正欲のレビュー・感想・評価
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マイノリティと性加害は違う
生きづらさを抱えてる人間同士の心情を優しく描き、繋がって助け合っていける世の中になるなら幸せだなと思って観ていたら、最後ガッカリ。
小児性愛と一緒に描いたら、それはごっちゃにしちゃダメだろ、ってなった。
小児性愛者にも同じ種の苦しみはあるのかもしれないけど、それは誰かの一生の傷を残す犯罪だから少しも肯定できない。
ガッキーの演技すごい!
普通のこと
「普通」ってなんですか
「普通は〜、、」って言う人って
「自分は普通だ」と思って生きている
全員普通じゃないのにな
「普通」な人なんてどこにもいないのに
比較的多くの人がそうってだけで
普通なんてものはない
世の中にはどこかの誰かが決めた基準が「普通」と
されているのかもしれない。
基準があることも大切なことだけど
すべてにおいて「普通」が「正しい」とは限らない
そんな「普通」に苦しんできた彼女が
「普通」を言い張る刑事に
「普通のことですよ。」と彼への伝言を頼むシーン
それが今の刑事にとっては「普通」ではなくて
モヤっとがスカッとジャパンされました。
誰でも一度は経験する気持ち
多様性とか少数派とか
言われ過ぎて違和感
そもそも、みんな違うのに
でも、こんな厭世的な疎外感、
少数派じゃなくても
経験する気持ちだと思った
結局1人じゃ寂しいってことかな
誰かと一緒にいて、誰かと抱き合っていれば
大したことじゃなくなるのかな
でもガッキーも磯村くんも
そんなに暗くなる必要ないかな笑
今の世の中だったら
もっと受け入れてもらえるよ
上から目線で言うと
自分に置き換えて彼 彼女らを見るとその心の有り様は苦しく閉ざすのはよくわかる
そこから離れて上から考えてみるに
自分を受け入れてくれない人を
自分もまた受け入れられない
という様相と苦悩なんですね。
「わからないことはわからない」と理解出来れば人への怒りや閉塞は和らぐのではないかなと思います。
つまり自分で問題をつくり苦しみを生み出している ということ。これもまたわかればわかるし わからなければわからないということ。ただ自分に付き合うしか手立てがないのが歯がゆいですが。
秀逸なカメラと破綻した物語。
カメラと照明は、立派ですね。この光の撮り方は精密で手堅いし、きちんと同時代の記録になりおおせているとも思います。ここは大きなプラス要素です。
しかし、物語が支離滅裂。演技もそれを支えていない。おそらく物語構造そのものがダメなのではなく、演出がヘタクソすぎるのです。部下から新聞記事を渡されて声に出して読んでみる検事、いるか? 会話の撮り方も、ほぼ全滅です。オープニングのベッドでの自慰シーンも、悪いけど水が満ちてきたから何?としか思わない。そもそもショット割りが下手すぎて自慰だかなんだか分からない。「インティマシー・コーディネーター」が入ってコレなら、もうどうしようもないのでは。
こんな作品を評価してしまうというのは、つまり「映画」というものを真面目な芸術形態ではなくて、中学生に見せる性教育ビデオのようなものとしか考えてないからです。ただの社会改良の道具にすぎないと。それはそれで好きにしたらいいんだけど、映画を批評するのはお門違いですね。
作り手は、「生きづらい」「違和感」「多様性」とかの言葉をちょっと気楽に考えすぎじゃないでしょうか。そうした言葉の意味をきちんと精密に真剣に考えていれば、こんな薄っぺらい作品にはならないと思うんだけど。この映画では、ただなんとなく辛そうな登場人物が出てきて、彼らが脈絡なくリンクして、もわんふわんと終わってしまう。演出側が、それなりに優れているカメラと照明・美術を、まったく活かしきれていない。
このあたりはニューヨークやパリでの大方の評価ですね。見た人はみんな呆れてるし、作品としてはほぼ完全に無視されました。
ちんぷんかんぷん
ぼちぼち評価が高い中、私は⭐︎0で提出します
頭が少々悪めの人には何にも響かなかった
水そのものに性的興奮する事にびっくりしただけの感想
小説凄い売れてたよね
本屋さんで働いてた時いっぱい売れた
えっちな小説かと思ったけどまたちょっと違ったね
理解されなくていいが、理解されないという苦しみは存在する
これは自分自身がセクシャルマイノリティの人間だから共感できた作品なのかもしれません。
そうでなくとも人間は誰しも何かしらの性癖や欲を抱えて生きているものだと思っていますし、人から理解されにくいことに対しての苦しみが痛いほど伝わります。
自分はアセクシャルの人間なので、性的欲求がありません。かといって恋愛ができない人間なのかと問われれば、アセクシャルは性的欲求がないだけで恋愛自体に興味がないわけではないので、お付き合いをした経験はあります。
残念ながら未だ「結婚(もしくは恋愛)していない人間は不幸せ」という風潮が根強く、「恋人いないの?」「結婚しないの?」という質問に疑問を感じたり、苛立つことがあります。
人間は必ずしも誰かと恋をし、結婚し、子供を産み育てなければいけないのか。
恋人が自分にいなかったり結婚していないことに対して悪態をついたところを「妬ましい」と思っていると勝手に解釈され苛立つ主人公の気持ちに共感しましたし、車のシーンもそうですが、実際にあんな風にもうどうにでもなれと突発的な行動を起こしたくなる気持ちも理解できました。
これはあくまで個人的な意見ですが、特殊性癖を抱えていることや他人から見て変わった欲があること、セクシャルマイノリティに属していること自体が悪いとは思いません。
性癖が犯罪に繋がってしまうことは断じて許されることではありませんが、人様に迷惑をかけずただその性癖を抱えているということは悪くないと思います。
それは人知れず抱えたそれに本人が一番苦しめられているかもしれないから。
何が「普通」なのか。人は「普通は」とよく口にしますが、その多くの人が口にする「普通」ってなんなんでしょう。
それが繊細に描写されている作品でした。
間違った多様性に対する皮肉もあるのかな・・・
偏った性癖を持てば生き辛く感じるのは解る
でもそこに囚われて【周りは普通】【ズレてるのは自分たちだけ】と
普通を美化して【人と違うものに愛着を強く持つ】事を、自ら【良くないもの】と
断定しているのには共感できない。
大なり小なりフェチズムはあるものだし
愛着が強いから・・周りと違うから・・とか
他人に認めてもらえないから・・・とか
どうでもいい気がする。
理解してほしい気持ちが強いのに、説明はしない
それでいて理解してない人には真っ向から敵対し否定する
上手くいくわけない
登場人物のほとんどが自分の欲を押し付け合っているような
着地点の無い底なし沼のような話
普通
前半ちょっと長い感じが、、、。
普通ってどうなんだろう。
普通に男女で結婚して普通に子供産んでその子供普通に育てられなくて離婚。
と
普通じゃなくても人としての信頼関係がしっかり築けた2人。
どうでもいいけど、別に普通じゃなくてもなんとかなるなくらいで生きたら楽かも。
でもそれって映画観る前からわかってるかも。
そうゆう感じで普通な映画だったな。
性欲ではないのか?Gの方を差別しないが、僕は髭面が嫌い
千葉学園都市って駅があったか?なかったか?覚えていないが。
懸垂型モノレールに乗っていたので共感するが、その他はどうかなぁ?
兎に角、この映画は絶滅危惧種大和民族が絶滅する理由の様なお話。
大昔からの邦画の手法を継承した伝統的な映画。
『PLA◯75』と全く同じ流れを組む
次期、カン◯国際映画祭に入選しそうな演出家の映画。
但し、この映画よりも現実の方が過酷だと思う。大和民族がいよいよ絶滅したら、昔を偲んで見てみるのも良いと思う。
注意
絶滅危惧種の絶滅の意は文化的な絶滅って事です。
注意2
ペド◯◯◯◯とLGBTは分けて考えよう。妄想を抱く事は良くても、実行はすべきでは無い。(この類の話で凄い作家は町田ひら◯先生かなぁ?)
欲望にもタブーはあるし、全員が同じ価値観がある訳では無い。
注意3
地球温暖化を考えると、水を無駄に使用する行為は、乾燥地帯に住む人達に対する感情を無視している様に感じる。
人格形成が完了した大人が一歩前進するには
2023年劇場鑑賞69点 優秀作 72点
結論、若い頃の人格形成がなされる前に多種多少な人物のと関わりがあれば、その先未来の自分の理屈が積み上がってからも、明後日の方向から飛んできた理屈も理解しようと出来るのかもね
だからこそ、自身の特性に気づいたら恥じる事なく早くにそれを表にするべきだし、それを表にしても恥じない社会を作らないといけないし、親がまずは子がオープンに出来るような寛容さを日頃から印象づけ、理解しようと歩み寄らないといけないね
稲垣が悪い人とかじゃないし、所謂世間一般の感覚の持ち主の敬称だけど(随所に普通じゃないなというところもあるけど)、彼の人格が形成されてからのこの出会いだから、もう難しい
こんな社会、特に日本の国民性だもんね何年語になるかな〜
正しさに押しつぶされそうな人たちへのメッセージ。タイトルが秀逸。
原作は未読だけど、タイトルの「正欲(せいよく。正しい欲望)」ってこれ以上ない秀逸なタイトルだなと観終わってみるとわかる。
メインとなる登場人物たちが世間的に「正しい欲望」とされているものを持てずに苦しんでいる部分が肝となるのが本作だ。
本作は群像劇的に色んな人物の視点やパートにわかれて話が進んでいく。
佐々木くんや夏月さんのパートはずっとヒリヒリする内容だった…。そして田舎町に対する解像度(同級生のつながり、両親の家父長制的価値観、イオンの存在感)がエグい…。あと夏月さんの同僚の妊婦の女性の態度は普通に殺意が湧くレベル。本人が望んでない不要すぎるおせっかいはもはや暴力なんだよ。
世の中には色んな性的嗜好を持つ人がいる。
そしてその嗜好がマジョリティの人々に理解されないとわかっているからこそそれを秘めて暮らしている人もたくさんいるんだろう。
でも、そのことで誰かを傷つけたり犯罪を犯したりするわけではないのなら、そういった欲望や性的嗜好に対し「へえ、そうなんだ。そういう人といるんだ」という感想で終われる人でありたいと思うし、理解はできなかったとしても否定はしたくないと思う。
否定によって追い詰められる人がいるということを忘れちゃいけない。ここはお互いさまだ。
口にだすなら配慮は必要になるけど「こう思っちゃいけない」ことなんてないんだよな。
人と違うからといって誰とも繋がらない、繋がれない、一人で絶望する人がいなければ良いと本作を見て私も改めて思った。
明確なメッセージを持つ作品だ。
しかしこんなにキラキラ成分を削ぎ落としたガッキーは久しぶり。
そして磯村くんは良い役者さんだなと改めて思った。
多様性と社会
多様性がテーマの話。原作を読んでないが、十分メッセージ性も伝わり、面白かったと思う。時間の制約で後半は駆け足になっているが、スピーディーな展開であり良かったと思う。
特異性嗜好で悩んでいる人が現実世界でもいることを思うと、多様性と社会の在り方について考えさせられる。少数の性嗜好も社会としては存在を認め、受け入れることが大切だと思う。安易にありえないやおかしいといった評価は人をひどく傷つけることがある。
一方でやはり社会システムとしては誰かが被害を被るような性嗜好の行為は抑止しなければならないし、多数派のボリュームゾーンの人向けの社会システムにする必要があると思う。つまり多様性と社会のバランスが大切であり、昨今の少数派(社会的弱者にイメージが持たれている)を優遇して多数派を締め付けることになっている流れは良くないと思うと考えた。
このように現代社会へのメッセージも含まれる個人的に好きなタイプの映画。
何か普通か、何が偏っているのか。
検事の自分は正しいと思い込み、それを分かろうとしないのは異常なのだという見方を通して偏った見方、ダイバーシティとは何か、それを突き詰められたような感覚になる。
自殺願望のある夫婦。まっとうに生きようとしているように見せかけている。
検事の子。不登校だがyoutubeで生きる証を見つけようとするものの、世間一般の小学生とは違うことを受け入れない。
ダンサーの大学生。水フェチなのと、外見だけで判断されることを激しく嫌う。
ここまでは犯罪のラインは超えていないものの、溶け込めずいる悶々とした感じが伝わってくる。ガッキ―のあんな陰のある演技は新鮮だった。
私の中にも皆一人一人の中にもある、唯一無二の“正欲”
タイトルの“正欲”とは、“性欲”を捩った造語。
人の“3大欲”である“食欲”“睡眠欲”“性欲”。“性欲”だけ恥じらいの印象あるが、これだって人の正しき大事な欲求。
そもそも“正しい欲”とは何なのか…?
そこに正しいとか正しくないとか線引きがあるのか…?
各々異なる問題や悩み。関わる人々。
多様性が叫ばれる今の世に、疑問を投げ掛け、考えと在り方を問う。
検事の寺井。真面目で正義感強い…であるが故に、
不登校の小4の息子。同じく不登校の友人とYouTubeを始めたい息子の方針を巡って、妻と意見がぶつかる。
子供なんだから学校に行き、学び、友達と遊ぶ。大多数が寺井と同じ意見だろう。それが普通。
学校に行かなくても学ぶ事は出来るし、遊ぶ事も出来る。学校が全てじゃない。やりたくない事を強制するより、やりたい事をやらせて自立や個性を伸ばす。
子供の教育。大多数的に見れば学校に行くのが正しいのだろうが、今はそれだけじゃない自由もある。
寺井は釘を差しながらも、妻と息子はYouTuberとして始まり、チャンネル登録者数も増やしていくが…。
大学3年の八重子。学祭実行委員。ダイバーシティフェスを計画。同大学のダンスサークルに企画を依頼。
サークルでも実力者でコンテスト準ミスターにも選ばれた大也が気になる…。
八重子は極度の男性恐怖症。男性に触れられる事は勿論、男性が女性を性的に見るだけでも…。
そんな中、唯一触れられても大丈夫だったのが、大也。
しかし大也は八重子が自分に興味を抱くのは、皆と同じ準ミスターに選ばれた容姿だけと怪訝。
そんな大也も他者と分かり合えない秘密を持っていた…。
ショッピングモールで寝具販売員として働く夏月。
毎日の生活も性格も全く生気を感じられないが、他者と分かり合えない秘密を彼女も持っていた。
ある日同級生の結婚で、中学時代仲の良かった佐々木が地元に帰っている事を知る。
中学時代、他者と分かり合えない秘密を唯一、分かり合えた人物。
記憶に思い出す。水飲み場の水を勢いよく噴出し、水をいっぱい浴びてびしょ濡れになって、恍惚の表情…。
水フェチ。水に性的興奮を感じる。特異な性的嗜好。
以来、誰とも分かり合える人と会った事などない。
久しくの再会。その時二人は、自殺を図ろうとしていた。
唯一の分かり合える人。やがて二人は結婚。
そこにあるのは愛とかじゃなく、夜の営みなどもない。分かり合える事が出来る居心地の良さ。
付加として、佐々木から夏月へのプロポーズの言葉が秀逸だった。
家庭問題、恐怖症や容姿、性的嗜好…。
皆が持つ、人とは違う“何か”。
私にだってある。皆さんにだってあるだろう。
時にそれは少数嗜好かもしれない。つまり、世間大多数一般から見れば、“ヘン”。
少数派は肩身の狭い思いをする。自分を隠し、悩み苦しみ…。
それを声を上げて言う事が出来ない“普通”の社会。社会や大多数の考えや価値観が“正しい”とでも言うように、言えない風潮になっている。
大勢の意見がそうだから、正しいのか…? 普通なのか…?
少数派の意見は“異常”なのか…?
極端な例え。戦時中、大多数が戦争肯定。一部の者が否定派で、逆賊。当時はそれが正しかったが、今は…言うまでもない。
犯罪的な少数嗜好は理解出来ないが(と言うか大多数の意見でさえ正しいとは限らない)、人は何に魅せられるか、誰を好きになるか、人それぞれ。
“十人十色”。こういういい言葉もある。もっと言うなら、世の中、百人百色、千人千色、万人万色、億人億色なのだ。
全く同じなんて、それこそあり得ない。
少数であっても自分の趣味嗜好、選択の自由…。
そういう社会や世界でありたいと願うが…。
ある事件がまた彼らの境遇を苦しめる…。
チャットを通じて同じ水フェチの人と会う事になった佐々木。
一人は大也。大也も水に性的嗜好を感じていた。
もう一人は会社員の谷田部。
3人共、かつて公園の蛇口を盗んで水を出しっ放しにして、逮捕された際に「水がいっぱいなのが嬉しかった」と供述した人物の同調者。
3人で子供と水遊びをする動画を撮る。他にもいた分かり合える人たち。が…
谷田部にはもう一つ性的嗜好が。小児性愛者。
その場の映像も押さえられ、逮捕。
佐々木と大也も小児性愛の関与を疑われる。
それを取り調べるのは、寺井。
谷田部の罪を厳しく言及。
が、他の二人は…。
水が好き。
何を言っているんだ…?
お前らも子供に性的欲求を感じるんだろう?
僕たちは水が好きなんです…。
全く理解出来ない。ヘン。異常。
寺井にとって“普通”から逸脱し、理解出来ないものは理解しようともしない。
自分が正しい。
寺井は悪い人間ではないが、大多数のものの見方、考え、価値観のまさにそれ。
決め付け、押し付ける。
寺井と佐々木らの対峙は社会の縮図のようだ。
原作は『桐島、部活やめるってよ。』で知られる朝井リョウの小説。
その小説を読み、衝撃を受け、マイノリティーへの理解の浅はかさを痛感したという岸善幸。
『あゝ、荒野』の脚本家・港岳彦と再び組み、誇張する事なく、社会のマイノリティーの苦しみ悩み、分かり合える喜びや尊さを、彼らの視点に立って寄り添うかのように。
『あゝ、荒野』『前科者』など力作続くこの監督に、また一本。
稲垣吾郎が威圧すら感じさせる。
いつものスマイルを封印したガッキー。
磯村勇斗の巧みさ。
躍動感あるダンスも披露する佐藤寛太。
映画初出演ながら印象残す東野絢香。
皆が魅せる名アンサンブル熱演。
水がモチーフにもなっており、効果的に用いられている。
開幕、コップに溢れる水。夏月が横たわるベッドに溢れる水。川のせせらぎ、蛇口から噴出する水…。
美しい流れや幻想的な流れ、象徴的な流れ。
佐々木の面会に訪れた夏月。
寺井と夏月はこれが初対面ではない。
夏月が暴走自転車と接触した際、助けたのが寺井。
その時「奥さん」と呼んだ寺井。夏月があまりにも自然体だったから。分かり合える佐々木と出会い、人並みの幸せ。
その頃寺井は…
YouTubeの事で問題が発生し、妻や息子がやってる事に未だ一切理解を示さない寺井。
家族関係が修復し難くなり、妻と息子は家を出…。
世間大多数派だった寺井が人並みの幸せを無くし、少数派だった夏月と佐々木が人並みの幸せを手に入れ…。印象的な対比。
佐々木の小児性愛関与について、夏月に厳しく言及する寺井。
夏月の口から出たのは、小児性愛嗜好などない。水が好きなだけ。
そんな彼女に対し寺井が言い放ったのは、世の中の大多数の偏見者を表すような言葉。
あり得ない。
佐々木への伝言として、最後に夏月が言った言葉はアンチテーゼとも読み取れる。
いなくならないから。
待ってるとか信じてるとかじゃない。いなくならないから。
世の大多数に疎外されても、あなたと同じ人は必ずいる。
決して一人じゃない。
私たちはいなくならないから。
綺麗事を掲げて他者を理解してるつもりになっているだけかも…と。
周りには打ち明けられない、性や欲に関する秘密を抱えた人たち4人が登場する。(最後の方の小児性愛者を含めると5人。)この映画は果たして、多様性に関する問題提起をしているのか、はたまた別の何かを伝えたいのか、考えてしまった。
吾郎ちゃん演じる検事の寺井や、諸橋が所属するダンスサークルの仲間高見は一見「普通の人」として描かれているのかと思いきや、そうでもない。多様性を認めたり発信しようとするものの、その正しさはどこか独りよがりでバイアスがかかっているものだった。
私たちもそうではないだろうか?
ダイバーシティを快く受け入れているつもりが、この4人のようにいざ自分とは異なる考え・感じ方の人が目の前に現れたらどう接するだろうか。あるいは関わらないように遠ざかるだろうか。人は誰しもが何かしらのマイノリティで、何かしらの変なところは持っていると思うのになぁ。自分なりの正しさフィルターを外すことは結構難しい。
個人的に八重子の特徴に共感するところはあって。「性欲とか恋愛とか結婚とか、全部関わらずに生きていけるならそうしたい」って、そう思う時、ある。でも人との関わりは求めてしまうんだよなぁ。
正欲を見終わった後、そばかすという映画を見たのだが、そこでも同じ感情を抱いた。でも、そういう考えって変なのかな?
夏月は言った。「私は地球に留学している気分。私にとっての辛いことが、他の人にとっては楽しいことなんだ」って。他の人が楽しめることを、何で自分は楽しめないんだろうって、そう思うことたくさんあるよね。それが恋愛とか結婚の話になると、どうしてちょっとおかしいって思われる?(自分でも思っちゃうし。)多様性を認めてほしいわけじゃなくて、色んな考えがあってそれを発すること(というかその感情そのもの)が許される世の中になってほしいと思った。あっちゃいけない感情なんてないからね。
夏月と佳道が見に行った水の放水シーン。落ちてゆく水と反比例するように高揚していく心が描かれていて見事だったなぁ。
あと、新垣さんのお芝居が素晴らしかった。お寿司を食べるシーン、食べ物の噛み方ひとつでその人の内面が滲み出てるなぁと思って感心しました。
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