ミッシング

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ミッシング

解説

「空白」「ヒメアノ~ル」の吉田恵輔監督が、石原さとみを主演に迎えてオリジナル脚本で撮りあげたヒューマンドラマ。幼女失踪事件を軸に、失ってしまった大切なものを取り戻していく人々の姿をリアルかつ繊細に描き出す。

沙織里の娘・美羽が突然いなくなった。懸命な捜索も虚しく3カ月が過ぎ、沙織里は世間の関心が薄れていくことに焦りを感じていた。夫の豊とは事件に対する温度差からケンカが絶えず、唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々。そんな中、沙織里が娘の失踪時にアイドルのライブに行っていたことが知られ、ネット上で育児放棄だと誹謗中傷の標的になってしまう。世間の好奇の目にさらされ続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じるように。一方、砂田は視聴率獲得を狙う局上層部の意向により、沙織里や彼女の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材を命じられてしまう。

愛する娘の失踪により徐々に心を失くしていく沙織里を石原が体当たりで熱演し、記者・砂田を中村倫也、沙織里の夫・豊を青木崇高、沙織里の弟・圭吾を森優作が演じる。

2024年製作/119分/G/日本
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:2024年5月17日

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(C)︎2024「missing」Film Partners

映画レビュー

4.0ヤッパリ観てよかった。

2024年9月27日
PCから投稿

前作「空白」についてレビューをしようと思いつつも、当時2021年はそれどころではなく、ここでサラっと語ろうと思う。 「空白」を観るのに時間がかかったのは、2021年という歴史的大事件とは別に、少女がトラックにひかれる話に、娘を持つ親として、大好きな吉田監督の作品とはいえ、「楽しむ」ことはできないだろうとの気持ちのほうがむしろ大きかった。 ところが結果として、さすが吉田監督、きっちりと「娯楽作」として仕上げていたことがとてもうれしく、しっかり楽しませてもらった。 やり場のない怒り、理不尽な攻撃に罪悪感、背徳心を常に抱え、それを認めることも難しい登場人物といった「おなじみ」の設定は従来の吉田恵輔監督作品にみられたもので、それ自体は全く大好物だった。 ただ、いささか「マスコミ」への一方的な「悪」としての描き方に若干の嫌悪感を感じてしまった。さらに少し持ち前のサービス精神が走りすぎたか、いつもの笑いと心苦しさの持ち味を出そうとしての、寺島しのぶのキャラクターが過剰、主軸の物語のノイズになってしまっていたのも否めない。 その辺りが過去の吉田監督よりも、オレの中ではちょっと厳しめの位置取りだが、素晴らしかったのは確かだ。 さて、今度は、少女の失踪である。おいおい大丈夫か、オレ。 「ミッシング」 ・ ・ ・ 本作、よく言われているように、その「空白」とは地続きの、続編と言っていいほど、セットで観るといい。オレの前作で気になった部分が見事に補えていることが素晴らしいし、本作の若干のあざとさもそういう観方で、あえての演出なのだともわかる。 まずは、マスコミの印象。前作の一方的な視点だけでなく、若干スイートではあるが、地元テレビ局員の良心と報道の在り方への苦悩は描かれている。逆にSNSへの誹謗中傷については、犯罪である。ここには手を緩めない。 そして、主人公の帰着点。 前作「空白」の2人(古田と松坂、あと学校の先生かな)の決着はお互い「背徳感」と「罪悪感」を抱えつつも、「共感」や「歩み寄り」でほんの僅かの1歩を踏み出せるところで映画は終わる。ただそれもモヤっとした感じのため、ここは好き嫌いあろう。(オレは好きだ。) 本作ではもう少しハッキリと前向きに光が差す。決め手は「感謝」の言葉。 世の中が狂っているのではない。狂っている、と感じないように生きるしかない。自分でなんとかしないと変わらない。主人公たちと同じ家族構成ゆえ、絶対にこんなことはあってはならないし、起こさないように日々を生きるしかない。 だが、「ありがとう」は最強のことば。言われて最もうれしい言葉である、とオレは信じている。言われると、1日中HAPPYだ。オレはあまのじゃくだから、イヤな相手になかなか「ありがとう(ニコっ)」とは言えないが、言えば何かが変わる、ことは頭の中で理解している。しんどい時に「ありがとう」をいうのもつらいけどね。 主人公も、おのずとそういう役割を買って出たのは、そういうことなんだと思っている。(なんとなく、詳細カットしているような気もするが、それも余白としてよし。) ちゃんと心を揺さぶり、自分を振り返ったりできる、「お金を払って」観てよかった、と思えるのが娯楽作だと思っている。しっかり楽しませていただきました。 追記 前作の「モヤっとした結末」と打って変わっての比較的わかりやすい希望の光を受けるのはやはり、古田新太ではなく、石原さとみのほうが適任ということかな。彼女の演技については、実際に子を持った母親としての素直な表現だと思う。そのため、実生活の彼女と同じく、オレにとって、彼女の演技をどうこう言うのは、無理。 追記2 弟君のお友達が非常にいい味。どん底の弟君を救うことができる、「ほんのちょっとだけ上」の顔や態度、風貌が素晴らしい。吉田監督、さすがの配役。

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しんざん

揺れる

2024年6月3日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

「お母さんのせいで私は殺されたの」 「お母さんのおかげで私はみつけられた」 そんな罪も赦しも与えられないのが、行方不明事件が未解決であるという事態なんだと思う。 娘の美羽がみつからない沙織里は、「もし」を積み重ね続けている。「もしあの日ライブに行ってなかったら、」「もし今もビラ配りを続けていたら、」「もしテレビの取材を受け続けていたら、」「もし弟がしっかりしていたら、」「もし警察がちゃんと捜査していたら、」もしも、もしも、もしも…。 生活の全てが「もし」や事件の解決に回収される。娘は何も語ってはくれない。そんな無限の「もし」と責めに駆り立てられるなら、沙織里の心は荒むし、揺れるし、安定しない。 SNSでは誹謗中傷が繰り返され、テレビの報道は視聴率との睨めっこで何も解決に向かわない。私たちの信じる基盤が揺らぐ。どこに希望の光があるのだろう。 〈私〉の行為が思いがけなく誰かを救うことになる。そんな他者との架け橋が事件を必ずしも解決させなくとも、赦しを与えてくれるのかもしれない。 路肩に止まる車の何気ない風景に壮絶な物語を織り込む本作。石原さとみのあごの震えにも着目です。

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まぬままおま

4.5お礼が言えること

2024年6月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

第一に子どもが行方不明になった夫婦の魂の回復の物語であるが、第二の争点として報道姿勢の問題を描いている。その2つが絡み合う中で、現代社会の得体のしれない「軋み」を浮かび上がらせる構成が抜群にうまい。 石原さとみ演じる母親は、コンサートに言っている間に子どもが行方不明となったことでバッシングを受けている。心無い世間のバッシングが彼女を追い詰め、言動が過激化していく。この事件をなんとか報道し続けようとする、中村倫也演じるテレビ局の記者は、上層部の意向で、母親の弟などを取り上げるように指示され、次第に事件の核心が外れるような報道をさせられる。テレビ局の視聴率への偏重が彼女をさらに追い詰め、次第に報道はなされなくなる。 報道姿勢に異を唱えつつも、唯一報じ続けてくれるテレビ局だから、藁にも縋る思いでその報道姿勢に乗ろうとするが、結局のところそれは事件の解決につながるわけではないという残酷なリアルが突き付けられる。 しかし、夫婦の魂は、ある「同じ境遇の人」によってわずかに回復する。行動情報化社会でもまだ人間性は全て失われたわけではないと、最後にわずかな希望を残しては映画終わる。お世話になった人に面と向かってお礼を言うという極めてシンプルで当たり前のことがなされることが、人間性の最後の希望ということか。

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杉本穂高

ただ泣き叫んでいるだけ

2024年12月18日
スマートフォンから投稿

この映画が石原さとみの分起点ならば、そのために演じた役でしょうね。 泣き叫ぶだけ、イライラしているだけ。夫の方がむしろたんたんと事件を解決しようとしていてグッとくる。石原さとみがおもらししたシーンなんかいらないし、あれで賞を取ったの?ヒメアノールに感化されてそれがこの役? 翌日からは柔軟剤のCM出ていてがっかり。つまり、一度は汚れ役をやりたかったというだけ。響かない。何にも。

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こっこ