劇場公開日 2023年2月10日

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「黒い虚搭」バビロン かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5黒い虚搭

2023年9月28日
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1920年代後半から30年代前半にかけて、映画がサイレントからトーキーへと様変わりする中で、その壁を乗り越えられず人知れず消えていった、ハリウッドのスター俳優や映画関係者の姿が哀愁たっぷりに描かれている。実在の人物をモデルにした演出は、もはやオスカー作品賞に輝いた『アーティスト』等でもお馴染みで特段目新しくもなんともないのだが、映画の出来そのものはさほど悪くはない。しかし、各国映画祭の主要映画賞からは完全にそっぽを向かれた不思議な作品でもあるのだ。

本作を鑑賞した皆さんは、エンディングの『ニューシネマ・パラダイス』風モンタージュがとても気になられるようなのだが、主人公の元映画監督マニー(ディエゴ・カルバ)がオヤジになったサルヴァトーレのごとく単純に郷愁にかられ涙したとはとても思えないのである。エドワード・マイブリッジの『動く馬』からジェームズ・キャメロンの『T2』に至るまで、映画史をざっとなぞったようなモンタージュは一体何を意味していたのだろうか。そして赤青黄色の水彩絵の具が水に溶け出すカットは何のメタファーなのだろうか。

映画モンタージュシーンの中に、商業映画作品群に混ざってイングマル・ベルイマン監督『仮面/ペルソナ』(66)がしのびこんでいたことにお気づきだろうか。ユング心理学の自由連想を組み込んだ演出が当時話題になった映画である。本編の中にもマーゴット・ロビーのビー○ク?!と思わせる(冒頭のパーティーで成人男女の性器がもろ映りこむ)カットが一瞬紛れ込むシーンがあるのだが、巨匠へのオマージュといっても差し支えない演出であろう。

そんな古典名作の数々に敬意を評し(パロり倒し)ながらも、本作はあくまでもチャゼル本人が手放しで映画愛を語った作品ではないような気がする。それは、象のクソやロビーの出戻りゲロ、ギャングの用心棒が吐くタン等の汚物に加え、映画エキストラやカメラマンの突然死、大物俳優2人そして評論家の迎える悲しい結末がハリウッド栄枯盛衰の象徴として描かれているからに他ならない。“大きなものの一部になりたかった”と語るメキシコ人監督は、映画界の頂点に一瞬立ったと思ったら、スキャンダルに巻き込まれ、あっという間に地下3階?の地獄まで転落する恐怖を実地体験するのである。

トーキー映画に適応することができずB級俳優の座に甘んじる他なくなったコンラッドに、ゴシップ記者がこんなことを言うのである。「(あなたのまじめな演技を見て観客が笑いこけたのは)あなたのせいでも、観客のせいでもないのよ。時代が変わったからなの」まさに狂乱の宴の中で急ピッチでハリボテの虚搭を築き上げたハリウッド。その終末を大袈裟に歌いあげた一種の黙示録なのではないだろうか。飯の種でもある映画文化存続を願う映画ライターの皆さんはこぞって本作の解釈を無理にでもねじ曲げてみせるものの、チャゼルの本意を見抜いていたアカデミー会員は歯牙にもかけなかったわけなのである。

映画文化は昨今の配信サービスの盛り上がりの中で、近い将来コンテンツの一ジャンルに落ちぶれると噂される。若き映画監督デミアン・チャゼルはその変化を、誰にも逆らえない時代の流れと見ているに違いない。『セッション』でスターを夢見てドラム修行に明け暮れる若者を悪意たっぷりに描き、『ラ・ラ・ランド』ではショービス入り一歩手前の若者たちの明るい希望を、本作『バビロン』では栄光の座から一気に転げ落ちるスターたちの姿を、(映画そのもののストーリーとして)哀感たっぷりに観客の前にさらしてみせたのでる。

ブロードウェイをはじめとする様々なエンタメのいいとこ取りをして、市井の人々にも手が届く独自文化を築き上げてきたハリウッド。しかし...下流の野生児ネリーがなじめなかった上流階級の皆さんのように、あんたら気取っちゃいるけど歴史を紐解けば同じケツ穴の💩じゃないか。何がダイバーシティだ?LGBTQにフェミニズム?笑わせんじゃねえよ、マイノリティを散々差別してきたのはあんたらの方だろうが。赤青黄色、(人種の)多様性を重んじるあまり色々なカラーを混ぜ込んで映画を作った結果、結局は(あらゆる意味で)真っ黒でつまらなくならざるをえない昨今の映画作り事情を嘆いている作品なのかもしれない。

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かなり悪いオヤジ