落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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何を信じるか選ぶ時、どうするか
カンヌやアカデミー賞など、各賞レースを席巻中で大注目のヒューマンサスペンス。
真実を求める「謎解き」ではなく、人間の多面性や、信じること選ぶための要素、事実と想像の曖昧さなど、人の感情の複雑さや人間の多面性を目の当たりにし、なんともスッキリしない作品でございました。(褒めてます)
不審死した夫の妻が被疑者となるなかで、キーパーソンになるのは視覚障害を持つ息子。彼の目が見つめる先にある、以前は揺るぎない信頼と愛情でしかなかったものが、様々な姿を見せることで心が揺さぶられ自分でも分からなくなっていく様が見事。愛犬スヌープを演じたメッシ君の最高の演技と共に、とても印象に残りました。
ラストの余白もまた良き。
観たあと感想を聞いたり言い合ったりするのもまた楽しいタイプの作品なので、これからの反芻も楽しみです。
作中の息子さん、こんなの一生背負うよね
家族を心から理解して、心から愛してると言えるか
【ベストセラー作家の女性が夫の殺害疑惑により、法廷に立った時に次々に明らかになる真実。今作は被告の人間性を暴く法廷劇であり、相手の立場や心を理解する大切さ、寛容さを鑑賞側に問いかけて来る作品である。】
■ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が自宅で女子大生からインタビューを受けている。すると上の階で民宿にするために自宅を改造していた夫、ヴィンセントは大音量で音楽を掛け始め、インタビューは中止になる。
その後、散歩に出ていた事故により目が不自由になったダニエルが父の遺体を発見する。
自殺か、他殺か、様々な捜査が行われ、サンドラは被告人として法廷に立つ。
◆感想
・被告人席に座ったサンドラは涙を流すことなく、毅然とした態度を取っている。そして次々に判明する事実。
1.ダニエルはヴィンセントが付き添うはずだった時に、世話役に夫は仕事を委ね車に撥ねられて、視力を失った事。サンドラはそれを恨んでいた事。(最初は数日・・、と言っているが、そんなことはないだろう。)
2.ヴィンセントはロンドンでサンドラと出会ってから作家を目指していたが、芽が出なかった事。そして、サンドラがそれを詰り、経済的にも追い詰められた二人が、彼の故郷の山奥の仏蘭西の家に越してきた事。
更に、サンドラのヴィンセントの小説のアイディアを自分の本のネタにしたのでは、と言う疑惑。
ー ドイツ生まれのサンドラとフランス生まれのヴィンセントとの言語の溝が、彼ら夫婦の溝に繋がっている事も良く分かる。-
3.ヴィンセントの死の前日の二人の間に、激しい喧嘩があった事。(彼がUSBに記録していた。)
ー サンドラはヴィンセントが作家として芽が出ないのは、努力が不足している事を激しく詰る。サンドラがヴィンセントに対し、如何に不寛容で冷酷だったかが分かるシーンである。ー
4.サンドラがバイセクシュアルであり、過去に浮気をしていた事。(回数はサンドラに寄れば一回。)
- これだけ、新事実が出てくれば有罪が有力視されるが、検察も決定的な証拠が出せない。-
・膠着状態の中、裁判は長引く。
そんな中、ダニエルは裁判官から出廷しない回(夫婦の喧嘩が、暴露される回。)を申し渡されるが、ダニエルはその回にも敢えて出廷し、両親の間に何があったかを聞こうとする姿が、健気である。
■サンドラは、ダニエルの最終心理の前、裁判官から息子と家の中で出来るだけ会わないように言われて、初めて車の中で大粒の涙を流すのである。
サンドラは確かに様々な事実を隠して来たが、それは息子を思っての事が多かったからであろう。
<最終心理の日、ダニエルは2度目の証言台に立つ。
そして、ダニエルの視力喪失を自分のミスと思い、妻からも常に詰られ、悩んでいた父から車の中で言われた言葉を喋るのである。
”人間は、いつか死ぬんだ。”と運転しながら、淡々としゃべる父の横顔。
ダニエルの言葉を聞き、静かになる法廷の人々。
そして、無罪を言い渡されたサンドラ。
【だが、本当に彼女は無罪なのか?夫を死に至るまで追い詰めたのは、誰であったか!!】
今作は、夫婦間の溝を描きながら、観る側に相手の立場や心を理解する大切さや、寛容さを問いかけて来る作品である。
主演したザンドラ・ヒュラーの名演も忘れ難い、見応え深き作品でなのである。>
恐ろしい映画だった
この手の作品でよく見られる“真実はこうです ”が一切描かれていない。
被告からの視線すら描かれていない。
それは
劇中に語られたように、“真実なんかどうでも良い”のかもしれない。
静かな映画
軒並みそれぞれ登場人物の人生観を深掘りして、高評価がやたら多いようですが、淡々と静かに進行するこの手の映画(フランス映画は、たしかにみんなこんな感じ)は、オイラはちょいと苦手。確かに後半のたたみかける展開の裁判劇は迫力あるはあるが、なんかブツギレ気味の演出になかなかついていけない。ラストも真相は分からず見る側に委ねるわけだが、サスペンスのどんでん返し好きのオイラには期待
外れになるのは致し方ないところ
真実とは何か(否定できないことは可能であること)
2023年。ジュスティーヌ・トリエ監督。フランス高地に住んでいる大学講師の夫、ベストセラー作家の妻、そして視覚に障害を持っている息子。ある日、夫が転落死してしまうが、調べるうちに他殺の可能性が出てきて、妻が逮捕されてしまう。自殺か他殺かをめぐる裁判に息子が巻き込まれていき、という話。
謎が解決されたり嘘が暴かれてりして真実が明らかになるということではなく、そもそも事故または自殺では納得がいく物語にならないために、そこに人の作為(殺人)の可能性を浮かび上がらせようとすると、否定できないことは可能である、という論法によってなにもかもが疑わしくなっていく。客観的な納得を求める法的な枠組みによって「動機」が探られ、可能性や思惑によって作り上げられ、当事者を混乱させていく。すごいのは、それに対して被告の妻が真実を盾にして戦うのではないことだ。当たり前だが死んだ人間の自殺の動機などわかりようがないので、私がやったのではないと言い募る以外に道はない。むしろ、自分に有利なことをでっち上げようとはしない倫理観を貫いており、真実は夫の自殺なのだろうなと観客に思わせるのもこの倫理観だ。思わせるだけで決定としては提示されないが。
「真実はわからない系」といえば黒澤明「藪の中」という名作があるのでどうしても比較したくなるが、とりあえず、あちらでは関係者それぞれのエゴで意図的に真実が隠されており、最終的にはすべてが暴露されてより高位のヒューマニズムによって乗り越えられている。それに対して、こちらでは真実は意図とは関係なく不明のままであり、それが乗り越えられることはない。
何かの動物に似てない人は信用しない
そんな事まで明かされるのかよ
検察側の追及は容赦ない。そんな事まで明かされるのかよ。弁護側は真実はどうでも良くて陪審員への心象を良くするんだってちょっと厳しい戦いなんじゃない。
ドイツ人とフランス人がロンドンで出会って彼の故郷のフランスでの生活を選ぶ。ドイツ人の彼女は母国語を話す事がなくなり英語で暮らすも裁判では仏語で話す事を要求される。
作家としてヒット作を出した彼女と、その作品は俺のアイデアだったと卑屈になって行く彼。
二人の生活がすれ違って行く。でも言ってみれば当たり前でそれを乗り越えて行くのが人生だとも言えるんだけどなあ。
自分の時間って何だろう?料理したり掃除したり洗濯したり子育てしたり生活の全てが生きると言う事じゃないの。確かに彼女は好きなように過ごしているかもしれないけど、それは家庭内であっても隣の芝生が青く見えるだけかもしれない。
そんな風に思うとどちらにしても動機が弱い。
でももし周囲に彼女への疑惑を抱かせる為に彼が故意にふっかけて録音をしたのだと考えるとまた違った解釈が出来るわね。
そしてラストシーンで彼女に寄り添った犬(スヌープ)は何を知っているの?何を依頼されたの?
「ザリガニの鳴くところ」では無罪判決に「よっしゃー」と思ったけど今作はそうなりませんでした。
主演女優の演技力を観る映画だった。
愛犬スヌープの演技力に驚愕
2023年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、2024年の米国アカデミー賞でも作品賞や監督賞、主演女優賞などにノミネートされる本作が、ようやく日本でも公開となったので早速観に行きました。
フランス人の夫・サミュエルとドイツ人の妻・サンドラ、そして11歳の視覚障害のある息子・ダニエルの3人家族にまつわるお話でした。フランスの山奥にある自宅の屋根裏部屋のバルコニーから転落したサミュエルを発見したのはダニエル。母のサンドラを呼び、救急車も駆けつけるが既にサミュエルは亡くなっている。そんなサミュエルの死因は自殺だったのか、はたまたサンドラによる殺人だったのか?殺人罪で起訴されたサンドラの裁判を巡る”法廷ミステリー”の鍵を握るのは息子のダニエルということで、非常にスリリングな展開でした。
”法廷ミステリー”とカッコつきで表現したように、本作の本質は、事の真相はさておき、とにかく裁判に勝つことを目的とした現実の裁判制度に沿った形で話が進められており、最終的に真犯人が暴かれてカタルシスが得られるようなミステリー作品ではありませんでした。しかしながらというべきか、だからこそというべきか、名探偵が難事件をスパッと解決するミステリーでは味わえないリアリティを感じることが出来た作品でした。
面白かったのは、そうした”法廷ミステリー”の流れで考えると、新たな証拠が出てくるたびにサンドラの証言は二転三転し、さらには過去の不倫の話まで蒸し返されることになり、徐々に彼女は追い詰められて行きますが、それを救ったのが息子ダニエルの会心の一撃だったこと。事件当初は父が不慮の死を前にして悲しみに暮れていた彼が、裁判が進むにつれて母にとって不利な状況になる中、国から派遣された監視役の女性の助言を得て勇気付けられ、結審間近に証言台に立ち、裁判長に向かって堂々と自分の意見を述べるに至る。「ハッキリとした証拠がない場合、自分がどう思うか決断しなければならない」と。それを聞いた裁判長は、子供ながら裁判の現実を突いたセリフを発するダニエルを前に、不意に目を覚まされたような衝撃を受けた表情をしていたのが非常に印象的でした。
勿論本作で扱ったのは一審判決までであり、その後上級審に裁判が縺れたのかも分かりませんでしたが、決定的な証拠が存在しない以上、仮に上級審で争われても、ダニエルが母をサポートする限りは同じ結果になったのではないかと思われました。
さて物語の内容はこれくらいに、本作の役者の方に目を向けたいのですが、何と言っても驚くべきはペットの愛犬スヌープでした。視覚障害のあるダニエルに常に付き添うスヌープでしたが、単に愛くるしいペット役を引き受けただけでなく、ダニエルが事の真相を探るためにアスピリンを大量に飲ませ、昏睡状態に陥ってしまいます。これって動物虐待じゃないのと心配になりましたが、町山智浩さんがラジオで解説したところによると、全て演技なんだそうです。犬が昏睡状態に陥り、さらには塩水を飲まされて薬を吐き出して正気に戻る演技をするなんて、驚きしかありません。スヌープはこの演技でカンヌ国際映画祭のパルム・ドッグ賞を受賞したそうですが、まさに納得の演技でした。
人間様の方については、やはり主役のザンドラ・ヒュラーが良かったし、彼女を法廷で追い詰めた検事役のアントワーヌ・レナルツも本物さながらでした。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
邦題も秀逸
落下の解剖学ーは起きた事から浮かび上がる人間関係や内面、そして踏み外したら落ちて上がれない人生も表している秀逸な邦題と思います。
ミステリー仕立てではあるものの、裁判で結局有罪か無罪かを判明させるものではありません。
セリフに「真実は重要じゃない」「はっきりさせるなら心がどっちを選ぶか」とありましたが、そこに集約されています。
客観的事実はあれど真実は各個々人ごとに存在する。自身がどの説を信じたいか、なのだと、生きるとはつまり、そういう事なのだと言ってるように思えます。
明かされない謎はいくつかあり、果たしてテープというのは単に間違えたのか夫が妻の細工なのか。当日の口論の内容とはなんなのか。などありますが、夫のベッドで寝る事から私は愛はあるのだと思うことにしました。
録音の口論は、例えれば不登校の息子がいる、仕事を辞めて専業主婦になった妻と夫の会話の如きです。そこまではよくあることと思います。しかしメンタルなのか薬のせいなのか夫はおそらく不能であり、にもかかわらず妻は婚外恋愛を繰り返す。そして明らかな才能の差。かろうじて妻を支えるために家庭に入ってやってるのに!という己への言い訳もこともなく論破されてしまいます。才能のある者からしたら「じゃあ書けば?」でかけない気持ちはわからない。そして小説ともなれば小説=アイデンティティにも近いものがあるでしょう。アイデンティティに対して理解不能だし伴侶としても無能と言われたに等しい。傷つきやすい夫は死んじゃうかもなあと思いました。とはいえそれも観たわたしの憶測にすぎません。
真実は分からない
冒頭、何の情報もない中、妻が若い女性からインタビューを受けている。夫が大音量で音楽を流していて、聴いているだろう本人もけして心地良いとは思えない。
視覚障害のある子供が1人で飼い犬を洗う。すぐに散歩に出る。
違和感が多い。
妻は女性の質問には答えず何か落ち着きがない。
落ち着かない大音量の音楽
犬を洗ったばかりで外に散歩に連れ出す子供
突然の夫の死により、妻が疑われ、検事と弁護士、第三者の目線から、この事件の真相が語られていく
最後にダニエルのベビーシッターが、「最後は自分で決めるのよ」と言い、ダニエルが信じた信実に事件も終止符を打つのだが、観客には結局どっちなんだと疑問が残る
どんなに状況証拠を並べてみても、結局本当の事は分からない。夫婦の関係も同じ
ダニエルがそうした様に、私も、自分が感じ、選択した信実を信じるしかないのだと感じさせられました。
それにしても、サンドラとダニエルの演技は、ドキュメンタリーを観ているように自然で魅力的でした。
最後の判断材料は
法廷ドキュドラマ
フランスの山荘に住む三人の家族。
ベストセラー作家の『サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)』、
夫の『サミュエル(サミュエル・タイス)』、
事故の後遺症で視覚障害がある息子の『ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)』。
ある雪の日、『サミュエル』が家の前で頭から血を流して死んでいるのが見つかり
自殺・他殺の両面から捜査を開始した警察は
殺人容疑で『サンドラ』を起訴、
そこから物語は法廷劇へとなだれ込む。
裁判官、陪審員、傍聴人の前で明らかにされる夫婦間の確執。
作家を目指していた夫の挫折とそれによる精神の変調、
息子が遭った事故の遠因、
妻の性的嗜好、
家事分担の偏りや家計の内実まで微に入り細に入り暴露されていく。
また、こうしたスキャンダルが大好物なマスコミも好餌とばかりに飛び付き
報道を垂れ流す。
そんな中、法廷では検察側と弁護側で丁々発止のやり取りが繰り広げられる。
検察側の一番の弱みは直接的な証拠が何も無く、目撃者もいないこと。
「疑わしきは被告人の利益に」が本分であれば、起訴の妥当性すら疑わしい。
それでも裁判に持ち込んだ意図はどこに有るのか。
しかし状況証拠が積み上げられるうちに、
『サンドラ』のついていた嘘が暴かれ
グレーな印象を持たれ出す。
双方は互いに有利な証人を喚問し、
一つの事実は正反対の見方に綺麗に分かれる。
果たして真相は如何に、との
息が詰まるほどのサスペンス。
キモとなる法廷シーンはドキュメンタリーを観ているような
カメラワークとカット繋ぎで高まる臨場感。
とは言え、シンプルな法廷モノとは異なる側面を持ち合わせるのも本編の特徴。
男性が稼ぎ、女性が家庭を守るとの固定概念。
性差による役割分担の偏見が、捜査や起訴する側の念頭に有ったのではないか、
男女が逆であったら果たしてどう動いたか。
また、日本にありがちと(勝手に思っていた)検察の都合による起訴が
行われている事実。
検察側の証明も根拠の薄い推測に頼っているにも関わらず、
被告側の証言には声高に「憶測に過ぎない」と切って捨てる頑な態度、等。
無理筋は露呈し、しかしそれを引っ込めることはさらさらない。
抱える視覚障害の故、もっとも証人としての信憑性が低いと見られていた
『ダニエル』の証言が決め手となり、裁判は結審。
しかしその判決が正しかったのかは誰にも判らない。
『ザンドラ・ヒュラー』の静かな態度の演技が
ひと際目を引く。
聞くところによると、
監督・脚本の『ジュスティーヌ・トリエ』は
彼女を念頭に当て書きをしたそう。
いやー面白かった
2023カンヌ・パルムドール
「落下の解剖学」
’
映画館ではいつも後列の右通路側に
座る。
けれど、我が街北九州には
珍しく大入りで、やむなく
前から三列目で鑑賞。
これが大正解。
’
アップを多用する映像は近くで見ると
迫力があり、スクリーンに覆いかぶされ
そうになり、2時間34分、一度も飽きる
ことなく見入ってしまった。
’
真実は何か、妻は夫を殺したのか、否か、
子どもの証言はほんとなのか、
裁判の様子、妻のほうが社会的地位も高い
今どきの夫婦ケンカなど、どのシーンも
リアリティに満ちて、迫ってくる。
ミステリーとしてはツッコミどころは
あるが、僕はあまり気にならなかった。
’
主演のサンドラ・フラーの演技が
ほんとに素晴らしい。
’
確かにカンヌとかで評価されそう
面白かった。外国人率高し。
孤立した雪の中の山荘的な家で起きる死亡事故。
作家同士の夫婦の夫の落下死。妻にかかる疑い。
二人の間にいる息子(視覚障害)。夫婦の言語であるフランス語とドイツ語と共通語としての英語、そして裁判はフランス語、というのもポイント。
もう犯人が誰かというより、妻がやったか事故なのかのどっちかしかない裁判の進む先に炙り出される夫婦間の秘密、と、妻にしかわからない人間関係、息子にしかわからない人間関係。その割にはどうなるのかまったく終わりが見えないのは息子の設定だろうな。
この映画の面白味は、そのリアリティに尽きる。
現代ならではの人間関係と嫉妬、不安、など、そういう焦燥感を使うか〜という新鮮味。
そういえばフランスの法廷もあまりみてないから検事と弁護士の服装やら法廷的職能演技がまた嫌味があったなぁ。
裁判から、狭い人間関係が公の面前に見せ物のように立ち現れ、その際に参加している人々の顔、顔、顔、をかなり写して、観客もその裁判に立ち会わせるような演出になる。ここでも最終的には息子がブラックボックス。思い出した父の思い出は少年目線で観客に見せるが、もちろん少年にはその顔は見えてないはずなのだった
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