バビロンのレビュー・感想・評価
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ハリウッド映画界の光と闇
映画冒頭象から💩酒池肉林溢れたパーティが狂った映像。
どんな展開になるのかワクワクしましたね。
主人公のマニーは、映像の世界に憧れている。
ネリーは女優になる為ならなんでも来いの破天荒な女性を見事にマーゴットロビーは素晴らしい💕
そんな2人が出会い人生が無声映画時代からトーキー映画と見事に発展していったハリウッド映画界。
3時間と長い映画でしたが、癖強役者が面白くジャック役のブラッドピッド最高です。
それぞれの役者のストーリーが本当に面白い描き方で
前編通して、監督の映画愛を感じる映画でした。
ハリウッド版『蒲田行進曲』?
<映画のことば>
映画は低俗なものか。
映画は大衆の心に刻まれる。
演劇を観る金や教養のない人々はボードビルや町の映画小屋に通ったんだ。
そこには、夢がある。銀幕に映る世界は意味を持つ。
「象牙の塔」の君たちはどうか知らんが、市井の人々は映画に深い意味を見出だす。
君には分かるまい。
ブロードウェイで10万人が見れば世紀の大ヒットでも、映画なら大コケ。
<映画のことば>
「セットに行ったことは?」
「ないです。」
「楽しいぞ。世界で最も魔法に満ちた場所だ。」
「そう聞いています。」
もちろん、映画は観て楽しむもので、製作する側の立場ではない評論子には推測でしかないのですけれども。
しかし、芸術の一つの分野として「真」とか「美」とかを追求する映画製作の世界は、決して「ありきたり」なものではなく、混沌としたものなのだろうと思います。その混沌の中から(自分なりの)「真」とか「美」とかを見いだし、つかみとった者だけが、名優・名監督・名プロデューサーとしてのしあがることが出来るのかも知れません。
そうして、その混沌は、映画作品が追い求める「真」とか「美」とかが深ければ深いほど、またいつそう混迷の度を極めるのではないかと想像します。
まして、サイレント映画からトーキー映画への過渡期という混乱も重なる中で。
本作は無声からトーキーへと映画製作のスタイルが変わる時代を背景に、そういう映画界の有り様を描いた一本ということなのだと思いました。
地元では大手の興行会社から独立して長くミニシアターを経営していた館主さんによれば、映画館の経営を含めて、映画を取り巻く世界は、ほとんどオタクでなければ立ち行かない世界とおっしゃられていたことが、評論子の記憶には、ずっと残っています。
きっと、製作の現場だって、そんな世界なのだろうと推測します。本作が、その全編を通じて漂わせているような。
本作の題名は、古代メソポタミア地方の都市・バビロニアの栄枯盛衰(歴史的な混沌)をなぞらえるものでしょうか。
ハリウッドの時代の流れ・変遷を大きな背景としてオーバーラップさせながら、そんな混沌(無秩序?な)世界を生き抜いてきたマニーやラロイ。その生きざまが、心に刻まれる一本でした。
そういうことでは、映画を愛して、その愛情で映画を一本の育んで(作って)いく人たちの生き様を、声高に主張するのではなく、何気なく…反面、余すところなく描いているという点では、同じく「映画讃歌」としては素晴らしい出来だった『蒲田行進曲』を彷彿とさせる一本でした。評論子には。
佳作であったと思います。
疲れる
狂騒的で山あり谷あり。過剰だし回しすぎだしわざとらしいしもったいつけるしフラグもがっつり置くしこんな疲れる映画もめずらしかった。
ネリー・ラロイ(マーゴットロビー)の中枢神経がダイナミズムへの渇望に侵犯されている。そんな太く短く生きろと強迫されている薬中女とトーキーへの転換期に居合わせたダグラスフェアバンクスタイプの老優と映画を夢見たメキシコ移民の話。
昔ティントブラスのカリギュラという映画があった。レンタルVHSで見たことがあるがぼかしだらけでなにをやっているかわからない。つまりローマ帝国とは日毎乱交パーティーをやっているところだという話だったが、Babylonの中のハリウッド黄金時代はカリギュラのローマ帝国以上だった。それはあるていど現実でもあったのだろうが扇情的に描かれ個人的には興味深さよりも持て余すところが大きかった。
撮影シーンではアスベストが降ってくる。
カメラマンが熱さと窒息で亡くなるトーキー撮影シーンは過剰で、色の浅い黒人奏者に靴墨をつけろという場面は感傷しすぎだった。(1930年代に黒人が黒く塗れと言われたら概況からしてハイわかりましたと即答するのではなかろうか。)
コンラッド(ピット)の自死はフラグを立ててたっぷり長回しするのがあきらかに冗漫だった。伯爵の地下牢もそこからの脱出劇もやりすぎで、ネリーの失踪は感傷的で、結末のコラージュは総括しすぎかつ引っ張りすぎだった。
とはいえDamien Chazelle。腐っても鯛というかやりすぎが凄みになっている──と見ることもできる、とは思った。
Imdb7.2、RottenTomatoes57%と52%。
評は完全に二極化していて反発する批評家はすごい剣幕でこきおろしている。なんか辟易するタイプの映画で、酷評には首肯するところもあった。が、嫌だったが底力もあった。
労作なので賞レースには好かれている。
好かれすぎマーゴットロビーがさらに株をあげたしDiego Calvaは強い目力をしていた。ピットはなんとなくわざとらしかった。
個人的にルーカスハースとエリックロバーツに感慨があった。どちらもB級常連でメジャー映画に出なくなった古い名前だが、旧世代なら刑事ジョンブックのアドラブルなルーカスハース、コカコーラキッドの変なエリックロバーツを覚えている──のではなかろうか。ふたりとも重要な役で出ていたのは小さな驚きだった。
ララランドに感心したじぶんとしてはDamien Chazelleらしくないと感じるところが大きかった。洗練からわざと外しているような人物づくりや絵づくりをしている。それをどう見るかは人それぞれだが、とりあえずあきらかに三分の二に短くできる映画ではあった、と思う。
こんなに味変するとは思わんかったー!
正直冒頭のはちゃめちゃは少し、肩に力入ってるなあ、★4かなあ、と思ったけど、序盤のスピード感はすごく好み!まあ、ブラッドピットとマーゴットロビー出ててあのCMなら好きな路線とわかってたからね。
中盤、主要キャストの凋落ぶりを描くストーリーパートは少しテンポ感落ちたけど、ここが第一の味変。正直このままなら長いなあと思ったけど、終盤ギャングが絡むパートで今度はエログロアングラ感!第二の味変!そしてラスト。
ニューシネマパラダイスのハリウッド版?
と思わせるようなハートフルな終わらせ方というね。俺はマニーがLAに戻ってきて殺されるんじゃないかとヒヤヒヤしてた😅ちなみなネリーが車から降りて闇に消えて行く時も「横から車バーン」を警戒してドキドキしてたんだけどね。
ジャックのラストは予想できたなあ。あのカメラアングルは死亡フラグだしね。
「セッション」「ララランド」の監督だけあって音楽はバッチリ!でも「10クローバーフィールド
レーン」の監督でもあるわけでしょ?賞とっただけだと思って観ると予想外かも。
ブラピとマーゴットロビーで、雰囲気も少し「タランティーノ風」なのかな?意識したかはわからないけど。でも最近タランティーノ作品に影響受けたんじゃないの?って映画増えてるような気がするな。好きなジャンルだから嬉しいけど。
でもラスト「チャゼル版ニューシネマパラダイス」風にしても、その前にあれだけエログロやっておいてラストで感動でもないけど、、、
😅嫌いじゃないけどね。
今なお続く栄枯盛衰
前半はなんでもありのサイレント時代のハリウッドを、対照的な二人の若者のサバイバルを通して描く。のし上がるためにはセルフイメージもコネの作り方も問わないネリーと、大物の付き人から始め地道にステップアップしていくマニー。
ネリーの盤外戦術の中に○営業的な要素が無かったのが意外だった。登場人物には複数のモデルがいるらしいのでそちらへの配慮か、Metoo的な配慮か。
後半は映画がサイレントからトーキーに移行し、サイレント界の大物であるジャックやネリーが時代の変化に翻弄される様子が描かれる。声の演技の有無でこれほど命運が分かれたことに衝撃を受けた。おそらく現代でも、特撮やCGの発展に伴って消えて行った才能は少なくないのだろう。
映画の位置づけが大衆娯楽から文化の一角へと変わり他分野への影響力が大きくなるにつれ、業界に厳格なクリーンさが求められるようになるのも現代の芸能ジャンルと変らない。
過去のハリウッドのダーティーさを露悪的なまでに描いており、そちらに目が奪われがちだが、映画史を一つの視点からまとめた一本として楽しめた。出演者が他の作品では見られないようなキャラクターを演じているのがもう一つの見どころと言える。
本作は1920年代が舞台。あと100年したら現代の映画業界を描いた「バビロン」が誕生するのかも知れない。
栄華と狂乱迸り、昔も今も我々は映画を愛す
デイミアン・チャゼルが再びハリウッドを描く。
夢を見、夢を追い…って所は『ラ・ラ・ランド』と通ずるが、あのロマンチックでファンタスティックで切なさも織り交ぜた作風とは全く違う。
それは開幕シーンから明白。『セッション』で音楽映画をサスペンスフルに撮ったとは言え、チャゼルはこんな作品も撮るのかと思うくらい。
とあるパーティー。さぞかし優雅でゴージャスかと思いきや、いきなり象の糞尿、乱入。集った皆々が踊り狂い騒ぎ、アルコールにクスリとやりたい放題。しまいにゃ本当にあっちでこっちでヤリ始め、飲尿などモラルが崩壊。乱痴気狂騒の宴に驚愕唖然。
呆気に取られるのは映画撮影が始まってからも。カメラは故障、音楽はオーケストラが現場で同録、怪我人続出、役者は泥酔、さらには死亡者まで…!
時は1920年代、サイレント時代。
本当に当時のハリウッドはこんなカオスだったのか…?
確信犯的創作もあるだろう。が、全てが創作ではなく、こんな風に描かれるという事は…。何か、見てはいけない“暗部”を見てしまった気がする…。
しかし見る側は困った事に、これでもか!…と見せ付けられるイカれた世界に高揚。
チャゼルの演出は才と狂気の入り乱れ。
チャゼルとは名コンビのジャスティン・ハーウィッツの胸躍る音楽が拍車をかける。
ゴージャスな美術や衣装、ハイテンポな展開…もはや“見る”のではなく、トリップ体験。
が、3時間という長尺、ずっとそうではない。さすがに3時間ずっとこうだったら疲れてしまう。
この狂乱が“陽”なら、個々のドラマの末路は“陰”。
当時のハリウッドの栄光と闇…。
タイトルにもなっている古代都市“バビロン”の繁栄と悪徳の如く。
開幕のパーティーで出会った3人の男女のドラマが交錯。
映画スターのジャック。ハンサムでダンディで、多くの女性と浮き名を流し、公私共に派手。社の看板でもあり、一時代を築いたが…。
新進女優のネリー。田舎からやって来て、呼ばれてもいないパーティーに出席するなど怖いもの知らず。その度胸と自由奔放な唯一無二の性格が目に留まり、スターになっていく…。
メキシコ系青年のマニー。映画製作者を夢見る。パーティーや撮影現場の雑用から入り、ジャックに気に入られ、助手となる。チャンスや才を活かし、頭角を現していく…。
アンサンブルに徹したブラッド・ピットの円熟の味わいもさることながら、実質の主役はこの二人。
セクシーで破天荒で、劇中の言葉を借りるなら“野生児”。大ハッスル&ハイテンションで場をさらうマーゴット・ロビー。
真面目で平凡な青年からキレ者の映画製作者へ。本作は彼のサクセス・ストーリーでもある。それを体現したディエゴ・カルヴァ。
ジャーナリスト、ジャズ・トランペット奏者、字幕製作者兼歌手、スタジオや業界関係者、ギャングまで…一癖も二癖もある登場人物を、豪華キャストが好演、快演、怪演。
極上のアンサンブルがかつてのハリウッドの熱狂を高める。
往年の名作群にオマージュが捧げられ、フィクションとノンフィクションも交錯。
実在の人物やモデルにした人物も。
奇しくもブラピとマーゴットが共演したタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を彷彿。
ここで興味深いのは、ブラピ演じるジャックとマーゴット演じるネリー。
性格は違うが、スターとして栄光に輝き、やがて没落していく様は何処か似通っている。
二人にはモデルあり。ジャックはダグラス・フェアバンクスやジョン・ギルバート、ネリーはクララ・ボウ。
いずれもサイレント時代にスターとして君臨するも、トーキー到来と共に失墜し…。
1920年代後半と言えば、映画界の大変革。サイレントからトーキーへ。
それまで音の無かった映画から、音や声が溢れる。娯楽と芸術を兼ね備え、映画がさらに巨大産業に。
だが、誰にとっても喜ばしい事ではなかった。日本でも活弁士が失職。
サイレント映画のスターにとっては死活問題。
ジョン・ギルバートはそのイメージに合わない甲高い声で失笑を買い、人気が低迷。アルコールに溺れ、哀れな最期を遂げる。ジャックは彼そのもの。
クララ・ボウもトーキーで品のない喋りが急所となり、加えて乱れた私生活も露に。彼女もまた哀れな最期を…。言うまでもなくネリーは彼女。
ぶっちゃけサイレント映画は台詞を喋らず、演技が出来なくてもいい。スターとしてそれらしく振る舞っていれば、字幕や音楽で創り上げてくれる。
が、トーキーはそうも言ってられない。台詞を喋り、それを表す演技も要求される。
実力や本性が暴かれ、虚像や偶像から実像へ。各々のキャリアも大きく開く事に。
失墜していったサイレントのスターたちが皆、見合った実力や魅力が無かったという事ではない。
サイレントからトーキーとなり、どれほどのものを得、失ったか。
トーキー撮影の悪戦苦闘。あのシーン、笑えるシーンでもあるが、修羅場でもある。当時、どんなに大変だった事か…!
喋る映画を低俗と見なし、演劇とは格が違う。演劇は限られた定員数のお上品な連中を満足させるが、映画はその何倍も、世界中で成功させなければならない。それでも映画を低俗と見下すのか…?
マニーの支えで、ネリーは心機一転。下品な振る舞いから淑女になろうとするが、出席したお上品なパーティーに息が詰まり、腹の底では嘲笑う上流者様どもにイライラが募る。遂にプッツンブチギレ&ゲロゲロお見舞い! 過ち繰り返し、愚かで哀れだが、気取った連中どもに本音と本心をぶっちゃけて、スカッともした。
当時のハリウッドや人々を何も茶化しているのではない。寧ろ、チャゼルは郷愁と思いをこめて。
一時代を駆け抜けたスターたち。
製作者も光と陰を目の当たりに。
才能と手腕を発揮し、このまま映画製作者として成功していくかに見えたマニーだったが…。
スタジオからの要望で、黒人に黒人塗料を。築いた友情や尊厳を黒く塗り潰す。
ネリーのトラブルでとんだ事態に。映画界追放どころではなく、命の危機レベル。
全てを捨て、出会った時から抱いていた愛に生きようとする。
が…
圧倒的な熱量、理想に溺れ、あれは夢か幻だったのか…?
ラストシーン。
ハリウッドを離れ、メキシコに戻ったマニーは、家族を作り、ごく平凡な幸せを。久方ぶりにハリウッドを訪れる。
かつて働いていた会社、世界。
それは今尚さらに、発展し続けている。
久しぶりに映画を観る。
そこに映し出された物語やスターの輝きに、観客は虜。
かつて一時代を築いたスターたちは、映画の中で生き続けている。
映画は創り上げられた夢や虚像ではない。今見る人々にとって、全てがリアル。その興奮も、笑いも、恐怖も、幸福も…。
自分が携わっていたのも、夢や幻ではない。そこにあり、そこにいたのだ。
溢れる涙がそれを表す。
昔も今も、これからも、我々は映画を見続け、愛し続けていく。
もう3時間越えは勘弁してちょ
ジジイは水絶ちなど事前準備がめんどくさいねん!
が、時間は気になりませんでした。
エンドロール前ぐらいかな。要らんのは。
それはそれで演出者にとっては必要なんでしょうが。
マーゴットロビー目当てですが
人の注意を聞かない馬鹿女を熱演。
最後はそうなるやろうな、と思ってそうなりましたとさ。
ブラビはやはり出ているだけで映画が締まりますよね。
70点
5
MOVIX京都 20230225
今回はさすがに喪失感が邪魔すぎる
感想としては群像劇としてそこそこ面白く
割と斜め上を行ってくれる展開は見ていてそこまで長くは感じなかった。
若干は長かったけど。
この映画は、映画のための映画であり
監督の映画愛はさすがに感じる事ができる。
でも、その表現にチャゼル映画につきものの
登場人物に何かを失わせる必要があるのか?
高揚感と共に繁栄を映し出してほしい。
デイミアンチャゼルは、登場人物に何かを失わせなければ
物語を描けない何らかのフェティシズムがあるのだと思う。
感想をまとめると
今回の映画は、表現したい事とその喪失感がバランスが悪いと感じる。
・映画文化の隆盛とその未来の明るさ
・登場人物の未来は何故か全員暗い
この対比がハマってない気がする。
ラ・ラ・ランドも後半は失いすぎてついていけない。
セッションくらいに留めておいて欲しい。
ただ、才能はどこからでも溢れすぎているので
いつかはスタンリー・キューブリックの自伝映画とか作ってほしい。
ハリウッド版ニューシネマパラダイス
デミアンが鮮烈に放った!
映画へのビッグラブ❤️
これは理屈抜きに楽しい😝アイラブユーアイラブユーアイラブユー😍な映画好きの為の傑作ですよ🫶
役者たち、大好きだ
監督に最大限のリスペクトの嵐🌀を捧げます
ハリウッド版ニューシネマパラダイスに拍手喝采👏こういう映画を世に出せる所がアメリカ🇺🇸映画界の懐の深さかなぁ
ムーチョ アミーゴス🌵🫰イイーね😘
なんかね、ブラピがね
色んなハリウッド映画作品、制作に携わる者へのリスペクト感出してるかもしれんが、ちょっと興醒めっすわ。特に後半、あからさま、模倣、意味無しな他者作入れ込み、これらが本作の作品筋を見失う事ばかりで。
繰り返し撮影のくだりは面白かったが、徐々に失速した。
ブラピ、こういう映画好きねwもうちょっと作品選んでいこうよ。
結構、ヘビーね
いやー、痛いよ…なんか…
映画制作の裏側を面白おかしく描いてるのかと思ったら、
結構、ヘビーだったなぁ…
アメリカにおいての
ハリウッドや
俳優の栄枯盛衰的なところ、
日本の映画界よりも、
トップダウンの振り幅が半端ないから、
余計に切ない…
ブラピ…
これぞ映画
最初から最後まで夢中で引き込まれて、先がどうなるのか、待ち遠しい
1シーン1シーンだった。
アカデミー賞7冠映画を楽しめなかった反動なのか、
充実して幸福感に包まれる映像体験が出来た。
バビロンとは紀元前25世紀の都市「バビロニア」の名称。
「繁栄と混乱そして衰退」を現している思う。
1920年後半から1930年初めのハリウッド創世記。
サイレント(無声)映画からトーキーと呼ばれる映像と音声が同期した映画に
変わる映画黎明期。
サイレント映画の大スター・ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)
そしてスターを夢見る田舎娘ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)の
隆盛と衰退を見届けるメキシコ人の付き人のマニー・ドレス
(ディエゴ・カルバ)の視点を通して語られる。
冒頭のジャック主催のパーティーの無軌道・淫乱・狂熱の馬鹿騒ぎ。
デイミアン・チャゼル監督って、こんな映画撮る人だっけ?
と思いつつ「過剰なイメージの洪水」を楽しむ。
サイレント映画の撮影風景も珍しくて嬉しい。
カメラを10台壊して借りに行くマニー。
日没前に慌てて撮影する緊張感や高揚感が胸を熱くする。
一方、お下品と持ち前の勘と度胸でスターダムにのし上がるネリーだったが、
トーキーになるとその無知なガサツさや声の悪さが、悪目立ちして、
だんだん酒とドラッグに溺れていく。
見ているマニーはキノフィルムの重役になり、なんとかネリー元のスターに
カムバックさせようと奔走するものの、裏目に出てネリーはヤクザの
イカサマ博打で大金を借金する羽目になる。
ネリー役のマーゴット・ロビーの美しさ野生味が最高でした。
誰もが目を奪われるし、惹きつけられるし、吸い込まれます。
お下劣最高!!
ゲロ噴射最高!!
ジャック・コンラッド役のブラッド・ピットも良かったです。
マーゴット・ロビーに喰われた感はありますが、
ブラッド・ピットが存在しなければ《屋根のない家》みたいなもの。
栄枯盛衰。
それが大スターの誰もが通る道。
それにしても製作にもクレジットされている
ヤクザ役のトビー・マグワイア。
異彩を放っていました。
死臭さえ漂わせる退廃感。
イッちゃった男・モラルのない男・腐りかけの自己。
貴重なバイプレイヤーになったものです。
ネリーが毒蛇に噛まれるシーンの顛末。
トビー・マグワイアの怪しすぎる洞窟の地下での狂宴。
マニーとネリーののメキシコ国境の逃避行の結末。
黒人トランペッターのシドニーの演奏。
(そして彼を傷つける黒炭・・・差別)
心に刻まれるシーンの多いこと。
ネリーは無声映画では輝くスターでも、トーキーになれば、
知性や教養の無さ、育ちの悪さのコンプレックスから、
自分は無用と分かったんだと思う。
咲き誇る花、
タワワになった果実、
酒池肉林、
そんなものがガガーッと崩壊する様。
デイミアン・チャゼル監督は言う。
アメリカ映画業界の初期、
無声映画からトーキーの移行期に自殺やドラッグの過剰摂取による、
死が頻発した。
《派手な生活、野心、情熱、向こうみず》が、産んだ結果。
今の時代も、スターの心は高揚から奈落を行き来し、
そんな悲劇をファンも何処かで愉しんでいる。
今も昔も少しも変わらない
【ハリウッドの悲劇】
映画ファンには大ご馳走の映画。
(私の偏愛映画に確定)
圧倒的熱量の3時間!飛ぶぞ!
意識がぶっ飛ばされた圧倒的熱量の3時間
興奮で震える体験は久しぶり
血がたぎりました🩸
最も心に響くエネルギーを感じさせてくれたのは音楽。
飛ぶぞ
それ以外にもう説明のしようがない
とにかく今でも爆音でサントラを何度も聴いてる
そしてシーンの画力
鳥肌を立てながら息を飲む程のパワーと、刹那的な美しさ
脳裏に焼き付いて離れない
酒池肉林のパーティーシーン
パーティー明けの朝焼け
特にこのシーンは素晴らしかった
マニーが映画館に立ち寄り、ある光景を見るラストシーン。
涙が止まらなかった
この映画を映画館の大スクリーンで見た俺は勝ち組。
視野を覆い尽くすスクリーンと爆音のスピーカーで、体全体で浴びるように、今作を感じることができて本当に良かった
デイミアンチャゼル最高
ひとことReview!
なんだか「ぶっ壊れた」感じで、掴みどころが分からない作品。サイレント時代からトーキー時代へとなった映画作りの苦悩は感じるけどねぇ。映画は駄目だけどサウンド・トラックは欲しい。
バビロンとは
キリスト教的には最も繁栄している不道徳な都市というイメージらしい
また、バビロンはバベルのヘブライ語表記であり、つまりはバベルの塔をイメージしているものと思われる
そういったイメージで見るとなるほど、退廃的で不道徳感が満載なオープニング
そしてその後サイレントからトーキーへと時代が変わるとサイレント時代にはなかった声や、台詞、音への配慮がとてもシビアになり、栄光から転落してしまう
逆に音を味方につけた者は一気にスターダムにのし上がっていく
この辺りもバビロンが神の怒りに触れ散り散りにされたことに通じていそう
そしてエンディングのあるシーンは逆説的にそのバラバラにされた色々な人達が集まって映画を観ているように見受けられた
ところどころ結構グロいし、汚ないし、めちゃくちゃなのでその時点で否定的な人も多いかもしれない
しかし映画制作がこの映画に出てくるようなとんでもない事をやってきて、その時代を経てきた延長線上に今がありそういった時代を映像に残した事には意味があるだろう
この映画、年を重ねるごとに評価は変わってくると思う
1926年 - 1932年 - 1952年
時代が動く臨場感を味わえるかのように
約190分の映像のリズム、スピード、音量、お芝居
それぞれ感情の起伏が大きい
特にサイレント映画時代から発声映画の時代に入った時は
全く異なる体験、感じ方が存在する
それでも
一貫した「滅びの美学」というテーマに向かって
コマ単位に計算され、オーケストラ音楽の如く組み立てられている
後半は北野武 映画のような
登場人物たちの渋い退場シーン
日本のバブル期を経験した世代はグッとくるはず
時代を描いている作品だからこそ
この映画は、年を重ねるごとに大きく評価は変わってくると思うし
今後のイイ投資映画であって欲しい
長い…
映画館にて鑑賞しました。
「セッション」でデイミアン・チャゼル監督を知り、監督の作品を見るようになりました。
長い、というのが一番の印象です。ストーリーや世界観はラ・ラ・ランドよりも好きなのですが、長いです。
最初の下品なド派手パーティーシーンは自分としては結構好きです。ネジの外れた人間の欲望が、あれだけの物量で描かれるとそれだけで画面映えするなぁ、と思います。
ストーリー途中まではネリーもマニーもトントン拍子で活躍していくわけですが、栄枯盛衰の速さは流石ハリウッドなのかなと思うほど、ネリーの凋落ぶりも凄いです。これは本人の元々の資質も関係ありそうですよね。
どれ位当時のハリウッドや映画界の熱狂を描けているのかは分かりませんが、どのような世界・業界でも黎明期が持つエネルギーというのは魅力的ですよね。そういった魅力を夢見させてくれる意味では良い映画でした。
年老いたマニーの映画館でのシーンは、監督は映画が大好きなんだなぁ、と感じさせられたシーンでした。
ただやっぱり時間が長いですね…。
全385件中、41~60件目を表示