正欲のレビュー・感想・評価
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基本原作準拠
原作は割と発表して直ぐに読んだが、流石に細かい部分は覚えて無い。まぁ、基本的には原作準拠。ただし、当然、映画の尺に合わす為も有るんだろう、カットしている部分が有り、それが妙に違和感に感じるカットだったかなぁ。まぁ、原作未読だったら気にならないと思う範囲。
しかし、マジョリティ、マイノリティ双方みんな変なのばっかりだなぁ。と言うか、皆が自分が正しい(性欲に限らず、日常的な部分も)と思い込み、他者に切れるキャラばっかり。唯一マトモなのが、稲垣吾郎演じる検事の補佐である検察事務官が傍観者的立場だからか、彼くらいだった。
水に性的興奮をする人間の苦悩の話だけど、(まぁ、その感覚はやはり理解出来ない)確かにとても他人と自分の違いを感じるし、キツいなぁとは思うんだけど、あそこまで隠す事なのかなぁとも思う。むしろ、他人には水アートが趣味だよと開き直って嘘混ぜて言った方が楽だろうなぁ(それが出来ないのが当事者なんだろうけど)。
その水フェチ仲間を見つけて、男三人で集まって動画を撮影。その時にたまたま子供たちも遊んでいたので動画に入った。でっ、三人の中の一人が小児性愛者(男児)で、少年への買春で逮捕。そこから他の二人まで逮捕?身柄拘束。まぁ、刑事・裁判物では無いけど、あれだけで二人まで捕まるか?最初の一人は買春(途中からハードな要求をして、嫌がるのを無理矢理)現場を撮影してたから問答無用だけど、二人は水遊びに子供が交じっただけの動画。まぁ、起訴まではされないだろうけど。
原作を読み終えた時は、なんか凄い物を読んだ気がしたんだけど、映画にすると・・・・こんなもんかぁ感。
まぁ、一番の見所は、稲垣吾郎が上記の買春動画を見ている所か・・・・去年公開・・・・あの騒ぎの少し沈静化した頃。演じてる時も色々思う事は有ったろうなぁ。
「普通」ってなんですか?
性的マイノリティの2人が惹かれ合う話。
普通ってなんだろうとか、
多様性ってなんだろうとか、
を突きつけられる話。
とてもよかったです。
自分が普通かは分からないけど
人に「あなたは普通じゃない」と言うのは
よくないことだとはっとされられます。
ラストはある意味スカッとします。
あと価値観やものの考え方が似てる人と
一緒にいることが幸せだなと改めて感じました。
人の目や世間体を気にせず生きたいけど
自分も結局「普通」に囚われていると思った。
観た後はいろいろ考えさせられます、、
劇中の授業風景に金子みすずさんの詩が出てたのも
「みんな違ってみんないい」という
隠れメッセージが込められてたのではないかな。
出身である広島弁を喋るガッキーがとてもいいです!
吾郎ちゃんもハマり役でした!
多様性というのかな
色々な性癖があるのはわかるが、水に性的興奮するというのはフィクションなのか、なかなか理解できないが。。
そういうものもあるなら、そういうのがあるのは受け入れないととは思うがなかなか理解できない。
稲垣吾郎が演じる男の家庭。正直、私は稲垣吾郎に賛同しかなく、子供がユーチューバーの影響で学校行きたくないとか言い出しても受け入れることはできない。
多様性という言葉がでてからなのか、マイノリティの事を全面的に受け入れてそちらに寄り添うのが、自分の考えを押し殺してでも我慢するのが良いとされてる空気感のある昨今。わたしはあまり乗れてない。
個々が少なからずの自分のエゴを押し殺して生きている。その我慢によって世の中が成り立ってると思う。
素直に受け入れられない映画であった。もう一度見直したくはある。
1人じゃ無かったらいいね
本でも読んだことがあったが、映像化された作品を観てまた違った印象を感じました。性欲というのは、あまり人に話す事が無いので何が正しいのかなんて誰にも判断するのは、難しい事だと思います。自分が感じていることが全て正しい訳でもなく、間違っているのでもなくそれを捉える人による部分が大きいのかなって思いました。
誰かを傷つけてやることは違うのかもしれない。
それを隠して生きてけば、誰からも変な目で見られることもなく世間が言う普通というもののはいていけるかもしれません。
自分の呼吸を止めて生きていくような人生になるかもしれない。
だけど、この映画で良かったと思うのは最後に主人公に救いを与えてる部分がとても良かった。
「いなくならないから」
普通に生きているはずなのになぜかぶつかってしまった検事と異常者として世間から白い目を向けられてしまった夫との対比が見事でした。
普通のはずなのに
相手は異常者なのに
なぜ、分かりあえない
何故、分かり会えるのか
言葉では、表しづらい部分を表現した作品だなと思いました。
えっこれで終わり?!
考察不足
普通とは幻想であり、いわゆる普通に合わせているフリをしている方が多いのではないかと思っているのだが、この映画は色々と不十分だと感じた。
まず普通の人の描写がズレている。
冒頭で描かれる仕事中にズケズケと個人的な領域に立ち入って人は「普通の人」ではなく、「普通に迷惑な人」でしかなく、一般的に見ても主人公は良くある被害者に過ぎない。
普通を志向する警察の人の発言も、子供の不登校の原因が不明なので一理あるというか正論に聞こえてしまう。片付けも教えず、子供の自主性=正しいという幻想に取り憑かれた母親の方に危なっかしさを感じる。
次に致命的なのは世間知らずと言っても良い設定の甘さだ。
Youtubeとは最新情報、専門知識の発信や作り込まれた企画もの、過激なエンタメでなければ視聴は稼げない。件の不登校児(過去形だが)も有名人とのコラボ、過激なパフォやボクシングなどがあるから視聴者を稼げたのであって、この映画のように不登校児が二人で普通に遊んでるだけで順調に登録者が増える事はない。
また、警察が閲覧履歴やチャット内容を調査するのは常識であり、それで二人の容疑者の疑いは晴れるはずだがその形跡はなく、思い込みで捜査を進めて行く不自然さ。これらは作品からリアリティを奪ってしまう。
新垣は美人であるし演技も悪くないのだが、流石にセックスを経験したいと言いながら服着て試すのは無理があるのではないか?この辺りは制約があるのだろう。
それと各々の性癖を追求する権利を主張しながら、児童買春を行う者との線引きについても踏み込まずに終わるのも考察不足と言わざるを得ない。
己の嗜好の追求は是だよねというフワッとした感覚で作られているようで物足りなさを感じた映画だった。
物語が上手くまとめられていて、引き込まれる作品
人を選ぶ作品
面白い面白くないは抜きにして、今の時代にあるべき映画だとは思いました。見る価値はあると思います。
「多様性」の言葉を使う現代に対しての注意喚起というか、「私たちは私たちでやってるからほっといてくれ」と言われているような感覚でした。
最初の方の家族のいざこざに関しては、本当に見てていい意味で不快、リアルでした。見てて辛くなるというよりはイライラします。母親役の方と子供役の方が素晴らしい。夕食を一緒に食べない、話し合うときに絶対に2対1の構図になる、母親が泣いてからの「お母さんにいじわるするな!」など、ありきたりといえばありきたりですが一番リアルなのかもしれません。
見てよかったとは思いました。
ついでだけどガッキーの喪女っぷりは素晴らしい
この映画での個人的な驚きとは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品なのにレビュー漏れしていて今更ですが‥
この映画『正欲』で個人的な小さくない驚きは以下でした。
映画の中で、検事の寺井啓喜(稲垣吾郎さん)が、息子たちのYouTube動画配信に関して、いわゆる小児性愛者のような人間もいるから気をつけろという場面があるのですが、個人的にもその懸念はもっともだと思われました。
妻の寺井由美(山田真歩さん)は、そんな事より不登校の息子がせっかく生き生きし始めた楽しみのYouTubeの撮影配信を奪うのかと怒っていましたが、個人的には検事の寺井啓喜の懸念の方がもっともだと見ていました。
映画は進み、検事・寺井啓喜の懸念の通り息子のYouTubeのコメント欄に小児性愛者の影を感じることになります。
ところが、この映画は小児性愛者の心情を否定していないのです。
主人公・桐生夏月(新垣結衣さん)は、中学の同級生の結婚披露宴でかつての中学での同級生の佐々木佳道(磯村勇斗さん)と再会します。
主人公・桐生夏月と佐々木佳道とは、水が噴き上がることに対していわゆる性的な欲動を感じる共通点があります。
映画の最終盤で佐々木佳道は、動画コメントで知り合った、同性愛者の大学生・諸橋大也(佐藤寛太さん)と小学校の非常勤講師・矢田部陽平(岩瀬亮さん)と、水フェチの共通点で会うことになります。
そしてその後に小学校の非常勤講師・矢田部陽平が児童買春で逮捕され、佐々木佳道も関係性を疑われ警察に連行されます。
寺井啓喜はこの事件の担当検事となり、主人公・桐生夏月も検事の寺井啓喜から参考人として事情聴取されます。
そしてこの時も(もちろん他者を傷つける児童買春は否定していると思われながらも)内面に持ってしまう小児性愛の感情については、この映画は否定していないのです。
私を含め、恐らく大多数の人々は受け入れられない(内面としての)小児性愛の感情の肯定は、ある種の踏み越えとも感じ、逆にこの映画の重要さを物語っていると思われました。
そんな大多数の人から理解されない性的な欲動を持っている人間は確かに存在すると、主人公・桐生夏月はその存在を否定する検事の寺井啓喜を非難し、この映画は文字通り閉められます。
私個人は、同性愛者や水フェチのような存在までは理解できても、小児性愛の感情まで肯定することはなかなか困難だと思われます。
なぜなら小児性愛の心情は、容易に許されない小児や未成年者の性的虐待にそのままつながると思われるからです。
であるので、個人的には検事・寺井啓喜の懸念に対する立場に近い存在です。
そういう意味では、非常に踏み込みある、小さくない衝撃を内包した映画になっていると思われました。
題材的には重く傑作的な展開ある作品とまでは思われませんでしたが、同性愛者の諸橋大也と男性恐怖症の神戸八重子(東野絢香さん)との大学教室での感銘を受ける場面など、映画的なシーンも数多くあり、見事な秀作になっているとは一方で思われました。
繋がりたいけど繋がれない私達に向けた物語
内容は、主要登場人物の五人が織りなす立場と性癖と人間模様の中で、それぞれの小説をミステリー形式で最後にまとめ上げる作品。
印象的な台詞は『1人でないとええね。』桐生が佐々木に話す言葉。お互いの性癖に辟易している2人が共感覚を大切に思いやる場面が方言もあり温かく印象に残った。
印象的な場面は、主要人物の若さが気になりました。若気の至りとも思える其々のキャラクターの原風景はそれ程ひた隠しにするものでもない様な気持ちになりました。しかし自分もそうですが若い時は視野狭窄になりやすいので仕方ないですが、もっと内省的な心の機微がみたかったです。
印象的な立場は、三幕構成の三段目にいきなり矢部陽平という小学校の先生を持ってきてオチに向かう所です。その間ミスリードのオンパレードで、くどすぎました。子供が好きな先生が、好きな子供と遊ぶのはいつもの事ですが時代が悪かった。現代ぢゃなきゃ大丈夫だったのに世の中の流れに羨むばかりです。
大多数の人が、少数派に分け入る様な構図の物語。普段と逆の見方が出来る作品は面白いと感じますが、少し短絡的な感じが否めず熱い芝居が逆に引いてしまいました。
最後の終わりにも扉に正面に向かう検察官の寺井を映しながら扉が音を立てて閉まる場面は、分かり合えない人間の描写で、視聴者に考える余韻を与えない寂しさが、後味を悪く変えてしまった様に思えてなりません。
かなりガッカリ
枠外の者たち
画一性と千差万別の難しいテーマを扱った作品
観る人全てに問いかけるよう
炙りだされる価値観
嗜好と簡単に言葉で括るには、あまりにも人格が多様であると謳われている時代。
LGBTQのように安易にカテゴライズして理解しようというのが、今の流れなのだろうが
残念ながら他人の嗜好など理解できるはずもない。
いや、正確には認識や理解はできるが、それを受入れたり共感したりすることとはまた別なのだ。
今作ではマイノリティーであることの生きづらさが、非常に薄い氷の上を歩くかのような危うさと共に全編に散りばめられている。
時代はマイノリティーであることを半ば強制的に共有させ、理解できる形で消化しようと促すが、それは果たして誰が得するのだろうか。
本当の意味での理解や「分かる」というところはまだまだ先である。
その上で今、この映画が生まれて広く世に知らしめたことは、本当に意味のあることだと思う。
ただ他人と違う。それがどれだけ深い意味を持つのか。
そこに生きづらさを感じたことのある自分からすると、今作は大きな光に感じ、
安らぎにも似た感覚を覚えた。
いびつな話ではあるが、他人が他人を理解しようなどと考えること自体が、そもそもおこがましいとさえ思うのだが。
それでも尚、殺人犯を含む犯罪者の嗜好や倫理観を共有したいと思うのが、日本人らしい。
この国の裁判では、他国に対して類を見ない「動機」が裁量に関係するのだから。
結果に対して原因を見て、判断をする。そんなことが本当に人間にできると思っているのだから、ちゃんちゃらおかしな話である。
作中の検事が社会性の代表として描かれる中、理解することの難しさはさておき、そこに対する努力や歩み寄りを感じたいと思うのが、人間であり日本人などだろうと改めて感じた。
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