正欲のレビュー・感想・評価
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人を選ぶ作品
面白い面白くないは抜きにして、今の時代にあるべき映画だとは思いました。見る価値はあると思います。
「多様性」の言葉を使う現代に対しての注意喚起というか、「私たちは私たちでやってるからほっといてくれ」と言われているような感覚でした。
最初の方の家族のいざこざに関しては、本当に見てていい意味で不快、リアルでした。見てて辛くなるというよりはイライラします。母親役の方と子供役の方が素晴らしい。夕食を一緒に食べない、話し合うときに絶対に2対1の構図になる、母親が泣いてからの「お母さんにいじわるするな!」など、ありきたりといえばありきたりですが一番リアルなのかもしれません。
見てよかったとは思いました。
ついでだけどガッキーの喪女っぷりは素晴らしい
この映画での個人的な驚きとは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品なのにレビュー漏れしていて今更ですが‥
この映画『正欲』で個人的な小さくない驚きは以下でした。
映画の中で、検事の寺井啓喜(稲垣吾郎さん)が、息子たちのYouTube動画配信に関して、いわゆる小児性愛者のような人間もいるから気をつけろという場面があるのですが、個人的にもその懸念はもっともだと思われました。
妻の寺井由美(山田真歩さん)は、そんな事より不登校の息子がせっかく生き生きし始めた楽しみのYouTubeの撮影配信を奪うのかと怒っていましたが、個人的には検事の寺井啓喜の懸念の方がもっともだと見ていました。
映画は進み、検事・寺井啓喜の懸念の通り息子のYouTubeのコメント欄に小児性愛者の影を感じることになります。
ところが、この映画は小児性愛者の心情を否定していないのです。
主人公・桐生夏月(新垣結衣さん)は、中学の同級生の結婚披露宴でかつての中学での同級生の佐々木佳道(磯村勇斗さん)と再会します。
主人公・桐生夏月と佐々木佳道とは、水が噴き上がることに対していわゆる性的な欲動を感じる共通点があります。
映画の最終盤で佐々木佳道は、動画コメントで知り合った、同性愛者の大学生・諸橋大也(佐藤寛太さん)と小学校の非常勤講師・矢田部陽平(岩瀬亮さん)と、水フェチの共通点で会うことになります。
そしてその後に小学校の非常勤講師・矢田部陽平が児童買春で逮捕され、佐々木佳道も関係性を疑われ警察に連行されます。
寺井啓喜はこの事件の担当検事となり、主人公・桐生夏月も検事の寺井啓喜から参考人として事情聴取されます。
そしてこの時も(もちろん他者を傷つける児童買春は否定していると思われながらも)内面に持ってしまう小児性愛の感情については、この映画は否定していないのです。
私を含め、恐らく大多数の人々は受け入れられない(内面としての)小児性愛の感情の肯定は、ある種の踏み越えとも感じ、逆にこの映画の重要さを物語っていると思われました。
そんな大多数の人から理解されない性的な欲動を持っている人間は確かに存在すると、主人公・桐生夏月はその存在を否定する検事の寺井啓喜を非難し、この映画は文字通り閉められます。
私個人は、同性愛者や水フェチのような存在までは理解できても、小児性愛の感情まで肯定することはなかなか困難だと思われます。
なぜなら小児性愛の心情は、容易に許されない小児や未成年者の性的虐待にそのままつながると思われるからです。
であるので、個人的には検事・寺井啓喜の懸念に対する立場に近い存在です。
そういう意味では、非常に踏み込みある、小さくない衝撃を内包した映画になっていると思われました。
題材的には重く傑作的な展開ある作品とまでは思われませんでしたが、同性愛者の諸橋大也と男性恐怖症の神戸八重子(東野絢香さん)との大学教室での感銘を受ける場面など、映画的なシーンも数多くあり、見事な秀作になっているとは一方で思われました。
繋がりたいけど繋がれない私達に向けた物語
内容は、主要登場人物の五人が織りなす立場と性癖と人間模様の中で、それぞれの小説をミステリー形式で最後にまとめ上げる作品。
印象的な台詞は『1人でないとええね。』桐生が佐々木に話す言葉。お互いの性癖に辟易している2人が共感覚を大切に思いやる場面が方言もあり温かく印象に残った。
印象的な場面は、主要人物の若さが気になりました。若気の至りとも思える其々のキャラクターの原風景はそれ程ひた隠しにするものでもない様な気持ちになりました。しかし自分もそうですが若い時は視野狭窄になりやすいので仕方ないですが、もっと内省的な心の機微がみたかったです。
印象的な立場は、三幕構成の三段目にいきなり矢部陽平という小学校の先生を持ってきてオチに向かう所です。その間ミスリードのオンパレードで、くどすぎました。子供が好きな先生が、好きな子供と遊ぶのはいつもの事ですが時代が悪かった。現代ぢゃなきゃ大丈夫だったのに世の中の流れに羨むばかりです。
大多数の人が、少数派に分け入る様な構図の物語。普段と逆の見方が出来る作品は面白いと感じますが、少し短絡的な感じが否めず熱い芝居が逆に引いてしまいました。
最後の終わりにも扉に正面に向かう検察官の寺井を映しながら扉が音を立てて閉まる場面は、分かり合えない人間の描写で、視聴者に考える余韻を与えない寂しさが、後味を悪く変えてしまった様に思えてなりません。
かなりガッカリ
良い書き込みに釣られて観たが、ガッカリ。
原作は未読だが、確かに難しいテーマを描いていると思うが、それにしてもあまりにも淡々と進み退屈。そして、色んなシチュエーション(特に家族)が、あまりにも嘘臭い。セリフ、芝居、動き。観ていて、舌打ちしてしまうぐらい、偽物感(作った感)が満載。久し振りに、酷い作品を見た。
唯一救われたのは、ガッキーの芝居かな。
枠外の者たち
人生のテンプレートに当てはまらないと生きにくい。
誰からも強要されてないし、好きに生きればいいと思っていても日常の中に潜む棘が歩くたびに少しずつ傷をつけていく。
なぜ逮捕されたのか、そんなもんなのかもしれない。
水がどうとかそんなやり取りを見たところで、そのうちの一人が児童買春の犯罪者ならお前らもそうなんだろって。
水の繋がりより、小児愛者の繋がりの方がテンプレートにはめやすい。
分からない人にはどうしたって分からない、だから誰にも迷惑はかけないからそっとしておいて。
私達はそうやって生きていくから。
そんな感情が最後の新垣結衣の演技に表れていた気がした。
画一性と千差万別の難しいテーマを扱った作品
「分かり合える人と暮らしています」のセリフが泣けた。
普通といわれる世の中に混ざれない感覚を疑似体験できた。
娘にチャンネル権を譲らない我儘な母親や、息子と妻を思い通りにしようとする不機嫌な父親には憤慨した。
桐生夏月(新垣結衣)と佐々木佳道(磯村勇斗)が初セックスをしようとするシーンが素敵で泣けた。
マイノリティ同士の絆の強さも描写していて、希望を感じる。
観る人全てに問いかけるよう
採点3.8
生きづらさを抱えてる人達の偶像劇。
フェティズムに翻弄される様が静かで丁寧に描かれ、何だか見入ってしまいました。
主演の磯村勇斗とガッキーは中々に良い組み合わせで、ブラックなガッキーの芝居も見応えがありました。
ゴローは(個人的に)正直微妙でしたが、そこを宇野祥平がうまくフォローしてたように見えました。でも役所にはすごくマッチしてましたね。
そんなゴローの「綺麗なのは奥さんが頂くと良いですよ、ご主人に黙って」この一言に作品の色々が詰まっていた気がしました。それくらいハッとしたシーンでした。
ラストは重いものが残ったまま、正しさとは何か?と観る人全てに問いかけるような作品でした。
炙りだされる価値観
嗜好と簡単に言葉で括るには、あまりにも人格が多様であると謳われている時代。
LGBTQのように安易にカテゴライズして理解しようというのが、今の流れなのだろうが
残念ながら他人の嗜好など理解できるはずもない。
いや、正確には認識や理解はできるが、それを受入れたり共感したりすることとはまた別なのだ。
今作ではマイノリティーであることの生きづらさが、非常に薄い氷の上を歩くかのような危うさと共に全編に散りばめられている。
時代はマイノリティーであることを半ば強制的に共有させ、理解できる形で消化しようと促すが、それは果たして誰が得するのだろうか。
本当の意味での理解や「分かる」というところはまだまだ先である。
その上で今、この映画が生まれて広く世に知らしめたことは、本当に意味のあることだと思う。
ただ他人と違う。それがどれだけ深い意味を持つのか。
そこに生きづらさを感じたことのある自分からすると、今作は大きな光に感じ、
安らぎにも似た感覚を覚えた。
いびつな話ではあるが、他人が他人を理解しようなどと考えること自体が、そもそもおこがましいとさえ思うのだが。
それでも尚、殺人犯を含む犯罪者の嗜好や倫理観を共有したいと思うのが、日本人らしい。
この国の裁判では、他国に対して類を見ない「動機」が裁量に関係するのだから。
結果に対して原因を見て、判断をする。そんなことが本当に人間にできると思っているのだから、ちゃんちゃらおかしな話である。
作中の検事が社会性の代表として描かれる中、理解することの難しさはさておき、そこに対する努力や歩み寄りを感じたいと思うのが、人間であり日本人などだろうと改めて感じた。
多様であることと社会的生き物であること
今世の中で多様性がよくうたわれている。
思っちゃいけない感情なんてない。作品の中でそんな言葉があった。一方で、不倫であったり、発言であったり、社会が監視する目は日に日に厳しくなっている気がする。
社会でいきていく中で、他人に迷惑をかけるような行動は規制せざるを得ない。これは人間が、過去の歴史から積み上げてきた経験値だと思う。一方で、社会と個人の間にある法律ではなく、倫理と言うものがあまりにも曖昧で、何がよくて何が悪いのか、これを規定できるものはないんだろう。
そういった難しさを最大限表現できている気がする。
インターネットはそういったマイノリティを繋ぐこともあれば、孤独を感じさせるものにもなったいるのだろう。
新垣結衣、磯村勇斗、稲垣吾郎良かった!
いつも思うが普通ってなんでしょうね
万人に理解されない人たちがいる、もちろん犯罪は許されないが、それ以外その人の嗜好や生活習慣をとやかく言う権利ってないよね…
ってガッキーの虚ろな目を見ながら思った
こんな新垣結衣が見たかった
溌剌として明るいガッキーより、この新垣結衣が好きです
あと、磯村勇斗は上手いですね、そして苛立つ稲垣吾郎も上手かった
邦画も時々見たくなる
“なんであくまで自分は理解する側だと思ってるんだよ”
水に興奮する?
そんなのありえない。
口にしないまでも、いったい何人の人がそう思うんだろう。
映画を観終わった時はクソつまらんと思った。
理解できなかった。
でも、「君たちはどう生きるか」の時と同じで、レビューするのにいろいろ思い返したり調べたりする中で、この映画の深さが少しわかってきた。
たぶん本当の意味で理解はできてないんだろうけど。
ここで、このレビューのタイトルをもう一度見てほしい。
何が“正しい”のか。
何が“普通”なのか。
マイノリティやダイバーシティって言葉だけじゃ片付けられない。
例えば、誰しも他人には言いにくい黒い部分だったり、共感してもらえないかもって胸の奥に閉じ込めてるものがあると思う。
それを誰かに打ち明けるのってめちゃくちゃ勇気がいることだし、決死の思いで打ち明けたのに、「キモっ」「ありえない」って返されたらどう思うだろう。
唯一、マジョリティ側である寺井を演じた稲垣吾郎が良い味出してて、「社会のバグは本当のいるの!悪魔みたいな奴がいるんだよ、これが現実なの!」って叫ぶ姿が悪魔みたいに見えた。
タイトルの「正欲」が、性欲、正しい欲、明日を生きる欲と複数のキーワードにかかってるのもすごい。
本当にいろいろと考えさせられる映画だった。
気持ちいい映画ではないのでご注意を。
最後に心に残るもの
面白かった。
よくある邦画の、弱火でコトコト煮るようなあの靄のかかった救いのない、
はっきり言えば何が起こることもないのにずっと変容を待っている退屈さではなく、
頭から最後までしっかり物語にリズムがあるのは、
しっかりした原作と、バランス感覚のある制作陣と、高い演技力のある演者さんたちの力なのかもしれない。
人とは外れた趣味趣向は、果たして異常者だから持つのか、ごく普通の人にもあるものなのか、
そう重くもないテンションで考えさせられる。
内容に興味を持てない人も、稲垣吾郎、新垣結衣という誰もが知るこの名前だけで再生してみても良いと思う。
そうすればいつの間にか、最後まで見てると思う。
無理やり暗く描かなくても
それでももっと楽しく生きられるでしょ。
無理やり暗く暗く描かなくても。
ここまで特殊な世界に同調はできない。
ダメでしょうか?
何か押し付けられている様です。
またyoutubeをやりたい男の子の家庭の話は、主題と何の関係があるのかわからない。
また日本映画の悪いところを見せられた感じ。
でも、俳優の方々は、皆さんとても頑張ってました。
吾郎さんもいいと思いますよ。
流水のように…
両手ですくった水が隙間から溢れおちるように、今日も社会のなかで息苦しさを感じている人たちがいる。
「普通」の生活を生きられる人々には、彼らの生き方は逃げや言い訳にしか聞こえない。「私たちだって頑張っているのに、なぜあなたたちは…」と。
徹底した社会の効率化やデジタル化した、SNSのなかに入り込んだ「個」の世界の住民は、同質化できない異質なものを排除する。
一方で、SNSでしか繋がれない関係性もある。
社会からわかりあえないとはじかれた人が、わかりあえる人と一緒に生きていく。
もういなくならないから。
誰もひとりでいないでいいよ。
ps.やさぐれたガッキーが魅力的。
ヒトを理解すること・・・
ガッキー目当てで見た作品です。
「せいよく」という意味深なタイトルから、あわよくばエッチな場面が見られるかなと・・・
冒頭で自慰と思われるシーンもありましたが、期待したエロではなかったです。ただ、深く考えさせられる作品で、じっくりと魅入っちゃいました。
人それぞれの性癖、或いは個性について問いかけるような内容ですかね。
それぞれ、人によって感じる部分が有るわけで。例えばそれが普通の人と異なる場合は、知られないようにしなければならない。
人には、普通でありたいという強い意思があり、自信を守るために、異となる思想を否定したくなる。否定されないために隠さなければならない。
その隠された想いを共有することができれば、これ程幸せなことはないのかもしれない。
あれ程、可愛いガッキーなのに、最初の頃は華が全く感じられない。むしろブス(こんな言い方は失礼だが、すみません。自分には語彙力がありません)に見える。これが、共有者を得たとたんに輝いて見えるのだから、その演技力なのか、映し方なのかは定かでないが、ホンッと素晴らしい。感動でした。
同じ性癖(個性、趣味)を理解し合える人が身近にいるということは、この上ない幸せなのかもしれない。また、理解できないまでも否定されなければ・・・
家族という血の繋がりの中でも、一人の人として、その部分は尊重していかなければと、深く考えさせられました。
極端過ぎやしませんか
原作も同じ結末なのかもしれないが、多様性の欠落を問題し過ぎた結果としてこのような作品になったのかと思う。
多様性を理解しない一般人は家族崩壊で不幸になっていき、特殊な性癖がある人は犯罪者か社会落伍者と紙一重という結末は、なにかを導く結論になるのだろうか。それを考えさせるための作品かもしれないが、後味だけが悪くて好きになれない。
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