落下の解剖学のレビュー・感想・評価
全475件中、381~400件目を表示
それでも彼女の心の奥底に積もる雪解けは程遠いだろうと感じた!
雨、そして雨。レイン&レイン。
ほんのちょっぴり御日様射してきて~ウレピ-(*´ω`*)
でも洗濯物がぁ 乾かへんやないかぃ・・・
あ、そうだ! そんな気分が凹む時は 映画を観よう!
という言い訳の流れで、
今日は「落下の解剖学」観に行きますた。
このタイトル、きっと難しそう そう思った貴方、 正解です。
まんまと パルム・ドール受賞、アカデミー賞ノミネ-トの文字に踊らされましたね。大丈夫、私もその一人。
原題からすると 翻訳は”転倒の解剖学”、転倒なんですね。
でもワザワザ ”落下”に変えてます。その時点で少しネタバレなんですね~キット。
正直な気持ち 想定してた内容とは異なってましたわ。(。´・ω・)?
もっと深い雪山の山荘サスペンスなんかと思ってたが・・・違った。
人の見えない深層心理に迫る ダレトクでもない裁判の話でしたゎ。
------
とある人里離れた雪積もるフランス山荘に住む夫婦と息子、3人家族に起こる心の葛藤と引き起こされる悲劇。
ある日、夫(サミュエル)が家の屋根裏窓から落ちて死亡。果たして事故か?自殺か?他殺か?
それを巡って、妻(サンドラ)に疑いをかける検察側と、無実無根を訴える妻側。それの裁判の行方をゆっくりと話展開してゆきます。
一番心揺れ動くのは 夫婦の息子(ダニエル)、事故で視覚障害になった事で学校にも行きづらく、家でも両親の些細な喧嘩(言い合い)に堪えている。彼の唯一の味方盲導犬役(スヌープ)だけであった。
果たして、彼女(母)は無実なのか。
-------
まぁ良くもこんな 無味無臭な夫婦に良く起こる 些細な出来事を
穿って話立てして展開広げたなと感じました。
凄く静かに、そして山荘に漂う空気感がそのまま 場内に流れているのを感じます。裁判所での息子の最後の証言に 息を飲みます。
それは きっちりとした感情の裏付けがあり、紛れもない証だったであろうと感じました。
映画中に出てくる、”俺にも時間が欲しいんだよ~”・・・夫の訴え。共感した方も多いのでは。この一見不平等と思える訴えが 総てを現わしていそうです。
映画館で映画を良く鑑賞されるアナタは、パートナ-や家族に”また映画かぁ~”って言われてませんかw。
ちょっとネ、映画観て自己嫌悪になったりしそうです。
昨今、子育ては夫婦でとか推進派が多い中 本当にそうなるとどうなるの?
ちょっと未来はこうなる事も有りそうな・・・。
夫も部長、妻も課長とか。晩婚で子供が出来たら同じような事が勃発しそうな展開を垣間見た次第。
最後に裁判で無罪判決を受けた彼女が、”勝ったら何かご褒美が貰えるのかと。”
この言葉の意味。 きっと心の何処かに愛される思いを描いていたんでしょう。そう成らなくて、犬の傍で寝る淋しい彼女。いたたまれない思い。
あと少し、ほんの少しだけでも夫に対して丁寧に向き合って心の会話が出来ていたら、きっともっと夫婦の絆は切れずに繋がっていたと思います。
久し振りのフランス映画、寝そうで寝ないで観て下さい!
コレわっと、思った方は劇場へ。
愛の欠落
タイトルはオットー・プレミンジャー監督『ANATOMY OF A MURDER(邦題;或る殺人)』からの引用だろう。ジェームス・スチュアート扮する弁護士が、女房を寝とった酒場の主人を殺した軍人の無罪を勝ち取るお話だ。売れっ子作家の女房サンドラが同じく作家の旦那サミュエルを殺したのか、はたまた単なる自殺だったのか、を問うリーガルミステリーという点は共通している。さらにいうと、容疑者が真っ黒にも関わらずそれとは逆の判決が下るというオチもおんなじだ。
しかし、2023年のパルムドールに輝いた本作の場合、事実はどうだったのかが最後まではっきりとはわからない。単なるミステリーとは明らかに異なった余韻を漂わせて終幕するのである。劇中ちゃんと回想シーンが出てくるじゃないか、とおっしゃる方がいるのかもしれないが、監督のジュスティーネ・トリエに言わせるとあれは事実に基づいた回想ではなく、登場人物たちの(曖昧な)記憶らしい。女流作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)の弁護士がこんな台詞を言うのだ。「事実はどうでもいい、周りがどう思うのかが重要なのだ」
この監督の映画を観るのは今回初なのだが、トリエの近作のシナリオは、ほとんど同じ映画監督でトリエのパートナーでもあるアルチュール・アラリとの共同執筆で仕上げているらしい。まさに本が書けずに鬱になっていた(らしい)旦那のサミュエルとサンドラの夫婦とほぼ同じ関係にあるのである。因みに本作の役名とそれを演じる役者の芸名もほぼ同一で、虚構と現実(イメージと事実)を曖昧にぼかす演出効果を狙っているのだろう。
この後、サミュエルが落下した時についた血痕分析、フランス人とドイツ人の経済格差婚問題、サンドラの性癖(バイセクシャル)、ひいては事件が起きていた時に夫が大音量でかけていたインストルメンタルに男尊女卑の意図が隠されているとかいう事件には直接関係ないジェンダー問題まで飛び出し、そのたびに陪審員並びに観客は、やっぱ有罪じゃね、いや自殺だろ、などと監督トリエのイメージ操作によりコロコロと意見を変えさせられていることに気がつくのである。
自分には優しかった父ちゃんの無念は痛いほどわかるのだけれど、問題は起こった事実よりも目の見えない僕にとって今何が必要かってことなんだ。アルベニスのスペイン組曲アストゥリアスを力奏し革命を起こす気満々だったダニエルだが、いつの間にかショパンの葬儀曲に使われたプレリュード第4番を割って入ったサンドラに弾かされてしまうのだ。お父さんの自殺を素直に認めなさいと。初めから誰がこの家のBOSSかってことを最もよく理解していたのは、本作で堂々のパルムドッグ賞に輝いたボーダーコリーのスヌープ(本名メッシ)だったというわけなのだ。
モヤっとしました
ここ最近不作続きでした。「DUNE」のリバイバル、「ボーはおそれている」、「君たちはどう生きるか」どれも残念な出来で、私の感覚が一般的な評価と大幅にズレてしまっているみたいです。とは言え今後も感じたままを恐れずにレビューしていこうと思います。
で今作もパルムドール等で高評価を受けた話題作という事で、今作こそ私ののぼせ上がった頭をガツンと目覚めさせてくれるのではないかと期待して鑑賞しました。結果、裁判の場面は中々に引き込まれるものがありましたが、裁判の勝ち方も明確な勝訴ポイントが示される事も無く何となく勝った感じでしたし、真相が明らかになる事も無くモヤっとしたままで終着してしまい消化不良でした。「必ずもう一捻りあるはず!」と期待しておりましたが、敢えなくエンドロールが始まってしまいました。
母親が無罪を勝ち取って帰宅した際に、息子から「ママは何故パパを殺しちゃったの?」的は発言があり、息子による謎解きが展開されて・・・みたいのを観たかったなぁ。
【落下する映画】
夫が落下した真相、事が“解剖”されていくことで表出する妻の真相に、妻自身も落下していく。陪審員の目線で裁判の行方に見入る没入感で、見ているこちらも映画の深みに落ちていく。
◆概要
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門パルムドール受賞(女性監督では史上3作目)作品。第96回アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門ノミネート。
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ
アルチュール・アラリ(トリエ監督の私生活のパートナーで、戦後約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話「ONODA 一万夜を越えて」を監督した人物でもある)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ(本作が長編4作目)
【出演】
「ありがとう、トニー・エルドマン」ザンドラ・ヒュラー
【公開】2024年2月23日
【上映時間】152分
【製作費】€6,200,000(約10億円)
【英題】「Anatomy of a Fall」
◆ストーリー
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆落下
ボールが階段を落下していき、スヌープがそれを咥えて去っていく冒頭。まさに本作での“落下”を象徴づけるものであり、またスヌープがキーである事もここに記される。サミュエルはまさに落下して死亡。サンドラも、夫婦の不仲はもちろん、バイセクシャルや不倫まで公の面前で暴かれる。夜の車内で泣きじゃくる(苦笑いから大泣きするザンドラ・ヒュラーの演技力!)彼女もまた、学生から取材を受けるほど人気のあった冒頭からは地に堕ちるほどに転落していた。本作で印象的なズームインが2つ。一つは、散歩中のサンドラとダニエルが見た、検察による落下検証。一つは、サミュエルとの口論が法廷で暴かれたサンドラをダニエル越しに捉えた映像。どちらも“落下”で共通するシーンのズームインに、撮影手法からこだわる本作の本気度が伝わってくる。
◆解剖
監督は「映画を⾒ている観客も、⼦供や陪審員と同じく、視覚という要素が⽋落した状況に置かれることになる。だから裁判で、何が⽋けているのかという錯乱状態の後に、すべてがつながっていく」と語っている。ダニエルが初めて証言台に立つシーンでは、家のテープの感触を間違えた事を、検察側は悪意を探るように尋問し、弁護側はサンドラの不利にならぬよう解釈する。このシーンのダニエルが象徴的で、見ているこちらも右に左に首を振りながら、検察と弁護の解釈を行き来する感覚に。監督の言葉の通り、見ているこちらもいつの間にかダニエルや陪審員と同じ目線に立っているのが面白い。精神科医の証言も夫婦の口論の録音データすら、検察の陳述でサンドラに非があるように思えて、弁護の陳述でその逆に思えてくる。ダニエルがついにたどり着いた“状況証拠”にも、“過度に主観的だ”と検察は一蹴。“解剖”がなされていく法廷の場は、“証言”が“証拠”になり得ない。そんな特有のもどかしさ、審理の難しさに終始見入る感覚だった。
◆ラスト
無罪を勝ち取るも、“ただ終わっただけ”と虚無感にさいなまれるサンドラ。テレビ番組で“妻が殺していた方が面白い”と言ったように、世間は好奇の目でおそらくその後も彼女を囲む(真実を突くダニエルの証言時にこそ傍観者が皆無、つまり世間の目が向かないというシーンが虚しい)。最後にダニエルがこぼした言葉は“ママが帰ってくるのが怖かった”。父の自害を証言しても、無実の判決が下っても、あの一連の裁判でダニエルもやはり母への疑念を心の奥底に宿した、そんな映画表現だった。ただしサンドラ自身にも心から信頼できるパートナーができたわけで、ダニエルとの長いハグも真の親子のそれに思える。最後にサンドラに寄り添ってきたのはスヌープ(薬で瞬きが止まったあの演技がすごい!)。冒頭で落下したボールを咥えて階段を登る、つまりスヌープはそのボールの落下を止めて元に戻したわけで、本作を通じてもサンドラを救ったキーマン(キードッグ?笑)そのものでもあった。あえて最後まで事の真相こそ明かされていない本作だが、無垢な存在であるスヌープがサンドラに最後に寄り添ったという表現は、本作が彼女に下したあたたかい真の判決、そう解釈してもいいように思えた。
◆関連作品
〇「愛欲のセラピー」('19)
トリエ監督作品で、ザンドラ・ヒュラーも出演。プライムビデオレンタル可。
◆評価(2024年2月23日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.4
映画.com:★×3.6
微妙
法廷物としても家族物としても人間の負の側面についても微妙で物足りなかった
法廷物として、真実が明らかにならないまま終わるのはいいのだが、それで何がどうなったかというと主人公の性根がかなり終わっているという事実と、そんな母親がダニエルとこれからも生活していくという未来だ
見ていてなんの喜びもカタルシスもない
ついでに言うと主人公がこれまでの行いを反省するような描写も無かったので、きっと母親はこれからも精神的安定を言い訳にどっかの男や女と盛り、ダニエルの勉強も見ずに生きていくのだろう(主人公はダニエルの面倒を見ることを自身の時間が削られる行為としか認識していなかった)
この映画で盛り上がったのは法廷で明かされる夫婦喧嘩のシーンで、主人公の性格が前述の通りまあまあ終わっていることが分かるシーンなのだが、それを見てダニエルがどう感じたのか、何を考えて最後の証言に至ったのかが描写が不足しておりイマイチ感情移入できなかった
そこがあやふやなのがいいんだろと言われればそうなのかもしれないが、旦那の死の真相も明かされないまま何から何まで真実は藪の中とされると流石に文句の一つも言いたくなる
こんなことならダニエルを主人公に据えて母親のイメージと実態に苦悩する姿をもっと見せてほしかった
法廷物としてなら「それでも僕はやってない」とか「十二人の怒れる男」の方がよっぽど面白い
何が描きたいのか全く分からなかった映画だったが、他の人がレビューで書いていた「旦那から妻への復讐物」として考えれば色々筋が通るのでこれからはそう考えようと思った
死人に…無し。
冒頭から大音量の音楽が不快な感じ
を受けた
何か嫌~な思いがたちこめる
ここは意味があるのか
わからないけど。
…夫が突然の転落死
事故か自殺かあるいは妻による殺人か
そこから主人公の行動が重要な
ポイントとなる
彼女が質問に答えているところは
なぜかウトウト。
あまり引き込まれない
裁判が始まってからやっと
裁判の行方は彼女が殺したみたいな
展開だったが…
…わたしは殺していない。
と言い切る
ほぼ彼女の心情と言い分を
聞いているだけで
彼の言い分としては残された録画のみ
(ここで彼の不満が爆発している)
そして息子が記憶の中の
父の言葉を思い出す
見えかたが変わる
彼女が殺したのか殺してないのか
自分には分からないけど
息子の証言で判決が決まった
息子としては大好きな父親を亡くし
ショックで辛かっだろうし
その上、母親を失うのはもっと
辛いものがある
彼女も
夫を追い込んでしまったことは
裁判に勝っても気持ちは晴れない
裁判では決着がついたけど
犯人捜しではなかった
もう少しおもしろい展開を
期待していた
この感覚は、そう、HUNTER×HUNTERを読んでる気分!
一つの事件にフォーカスして150分描かれる。
法廷シーンはかなりのセリフ量かつ、長時間であるが、そこに夢中になれるかが、大きな分かれ目となる。
まるで、漫画であるのに大量の文字で心理戦と駆け引きが描かれるHUNTER×HUNTERを読んでいるような感覚でなった。
自分は大好きであるので、一言一句漏らさず聞こうと集中して観ることができた。
その心理戦もさることながら、夫婦関係、セクシャリティ、障がい、親子愛など、さまざまな要素が組み込まれながら、観客自身が陪審員のように揺れ動きながら体験できるのが新鮮であった。
法定内のカメラワークも覗き込む視点で、惹き込まれる。
裁判というものは、論理的でありながら、人が判断する以上、感情に左右されるものだと痛感する。(少なくともこの作品では)
真実はどうかはわからないが、いささかキャラクターが立ちすぎているがために、意外性というものは少なく感じた。
とはいえ、さすがの俳優陣の演技で、評価されるのも納得の一作。
にしても、邦題が直訳でも日本語的にハテナで、どれくらい観たいと思えるのか。こういうときにお得意の意訳を使ったほうがいい。
脚本は監督とパートナーの共同執筆
人の本性なんて簡単には分からない
不審な墜落死を巡るミステリーだが、誰が犯人かを推理する話ではなく、殺人の嫌疑をかけられた妻が、本当に夫を殺したのかどうかが物語の焦点となる。
「やったことを証明するよりも、やっていないことを証明する方が難しい」と言われるが、裁判における妻側の弁護は、当然、難航することになる。
決定的な証拠がないため、検察側も憶測でしか妻を追求できない中で、夫が死亡する前日に、彼が録音していた夫婦喧嘩の音声により、妻と夫の真の関係性が明らかになる過程は圧巻である。
夫婦喧嘩のやり取りだけを聞けば、自分が小説を書けないことを妻のせいにする夫の言い分よりも、それが言いがかりであることを論破する妻の主張の方が筋が通っているのだが、妻が夫に暴力を振るったことや腕のあざの原因を法廷で偽証したこと、あるいは、彼女が過去に女性と浮気をしていたことなどが明るみに出て、それまで間延びしていた感のあった法廷劇が、俄然、面白くなる。
そうした、妻にとって不利な状況を覆すのは、新たに追加された息子の証言なのだが、彼には、勘違いだったと証言を修正した過去があるし、「真実が分からないなら、自分で真実を選ぶしかない」みたいなアドバイスも受けていたので、彼が本当のことを言っているのかどうかは、最後まで分からない。
そもそも、彼の視覚に障害があるという設定が、ミステリーとしての面白さにほとんど活かされていないのは、物足りないとしか言いようがない。
ラストで、実は息子は真実を知っており、裁判での判決とは異なる結末が示されるのかもしれないと期待したのだが、結局、そうした「ドンデン返し」はなく、その分、深い余韻を味わうことになる。
どこか釈然としないモヤモヤは残るものの、変にウケを狙わないところには、作り手の誠実さが感じられて、決して落胆させられるエンディングではなかった。
終わってみれば、小説家として成功した妻を妬んだ夫の惨めさと、そんな夫の原案を基に小説を書いて成功してしまった妻の神経の図太さばかりが印象に残るのだが、そうした妻の本性が白日の下にさらされたのだから、ある意味、夫の復讐は達成されたのかもしれない。
裁判に勝っても素直に喜べない妻の姿を見ると、そう思えるのである。
ちょっと違った法廷もの
「犯人は妻か」の真相を解き明かす法廷ものではなくて、一つの家族のドラマでした
思っていたのと違ったけど、主人公サンドラ演じるザンドラ・ヒュラーと子役の男の子、この2人の演技がすごかったと思います
自分も裁判に参加しているような気持ちでいろんな証言や検察の言い分を聞きながら進むストーリー
物的証拠が出るわけじゃなくて、出てくるのは状況証拠ばかり
だからザンドラも怪しく感じるし、息子の証言も本当の事なのかと疑ったり、みんなが自分の思惑通りに裁判を進めようとしているように思えて真相は何なのかラストまでずっと考えていたけど、そういう終わり方なのか…でした
この作品にはあの終わり方が良かったようにも思います
ストーリーには全然関係ないけど、やっぱり子供にとって両親が仲良いのが一番だとつくづく思いました
息子さんの今後が心配になった。
題名が「落下の解剖学」とか・・・大変意味深長に感じましたので、当初医学的な見地から真実に辿りつくミステリかと思いました。
しかし、検死のシーンなどあったもののそこに言及するのはほんのわずかで、殺人事件の法廷シーンを軸とした家族ドラマ、人間ドラマがメインの構成です。
殺人の容疑がかけられた女性作家が、自身の無実を証明するために、旧知の(元恋人?)の敏腕弁護士と共に法廷で戦いますが、自殺、他殺のライン・・・いずれも決定的な物的証拠はなく状況証拠を積み上げていくしかない状況。また、被害者の第一発見者である息子は事故で視神経に障害があり、かつ彼の証言も現場検証時に矛盾してることなど決定打に欠けます。日本の法廷じゃ物的証拠に乏しいから推定無罪だろうけど、フランス司法はどうなんでしょか?
法廷闘争が進むにつれ検察側は夫婦間のいざこざや女性作家のスキャンダラスな一面をクローズアップし彼女を有罪にしようと画策します。息子さんは母親の隠された事実に直面し、ショックを受け絶望しますが・・・という話。
この映画において観客が求めてるのは真実であって裁判の結果じゃあないのは言うまでもないのです。
しかし真実をあえて「ハッキリさせない」ことで観客の各個人的な検証や憶測を創出させ、作品にある種の余韻を持たすことにはまあ成功してると思います。
ただちょっと気になる点が。息子さん、何か・・・(優れた聴覚記憶で)認知しながらも母親が裁判で不利にならぬ様に「何かしら隠蔽」してませんでしたかね?
彼の今後のメンタル面がとても心配になりました。
まあ、これこそ私の憶測に過ぎないのだけれども(笑)。
証拠が無い場合、どう裁くのか。主役より子供と犬の名演が印象的。
証言や、録音など、次々に提示される中、なかなか真相がわからない展開に、150分の長さを感じませんでした。
最近、「結末は観客に委ねる的な」真相の直前でブラックアウトしてエンドロールという映画が多い気がしていて、本作もそうなるのではという予感がしていました。
個人的には、それでは、意見を提示せず観客のせいにする作品、脚本、監督が無責任だと思っています。
結局、本作では、裁判の結果は描かれますが、「真実」は描かれません。
劇中でも証言や録音の映像化はあっても、回想シーンはありません。
仮にラストで回想シーンで、本当は・・・と明かされても興ざめするだけなので、この結末には納得します。
真相は、本人しか知らないわけで、観客は劇中の被告人以外の人々と同様に、それまでに提示された情報、息子の証言を元に想像するしかない。
本編のセリフにもあった、有罪か無罪か判断が難しい場合でも、明確な証拠がない場合は、それまでの状況から、判断するしかない、というのと同じ状態に、観客も置かれることになって終わるのが素晴らしい。
主人公の妻の熱演よりも、目の見えない息子の名演に注目。
さらに、飼い犬のスヌープの名演技に見入ってしまった。
真実は観る側に委ねられる
フランスの山間部に住むある家族に起こる事件と、その事件の裁判を介して、この家族の関係性を浮き彫りにする作品。
冒頭、爆音で鳴り響くラテン音楽(恐らくクンビア?)とフランスの山々との不思議なコントラストが印象的だった。因みに個人的にはこの音楽は好みだったが(夫とは趣味が合う!)、作中の奥さんには嫌がらせと受け取られるほど大変苦痛だったようだ。
音楽が流れている間、弱視の息子は盲導犬と一緒に雪溶けの山道へ散歩に出かけるが、帰ってみると父親が血を流して倒れている。この、散歩帰りの息子の足下から盲導犬が遺体へ駆け寄るまでのパンが、何とも素晴らしいシーンだった。
本作については、最初は典型的な謎解きミステリーと認識されるよう、ある種確信犯的に作り手にミスリードされる構成となっていると感じた。(雪山→死体→アリバイ工作→謎解き→ドーパミンじゅわ〜のお決まりパターンを想像してしまったが、それも観る側の先入観だと思い知らされる。因みに私は、映画と音楽さへあれば、アスピリンもエスシタロプラムも不要な人間です…)
中盤から後半に掛けては、法廷シーンが続くが、ある音声証拠をきっかけに、その前後でこの夫婦に対する見え方が大きく変わってしまう。
エンディングで判決が出るが、真相は観る側に委ねられるといった構成で、モヤっとしたまま終了。
個人的感想は、真相は判決とは異なると思う。途中、弱視の息子は当初の証言を変えるが、視覚が奪われた人間は、逆に聴覚や触覚、その他の感覚が研ぎ澄まされるというが、息子の当初の発言は「勘違い」では無かったと思う。
この作品は、謎解きを目的としているのではなく、家族の関係性、特に夫婦関係と母子関係を描いていると思う。それから、真相が不明な事柄は、社会のシステムとして裁判により裁かれるが、判決は必ずしも真実と同じとは限らない様を描いていると感じた。ただ、作品の構成は特徴的だけど、テーマ性としては特に目新しいものでは無く、描かれ方も目を見張るような印象的な表現は無かった。結果、個人的にはそこまで惹き込まれる内容では無かった。
本作の比較対象として思い出したのは、昨年に見た「ザリガニの鳴くところ」、それから、昨年のカンヌ映画祭の審査員長も務めたリューベン・オストルンド監督の「フレンチアルプスで起きたこと」。前者は法廷ものとして、後者は家族における夫や父のあり方をブラックジョーク満載で自虐的に描いているが、テーマ性では本作に通じると思う。
追記:
夫が爆音で掛けていた音楽だが、調べてみるとドイツのスチールパン・ファンクバンド Bacao Rhythm & Steel Band(日本でいうところのリトルテンポみたいなバンドかな?) がラッパー50cent の PIMPという楽曲をカバーした音源のようですね(法廷でも言及されていた気がするが、理解できていなかったw)。てっきりクンビアか何かかと思ったのだけど、何れにせよ嫌いじゃない音楽だったからさっそくAmazon music でダウンロードしてしまった。爆音で流さないようにだけ気を付けたい。。。
神経がすり減る感じがした
プレゼン・コンペティション「落下の解剖学」
予告編を観た限りでは、サスペンスミステリーの様相だった「落下の解剖学」だが、もし一言で表現しなければならないとしたら、タイトルに書いた通り「プレゼン・コンペティション」になると思う。
数々の映画賞で脚本賞も受賞しているこの作品の最大のオリジナリティは、「立証不可能な変死事件」をどう解釈するか?という話しかしていないことだ。
頭脳明晰な名探偵も出てこなければ、観客にそのポジションを与えることも許さない。人物の表情を捉え続け、背景は申し訳程度にしか映されない。この作品に謎解きは不要で、我々が可能な事といえば「誰の話に最も心動かされたのか」を選択することだけなのである。
思えば人生はたった一つの真実で出来上がっているものではない。ある点では自分は恵まれていると感じ、ある点では不幸だと感じる。
性格だって、長所と短所は紙一重で、結局はどう感じるか・どう思ったかの違いでしかなく、全ては結局受け手の「好き嫌い」をフィルターに審査された「その場限りの真実」なのだ。
話を映画に戻すと、作家サンドラの夫・サミュエルの死を巡り、様々な人物が様々な角度から持論を展開する。他殺を疑うもの、自殺を疑うもの、事故だと考えるもの、全員の主張が入り乱れ、家族の過去や秘密が暴露されていくが、全ては事件と「関係があるかもしれない」出来事の列挙でしかない。
しかも実は序盤から裁判までにかけて、全ての可能性がやんわりと否定されているのだ。
事故だとするなら、夫サミュエルは内部に断熱材を貼る作業中、何故か内開きの窓を開けて外に身を乗り出した事になる。
サンドラがサミュエルを殺した場合、凶器で彼を殴りつけた後、体格の良い夫を突き落とす必要があるが、彼女は高い所が苦手で屋根裏では常に梁を掴んでいるくらいなので、例えバルコニーが現場だったとしても実行は恐らく無理だろう。薬物によるオーバードーズなど、彼女が実行可能な殺し方は別に存在する。
自殺については衝動的な飛び降りの可能性は否定できないが、3階程度の高さから雪の積もった地面への飛び降りで死ねるかどうかは疑問だ。首を吊るなり、手首を切るなり、屋外で睡眠薬を服用して凍死するなり、もっと確実と思える方法があの山小屋には存在する。
つまり、この事件は最初から「有り得ない事件」なのだ。
だからこそ、証人たちは僅かな記憶や感覚や事象を頼りに、自分の知る限りの「印象」で事件にストーリーを与え、自分や周囲を納得させようとしているのだ。
むしろ一番「事実」にこだわっているのは、最も不利な立場に追い込まれたサンドラであると言えよう。
もう一つ、この脚本で興味深いのはあらゆる現代社会の要素が盛り込まれていることだ。性的指向、障害、共働き家庭の分担率、国際結婚。どれをとっても正解などなく、当事者にとって暮らしやすいスタイルは常に自分で模索していくしかないものだ。
傍聴席にはアジア系やアフリカ系がさり気なく配置され、彼らの目に映るこの事件は彼らのアイデンティティを通して考えた時、どの説にどんな説得力を与えるのだろうか。
裁判の最後に再び証言したのは、サンドラの息子・ダニエルである。今まで自分が知らなかった両親の姿や、壮絶な夫婦喧嘩、テレビやインターネットが事件を娯楽化していく様は、彼を著しく傷つけるとともに大きな選択を迫ってもいた。
大人たちが喧々諤々の議論を展開する事件で、少年が「事実」を見つけるのは不可能である。どれも不確かでどれも尤もらしいと思える世界に放り出された時、決めることが出来るのは「自分の心」だけだ。だから彼は選んだ。自分が最も確実だと思うストーリーを。
そして、彼が語った見解が最も参審員や観客である我々の心を動かしたのである。
我々は正解を探しがちだ。正解や真実が最も客観的で最も公平だと思うからだ。しかし実際の世界はそんなに甘くない。正解の無い問い・正解が複数の問いは無数に存在し、そのたびに曖昧な中にも折り合いをつけ続けなければ人生を前に運べない。
エンディング、サンドラは夫の書斎のベッドに横たわる。「今夜は親子2人で」、とダニエルを見ていたベルジェに気遣われるが、ダニエルと会話した後彼女が選んだのは、愛する夫の残り香と共に眠ることだったのだ。
真相はわからない。わかるのは彼がもうこの世にいないことと、彼とサンドラの間にはかつて幸せや愛や絆が確かに存在していたことだけ。
そんな彼女に夫と重なる存在であるスヌープが寄り添ってくる。いつかスヌープも夫サミュエルと同じように、サンドラとダニエルの前からいなくなってしまうのだろう。けれど、彼らが家族であった事はいつまでも変わらない「真実」だ。
本作、何が評価されているのか全く理解できなかった
何を信じるか選ぶ時、どうするか
カンヌやアカデミー賞など、各賞レースを席巻中で大注目のヒューマンサスペンス。
真実を求める「謎解き」ではなく、人間の多面性や、信じること選ぶための要素、事実と想像の曖昧さなど、人の感情の複雑さや人間の多面性を目の当たりにし、なんともスッキリしない作品でございました。(褒めてます)
不審死した夫の妻が被疑者となるなかで、キーパーソンになるのは視覚障害を持つ息子。彼の目が見つめる先にある、以前は揺るぎない信頼と愛情でしかなかったものが、様々な姿を見せることで心が揺さぶられ自分でも分からなくなっていく様が見事。愛犬スヌープを演じたメッシ君の最高の演技と共に、とても印象に残りました。
ラストの余白もまた良き。
観たあと感想を聞いたり言い合ったりするのもまた楽しいタイプの作品なので、これからの反芻も楽しみです。
作中の息子さん、こんなの一生背負うよね
家族を心から理解して、心から愛してると言えるか
全475件中、381~400件目を表示