バビロンのレビュー・感想・評価
全381件中、41~60件目を表示
栄華と狂乱迸り、昔も今も我々は映画を愛す
デイミアン・チャゼルが再びハリウッドを描く。
夢を見、夢を追い…って所は『ラ・ラ・ランド』と通ずるが、あのロマンチックでファンタスティックで切なさも織り交ぜた作風とは全く違う。
それは開幕シーンから明白。『セッション』で音楽映画をサスペンスフルに撮ったとは言え、チャゼルはこんな作品も撮るのかと思うくらい。
とあるパーティー。さぞかし優雅でゴージャスかと思いきや、いきなり象の糞尿、乱入。集った皆々が踊り狂い騒ぎ、アルコールにクスリとやりたい放題。しまいにゃ本当にあっちでこっちでヤリ始め、飲尿などモラルが崩壊。乱痴気狂騒の宴に驚愕唖然。
呆気に取られるのは映画撮影が始まってからも。カメラは故障、音楽はオーケストラが現場で同録、怪我人続出、役者は泥酔、さらには死亡者まで…!
時は1920年代、サイレント時代。
本当に当時のハリウッドはこんなカオスだったのか…?
確信犯的創作もあるだろう。が、全てが創作ではなく、こんな風に描かれるという事は…。何か、見てはいけない“暗部”を見てしまった気がする…。
しかし見る側は困った事に、これでもか!…と見せ付けられるイカれた世界に高揚。
チャゼルの演出は才と狂気の入り乱れ。
チャゼルとは名コンビのジャスティン・ハーウィッツの胸躍る音楽が拍車をかける。
ゴージャスな美術や衣装、ハイテンポな展開…もはや“見る”のではなく、トリップ体験。
が、3時間という長尺、ずっとそうではない。さすがに3時間ずっとこうだったら疲れてしまう。
この狂乱が“陽”なら、個々のドラマの末路は“陰”。
当時のハリウッドの栄光と闇…。
タイトルにもなっている古代都市“バビロン”の繁栄と悪徳の如く。
開幕のパーティーで出会った3人の男女のドラマが交錯。
映画スターのジャック。ハンサムでダンディで、多くの女性と浮き名を流し、公私共に派手。社の看板でもあり、一時代を築いたが…。
新進女優のネリー。田舎からやって来て、呼ばれてもいないパーティーに出席するなど怖いもの知らず。その度胸と自由奔放な唯一無二の性格が目に留まり、スターになっていく…。
メキシコ系青年のマニー。映画製作者を夢見る。パーティーや撮影現場の雑用から入り、ジャックに気に入られ、助手となる。チャンスや才を活かし、頭角を現していく…。
アンサンブルに徹したブラッド・ピットの円熟の味わいもさることながら、実質の主役はこの二人。
セクシーで破天荒で、劇中の言葉を借りるなら“野生児”。大ハッスル&ハイテンションで場をさらうマーゴット・ロビー。
真面目で平凡な青年からキレ者の映画製作者へ。本作は彼のサクセス・ストーリーでもある。それを体現したディエゴ・カルヴァ。
ジャーナリスト、ジャズ・トランペット奏者、字幕製作者兼歌手、スタジオや業界関係者、ギャングまで…一癖も二癖もある登場人物を、豪華キャストが好演、快演、怪演。
極上のアンサンブルがかつてのハリウッドの熱狂を高める。
往年の名作群にオマージュが捧げられ、フィクションとノンフィクションも交錯。
実在の人物やモデルにした人物も。
奇しくもブラピとマーゴットが共演したタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を彷彿。
ここで興味深いのは、ブラピ演じるジャックとマーゴット演じるネリー。
性格は違うが、スターとして栄光に輝き、やがて没落していく様は何処か似通っている。
二人にはモデルあり。ジャックはダグラス・フェアバンクスやジョン・ギルバート、ネリーはクララ・ボウ。
いずれもサイレント時代にスターとして君臨するも、トーキー到来と共に失墜し…。
1920年代後半と言えば、映画界の大変革。サイレントからトーキーへ。
それまで音の無かった映画から、音や声が溢れる。娯楽と芸術を兼ね備え、映画がさらに巨大産業に。
だが、誰にとっても喜ばしい事ではなかった。日本でも活弁士が失職。
サイレント映画のスターにとっては死活問題。
ジョン・ギルバートはそのイメージに合わない甲高い声で失笑を買い、人気が低迷。アルコールに溺れ、哀れな最期を遂げる。ジャックは彼そのもの。
クララ・ボウもトーキーで品のない喋りが急所となり、加えて乱れた私生活も露に。彼女もまた哀れな最期を…。言うまでもなくネリーは彼女。
ぶっちゃけサイレント映画は台詞を喋らず、演技が出来なくてもいい。スターとしてそれらしく振る舞っていれば、字幕や音楽で創り上げてくれる。
が、トーキーはそうも言ってられない。台詞を喋り、それを表す演技も要求される。
実力や本性が暴かれ、虚像や偶像から実像へ。各々のキャリアも大きく開く事に。
失墜していったサイレントのスターたちが皆、見合った実力や魅力が無かったという事ではない。
サイレントからトーキーとなり、どれほどのものを得、失ったか。
トーキー撮影の悪戦苦闘。あのシーン、笑えるシーンでもあるが、修羅場でもある。当時、どんなに大変だった事か…!
喋る映画を低俗と見なし、演劇とは格が違う。演劇は限られた定員数のお上品な連中を満足させるが、映画はその何倍も、世界中で成功させなければならない。それでも映画を低俗と見下すのか…?
マニーの支えで、ネリーは心機一転。下品な振る舞いから淑女になろうとするが、出席したお上品なパーティーに息が詰まり、腹の底では嘲笑う上流者様どもにイライラが募る。遂にプッツンブチギレ&ゲロゲロお見舞い! 過ち繰り返し、愚かで哀れだが、気取った連中どもに本音と本心をぶっちゃけて、スカッともした。
当時のハリウッドや人々を何も茶化しているのではない。寧ろ、チャゼルは郷愁と思いをこめて。
一時代を駆け抜けたスターたち。
製作者も光と陰を目の当たりに。
才能と手腕を発揮し、このまま映画製作者として成功していくかに見えたマニーだったが…。
スタジオからの要望で、黒人に黒人塗料を。築いた友情や尊厳を黒く塗り潰す。
ネリーのトラブルでとんだ事態に。映画界追放どころではなく、命の危機レベル。
全てを捨て、出会った時から抱いていた愛に生きようとする。
が…
圧倒的な熱量、理想に溺れ、あれは夢か幻だったのか…?
ラストシーン。
ハリウッドを離れ、メキシコに戻ったマニーは、家族を作り、ごく平凡な幸せを。久方ぶりにハリウッドを訪れる。
かつて働いていた会社、世界。
それは今尚さらに、発展し続けている。
久しぶりに映画を観る。
そこに映し出された物語やスターの輝きに、観客は虜。
かつて一時代を築いたスターたちは、映画の中で生き続けている。
映画は創り上げられた夢や虚像ではない。今見る人々にとって、全てがリアル。その興奮も、笑いも、恐怖も、幸福も…。
自分が携わっていたのも、夢や幻ではない。そこにあり、そこにいたのだ。
溢れる涙がそれを表す。
昔も今も、これからも、我々は映画を見続け、愛し続けていく。
もう3時間越えは勘弁してちょ
ジジイは水絶ちなど事前準備がめんどくさいねん!
が、時間は気になりませんでした。
エンドロール前ぐらいかな。要らんのは。
それはそれで演出者にとっては必要なんでしょうが。
マーゴットロビー目当てですが
人の注意を聞かない馬鹿女を熱演。
最後はそうなるやろうな、と思ってそうなりましたとさ。
ブラビはやはり出ているだけで映画が締まりますよね。
70点
5
MOVIX京都 20230225
今回はさすがに喪失感が邪魔すぎる
感想としては群像劇としてそこそこ面白く
割と斜め上を行ってくれる展開は見ていてそこまで長くは感じなかった。
若干は長かったけど。
この映画は、映画のための映画であり
監督の映画愛はさすがに感じる事ができる。
でも、その表現にチャゼル映画につきものの
登場人物に何かを失わせる必要があるのか?
高揚感と共に繁栄を映し出してほしい。
デイミアンチャゼルは、登場人物に何かを失わせなければ
物語を描けない何らかのフェティシズムがあるのだと思う。
感想をまとめると
今回の映画は、表現したい事とその喪失感がバランスが悪いと感じる。
・映画文化の隆盛とその未来の明るさ
・登場人物の未来は何故か全員暗い
この対比がハマってない気がする。
ラ・ラ・ランドも後半は失いすぎてついていけない。
セッションくらいに留めておいて欲しい。
ただ、才能はどこからでも溢れすぎているので
いつかはスタンリー・キューブリックの自伝映画とか作ってほしい。
ハリウッド版ニューシネマパラダイス
デミアンが鮮烈に放った!
映画へのビッグラブ❤️
これは理屈抜きに楽しい😝アイラブユーアイラブユーアイラブユー😍な映画好きの為の傑作ですよ🫶
役者たち、大好きだ
監督に最大限のリスペクトの嵐🌀を捧げます
ハリウッド版ニューシネマパラダイスに拍手喝采👏こういう映画を世に出せる所がアメリカ🇺🇸映画界の懐の深さかなぁ
ムーチョ アミーゴス🌵🫰イイーね😘
なんかね、ブラピがね
色んなハリウッド映画作品、制作に携わる者へのリスペクト感出してるかもしれんが、ちょっと興醒めっすわ。特に後半、あからさま、模倣、意味無しな他者作入れ込み、これらが本作の作品筋を見失う事ばかりで。
繰り返し撮影のくだりは面白かったが、徐々に失速した。
ブラピ、こういう映画好きねwもうちょっと作品選んでいこうよ。
結構、ヘビーね
いやー、痛いよ…なんか…
映画制作の裏側を面白おかしく描いてるのかと思ったら、
結構、ヘビーだったなぁ…
アメリカにおいての
ハリウッドや
俳優の栄枯盛衰的なところ、
日本の映画界よりも、
トップダウンの振り幅が半端ないから、
余計に切ない…
ブラピ…
これぞ映画
最初から最後まで夢中で引き込まれて、先がどうなるのか、待ち遠しい
1シーン1シーンだった。
アカデミー賞7冠映画を楽しめなかった反動なのか、
充実して幸福感に包まれる映像体験が出来た。
バビロンとは紀元前25世紀の都市「バビロニア」の名称。
「繁栄と混乱そして衰退」を現している思う。
1920年後半から1930年初めのハリウッド創世記。
サイレント(無声)映画からトーキーと呼ばれる映像と音声が同期した映画に
変わる映画黎明期。
サイレント映画の大スター・ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)
そしてスターを夢見る田舎娘ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)の
隆盛と衰退を見届けるメキシコ人の付き人のマニー・ドレス
(ディエゴ・カルバ)の視点を通して語られる。
冒頭のジャック主催のパーティーの無軌道・淫乱・狂熱の馬鹿騒ぎ。
デイミアン・チャゼル監督って、こんな映画撮る人だっけ?
と思いつつ「過剰なイメージの洪水」を楽しむ。
サイレント映画の撮影風景も珍しくて嬉しい。
カメラを10台壊して借りに行くマニー。
日没前に慌てて撮影する緊張感や高揚感が胸を熱くする。
一方、お下品と持ち前の勘と度胸でスターダムにのし上がるネリーだったが、
トーキーになるとその無知なガサツさや声の悪さが、悪目立ちして、
だんだん酒とドラッグに溺れていく。
見ているマニーはキノフィルムの重役になり、なんとかネリー元のスターに
カムバックさせようと奔走するものの、裏目に出てネリーはヤクザの
イカサマ博打で大金を借金する羽目になる。
ネリー役のマーゴット・ロビーの美しさ野生味が最高でした。
誰もが目を奪われるし、惹きつけられるし、吸い込まれます。
お下劣最高!!
ゲロ噴射最高!!
ジャック・コンラッド役のブラッド・ピットも良かったです。
マーゴット・ロビーに喰われた感はありますが、
ブラッド・ピットが存在しなければ《屋根のない家》みたいなもの。
栄枯盛衰。
それが大スターの誰もが通る道。
それにしても製作にもクレジットされている
ヤクザ役のトビー・マグワイア。
異彩を放っていました。
死臭さえ漂わせる退廃感。
イッちゃった男・モラルのない男・腐りかけの自己。
貴重なバイプレイヤーになったものです。
ネリーが毒蛇に噛まれるシーンの顛末。
トビー・マグワイアの怪しすぎる洞窟の地下での狂宴。
マニーとネリーののメキシコ国境の逃避行の結末。
黒人トランペッターのシドニーの演奏。
(そして彼を傷つける黒炭・・・差別)
心に刻まれるシーンの多いこと。
ネリーは無声映画では輝くスターでも、トーキーになれば、
知性や教養の無さ、育ちの悪さのコンプレックスから、
自分は無用と分かったんだと思う。
咲き誇る花、
タワワになった果実、
酒池肉林、
そんなものがガガーッと崩壊する様。
デイミアン・チャゼル監督は言う。
アメリカ映画業界の初期、
無声映画からトーキーの移行期に自殺やドラッグの過剰摂取による、
死が頻発した。
《派手な生活、野心、情熱、向こうみず》が、産んだ結果。
今の時代も、スターの心は高揚から奈落を行き来し、
そんな悲劇をファンも何処かで愉しんでいる。
今も昔も少しも変わらない
【ハリウッドの悲劇】
映画ファンには大ご馳走の映画。
(私の偏愛映画に確定)
圧倒的熱量の3時間!飛ぶぞ!
意識がぶっ飛ばされた圧倒的熱量の3時間
興奮で震える体験は久しぶり
血がたぎりました🩸
最も心に響くエネルギーを感じさせてくれたのは音楽。
飛ぶぞ
それ以外にもう説明のしようがない
とにかく今でも爆音でサントラを何度も聴いてる
そしてシーンの画力
鳥肌を立てながら息を飲む程のパワーと、刹那的な美しさ
脳裏に焼き付いて離れない
酒池肉林のパーティーシーン
パーティー明けの朝焼け
特にこのシーンは素晴らしかった
マニーが映画館に立ち寄り、ある光景を見るラストシーン。
涙が止まらなかった
この映画を映画館の大スクリーンで見た俺は勝ち組。
視野を覆い尽くすスクリーンと爆音のスピーカーで、体全体で浴びるように、今作を感じることができて本当に良かった
デイミアンチャゼル最高
ひとことReview!
なんだか「ぶっ壊れた」感じで、掴みどころが分からない作品。サイレント時代からトーキー時代へとなった映画作りの苦悩は感じるけどねぇ。映画は駄目だけどサウンド・トラックは欲しい。
バビロンとは
キリスト教的には最も繁栄している不道徳な都市というイメージらしい
また、バビロンはバベルのヘブライ語表記であり、つまりはバベルの塔をイメージしているものと思われる
そういったイメージで見るとなるほど、退廃的で不道徳感が満載なオープニング
そしてその後サイレントからトーキーへと時代が変わるとサイレント時代にはなかった声や、台詞、音への配慮がとてもシビアになり、栄光から転落してしまう
逆に音を味方につけた者は一気にスターダムにのし上がっていく
この辺りもバビロンが神の怒りに触れ散り散りにされたことに通じていそう
そしてエンディングのあるシーンは逆説的にそのバラバラにされた色々な人達が集まって映画を観ているように見受けられた
ところどころ結構グロいし、汚ないし、めちゃくちゃなのでその時点で否定的な人も多いかもしれない
しかし映画制作がこの映画に出てくるようなとんでもない事をやってきて、その時代を経てきた延長線上に今がありそういった時代を映像に残した事には意味があるだろう
この映画、年を重ねるごとに評価は変わってくると思う
1926年 - 1932年 - 1952年
時代が動く臨場感を味わえるかのように
約190分の映像のリズム、スピード、音量、お芝居
それぞれ感情の起伏が大きい
特にサイレント映画時代から発声映画の時代に入った時は
全く異なる体験、感じ方が存在する
それでも
一貫した「滅びの美学」というテーマに向かって
コマ単位に計算され、オーケストラ音楽の如く組み立てられている
後半は北野武 映画のような
登場人物たちの渋い退場シーン
日本のバブル期を経験した世代はグッとくるはず
時代を描いている作品だからこそ
この映画は、年を重ねるごとに大きく評価は変わってくると思うし
今後のイイ投資映画であって欲しい
長い…
映画館にて鑑賞しました。
「セッション」でデイミアン・チャゼル監督を知り、監督の作品を見るようになりました。
長い、というのが一番の印象です。ストーリーや世界観はラ・ラ・ランドよりも好きなのですが、長いです。
最初の下品なド派手パーティーシーンは自分としては結構好きです。ネジの外れた人間の欲望が、あれだけの物量で描かれるとそれだけで画面映えするなぁ、と思います。
ストーリー途中まではネリーもマニーもトントン拍子で活躍していくわけですが、栄枯盛衰の速さは流石ハリウッドなのかなと思うほど、ネリーの凋落ぶりも凄いです。これは本人の元々の資質も関係ありそうですよね。
どれ位当時のハリウッドや映画界の熱狂を描けているのかは分かりませんが、どのような世界・業界でも黎明期が持つエネルギーというのは魅力的ですよね。そういった魅力を夢見させてくれる意味では良い映画でした。
年老いたマニーの映画館でのシーンは、監督は映画が大好きなんだなぁ、と感じさせられたシーンでした。
ただやっぱり時間が長いですね…。
喧騒と狂乱
冒頭がソドムとゴモラすぎる
全体的に感動も成功もロマンスもアクションも大味すぎる
まぁ、アメリカって感じではあったけど。
ラ・ラ・ラ・ランドの監督のブラピ主演という宣伝で自分が求めてる内容ではなかったかな
189分。。。長かった
無題
糞尿セックスドラッグアルコールまみれと聞いていたのでびくびくしながら見に行った。
ジャンプスケアは何箇所かあるものの、怖い話ではない。
視覚的には奇をてらった、というかナンセンス路線の表現が多かったが、話の筋はとっても素直。
最序盤で「この物語はこう位置づけてくださいね」(ナイルの川の一滴)が示されるので、見やすい。
あらすじを知らなかったが、たまたま「雨に唄えば」アダム・クーパー来日公演を一緒に見に行った友人と鑑賞できた。
「雨に唄えば」で描かれた、短すぎる映画界の「過渡期」を基本的に踏襲しつつも、正反対といっていいえぐみのある今作。しかし、リアルな人間のグロテスクさも、銀幕に映ることで「映画」になる、ということが、奇妙な爽やかさをもたらしている。
だからこそ、トーキー映画の登場で、「映画の中の人」はますますリアルな人間のように感ぜられるようになり、同時に、リアルな人間とは乖離していく、という事象が、味わいを増すのだ。さらに、それらすべてを超越した、「映画が大衆に愛される」という不変の真理が、ますます輝く。
こぎれいな話ではないが、きれいな話。
てかブラピかっこよすぎ、ジャックの人気落ちるわけなくて草。
ジャックがジョージを心底愛しているのも美しかった。
過日
ハリウッドの転換期を舞台に栄枯盛衰のようなものを描いちゃいるが…「人生」を肯定されてるような気になってきてる。
どんな「人生」をも一生懸命、がむしゃらにに直向きに突き進め、と。
この転換期が舞台なのも抜け目がなくて…冒頭の乱痴気騒ぎなんか良く出来てて、中身はキ○チガイばかりだ。そもそも特殊なヤツしか居ないのだ。いや、生き残れないといおうか…見てる分には楽しいが、個人として付き合いたくない連中ばかりが描かれる。
マーゴットロビーもブラッドピットもヤバい奴なのは間違いない。だけど、何かを持ってる。
ただ一つ、重要な何かを持ってたからソコに居続けられた。それがたまたま映画業界だった。
それ以外の世界では、生き辛すぎるのではなかろうかと思う。
最高で最強のバカ騒ぎから本編は走り出す。
一夜明けた後の生活との対比が強烈だった。
「映画の神様」なんて価値観が生まれたのは、この時代なのだろうなぁと思う。とてつもなく自由だ。意図しない偶然に「神」の存在を当てはめてしまうのも頷ける。未熟と呼ぶのも憚られるくらいの撮影環境で、とんでもない。
実際のエピソードもあるんだろうが、人が死ぬ。
撮影中に、だ。
皆、その事を歯牙にもかけない。日常茶飯事で、今回はどうやって揉み消そうかなんて具合だ。それほどまでに無秩序で、粗野な環境だ。
ただ、当時としては莫大な金が動く。
見る側の熱狂も凄まじかったのだろう。夢を売るその価値は、とてつもなく巨大なのだ。
その幻想に憧れを抱いてしまった主人公。
彼が担うの理想と現実、だろうか?
「映画」というものの成り立ちを理解した時、彼はそこに何を見つけたのだろう。
おそらくなら幻滅も大きかっただろう。
彼が頭角を表すのは旧体制を破壊する「トーキー」が生まれてからだ。
その新たな潮流で加速する者、過去にしがみつく者、振り落とされる者、様々な思惑が絡み合う時代。
スタッフの描写が最高にイカしてた。
熱狂を制約で抑え込まれ不自由に擦り潰されていく人達。監督の意気消沈ぶりったらない。感性を約束で縛られる女優。責任感で発狂する助監督。
そして、死ぬカメラマン。
ここでもまた人が死ぬ。
数多の失敗を経て、新たな産業は拡大されていく。
秩序と引き換えに失われていく発想。
引き金に向かうブラピの背中が物語るのは、予測された未来への絶望感なのだろうか?
暗闇に踊りながら溶けていくマーゴットには忘却を感じたりする。
数年を経て、当時の映画を観て涙する彼の胸中には何が蠢いていたのだろうか?
悔しさだろうか?
もう戻れない寂しさだろうか?
悔いは、ずっとあったのだろう。
情熱を昇華しきれず、リタイアした無念なのかな。
だけど、最後に微かに彼は笑う。
なんだかんだと、全ては虚空で正反対の内面であったとしても、それでもその魔力にほだされてしまうのだろう。時を経てもその本質までは変えられない。
いいラストだった。
なんか、儚いものだなと思った。
爽思うと、映画館の帰り道で、ほろ酔いのサラリーマンとか、呼び込みで生気なく佇んでる黒服のお兄ちゃんとか、自分も含めちっぽけでろくでもない人生を一生懸命生きようと頑張ってる隣人を愛おしく思えた。
バビロン
滅びゆく都市って印象が強いけど、この映画にはもってこいの題名に思えた。
栄光も挫折も「今」を生きてきた産物でしかなく、何がどうであろうとも、唯一無二の自分の人生を誰もが歩いてんだなぁ、なんて事を感じたかなぁ。
作品はとてつもないスピード感と、鋭角な緩急に満ちていて飽きなかった。
大好き!でもプロデューサーの編集権限、わたしにちょうだい!
地下のフリークスのシーン、ラストの映画のフラッシュバックはカット、嘔吐のシーンは演出の差替え、パーティシーンは半分、で2時間に収める!
そしてラストにこの映画の本筋となるハートフルな「どんでん返し」が用意されていればさらによかった。わたしがプロデューサーならそうさせた。
全381件中、41~60件目を表示