚であって、魂ではない。最後に残るのは、嘘のない声だけだ。
「さよなら」「僕らは自由だね」。
この二つの言葉が、映画の最初と最後で、別々の重さを帯びて立ち上がる。
誰かの自由が、別の誰かの不自由を呼ぶことのある社会で、なお「自由だね」と言える瞬間を、彼女は歌で掴みにいった。
それを聞いた私たちが、どう返すか――その応答こそが、作品の外側で続く物語のはじまりなのだと思う。

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