バビロンのレビュー・感想・評価
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デイミアン・チャゼルの音楽センスが健在。3時間超は配信視聴向きかも
映画の道に進む前はジャズドラマーを志し、実体験に着想を得た「セッション」やミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」でその音楽的センスを演出に活かしてきたデイミアン・チャゼル監督。この「バビロン」でも劇中曲やBGMの使い方だけでなく、長回しと短いカット割を使い分ける編集のリズムにもスリリングな音楽のようにぐいぐい引き込まれる心地よさを覚えた。
あいにく公開時に見逃して配信での鑑賞。序盤の乱痴気騒ぎのパーティーや日没間際の野外ロケでのシーンなどは大スクリーンに映えそうだが、トイレを気にせず軽く飲みながら観られたのは良かった。
チャゼルが「セッション」で名声を博す前の2009年にはすでに本作の構想があったが、無名監督にしては壮大すぎる企画とみなされたのか売り込みは不発。だがプロデューサーのすすめで、業界での成功を夢見る男女の軸は残しつつ、時代設定を変え、ミュージカル映画としてストーリーを作り直したのが「ラ・ラ・ランド」だという。ちなみに「バビロン」のネリー役には当初エマ・ストーンが予定されていたが、コロナ禍による撮影の遅れでストーンが降板したのちマーゴット・ロビーが起用された。
古き良きハリウッドを描き、ブラッド・ピットとマーゴット・ロビーが共演している点でも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」と比較されるが、個人的には「バビロン」の方が好み。往年の“ハリウッドの夢”を支えた多様な人種や出自の人々すべてに対する憧憬と敬愛が伝わってくるのが、チャゼル監督作品の美点だと思う。
ロマンチストな監督が稚気大開放にして描くハリウッド混沌期
まだまだ有象無象がひしめくカオスだった1920年代のハリウッドから、清廉潔白を表看板にした大資本の時代へ。その劇的な変化を、サイレントからトーキーへの過渡期と重ね合わせるのがこの映画の趣向。乱痴気騒ぎに過ぎない序盤のパーティーシーンには面白みを感じられなかったが、映画の撮影シーンの混乱から作品が生まれるエネルギーには惹きつけられる。ただ、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」を手本にした、かなり露悪的にカリカチュアされたハリウッドという印象ではあり、歴史の再現というよりも一種のダークファンタジーだと思って観た。良くも悪くも人生観や世界観が未成熟く思えるのはこれまでのチャゼル(どうやら発音はシャゼルが正しい)と変わらないし、それが個性でもあり、物足りなさでもあるのだが、チャゼルが一貫して極度のロマンチストであることは浴びるほど伝わってきたので、やっぱり嫌いになれない。糞尿ネタで嬉しがってんじゃねえよと眉をひそめつつも、どこかしら可愛いんだよな。
トーキーで失ったもの
サイレントからトーキーへと移り変わる時代のハリウッドの狂騒と哀愁。『雨に唄えば』の変奏として見ごたえはある。だが、何か足りないというか、いまいち本物の狂気感がないなという感じがある。メインプロットとサブプロットのバランスをどう考えて構成したのかとも感じた。マーゴット・ロビーとブラッド・ピット、2つのメインプロットに、字幕作りのアジア人女性や黒人ジャズミュージシャンのサブプロットなどが挿入されていく。マイノリティの置かれていた立場の検証として興味深いのだが、映画全体にどのような効果を及ぼしたか。
サイレントからトーキーへと変わり、前向きな変化だけがそこにあったわけではない、滅んでいくものへの哀悼がある点はこの映画の美徳だろう。笑われ、退場させられた人たちにも人生はあった。
個人的にはトーキー化によって映画が何を失ったのかを端的に描いた点が良かった。マーゴット・ロビーがマイク位置の場ミリのポイントに上手く立てないで苦戦するシーンがある。華麗に踊りながら行こうとしたらずれてしまって、音が拾えない。だから、ただ地味に歩いて移動するしかない。自由奔放な動きでスターになった彼女の没落は、映画が自由な動きを失ったことと符号する。声を得た代わりに運動を制限されたのがトーキー化だったわけだ。
美醜と狂騒のステップと、それを上回る創造性の爆発と。
本作はキメラのように幾つもの要素を持つ。一つは美醜の混濁した狂騒劇としてのイメージ。とりわけ冒頭パーティーで高鳴る音楽に乗せて夥しい数の人々がステップを加速させていく描写は圧倒的だ。が、かと言ってチャゼル監督がこの序盤30分のうちに巧く各キャラを印象付けられたかというと疑問が残るし、しつこいほど繰り返されるビザールな描写に(汚物が垂れ流されたり)嫌気が差す人もいるかもしれない。その一方で、本作はハリウッド黄金時代の空気感と、『ジャズ・シンガー』による業界の大激震を刻んだ秀逸な”映画史の教科書”のようなところがあり、時代の裂け目に堕ちていく人々の悲哀とサスペンスと『ラ・ラ・ランド』にも似た悲恋と郷愁をも併せ持つ。正直、長すぎるしまとまりに欠けるものの、ラストの創造性の爆発には驚嘆したし、本作に強く惹かれる自分がいるのも確かだ。少なくとも燃える野心と実験精神を持った怪作であることは間違いない。
ハリウッド版『蒲田行進曲』+ …
2022年(日本は2023年)公開。
監督と脚本はデイミアン・チャゼル。
冒頭、象の脱糞シーンに強烈な衝撃を受ける。
「まじか?」
この時点では、どんなジャンルの映画なのかすらわからない。
続いて、謎のパーティー会場にはいり、主なキャストが出揃う。
映画が産業としての地位を固めつつある中、出自やキャリアを問わない、カオスの中の出会いを象徴しているシーンだろう。
トップスターのジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、
女優志望のアバズレ系ギャルのネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)、
一旗揚げたいインテリ風メキシコ人マニーことマヌエル・トレス(ディエゴ・カルバ)、
の面々だ。
1920年代ハリウッド黄金期が舞台に設定されている。
”映画バブル” を満喫する業界人の乱痴気ぶりと、トーキー登場に戸惑う現場の姿を背景に、無声映画時代のスター俳優&成り上がりの若い男女の成功と没落を描く。
マニーのネリーに対する一途な想いは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』におけるフォレストのジェニーに対するそれにも似る。
懐古的なトーンは『蒲田行進曲』と同じだが、
最近のアメリカ映画に共通の、露悪的な性描写も加わる。
古いタイプの私は、その部分がどうしても好きになれない。
必要に感じないのだ。
ぼかさないとダメなカットがなくても、
業界の退廃ぶりや堕落したさまは伝えられる。
そろそろ止めてほしい。
監督のデイミアン・チャゼルは『ラ・ラ・ランド』同様に、”業界の空気感” を映像化するのが抜群にうまい。
自信と不安が背中合わせの若さの演出も出色の出来だ。
ノウハウを持ってるだけでなく進化させてる。
中でも、
トーキー映画撮影現場の混乱ぶりを伝えるシーンは秀逸。
もちろん、デフォルメされていると分かっていても
現場の緊迫感やイライラが伝わってきて、心臓マヒを起こしそうになった(笑)
日本公開時には、R15だ、R18だと混乱があったようだが、R指定なしで作れたはずじゃない?
ということで、☆3.5
つまらない人生はイヤ!
スターになりたい!
裕福になりたい!
名を残したい!
映画界に憧れハリウッドに集まる
薬物、たばこ、汚物
イカれたヤツそして借金等々
1920年代当時はそんな感じだったのか
マーゴットロビーのハチャメチャな
イカれてる役がいいのかどうかは
分からないけど振り切ってましたね
マニーと偶然に出会って意気投合
そして大物スター
ジャック(ブラットビット)と知り合う
この主要な三人が織り成すstory
ネリーはちょっとした気っ掛けで役を
得てそこからスターの地位を築いていく
マニーはジャックに信用を得て重要な
役職を任され二人とも順調満風な時代
しかし…映画の音声が無声から有声に
色も白黒からカラーへと変わっていく
ジャックも時代と共に消えていった
ネリーの方は賭けで借金をつくり
マニーに泣きついて助けを求め
マニーは怒りながらも好きなネリー
の為にお金の工面をする
そしてプロポーズ
しかし…ネリーはいなくなる
マニーはネリーと結婚することが
できなかった
ネリーは『つまらない人生』は嫌
と言っていたから
平凡すぎる暮らしは向いていないかも
と思った
マニーはその後家庭をもって
子供もいて幸せそうだが・・
映画界で働いていた
若い頃を回想して……涙を流す
マニーの涙がとても切ない
LaLaランドの時と同じ切なさだった
…やっぱり
マーゴットロビー
の華やかさが魅力かな
大半下品極まりなく観るに堪えないが、キラリと光る真実もあり魅了される所もあるかな
メッチャ暖かく成ってきて、バレンタインデ-も近し。
劇場は色んなカップルでごった返していた。
そんな中 今日は「バビロン」を鑑賞です。
何故か上映シアタ-は案外空いていた感じ。
多くは鬼滅の方へ行った様だった。
この映画
第80回ゴールデン・グローブ賞(2023年)で
作曲賞受賞:ジャスティン・ハーウィッツ氏
監督・脚本:デイミアン・チャゼル氏
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ氏
製作会社:マーク・プラット・プロダクションズ
マテリアル・ピクチャーズ
配給:パラマウント・ピクチャーズ
上映時間:185分
---cast 極一部----
・ジャック・コンラッド:ブラッド・ピット氏
※サイレント映画スター・監督(終盤自殺)
・ネリー・ラロイ:マーゴット・ロビー氏
※女優目指す女。(最後殺される)
・マニー・トレス:ディエゴ・カルバ氏
※メキシコ系アメリカ人の映画AD(ほぼメイン役)
・シドニー・パーマー:ジョヴァン・アデポ氏
※ジャズ・トランペット奏者。(ト-キ-で俳優に)
・ジェームズ・マッケイ:トビー・マグワイア氏
※ハリウッド裏社会の大物(危ねえヤツ)
・エリノア・セント・ジョン:ジーン・スマート氏
※映画界関係大物ジャーナリスト。
・レディ・フェイ・ジュー:リー・ジュン・リー氏
※字幕屋・妖艶な歌手
サクッと感想を言うと、全編ほぼ下品の極致です。
こんな作品製作させられる監督もスタッフもキャストも
ご愁傷様ですね。しかも長~く人によっては退屈かもですね。
察するところ、若いチャゼル監督を利用しようと
媚び売って近づく俳優輩はじめ
エ-ジェント、プロデュ-サ等が もう集りまくって創作された
作品では無いだろうかと伺えますね。
全く 彼が目指す自由なセンスが効いていない感じで
彼の持っていた才能が破綻し、あがき、もがきが
絵を通して感じ取れました。
往々にして名監督に指されて 数作創って来ると
こんな作風に陥ってしまう傾向を感じましたね。
所々キラリと映画に対して魅せている場面もあり
そこは凄くいいのですが。
今作は映画界の映画製作現場の話
(無声⇒トーキー モノクロ⇒カラー)であり
流れ展開もミュ-ジカル調ではありません。
BGMもラストぐらいしか良さは無いでしょう。
(感じたこと)
・開始早々5分後、観客全員 象のビチクソをもろに被る
※監督にファックユ-の声漏れるわぁ。
・序盤、山上の豪邸内映画関係者 乱痴気パ-ティ-で
ボカシあり場面、娼婦?権力ありデブ親父にオシッコ、
乱交、麻薬に酒などなど アフォ場面を堪能し
垣間見れます。
※ここの場面は監督才能が破綻か、または
無理させてる上の重役への当てつけに思えたな。
・マーゴット・ロビーは何かイメ-ジ変わったな。
昔のヘレナ・ボナム=カーターと同じ変遷を感じるよ。
・ト-キ-撮影で、ネリーが数回NG出すところ。
やっと皆の意識が揃って撮れて 成功したと思ったら
部屋に籠もって機器操作してたスタッフが
暑さで死んだ場面ね。
ちょっとクドい演出で あんまり笑えないし、
先が読めてる。監督のセンスが感じられない。
・黒人トランペット奏者のパーマー。
ト-キ-撮影で照明が顔に当たって白人に見えるため
仕方なく説得させられて 顔を塗料で黒くさせられる場面。
疑問を感じながらもトランペットを見事に吹く彼。
唇はめっちゃピンク~。
撮影帰りに守衛に”二度と来ねぇよ”の文句が良い。
・中盤の華やかなパ-ティに、ネリーが綺麗に着飾って
上級関係者の輪の中での展開。
酒を煽って 最後は自身の悪い性格が露出して皆へ悪態を。
そして 玄関口で思いっきり ゲロ~。
大物のおっさんにも ゲロ~ モロかぶり。
※とにかく今作の監督は、ファックユ-の熱量が半端なく
彼の怒りの原点をもの凄く感じるね。
・ネリ-が賭け事して借金8万ドル。スグに金要るが
マニーに泣きつく。ここの会話展開場面 事前に説明あったが、
権利の関係上 字幕表示が一部入ってません。
マニ-がネリ-にスペイン語で激怒して怒るところですね。
日本語で言うと、お前アフォか、オレの忠告聴かんとボケ。
マジうぜぇ。消えろアバズレ~。(多分そん位喋ってる)
でも お前の事 愛してる~って 告白するんだよね。
男は 厄介な女が好きって事なのさ。そう思う。
・反社の奴らに 借金8万を返金するが、実は映画小道具の
ニセ金を親分に渡してしまう。そしてバレて狙われる際
親分の子分を刺して殺してしまい 集団に追われるところ。
ここの偽札が 汗?酒?で滲んでバレるんだけども
当時は小道具で札束印刷していたのかな。OKの時代ね。
日本では現金を銀行から借りたりする場合もあるけどね。
・結局 反社に追い詰められ
マニ-、ネリ-、仲間一人と逃げようとしたが
ネリ-は 音も無く闇に消え行方不明(ここの場面良かった)。
仲間は射殺で、マニ-はオシッコちびりながら土下座で
”撃たないでくれ~” 哀願する。
ヒットマンに 街を出て行けと言われて
ハリウッドを急いで去るマニ-。
ここのオシッコちびる所は 何故か良かったかな。
・ジャックは 色んな女優(美女)等を妻にしては離婚を
繰り返し、最終的に 自分のスタ-時代は終わったと
有名ジャ-ナリストに悟られて 自宅で銃自殺。
ト-キ-時代に成って 昔の仕事仲間のヤツが自殺した電話が入り
凄く落ち込み、3番目舞台系妻?に逆ギレで
映画と舞台はレベルとスケ-ル違うんだぞ!!って
御託を並べて捲し立てるところは良かった。※納得した場面。
・最後はマニ-が NYで別の職業で無事に生き延びてて、
妻子もいて 家族連れてハリウッドに何十年後かにやってくる。
自分のかつて働いていた キノスタジオを訪れたり
映画館で今の映画を観て 過去を回想し涙する~。
ラストは 無声時代から現代映画までのギュッとした
変貌の映像を、代表作を駆け足で流して 監督らしいメロディが
一緒に流れて行く~。
ここまで 長時間観て ホンマに疲れましたわ。
もうちょっと 編集出来ると思うし短く成るでしょうね。
乱痴気パ-ティとか オゲレツ場面をちょっと何とかして
真面な展開にすりゃ 良い感じの傑作と思いますけどね。
※面白みは欠けるカモだが。
長時間ですが、ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
世界一美しい涙
私はMか。。。
全ての愛と夢と感動が具現化したあの涙、去ったり奪われたりしても、tears in rain じゃなく、いつかまた出会える跡として残された。
世の移りと余の動きは、全てあの一瞬の涙に出会うために存在するかもしれない。。。
最上映見えるように、一生お祈りします。。。
不条理な権力
2024年3月11日
映画 #バビロン (2022年)鑑賞
#デイミアン・チャゼル 監督作品
#セッション と #ラ・ラ・ランド はよかった
#ファースト・マン も少し重苦しいがよかった
しかし、これはちょっと物足りない
#ブラッド・ピット の役は必要だったかな?
まだまだ若い監督だから次に期待しよう
極彩色の甘い生活、地獄篇⁈
100年前のキネマの天地、ハリウッドを夢見た若者の地獄めぐり。
監督は、ララランドよりも先にこちらを構想していたらしい。
ついに実現した絢爛豪華なダークサイド超大作に圧倒されまくり。
情熱は狂気、欲望の炎は全てを焼き尽くし、後の祭りとなる。
怖い怖いおとぎばなし。
なんだかみていて、我が事のようでした。
よくここまで生きてこれた。
終わって、ホッとして。
オマージュがたくさん
・ウルフ・オブ・ウォールストリート
・華麗なるギャツビー
・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
が、ごちゃ混ぜになった世界観。
(終盤はラ・ラ・ランド?)
どこかにレオナルド・ディカプリオいるんじゃないかと探してしまった。
映画のパワー、残酷さ、虚しさ、そしてまたそこから生まれる希望。
映画が本当に好きな人が作ったんだなーとものすごく伝わってくる。
久しぶりに映画に興奮した
最近はもっぱら、空き時間に手軽で簡単に欲望を発散出来る映像ツールが増えたので、長い時間をかけてみる映画に昔ほど心動かせていなかった。(歳をとって集中力がなくなっただけかもしれないけど笑)
このバビロンも、最初は映画館で観ようと思っていた。でも、最近忙しいし、いつか配信されたら観よっかな。と流して忘れてしまっていた。Netflixで何かないかなーと探っていたところ、偶然出くわして、おー、まぁ観てみるか。とおもいたって観ることとなった。するとまぁ凄い。
ゴージャスでクレイジー。暗部と賞賛のコントラスト。美しいと思える物を全力で作る人々。そして、残酷に移りゆく時代。
ラスト付近のヒロインの「人生は最高よ」というセリフ。あぁ、美しい映画だなぁと思った。
映画ってやっぱり面白いって思い出させてくれた。賛否両論の映画ではある。でも私には刺さった。改めて映画や小説など、時間はかかるけど素晴らしいものを沢山みたくなった。有難う!
長い
サイレントからトーキーへ移り行く頃の映画界の話。
露悪的だが前半の映画作りに七転八倒する様は当時の撮影状況が窺い知れて興味深く観れた。
しかし後半はフィルム・ノワール的な展開にうむむ・・・となってしまった。
あとギャンギャン喚くキャラばかりで3時間は疲れた。
クドくて長いが楽しい
「セッション」も「ラ・ラ・ランド」もどっちかというと嫌いな作品だが、こちらは楽しめた。デミアン・チャゼルはとにかく念押しのクドいショットが多いのが苦手なのだが、この映画ではそれが割と良い方向に作用していた。しかし、このクドさでこの長さなのでかなりしんどかった。美術が素晴らしいので何とか観られた。
「バビロン」とは映画、「バビロン」とは宇宙
ここ最近「映画愛」をテーマにした映画が続々公開されている。タイミング的に、コロナがあって、撮影がストップしたり、スタッフが揃わなかったり、公開が決まらなかったり、「このまま映画って終わっていくのかな…」なんて感じた人が、メチャメチャ多かったんだろうと思う。
映画の火が消える前に、映画という太陽が沈む前に、自分を魅了してきた「映画」について、どーしても形にしたい!あって当たり前だったものが、当たり前じゃなくなるかもしれない、その危機感が彼らを突き動かしている。
同じ映画愛でも、その表現方法は様々。「フエイブルマンズ」はスピルバーグの半生という形で映画への愛を語り、「エンパイア・オブ・ライト」は映画館に集う人々を通して映画と映画に魅せられる人たちに寄り添う。奇しくも2023年の冒頭に公開される映画愛の映画。
そして本作、紛うことなき傑作中の傑作、10年に1度、いや100年に1度の超伝説級スペクタクル映画「バビロン」である。野心的で革新的、過去を描いているのに斬新。ある所では粗野であり、ある所では繊細。外連味の極地でありつつ、侘び寂びも忘れない。
「バビロン」には映画の全てが詰まっているのだ。映画という名の宇宙、それが「バビロン」である。
ちょっと何言ってるかわからないと思うので、「バビロン」の凄まじさを書ける範囲で書くけど、文字数足りると良いな。
まず1つ目。「バビロン」は5本の映画で構成されている。冒頭のパーティからタイトルまでが1本目、ネリーが蛇に噛まれ、レディ・フェイに助けられるまでが2本目、ジャックの主演映画がバカにされ、エリノア女史と対峙するまでが3本目、メキシコに逃げようとするマニエルの前からネリーが消えてしまうまでが4本目、そして「バビロン」本編。
つまり、本編の中に4つの映画が含まれるのだ。その4本は明確に「キスシーン」で分割される。映画のラストといえばキスシーンだからだ。
そして、「バビロン」本編にラストのキスシーンはない。何故か?「バビロン」は、映画ってもんはまだ終わっちゃいないからさ!
そこで2つ目。「バビロン」は映画の過去だけでなく、現在も未来も描いている。舞台こそ1900年代初めのハリウッド、登場人物たちはサイレントからトーキーへと映画の質が変容していく中で、それぞれに表舞台から姿を消していくが、作品を観る観客たちはいつも必ず存在している。それは今も同じなのだ。映画が全て配信になっても、あるいは脳内に直接語りかけるようになっても、観客は常に存在し続ける。過去も今も未来も。
「バビロン」という映画は一旦189分で終わるが、映画という存在や概念自体は終わらない。形は変わっても、映画を支える技術が変わっても、役者が変わっても、映画は終わらないのだ。
デイミアン・チャゼルは「終わってしまうかもしれない」という危機感に明確にアンサーする。「終わったりなんかしないよ」と。
そして3つ目。「バビロン」には過去の映画作品がこれでもか!と詰め込まれている。ジャックやネリーのネタ元になった俳優たちや、劇中演じられる作品や、劇中流される実際の映像のことだけ話してるわけじゃない。カメオやオマージュの話でもない。
「バビロン」に内包される映画とは、あらゆる映画のあらゆるパーツなのだ。映画のコラージュなんて生易しいものじゃない。映画で構成されたモザイクが滑らかな映像となって飛び込んでくる体験、映画という時間と空間が爆発して膨れ上がる感覚、その中に確かに存在する「観客」という私、それら全てが「バビロン」なのである。
何で読んだかは忘れたが、白石和彌監督は「映画っていかがわしいものでしょ」と言っていた。その「いかがわしさ」を見つける事が出来る。マッケイの話す新作映画のアイデアに、「ベンジャミン・バトン」を垣間見たり、ジャックの映画のエキストラが後ろで走り回っているのを観て「影武者」を思い出したりすることが出来る。
過去の映画体験が一本の映画に凝縮され、一本の映画として存在する。189分を「長い」と言う気持ちはわかるが(大抵116分くらいだからね)、むしろよく189分に濃縮できたな、である。
4つ目。そんな大宇宙「バビロン」だからこそ、ダブルミーニングや暗喩、預言のようなセリフとシーンがメチャメチャ多い。これも挙げてくとキリがないのだが、ジャックが出演交渉するグロリア・スワンソンは実在の女優で、もちろん他にも実在の俳優や映画は山程出て来るのだが、彼女の代表作「サンセット大通り」はサイレント映画のスター女優が過去の栄光に執着して起こる悲劇を描いた傑作だ。
スターダムに駆け上がろうとするネリーや栄光の玉座に君臨するジャックを描いているパートでありながら、既に運命の末路が暗示されているのである。
アイスのトッピングの話題は、素材(つまりネリー)の味がトッピング(洗練された佇まいや言葉遣い)で台無しになることを拒否する話で、エリノアがジャックにかける言葉「20年前とちっとも変わらない」は、「魅力的」と同時に「古い時代の人間」を表している。
それらダブルミーニングと暗喩は「バビロン」というタイトルからしてそうだ。古代都市バビロンは多様性の象徴でもあり、奴隷都市でもあり、資本主義的享楽の源でもあり、知識と科学の楽園(つまり映画そのもの)でもあるのだ。
5つ目。動から静、光と闇、ハレからケの切り替えが凄い!1本目の映画撮ってるパートからしてそうなのだが、とにかく派手さ喧しさからの静謐、その緩急が凄すぎる。踊り狂っていたネリーが一転して涙を流す演技、サイレント映画の混沌とした撮影とトーキーの時計さえ許されない撮影の落差、夜通しパーティで踊り狂って、トランペットを吹きまくって、自宅では粗末なベッドや椅子にもたれて眠る夜と朝の差。
映画全体では、裸体や死体や汚物を徹底的に見せるところでは見せていくのに、ジャックやネリーが退場するシーンでは彼らの最期を全く見せずに観客の想像に任せる「演出の足し引き」がある。ただの露悪趣味ではなく、計算された演出なのだ。
その押しては引いていく波が、映画全体を進行させる波力発電となり、観客を映画の一部として引き込んでいく。もの凄いパワーが炸裂して一気に引きずり込まれ、あとは為す術もなく慣性の法則で流されていくだけだ。
6つ目。結局ここまで書いてきたことは、デイミアン・チャゼルの「映画愛」とその表現についてなのだ。ここから「何を受け取るか」は、受け手である観客に委ねられる。映画という存在の、「ねぇ、私のこと愛してる?」にどれだけ応えられたか、が「バビロン」観てどうだった?の答えになると言っていい。そういう意味では、「バビロン」が人生初映画の人にとっては「ねぇ、私のこと愛してる?」はかなりハードな質問かもしれない。
本編のラスト、マニエルが映画館で体験したことはマニエルの人生が確かに映画の一部だった、ということだ。映画作品だけでなく、映画製作に携わったすべての人たち、すべての観客、未来に映画を観る人たちも含めて、「映画という大きなものの一部」だ、という壮大な世界観。その世界観では、モノクロ映画も、サイレント映画も、役者がとっくに天国へ旅立っていても、そんなことは何の関係もない。
彼が最初に望んだ通り、自分は既に「映画っていう大きなものの一部」なんだ、という気づきの時なのである。しばらく映画から離れていても、一度映画を鑑賞すれば、「おかえり」、と温かく迎え入れてくれる。
それを目にした時、どう思った?
私は「まるで青い鳥じゃないか」と思いつつも、自分が映画の一部として存在していることにとても満足して幸せだった。一緒に観た旦那も「俺たちみんな巨大な映画の一部なんだ、俺も仲間なんだ」と思って感動したそうだ。
もう一度聞こう、「自分が映画の一部だと知ったとき、あなたはどう思った?」
ハリウッドの歴史?
サイレントの時代からトーキーに変わる頃のハリウッドのドタバタな様子。どの程度が事実に近いのかわからないけど、サイレントの時代の撮影風景がとんでもない状態で興味深い。それに人が死んでしまってもお構いなしな状況。無茶苦茶だ。冒頭のパーティーの様子も乱痴気ですごいなぁ。でもそこで踊りまくるマーゴット・ロビーがとてもチャーミング。
今作を観ると、トーキーになったことで、人気に翳りが出た俳優もいたんだろうなあと改めて思う。逆に人気が出た人もいたんだろうなあ。
今作、なかなか興味深く面白かったが、なんといってもマーゴット・ロビーが魅力的。彼女の代表作でしょう。
崩れゆく黄金の塔
にわかの映画ファンには少し難しい
小ネタがすごく沢山ありそうで、おそらくものすごく面白かった!と思えるのは生粋の映画ファンなのでは
こめられてるのは愛と狂気と哀愁と期待、かな
変わる時代。生まれる物、消されるもの。抗い破れるもの、受け入れ乗りこなすもの どちらも等しくあの頃は楽しかったという感慨を抱いている寂しさ
全然全く羨ましくないし美しくないし素晴らしくもないんだけど、最初のパーティ。そこにいる人々。そこにいた登場人物たち。浮かべていた笑顔、野望、夢。この先起こることを知らずただ踊り狂うその人たちが、何故かやっぱり少し羨ましくて美しくて素晴らしく思えてしまう
不思議な映画だった
すごく音楽が耳に残る
夢のような世界一のところ
同じバビロンでもベルリンバビロンの狂騒的音楽とダンスの方が良かった。ララランドに近しい音楽で、ストーリーも映画業界にし猥雑にしてと、私としては今ひとつ。初めの頃のまぁぐちゃぐちゃながら勢いで制作している現場は楽しそうで良かった。草創期って何でもこんな感じかな。
すぐドラッグが出て来て、あー不快。ネリーも何だか好きになれない。コンラッドやはりそう言う結末にしちゃうのね。うーん面白いかなぁいや今ひとつかなぁ
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