LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
全78件中、61~78件目を表示
目と目で通じ合う、そ~ゆ~仲になりたいの?
少し前に流行った{楽曲インスパイア系}も、
最近はあまり目にしないなと思っていたら、
本作のようなカタチで繰り出されるとは、
完全に意表を突かれた。
『矢野顕子』の〔LOVE LIFE〕は聴いたことがあるものの、
内容はかなり抽象的。
それをよく、ここまでのストーリーに膨らませたな、と
先ずは感心する。
連れ子の『敬太』と
新しい夫『二郎(永山絢斗)』と幸せに暮らしていた『妙子(木村文乃)』だが
ある日不慮の事故で愛息を亡くしてしまい、
そのことが夫婦の関係に影を落とす。
果たして二人は悲しみを乗り越え、
互いの間にできた溝を埋め、
再生することができるのか?がテーマ。
そこに前夫の『パク・シンジ(砂田アトム)』が不協和音の様に絡む。
『パク』は妻と息子を捨て、数年前に突然失踪。
必死に捜したにもかかわらず、行方は杳として知れなくなっていたのに、
息子の死を契機に、突然姿を現す。
『パク』は聾唖であり、
単独では他者とのコミュニケーションがかなり不便なことも背景にあり、
最初は戸惑っていた『妙子』も、前夫の今の境遇を知り、
人が変わったように面倒を見だす。
昨今言われている「ケアラー」としての役割を
率先し果たす元妻の姿は
息子を失ったことの「代償行動」や「昇華」或いは「母性」の発露にも見え。
一方の『二郎』も結婚前に付き合っていた元カノ『山崎(山崎紘菜)』と
再び交流を持つように。
しかしこちらの方は、やや淡い関係にも見え。
入れ込み過ぎた『妙子』の『パク』への思いは、最後には痛烈なしっぺ返しを喰らう。
彼女が考えていたほど、元夫は弱者ではなく、かなりしたたかに生きて来たのだ。
そのことを理解した後の彼女の行動は、傍目にはかなり欺瞞に映る。
が、自身も後ろめたさがある『二郎』は、果たしてそれをどう受け取るか。
余地をたぶんに残したラストシーン以降の解釈は、
どうやら鑑賞者に委ねられたよう。
現夫と前夫には、演出でも科白でも散々示されている通り、
視線を合わさない・合わすとの、大きな違いがあり。
製作サイドは
交わすこと=善
交わさないこと=悪、と
ステレオタイプに切り分けたいようだが、
聾唖であれば、
限られたコミュニケーションの手段として必然的に向き合わざるを得ないだろう。
ましてや己の体験として
「※※クンは、話す時に目を真っ直ぐに見るので、こちらの方が気恥ずかしくなる」と
言われたことがある身としては、全く肯定できぬのだが。
鑑賞前に何本かの評を読んだが、
その何れもが『敬太』が亡くなるくだりを暗喩としている。
しかし前後の文脈からは、そうした事件が起きたことは明らかで、
何故そのような書き方にこぞってするのか、隔靴搔痒の感あり。
それが制作サイドの要請の結果だとしたら、
正鵠を射ていない気もするが。
日常生活の悪くなる雰囲気が見事‼️
TOHOシネマズ錦糸町にて鑑賞。
日常生活を描いているにも拘わらず、悪い雰囲気を生み出す物語。それを捉える手腕は天下一品の深田晃司監督作品🎥
ある夫婦(木村文乃&永山絢斗)と5歳の息子が暮らしている。
何かを祝う準備をしているが、どうやら息子がオセロ大会で優勝したらしい。
そこに夫の父母がやって来るらしいが、「お義父さんは、私達の結婚を認めてくれるかしら?」などと話す夫婦を見て、「えっ!」と思いながら観ていくと、ドンドンと物凄いことが起こっていき……という映画😱💦
いやぁ~、深田晃司監督作品の劇場映画の前作『よこがお』や、もともとテレビドラマだった『本気のしるし』などと同様、先の見えない展開が楽しくて仕方ない(^-^)
そもそも、深田監督を初めて映画館で観た『淵に立つ』以来、そうした雰囲気を感じる傑作ばかり。
意外性が見所の映画なので、詳しい物語展開は記載しないが、素晴らしい映画である✨
<映倫No.123365>
素晴らしかった。あまりに暴力的なトラウマ事件。それに触らないように...
素晴らしかった。あまりに暴力的なトラウマ事件。それに触らないようにする人々。優しいとはいえ、本質的なところでは寄り添えない夫。地震の中でやりかけのオセロ盤を守る母。永山、木村の人選だけで、既に一定のキャラを想像させるうまさ。物語はほとんど何も説明しない。韓国人のろう者を好きになるキャラに背景がないとは思えないけど、わからない。本当に好きな人をボロボロになって探す彼女にひかれる設定や、猫が彼を選ぶこと、乗船前の彼の言葉など、至極のシナリオだと思う。さらには、オセロゲームが続いていることや、危篤は嘘で結婚式だったことや、義母が孫が部屋に戻るのを嫌がることとか、物語をはみ出る現実界の要素がリアルに散りばめられているところがすごい。風船の重なり、長いカラオケの歌の間でお風呂での事故の音がかき消されること、CDがキラキラして戯れる元夫婦たちを見つけさせること。焦る夫。部屋の中にCDの光がキラキラ入ること。そして極めつけは雨の中で踊る彼女。重すぎるトラウマを軽くするのはこのような騒ぎであり、雨である。20年ぶりに息子に会ったとする元夫。今まで生きてきてるので本当に自分ダメな奴だったのか、お金も借りておいて字もかけて、一人で結婚式に行けなかったのかはわからないけど。
普段、目をみて話をしてますか?
今年268本目(合計544本目/今月(2022年9月度)11本目)。
※ 映画の趣旨として「健常者」は、ここでは「聴覚障がい者」の対義語として用いるものとします。
さて、こちらの映画です。
序盤、子供とオセロをやっていたり、スパゲッティがナポリタンがどうだのという話は、よく見ると目線が全然あっていません。健常者どうしの会話ではそれが当たり前なのであり、むしろよほど真剣な話でもない限りそうしませんし、マナー違反です。しかし、それが必要になることも、あります。特に、人の人生を変えてしまうような話をしているときなど、です。
一方、聴覚障がい者の方が使う手話は、その性質上「相手側と対面して」話すのが基本です(このコロナ事情で地下鉄等、席が少ない状況では、「ハンディ鏡」が便利に使われています)。この点で、健常者と聴覚障がい者のコミュニケーション方法は(基本的には)違います。違うため、そこから派生する文化・考え方なども異なります。
映画内では「私たち、最近目と目をあわせて話をしていないよね?」という趣旨の会話が最低2回でます。また、それ(目線があっていない会話)も顕著に明確に描写されます。一方、ストーリーの中盤から現れるろう者の登場人物は手話を用いるにあたっては「目と目を合わせる」ことを大切にしています。これは手話の特性(目で追うことが主体となる)以外に、健常者どうしでは失礼にあたる「指さし」なども「あなた」「自分」「あの人」といった表現では普通に用いられるからです(指さし表現は、手話文化においては何ら失礼な文化ではありません)。
映画として、全般的に確かに「まとまりがない」点は大きく感じました。ただ、この点はおそらく、他の一般的な「障がい者」をテーマにした映画(この映画に限らない)だと、その方が主人公でそれにまつわるエピソードや事件を描く映画が普通であるところ、この映画は、俳優の一人にろう者を起用しただけで、「聴覚障がい」を持つこと「それ自体」はストーリー上何らかかわってこない、という事情もあります。換言すると、多くの方が思っている「障がい者が出てくる映画は、お涙頂戴ものだったり、その方を深く掘り下げる「考えさせる系の映画」が多い」ということを見事に裏切ったものであり(あの登場人物の方は、極論、聴覚障がいをお持ちでもなくても、あるいは、日本籍以外でに何でも関係しない)、この点で「障がい者が出る映画はこう描かれるべき」という「そうすべき集」から脱却したこと、それにあるかな、と思います。
一方で出ることは出ますので、やはり全体として観たとき、
{ 健常者の場合 … 普段、目を見て会話をしない(から、考えの行き違いがよく発生する)
{ 聴覚障がいをお持ちの方 … 手話を用いる場合、目をあわせて手話で会話するので、考えの行き違いが少ない
…という点はどうしても存在し、多くの方が健常者である現状において、マイノリティであるところの当事者から「普段、目をみてしっかりと(誤解を招かないように)会話をしていますか?」という問題提起型の映画と考えるのが妥当ではないか、と思います。
採点にあたっては下記が気になったところです。
-------------------------------
(減点0.3) この映画、最初に「愛知?かどこかのテレビ局の○周年記念作成映画」であることが表示されますが、一方で最初と最後にフランス資本が入っていることが示唆される字幕もあります。
もちろんどの映画をバリアフリー上映にするかは極論、作者ないし配給会社の裁量権にはよりますが、この映画を「デフォルトで」バリアフリー上映にしないというのは、あまりにも「視野が狭すぎる」という非難は免れないかと思います。
どちらに決定権があるかは知りませんが、趣旨的に「当事者の方も含め多くの人にみてほしいからバリアフリー上映にしたい」といえば反対する根拠は正直何もなく、映画そのものがバリアフリー上映でない場合、スマホアプリ等でバリアフリー化する(音声などをマイクで拾って、字幕を表示させたり、(視覚障がい者の方に対しては)場面説明をする)ようなアプリに頼らざるをえませんが、9/10(土)時点では未対応です。
正直なところ、この映画をデフォルトでバリアフリーにしない根拠が正直謎です。
映画内では聴覚障がい者の文化(ろう文化)も含めて高度な知識が出るので、当事者の方がいれば、希望する限り、一緒に見に行くのが自然であるにも関わらず、です。2000年であればまだしも、2022年というこれだけ人権意識の高まりが叫ばれるようになった今日において、この映画がデフォルトでバリアフリーでないのは、正直がっかりです。
-------------------------------
(▼参考/その他の知識)
・ 韓国手話と日本手話について
→ 韓国手話は日本の統治時代に持ち込まれたこと、また、国語(国文法)的にも似ますので、よほど特殊な話題をするのでない限り、7~8割の共通性があると言われます(このことは、日本が同じく統治した台湾においても同様)。
こっわ
「LOVE LIFE」に「LOVE」は無い
撮り散らかしててワカメ
木村文乃観たさに。。
女優・木村文乃が好きなので観た。
序盤がピークだったかな。幸せから突然落ちてしまう悲劇までの日常の描き方。全般的にカメラワークにはセンスを感じた。ゆっくりじわっと動くカメラワークは怪しい。
ストーリーはなんだか共感できないダメ男が挟まっていて、深みが出ないままジエンド。ダメ男と共依存な女っているにしても、相手が木村文乃だけに、こんなダメ男と共依存になるかっていうのがリアルに感じられない。
共依存になったところがすっぽり抜け落ちてるので、単に4角関係をつくりたいがためにとってつけたような感じが否めない。ま、その共依存の過程を描こうとすると、それこそそれだけで1本の映画になって、逆にダメ男が主人公ばりの存在感をもってしまうので、ああいう浅い感じでとどめておいたのか。ならば、その4角関係までつくらなくても、夫婦だけでもよかったのではないかとさえ思ってしまう。
目をみて話すというのがテーマをはらむキーのようにポイントでみえる。旦那が元カノに目をみないんですねと言われてみたり、最後のカットで、妻にこっちみてと言われたり。深見監督はここにこだわっているなぁって思いました。
とらえかたは様々だけど、かけがえのない存在であるはずなのに、空気のように扱ってしまっている日常。相手がどんな気持ちになっているのか鈍感になっている。失って初めてわかる孤独。あのときに相手がどんな気持ちだったか、印象に残らないんでは寂しい。目をみていれば、その気持ちの変化に気づいたのかもしれないって、思う。
ストーリーにもちこんでいくよりは、日常に潜む危うさをテーマにしているような、そんな感じに思えた映画。
余談:
木村文乃はよかったです。クールで男勝りな感じのイメージだったので、このような薄化粧の日常の女性を演じる感じも新鮮でした。
観ていて、気分のよくなる映画ではない。
孤独の辛さ、人の内面の複雑さを描いた傑作
「よこがお」や「本気のしるし」を手掛けた深田晃司監督の最新作で、矢野顕子の同名タイトル曲をモチーフに製作。
初めて深田作品を観賞しましたが、非常に良かったです!
木村文乃演じる妙子の家族が、とある"不幸"が起きることで自分の元夫と向き合う事になるのですが...
ぶっちゃけて言うと、妙子も夫も元夫もかなり身勝手で人を振り回す人達で最低です。なのに、何故だか嫌いになれないし妙に納得してしまいました。
序盤の"不幸"の場面も良い意味でしんどく、その後のどこか壊れそうな木村文乃の演技が素晴らしいです。
また、撮影のカメラワークや演出術が本当に素晴らしい!
フランス資本が入ってるからなのか、深田さん自身の手腕でやってるかは解りませんが、見事なショットや技術に終始圧倒されました!
ただ、元夫が持つ聴覚障害者の描写は正直議論の的になりそうな気がします。
ネタバレになりそうなので上手く説明出来ませんが、恐らく劇中の描写に怒る人はいるかもしれません。(聾者の役を実際の聾者の俳優を使う事自体はポジティブに捉えてます。)
主要キャラクターはほぼ全員自分勝手で「共感出来ない!」という人もいるかもしれないので、そこで本作の好き嫌いが分かれる気がします。
しかし個人的には、人間の孤独に対する辛さや繊細さ、人(主に男女)の内面の複雑さを描ききった傑作でした!
不思議な後味
LOVEってなによ?
息子を連れて再婚した嫁と結婚直前まで他の女性と交際していた旦那という過去を引き摺る夫婦の話。
結婚して旦那の実家を引き継いで仲良く暮らす夫婦と嫁の連れ子だったが、息子のオセロ大会優勝&旦那父の誕生祝いの日に事件が起きて…。
なぜその状況で日本に住んでるの?な元旦那の登場が絡み、何だか怪しげな嫁の心境の変化や旦那の際どさもみえてくる。
いるよねこういうダメ人間好きの人。私がいなきゃ!っていっているから自分が好きなのかも知れないけど。
誰もがもっている人の自己愛や自己肯定感とか弱さみたいなものをみせつつ、最後はしれっと…わからなくはないけれど、出オチの様な序盤の重々しさや悲しさがピークで何だか結局摑み所がない人たちだった。
物語が動き出すきっかけとなる事件が重たすぎるのではないか?
ある事件をきっかけにして、主人公を取り巻く人間関係が変化していく話なのだが、なかなか物語の焦点が定まらない。
最初は、主人公の再婚相手の両親(義父母)との関係が軸になるのかと思ったが、そのうち再婚相手とその元カノの話になって、やがては主人公と前の夫の話になっていく。そこで、ようやく、主人公と2人の夫の関係性が、この物語の核心であることが明かになる。
その一方で、主人公がどういう経緯で前の夫と結婚したのかという大きな疑問は残り続けるし、主人公の肉親(実の両親等)のことは、最後まで明かにならない。
何よりも、主人公が、なぜ、そこまで前の夫に執着するのかが、実感として理解できない。確かに、前の夫は「弱いから守ってあげたい」と思わせる風貌をしているが、そこに男性としての魅力があるのかと言えば、甚だ疑問であるとしか言いようがない。
「CODA」のように、ろう者の役を実際のろう者が演じることに大きな意義があるということには疑いの余地はないが、だからといって、適材適所の原則をねじ曲げて良いということにはならないだろう。そういう意味で、今回の砂田アトムは、残念ながらミスキャストであると考えざるを得ない。
そして、結局、この映画が「雨降って地固まる」ということを描きたかったのだとしたら、その「雨」は、親にとって過酷すぎたのではないかと思えるのである。
ラストシーンで、未来に向かって歩いていくように見える2人の姿からは、確かに希望が感じられるものの、その一方で、そんなことでこの苦難を乗り越えられるわけがないという疑念も沸き起こってくるのてある。
切れ味上がってる
深田は追いかけているが切れ味と、緊張感が半端じゃない。冒頭の流れなんて、引き込まれる。ろう者の彼のように、この人俺が居てあげないとと思って心配してあげるが、実をいうと戦略としての態度を疑ってしまう。男がろう者に対して聞こえない声で語りかけるシーンが素晴らしい。
タイトルと矢野顕子の印象から柔らかいかなと思いきや、鋭い。深田はたまに柔らかい印象のものも撮ろうとしているが、鋭い方があっているような気がする。
この映画はTOHOシネマズで鑑賞した。以前、深田はTOHOが独禁法に抵触するのではという問題提起をしていて、それを読んで、そんな大きな会社を批判したら一生上映してもらえないのでは?と勝手に心配していたが、こうやってちゃんとかけてもらっている。山崎の爽やかな雰囲気をこんな演出で撮るのかと驚いた。山崎はTOHOで何年も観てきたので。
パクが港で説教かますシーンはお前が失踪して大変な目にあってるのにお前がいうのかと呆れてしまった。
障がい者を不思議なマジカルな人と描くのが古典的差別としてあり、それを進歩させてセックスにはまったりするんだよ、普通の人なんだよというのがコーダだったりするが、深田は更に回って不思議でマジカルな魅力を描く。
猫を彼の無責任ぶりの小道具として使うのはかなり素晴らしい。映画のなかで猫が出てきた時のほっこり的な甘さが苦手なので警戒していたら、こんな暴力的に譲渡されるのは新鮮。
2回目は永山を中心に見てしまった。彼の自分で軽薄さを認めた上で優しく振る舞うが自らを省みてしまうがゆえの冷たさが悲しい。最後の散歩を彼が切り出すのはせめてもの救いか。声は義母役の神野さんがでてくる度に不安になる。
割り切れないもの
割り切れないものをあえて描いています。
大げさな演技も、絶叫も、ダッシュも、刃傷沙汰も、「頭のおかしい人という設定でそれっぽく見せているだけ」の演技も、ついでに言えば肉体関係を伴う不倫も、どれもありませんが、全編が強い緊張感に包まれています。
登場人物が優しい人ばかりだとか寛容だとか、そういうことでもありません。
それどころか、何気ない一言が他者を鋭く傷つける様が何度か描かれるし、本当はそばにいるべき人が逃げ出すし、主人公がはっきり間違ったことをしてしまう様も描かれ、しかしそれ自体が、たしかに人生にはそういうこともあるかもしれないというリアルさを醸し出します。
人間関係がそもそも持っているスリリングさを描き出しているといえばいいでしょうか。
しかしそれがほのかな希望につながるように描いています。
それと、手話をつかう聾者役を、きちんと当事者キャスティングしたところも高く評価できるところです(なぜ聾者は聾者の俳優がやらないとダメかはパンフレットを見てください。手話は言語であって、ジェスチャーではありません)。
今年ベスト級の一本となりました。
寛容こそ"ラブライフ"ということかな
ぷいっと出ていった朴に対する妙子。朴を追いかけてクルマから降りた妙子に対する二郎。自分の家にいる朴に対する二郎。朴を自分の家に入れた妙子に対する二郎。自分を捨てた二郎に対する山崎さん。暴言吐く義父に対する妙子。義父の暴言を見過ごす二郎に対する妙子。騙して金を借りた朴に対する韓国での妙子。朴に対する韓国の息子。…挙げていけばきりがないくらいにみんな寛容でした(寛容?我慢いや痩せ我慢?我慢と寛容は違うよね)。朴さんはさすがに人の寛容に甘えすぎだろ。まあ、こんなに皆が寛容でいられたら楽だろうな。楽に生きていくためには寛容が正解です。でももやもやは残るだろうな。この先何かが切っ掛けで引き金になって壊れないか心配にもなります。
寛容こそ"ラブライフ"てことかな(皮肉ではありません。そうありたい、心からそうあって欲しいと思うから)。
追記)もちろん、妙子も二郎もまた皆が苦しんでいるのはわかる。これで苦しまないわけないもの。でもね、自分の生きてきた過去を思い返すとこれで修羅場に発展しないのはすごいなと思うわけです。裏を返すと、この映画のなかで見られる暴言やら行動やらは極力控えます。やりません。しかしそれが実際に行われてしまったときにはこの映画のようにはならなかった、あるいはならないだろうなあと思うわけです。また、仮に一時的に元の鞘に収まったとしても、どうなんだろうと思うわけです。
初っ端から
悲劇であり喜劇でもある。
深田作品は、自主制作作品も含め、ほとんど観ている。
その中で、本作は1番観やすく、好きな作品! 『淵に立つ』や『よこがお』は素晴らしかったが、もう一度観るには、重かった…。しかし、『LOVE LIFE』はまたすぐ観たい映画。
我らが住む日常の中で、
どんなに悲しいことがあっても、
お腹は空くし、
「フッ」って笑ってしまうことは起こる。
ただ、それだけの事をきちんと
映画として、映画文学として、みせくれている深田監督はすごい。
観終わった後、めずらしく気軽な深田作品だった。
最初、予告編でLOVE LIFEを聴いた時、「さびしい曲だな」と感じたが、いまでは口ずさんでいる。
音楽のチカラはすごい。
市役所で、元夫・パクさんと妙子さんが、手話と目(表情)で会話して、現夫・二郎さんがポツンとしている描写好きだったな、しかも、二郎さんは目を見て会話しないから、そういう設定の伏線だったとは!
鳥肌たったぜ。
また、この作品の俳優陣は表情でも演技しているから、耳が聴こえない方、日本語がわからない方にも、伝わりやすい映画なんだなぁ、と。
そして、現夫の二郎さんはクズ男ですよ。
『本気のしるし《劇場版》』の辻くんを超えるね(笑)、個人的には。
主題歌が矢野顕子さん、タイトルが『LOVE LIFE』、ポスターのエモい感じ、どれも優しい感じがするけど、とてもエッジがあり、化ける映画だ。
全78件中、61~78件目を表示













