バビロンのレビュー・感想・評価
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汚ネタの許容度でも評価が分かれる?ちょっとブラックなハリウッド昔話
舞台は1920年代のハリウッド、サイレントからトーキーへの移行期。ブラピやマーゴット・ロビーを起用してデイミアン・チャゼルが描く、スターの栄枯盛衰。これらの要素で私の期待はいやが上にも高まっていた、のだが。
冒頭の猥雑さを極めたパーティーのレベルのテンションが、基本的にずっと続く感じだ。序盤は賑やかな画面が楽しかったものの、3時間という長尺も相まって、見ているこちらがだんだん息切れしてくる。一息つけるシーンは、体感でクロールの息継ぎ程度の短さ。ちょっと、緩急のバランスが偏り過ぎかなという気がする。登場人物にじっくり感情移入するような時間的・映像的なゆとりがない。
それと、汚物の場面を殊更に挿入する意図が正直よく分からなかった。業界のダーティさの暗喩?にしても、冒頭いきなり象の糞(しかもゆるい)、ネリーの嘔吐(何かの仕掛けかCGか分からないけどやたら勢いを強調してた)、マッケイの手下の痰吐き、マニーの失禁、あとついでにネズミを食べる、これ全部必要ですかね。
度が過ぎると、見る側(人によるが)の生理的嫌悪感だけをいたずらに煽る形にならないか。お勧めする相手を選ぶレベル。
ラストのさまざまな映画や色のフラッシュバックも、光の点滅に近いようなどぎつさがあり、その中に「アンダルシアの犬」の目玉を切るシーンが紛れていたりして、久しぶりに映画で生理的に気分が悪くなってしまった。
(手持ちカメラ映画「ブレアウィッチ・プロジェクト」を最前列で観て乗り物酔い状態になって以来。普段は鈍感なのだが、お腹が空いていたのもよくなかったかも)
長いアバンでのパーティーのごちゃごちゃしたハイテンション感自体は華やかで妖しくて、見応えもあって好きだし、テンションを押し上げる音楽の力もすごい。その後屋外で行われていたサイレント映画の撮影風景は当時の様子が分かってとても面白かった。ネリーが泣き方の演技を細かく変えて自分の力量を認めさせる場面は爽快だ。
トーキーになってから、スタジオでネリーが大学生(?)を演じるシーンの撮り直しは、繰り返しがちょっとしつこかった。
雑音が入って何遍も取り直して現場がうんざりする、というのは分かるが、テイクの繰り返しを全部そのまま観客に見せて、観客を実際にうんざりさせる必要はあるのかな?この辺は時間を削れたのではと思う。
マッケイを見ながら「トビー・マグワイアに似てるなあ、まさかなあ」と思っていたらトビー・マグワイアだった。彼の出演作を全部チェックしてはいないが、こんな役やったことあったっけ?とてもいい雰囲気が出ていた。
私が、チャゼル監督の前作までの流れで、人間の内面を描き出すドラマを見るつもりになっていたのがよくなかったのかも知れない。無名の男女が業界で名をあげようとする設定や、一部の劇伴が「ラ・ラ・ランド」に似ていたりしたのでつい引っ張られてしまった。
(ちなみに、ブラピに新進女優役のマーゴット・ロビー、ハリウッド、で「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も連想した。)
一見映画愛を歌う作品のようにも見えるが、何故か映画への愛が迫ってこない。作中で映画の夢を追いかけた主要キャストがことごとく雑なバッドエンドになっているからだろうか。
本作はいっそエログロドタバタのブラックコメディとして受け止めた方がまだしっくりきそうだ。その中に、流行り廃りに取り残されてゆく業界人の悲哀が、スパイスのように入っているということだ。
デイミアン・チャゼルの音楽センスが健在。3時間超は配信視聴向きかも
映画の道に進む前はジャズドラマーを志し、実体験に着想を得た「セッション」やミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」でその音楽的センスを演出に活かしてきたデイミアン・チャゼル監督。この「バビロン」でも劇中曲やBGMの使い方だけでなく、長回しと短いカット割を使い分ける編集のリズムにもスリリングな音楽のようにぐいぐい引き込まれる心地よさを覚えた。
あいにく公開時に見逃して配信での鑑賞。序盤の乱痴気騒ぎのパーティーや日没間際の野外ロケでのシーンなどは大スクリーンに映えそうだが、トイレを気にせず軽く飲みながら観られたのは良かった。
チャゼルが「セッション」で名声を博す前の2009年にはすでに本作の構想があったが、無名監督にしては壮大すぎる企画とみなされたのか売り込みは不発。だがプロデューサーのすすめで、業界での成功を夢見る男女の軸は残しつつ、時代設定を変え、ミュージカル映画としてストーリーを作り直したのが「ラ・ラ・ランド」だという。ちなみに「バビロン」のネリー役には当初エマ・ストーンが予定されていたが、コロナ禍による撮影の遅れでストーンが降板したのちマーゴット・ロビーが起用された。
古き良きハリウッドを描き、ブラッド・ピットとマーゴット・ロビーが共演している点でも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」と比較されるが、個人的には「バビロン」の方が好み。往年の“ハリウッドの夢”を支えた多様な人種や出自の人々すべてに対する憧憬と敬愛が伝わってくるのが、チャゼル監督作品の美点だと思う。
ロマンチストな監督が稚気大開放にして描くハリウッド混沌期
まだまだ有象無象がひしめくカオスだった1920年代のハリウッドから、清廉潔白を表看板にした大資本の時代へ。その劇的な変化を、サイレントからトーキーへの過渡期と重ね合わせるのがこの映画の趣向。乱痴気騒ぎに過ぎない序盤のパーティーシーンには面白みを感じられなかったが、映画の撮影シーンの混乱から作品が生まれるエネルギーには惹きつけられる。ただ、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」を手本にした、かなり露悪的にカリカチュアされたハリウッドという印象ではあり、歴史の再現というよりも一種のダークファンタジーだと思って観た。良くも悪くも人生観や世界観が未成熟く思えるのはこれまでのチャゼル(どうやら発音はシャゼルが正しい)と変わらないし、それが個性でもあり、物足りなさでもあるのだが、チャゼルが一貫して極度のロマンチストであることは浴びるほど伝わってきたので、やっぱり嫌いになれない。糞尿ネタで嬉しがってんじゃねえよと眉をひそめつつも、どこかしら可愛いんだよな。
トーキーで失ったもの
サイレントからトーキーへと移り変わる時代のハリウッドの狂騒と哀愁。『雨に唄えば』の変奏として見ごたえはある。だが、何か足りないというか、いまいち本物の狂気感がないなという感じがある。メインプロットとサブプロットのバランスをどう考えて構成したのかとも感じた。マーゴット・ロビーとブラッド・ピット、2つのメインプロットに、字幕作りのアジア人女性や黒人ジャズミュージシャンのサブプロットなどが挿入されていく。マイノリティの置かれていた立場の検証として興味深いのだが、映画全体にどのような効果を及ぼしたか。
サイレントからトーキーへと変わり、前向きな変化だけがそこにあったわけではない、滅んでいくものへの哀悼がある点はこの映画の美徳だろう。笑われ、退場させられた人たちにも人生はあった。
個人的にはトーキー化によって映画が何を失ったのかを端的に描いた点が良かった。マーゴット・ロビーがマイク位置の場ミリのポイントに上手く立てないで苦戦するシーンがある。華麗に踊りながら行こうとしたらずれてしまって、音が拾えない。だから、ただ地味に歩いて移動するしかない。自由奔放な動きでスターになった彼女の没落は、映画が自由な動きを失ったことと符号する。声を得た代わりに運動を制限されたのがトーキー化だったわけだ。
美醜と狂騒のステップと、それを上回る創造性の爆発と。
本作はキメラのように幾つもの要素を持つ。一つは美醜の混濁した狂騒劇としてのイメージ。とりわけ冒頭パーティーで高鳴る音楽に乗せて夥しい数の人々がステップを加速させていく描写は圧倒的だ。が、かと言ってチャゼル監督がこの序盤30分のうちに巧く各キャラを印象付けられたかというと疑問が残るし、しつこいほど繰り返されるビザールな描写に(汚物が垂れ流されたり)嫌気が差す人もいるかもしれない。その一方で、本作はハリウッド黄金時代の空気感と、『ジャズ・シンガー』による業界の大激震を刻んだ秀逸な”映画史の教科書”のようなところがあり、時代の裂け目に堕ちていく人々の悲哀とサスペンスと『ラ・ラ・ランド』にも似た悲恋と郷愁をも併せ持つ。正直、長すぎるしまとまりに欠けるものの、ラストの創造性の爆発には驚嘆したし、本作に強く惹かれる自分がいるのも確かだ。少なくとも燃える野心と実験精神を持った怪作であることは間違いない。
演出一流脚本三流デイミアン・チャゼル
デイミアン・チャゼルは画作りは上手いけど人間を描くのは下手。脚本からしてダメ。これはもうデビュー作のセッションからずっとそう。
登場人物は全員「良い人」か「根は良い人」のどちらか。
そして普通は隠したがるトラウマや悩みや弱点を頼まれもしないのにペラペラ喋る。
全員正直すぎてちょいちょいアホに見えたw
過去にトラウマがあるのならセリフで説明するのはダメだろ。同じような状況に陥って、隠そうとするけど否応なくバレてしまうとか、そうであってこそ葛藤は深まる。
ブラッド・ピットが演じたコンラッドにしても、落ち目になったらすぐに悟り開いて静かに自殺するって、いや物分りよすぎるでしょw
みんなが先回りして理解し合ってたら、キャラクター同士の相克は生まれない。
頂点を極めたスターならプライドは簡単に折れないでしょ。巻き返そうとしてあがく姿を描けよ。もしくは若手にポジション奪われて潰される姿を描け。その後で自殺する流れなら納得出来るわ。
黒人のトランペッターは、ただ顔に黒い炭塗るために出てきただけで、全くいる意味なかった。
トビーマグワイアに至っては、ただ老けメイクが哀れだっただけ。
ロバート・アルトマンみたいな群像劇をやりたかったのかもしれないが、足元にも及ばない。
3時間は時間のムダ。登場人物減らして90分で十分な内容だった。
たとえ時代遅れになっても、功績は消えない
無声映画だった頃から、声ありの映画に変わっていく。
激変する環境で
ある者は成功し、ある者は衰退していく。
3時間たっぷりかけて、当時の熱気に放り込まれる映画。
3人の主要人物の人生が、人間くさくていい。
栄枯盛衰を感じるし、ハッピーエンドではない。
時代はどんどん前へと進んでいくし、
それぞれの立場も環境も変わっていくけれど、
自分が無我夢中で頑張ったことは、事実として残るから。
ちょっと泣けるかも。
しかしブラピが大御所俳優の役をやる歳になったんだなぁ。
現代のポリコレから断罪したハリウッド全盛期のスキャンダルへの哀悼と嫉妬
サイレントからトーキーに変わる映画産業の大転換期にあたる1920年代後半から1930年代前半のハリウッドを舞台にして、様々なスター始め俳優、プロデューサー、監督、他スタッフの映画人が入り乱れる群像劇。それは時代再現のノスタルジーでなく、現代のポリティカル・コレクトネスの視点から断罪するかの暴露趣味と、そのカオスのエネルギー表出に潜むハリウッド全盛期に対する作者デイミア・チャゼルの嫉妬まで汲み取れるという、何とも複雑怪奇な印象を抱く。サイレント時代のハリウッドを題材にした作品では、ほぼ同時期を扱ったミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」(2011年)と、古くは映画の父D・W・グリフィスの「イントレランス」をオマージュしたイタリアのタヴィアーニ兄弟監督の「グッドモーニング・バビロン!」(1985年)や美男スター ルドルフ・ヴァレンティノを主人公したケン・ラッセル監督の「バレンチノ」(1977年)を連想するが、この作品の醜悪と淫靡の大胆不敵な描写力には驚きを隠せない。映画としての綺麗事を排した勇気ある挑戦とも言えるが、このチャゼル監督の演出エネルギーに感心しながらも映画美術の点では物足りなさを感じてしまった。これがイギリスのピーター・グリーナウェイやメキシコのギレルモ・デル・トロのような映像美であったならと惜しい気持ちもある。
ブラッド・ピットが演じたジャック・コンラッドのモデルは、「肉体と悪魔」でグレタ・ガルボと共演したジョン・ギルバート。トーキーになって声のイメージダウンで人気を落とし失意の中亡くなる有名スター。「アーティスト」の主人公のモデルと重なる。主演女優らしい存在感のマーゴット・ロビーのネリー・ラロイのモデルは、スキャンダル女優として名を馳せたクララ・ボウ。ロビーは美しさと演技力を持ち合わせた素晴らしい女優さんと再認識する。チャゼル監督の分身であろうマニー・トレスを演じたディエゴ・カルバは、登場する映画人の中で唯一のまとも人間を好演している。ルイ・アームストロングをモデルにしたジャズトランペットのシドニー・パーマーを演じたジョヴァン・アデポは、描き足りない脚本のせいか、それほど印象に残らず。トビー・マグワイヤのギャングのボス役は怪演で好印象を持つ。ジャックの友人のプロデューサー役のルーカス・ハースは、1985年のピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック目撃者」の名子役でした。役者を続けていたのをこの作品で知る。女流監督ドロシー・アーズナーをモデルにしたルース・アドラーを演じるチャゼル監督夫人オリヴィア・ハミルトンが登場する場面がいい。特にトーキーでのスタジオ撮影の録音で苦労するエピソードが面白く、撮影機の音を封印するためにカメラマンが箱に閉じこもるところが可笑しかった。このシークエンスと並びこの作品で光る場面は、冒頭のドイツ出身の監督オットー・フォン・シュトラスベルガーの野外撮影シーンの迫力と夕陽を生かした演出のこだわりを見せるところ。演じるのは「マルコヴィッチの穴」の監督スパイク・ジョーンズ。短髪の頭でドイツ人役から、これは明らかにエリッヒ・フォン・シュトロハイムをモデルにしている。プロデューサー泣かせの制作費が掛かる超長編映画の製作は、現代では不可能であるし、誰からも相手にされないであろう。シュトロハイムは、サイレント時代を象徴する映画監督でもっとも異質の巨人だ。このシュトロハイムの代表作の一つ「愚なる妻」や最晩年のサム・ウッド監督の「チップス先生さようなら」の大物プロデューサー だったアーヴィング・タルバーグが登場するのは珍しい。アカデミー賞のなかで個人名が入る最も名誉ある賞。37年の短い生涯で数多くの映画制作に携わった天才プロデューサー。演じるのが「イングリッシュ・ペイシェント」の監督アンソニー・ミンゲラの息子さんマックス・ミンゲラという人。そして、一番驚いたのは、ネリーの父ロバート・ロイを演じたジュリア・ロバーツの兄であるエリック・ロバーツ。同年代だけに時の流れを感じ、「コカコーラ・キッド」「暴走機関車」が懐かしい。
この映画の良い点は、そのキャスティングの的確さとジャスティン・ハーウィッツの音楽。映像を邪魔せず、また映像を補う迫力もあり、そしてクラシック音楽の使い方も個人的に好みだった。3時間を超える脚本には不必要と思われるおちゃらけシーンもあって、その表現意図を理解しがたいものが残る。最後のマニー・トレスが映画館上映の「雨に唄えば」から彼自身の映像の記憶が蘇り、走馬灯のように駆け巡るモンタージュがいい。それは映画の歴史を振り返るデイミアン・チャゼル監督個人の映画に捧げるオマージュとなり奇麗に終わる。現代の映画制作からは想像できない、飛び抜けて不道徳で情熱的で正直で直向きであった映画人の姿。
もう言ってしまうのか❓
当時、映画館で観ました🎬
ハリウッド大作らしいストーリーに、サイレント映画スターのジャックを演じるブラッド・ピットや新人女優ネリーを演じるマーゴット・ロビー、映画業界で名を成したい青年マリーを演じるディエゴ・カルバらが出演してますね🙂
監督はあのデミアン・チャゼルです。
ネリーが行儀の良いパーティーに嫌気が差して、壮大にゲロをぶちまけるシーンはインパクト大でした😅
ジャックがレディ・フェイと交わした最期の会話には哀愁が漂います😔
彼の背中にも雰囲気が出てました。
終盤はトビー・マグワイア演じる裏社会のドンを騙した報いが訪れ、ネリーは殺されマリーは命乞いをして助かります。
この結末はある意味現実的ではありますね。
エンディングでは確かマリーは新しい家族を持ったことが描かれてました。
マーゴット・ロビーは変わらず今作でもチャーミングですし、ネリーが自分への陰口を聞いて落ち込むのも理解できます。
ジャックはトーキー映画に出てみるものの喋りの演技では当たらずに、映画館で自分が嘲笑われているのを目の当たりにした時の気持ちは…いたたまれないですね😥
時代の移り変わりをハリウッドならではの豪華絢爛さで描いた本作、私はなかなか楽しめました🙂
ハリウッド版『蒲田行進曲』+ …
2022年(日本は2023年)公開。
監督と脚本はデイミアン・チャゼル。
冒頭、象の脱糞シーンに強烈な衝撃を受ける。
「まじか?」
この時点では、どんなジャンルの映画なのかすらわからない。
続いて、謎のパーティー会場にはいり、主なキャストが出揃う。
映画が産業としての地位を固めつつある中、出自やキャリアを問わない、カオスの中の出会いを象徴しているシーンだろう。
トップスターのジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、
女優志望のアバズレ系ギャルのネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)、
一旗揚げたいインテリ風メキシコ人マニーことマヌエル・トレス(ディエゴ・カルバ)、
の面々だ。
1920年代ハリウッド黄金期が舞台に設定されている。
”映画バブル” を満喫する業界人の乱痴気ぶりと、トーキー登場に戸惑う現場の姿を背景に、無声映画時代のスター俳優&成り上がりの若い男女の成功と没落を描く。
マニーのネリーに対する一途な想いは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』におけるフォレストのジェニーに対するそれにも似る。
懐古的なトーンは『蒲田行進曲』と同じだが、
最近のアメリカ映画に共通の、露悪的な性描写も加わる。
古いタイプの私は、その部分がどうしても好きになれない。
必要に感じないのだ。
ぼかさないとダメなカットがなくても、
業界の退廃ぶりや堕落したさまは伝えられる。
そろそろ止めてほしい。
監督のデイミアン・チャゼルは『ラ・ラ・ランド』同様に、”業界の空気感” を映像化するのが抜群にうまい。
自信と不安が背中合わせの若さの演出も出色の出来だ。
ノウハウを持ってるだけでなく進化させてる。
中でも、
トーキー映画撮影現場の混乱ぶりを伝えるシーンは秀逸。
もちろん、デフォルメされていると分かっていても
現場の緊迫感やイライラが伝わってきて、心臓マヒを起こしそうになった(笑)
日本公開時には、R15だ、R18だと混乱があったようだが、R指定なしで作れたはずじゃない?
ということで、☆3.5
つまらない人生はイヤ!
スターになりたい!
裕福になりたい!
名を残したい!
映画界に憧れハリウッドに集まる
薬物、たばこ、汚物
イカれたヤツそして借金等々
1920年代当時はそんな感じだったのか
マーゴットロビーのハチャメチャな
イカれてる役がいいのかどうかは
分からないけど振り切ってましたね
マニーと偶然に出会って意気投合
そして大物スター
ジャック(ブラットビット)と知り合う
この主要な三人が織り成すstory
ネリーはちょっとした気っ掛けで役を
得てそこからスターの地位を築いていく
マニーはジャックに信用を得て重要な
役職を任され二人とも順調満風な時代
しかし…映画の音声が無声から有声に
色も白黒からカラーへと変わっていく
ジャックも時代と共に消えていった
ネリーの方は賭けで借金をつくり
マニーに泣きついて助けを求め
マニーは怒りながらも好きなネリー
の為にお金の工面をする
そしてプロポーズ
しかし…ネリーはいなくなる
マニーはネリーと結婚することが
できなかった
ネリーは『つまらない人生』は嫌
と言っていたから
平凡すぎる暮らしは向いていないかも
と思った
マニーはその後家庭をもって
子供もいて幸せそうだが・・
映画界で働いていた
若い頃を回想して……涙を流す
マニーの涙がとても切ない
LaLaランドの時と同じ切なさだった
…やっぱり
マーゴットロビー
の華やかさが魅力かな
大半下品極まりなく観るに堪えないが、キラリと光る真実もあり魅了される所もあるかな
メッチャ暖かく成ってきて、バレンタインデ-も近し。
劇場は色んなカップルでごった返していた。
そんな中 今日は「バビロン」を鑑賞です。
何故か上映シアタ-は案外空いていた感じ。
多くは鬼滅の方へ行った様だった。
この映画
第80回ゴールデン・グローブ賞(2023年)で
作曲賞受賞:ジャスティン・ハーウィッツ氏
監督・脚本:デイミアン・チャゼル氏
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ氏
製作会社:マーク・プラット・プロダクションズ
マテリアル・ピクチャーズ
配給:パラマウント・ピクチャーズ
上映時間:185分
---cast 極一部----
・ジャック・コンラッド:ブラッド・ピット氏
※サイレント映画スター・監督(終盤自殺)
・ネリー・ラロイ:マーゴット・ロビー氏
※女優目指す女。(最後殺される)
・マニー・トレス:ディエゴ・カルバ氏
※メキシコ系アメリカ人の映画AD(ほぼメイン役)
・シドニー・パーマー:ジョヴァン・アデポ氏
※ジャズ・トランペット奏者。(ト-キ-で俳優に)
・ジェームズ・マッケイ:トビー・マグワイア氏
※ハリウッド裏社会の大物(危ねえヤツ)
・エリノア・セント・ジョン:ジーン・スマート氏
※映画界関係大物ジャーナリスト。
・レディ・フェイ・ジュー:リー・ジュン・リー氏
※字幕屋・妖艶な歌手
サクッと感想を言うと、全編ほぼ下品の極致です。
こんな作品製作させられる監督もスタッフもキャストも
ご愁傷様ですね。しかも長~く人によっては退屈かもですね。
察するところ、若いチャゼル監督を利用しようと
媚び売って近づく俳優輩はじめ
エ-ジェント、プロデュ-サ等が もう集りまくって創作された
作品では無いだろうかと伺えますね。
全く 彼が目指す自由なセンスが効いていない感じで
彼の持っていた才能が破綻し、あがき、もがきが
絵を通して感じ取れました。
往々にして名監督に指されて 数作創って来ると
こんな作風に陥ってしまう傾向を感じましたね。
所々キラリと映画に対して魅せている場面もあり
そこは凄くいいのですが。
今作は映画界の映画製作現場の話
(無声⇒トーキー モノクロ⇒カラー)であり
流れ展開もミュ-ジカル調ではありません。
BGMもラストぐらいしか良さは無いでしょう。
(感じたこと)
・開始早々5分後、観客全員 象のビチクソをもろに被る
※監督にファックユ-の声漏れるわぁ。
・序盤、山上の豪邸内映画関係者 乱痴気パ-ティ-で
ボカシあり場面、娼婦?権力ありデブ親父にオシッコ、
乱交、麻薬に酒などなど アフォ場面を堪能し
垣間見れます。
※ここの場面は監督才能が破綻か、または
無理させてる上の重役への当てつけに思えたな。
・マーゴット・ロビーは何かイメ-ジ変わったな。
昔のヘレナ・ボナム=カーターと同じ変遷を感じるよ。
・ト-キ-撮影で、ネリーが数回NG出すところ。
やっと皆の意識が揃って撮れて 成功したと思ったら
部屋に籠もって機器操作してたスタッフが
暑さで死んだ場面ね。
ちょっとクドい演出で あんまり笑えないし、
先が読めてる。監督のセンスが感じられない。
・黒人トランペット奏者のパーマー。
ト-キ-撮影で照明が顔に当たって白人に見えるため
仕方なく説得させられて 顔を塗料で黒くさせられる場面。
疑問を感じながらもトランペットを見事に吹く彼。
唇はめっちゃピンク~。
撮影帰りに守衛に”二度と来ねぇよ”の文句が良い。
・中盤の華やかなパ-ティに、ネリーが綺麗に着飾って
上級関係者の輪の中での展開。
酒を煽って 最後は自身の悪い性格が露出して皆へ悪態を。
そして 玄関口で思いっきり ゲロ~。
大物のおっさんにも ゲロ~ モロかぶり。
※とにかく今作の監督は、ファックユ-の熱量が半端なく
彼の怒りの原点をもの凄く感じるね。
・ネリ-が賭け事して借金8万ドル。スグに金要るが
マニーに泣きつく。ここの会話展開場面 事前に説明あったが、
権利の関係上 字幕表示が一部入ってません。
マニ-がネリ-にスペイン語で激怒して怒るところですね。
日本語で言うと、お前アフォか、オレの忠告聴かんとボケ。
マジうぜぇ。消えろアバズレ~。(多分そん位喋ってる)
でも お前の事 愛してる~って 告白するんだよね。
男は 厄介な女が好きって事なのさ。そう思う。
・反社の奴らに 借金8万を返金するが、実は映画小道具の
ニセ金を親分に渡してしまう。そしてバレて狙われる際
親分の子分を刺して殺してしまい 集団に追われるところ。
ここの偽札が 汗?酒?で滲んでバレるんだけども
当時は小道具で札束印刷していたのかな。OKの時代ね。
日本では現金を銀行から借りたりする場合もあるけどね。
・結局 反社に追い詰められ
マニ-、ネリ-、仲間一人と逃げようとしたが
ネリ-は 音も無く闇に消え行方不明(ここの場面良かった)。
仲間は射殺で、マニ-はオシッコちびりながら土下座で
”撃たないでくれ~” 哀願する。
ヒットマンに 街を出て行けと言われて
ハリウッドを急いで去るマニ-。
ここのオシッコちびる所は 何故か良かったかな。
・ジャックは 色んな女優(美女)等を妻にしては離婚を
繰り返し、最終的に 自分のスタ-時代は終わったと
有名ジャ-ナリストに悟られて 自宅で銃自殺。
ト-キ-時代に成って 昔の仕事仲間のヤツが自殺した電話が入り
凄く落ち込み、3番目舞台系妻?に逆ギレで
映画と舞台はレベルとスケ-ル違うんだぞ!!って
御託を並べて捲し立てるところは良かった。※納得した場面。
・最後はマニ-が NYで別の職業で無事に生き延びてて、
妻子もいて 家族連れてハリウッドに何十年後かにやってくる。
自分のかつて働いていた キノスタジオを訪れたり
映画館で今の映画を観て 過去を回想し涙する~。
ラストは 無声時代から現代映画までのギュッとした
変貌の映像を、代表作を駆け足で流して 監督らしいメロディが
一緒に流れて行く~。
ここまで 長時間観て ホンマに疲れましたわ。
もうちょっと 編集出来ると思うし短く成るでしょうね。
乱痴気パ-ティとか オゲレツ場面をちょっと何とかして
真面な展開にすりゃ 良い感じの傑作と思いますけどね。
※面白みは欠けるカモだが。
長時間ですが、ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
不条理な権力
2024年3月11日
映画 #バビロン (2022年)鑑賞
#デイミアン・チャゼル 監督作品
#セッション と #ラ・ラ・ランド はよかった
#ファースト・マン も少し重苦しいがよかった
しかし、これはちょっと物足りない
#ブラッド・ピット の役は必要だったかな?
まだまだ若い監督だから次に期待しよう
極彩色の甘い生活、地獄篇⁈
100年前のキネマの天地、ハリウッドを夢見た若者の地獄めぐり。
監督は、ララランドよりも先にこちらを構想していたらしい。
ついに実現した絢爛豪華なダークサイド超大作に圧倒されまくり。
情熱は狂気、欲望の炎は全てを焼き尽くし、後の祭りとなる。
怖い怖いおとぎばなし。
なんだかみていて、我が事のようでした。
よくここまで生きてこれた。
終わって、ホッとして。
オマージュがたくさん
・ウルフ・オブ・ウォールストリート
・華麗なるギャツビー
・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
が、ごちゃ混ぜになった世界観。
(終盤はラ・ラ・ランド?)
どこかにレオナルド・ディカプリオいるんじゃないかと探してしまった。
映画のパワー、残酷さ、虚しさ、そしてまたそこから生まれる希望。
映画が本当に好きな人が作ったんだなーとものすごく伝わってくる。
久しぶりに映画に興奮した
最近はもっぱら、空き時間に手軽で簡単に欲望を発散出来る映像ツールが増えたので、長い時間をかけてみる映画に昔ほど心動かせていなかった。(歳をとって集中力がなくなっただけかもしれないけど笑)
このバビロンも、最初は映画館で観ようと思っていた。でも、最近忙しいし、いつか配信されたら観よっかな。と流して忘れてしまっていた。Netflixで何かないかなーと探っていたところ、偶然出くわして、おー、まぁ観てみるか。とおもいたって観ることとなった。するとまぁ凄い。
ゴージャスでクレイジー。暗部と賞賛のコントラスト。美しいと思える物を全力で作る人々。そして、残酷に移りゆく時代。
ラスト付近のヒロインの「人生は最高よ」というセリフ。あぁ、美しい映画だなぁと思った。
映画ってやっぱり面白いって思い出させてくれた。賛否両論の映画ではある。でも私には刺さった。改めて映画や小説など、時間はかかるけど素晴らしいものを沢山みたくなった。有難う!
長い
サイレントからトーキーへ移り行く頃の映画界の話。
露悪的だが前半の映画作りに七転八倒する様は当時の撮影状況が窺い知れて興味深く観れた。
しかし後半はフィルム・ノワール的な展開にうむむ・・・となってしまった。
あとギャンギャン喚くキャラばかりで3時間は疲れた。
下世話でクドい「雨に唄えば」
「セッション」も「ラ・ラ・ランド」もどっちかというと嫌いな作品だが、こちらは楽しめた。「雨に唄えば」を下品に下世話にした映画。デミアン・チャゼルはとにかく念押しのクドいショットが多いのが苦手なのだが、この映画ではそれが割と良い方向に作用していた。しかし、このクドさでこの長さなのでかなりしんどかった。美術が素晴らしいので何とか観られた。
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