ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
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映画「レスラー」と同じような感じがした。
良かった。
アカデミー賞を受賞していた事とテーマに興味があり鑑賞しました。
それ以外の予備知識はなかったのですが、観ていく中で、途中過去に鑑賞した
映画「レスラー」に似ていると思って鑑賞後確認したら同じ映画監督で納得しました。
家族や他人に迷惑を掛ける事が、分かりつつも自分の考え方を貫く生き方しか出来ない
不器用な人たち。
現在は多様性の時代でマイノリティな人だからと言って批判や疎外してしまうのは
間違った考え方なのかもしれません、気を付けなければと思いました。
過去最高のワンシチュエーションものですね。
心の中まで肥満になってはいない。
ラストは涙が溢れる。傑作だ。登場人物がほぼ四人だけの室内劇だが、人間を、社会的生き物としての人間を見事に活写している。
①基が舞台劇だから仕方がないが、どうしても舞台臭が抜けないので⭐だけ減点。
②ダーレン・アロノフスキーは今回は『ブラック・スワン』ほど神経症的ではないが、ほぼ4人(+1人)の登場人物のみ会話劇を緊密な演出で構築している。
しかし、『レスラー』といい『ブラック・スワン』といい、どうしようもなく破滅に向かう人間を絶妙に演出できる監督さんだ。未見だけれども『レクイエム・フォー・ドリーム』もそういう映画なんでしょうね。
③今年のアカデミー賞主演男優賞は『イニシェリン島の精霊』のコリン・ファレルだと思っていたけれども、本作のブレンドン・フレイザーもそれに負けない熱演。
④故淀川長治先生は「秀れた映画とは“人間”を描いている映画」と書かれている。
人間のどうしようもなさ、ということがこれでもか、と突き付けられる。
主人公のチャーリーはパートナーのアランに死なれた傷心から過食症・自閉症を発症しまう超肥満体となった男。
上が284という超高血圧なのにチキンコンボやピザ、チョコレートバーといった高カロリー・高脂質の摂取を止められない。頑なに病院に行くことを拒んでいる。
口と指と油でギタギタにさせながらフライドチキンを貪るように食べる姿は、私の様な健康オタクからすれば病的で気色ワルい。
チャーリーがそうなった訳は、パートナー(男性)の死なれたことから過食症になり緩やかな自殺に他ならない事がやがて分かってくる。
ゲイのパートナーに死なれて自殺を考える(希死念慮に取り憑かれる)というと、コリン・ファースの『シングルマン』を想起させるが、スタイリッシュで美しい映像美が印象的だった『シングルマン』に比べると正直醜悪で見苦しいと初めは思ってしまう。
⑤文章に対して鋭い見識眼を持ち、作文の講師が出来る程の知性を持っているのだら、過食症も自閉症も脳の疾患だとわかるだろうし、対処策もわかるだろうに(策さえ分かれば対処出来るという程単純なものではないが)、このままでは命が無くなることを分かりながら暴飲暴食を止めようとしない。人間とは真に不条理な存在である。(私は双極性Ⅱ型障害を発症したが希死念慮は起きなかったので希死念慮については偉そうに云う資格はないけれども)
⑥リズという面倒を見てくれる看護師の友達がいるが、チャーリーの状態が分かっているのだから、何故無理にでも救急車を呼ばないのか、アメリカではそれほど個人の意志が優先/尊重されるのか、と思ったけれども、やがてリズはチャーリーの恋人の妹であること、兄の死の真相を知っていること、チャーリーか何故過食症になったのかを理解している人間であることが分かってくる。
⑦そして、ここに信仰&神の問題が絡んでくる。
この映画では「ニューライフ」という「エホバの証人」?みたいなキリスト教系の宗教団体が出てくる。
アランが死んだのも、子供の頃から刷り込まれた教えに反し、また所属していたコミュニティから追放されたトラウマから結局逃れられず自死したようなものだし、トーマスにしたら
先送りされた 自らの暗い物語
レビューだかエッセイだか判別しない作文を、毎度している私ですが、私、正直に書きませんよ。だって正直であろうとすると、むしろ自分から遠のいてゆく気がするから。
死を意識しながら生きてますか?。私、意識してません。だから私、死にかけ状態の人の気持ち、分からないの。ただ私が死にかけたら、心配して駆けつけてくれる人、一人でもいたら、案外、それだけで、いい一生なのかも。
ヒトを好きになりました。家族は棄てました。パートナーも、家族と信仰を棄てました。パートナーが病んだのは、私の愛が罪だから。私には、赦しを乞う資格がありません。私は罪と共に去りぬ。
自らの暗い物語を先送りして。
自らの暗い物語を先送りして…。
ヒトは生涯をかけて罪を犯し、生涯をかけて贖罪を乞う。そのツールとして、信仰がある。仮にそうだとして、神様はどうしてヒトを創ったの?。あるいは、ヒトはどうして神様を造ったの?。
古来より、バラとアザミは夫婦だそうです。バラとアザミ。近づく程に、お互いを傷つけ合う。それでも夫婦なんです。アザミとアザミの家族もいます。いずれにせよ、互いに傷つけ合いながら、互いに分かり合おうと寄り添う。おぞましくもあり、美しくもある。
裏切り傷つけ合うのがヒトの性(さが)だとしても、お互いを大切に想うのもまた、ヒトの性。そうありたいものです。自らの暗い物語の先に、たとえ赦してくれなくても、自分のことを心配してくれる人がいる。それだけで、ヒトは救済されるかも。
生と死、性と家族を真正面から捉えた、すごい映画です。とはいえ、生理的に受け入れ難い映画ですね。…正直なところ。
ラスト10分がすべて
当初は予定に入れてなかった作品ですが、アカデミー賞主演男優賞の演技を観たくて鑑賞してきました。
ストーリーは、8年前に妻と娘のエリーを捨ててボーイフレンドのアランとの恋を選んだチャーリーが、アランが亡くなったことで過食と引きこもりの生活に陥り、一人では身の回りのこともできないほどの巨体となり、アランの妹で看護師のリズの助けを受けながら生活していたが、自分の死期が近いことを悟り、最期にエリーに自分の思いを伝えようとするというもの。
巨漢のチャーリーの過去と秘めた思いが徐々に明らかになり、ラストで「白鯨」に収束する展開は悪くないです。「白鯨」を読んだことがないので、内容の上で本作とどのような関連があったのかはわかりません。ただ、彼にとってはかけがえのない思い出との結び付きと、おぞましく膨れ上がった自身の体を連想させるという二つの意味があったのだろうとは思います。冒頭と対をなすラストシーンで、小難しい文章のもつ意味がわかり、一気に感情をもっていかれ、思わず目が潤んでしまいました。
とはいえ、よかったのはラスト10分だけ。序盤から一向に盛り上がらない展開に、なかなか乗れませんでした。いろいろな人との関係からチャーリーの人生観を描こうとしているのか、家族への思いを描こうとしているのか、はたまた神への信仰について描こうとしているのか、よくわからず、焦点が定まらなかった印象です。捨てた家族との絆を取り戻し、その姿を見てリズも救われたぐらいの方が、自分にはわかりやすくて好みです。
また、場面転換がほとんどなく、ひたすら会話劇が繰り広げらるれるだけなので、絵的にはまったくおもしろみがありません。仕事帰りに鑑賞したのですが、新年度スタートの激務の疲れも手伝って、睡魔と戦いながらの2時間となりました。瞬間寝落ちは数知れず、そのため大切なシーンを見落としたり、セリフを聞き逃したりしたかもしれません。だとしたら、本作のよさが理解できないのは自分の責任です。
主演はブレンダン・フレイザーで、彼の演技は確かに受賞に値すると感じました。その他の俳優はホン・チャウしか知らず、彼女は安定の演技を披露していますが、エリー役のセイディー・シンクも堂々たる演技です。
ブレンダン・フレイザーは
演劇でよろしい。
人間は
怠惰な生き物である。
怠惰でいることが持続可能であることを
叶えるためにこれまで多くの発明開発をしてきた。
この怠惰な生き物である。
と言うことを僕が理解したのは、ジブリの鈴木敏夫さん
のラジオ番組でドワンゴの川上さんの発言だった訳だが
ラジオを聴いていただけで、気づけたのだから怠惰な
人間の発明に感謝すべきところである。
と感想から逸脱し始めたところで、ひとまず戻ろう。
その怠惰な人間がまず省エネで生きようとするならば
まず捨てるべき行為は、考える。と言うことなのだが
この考えると言う行為が、宗教や学校という現場では
厄介で、問題となるイシューである。と言うことを
見事だし示してくれた作品であるといえよう。
その上、考える人間が生み出した発見が所謂
歪で異質で、世にとって受容し難い存在なのだが
それがありのままの人間が抗い生み出した
人間が気づいていなかった真理である。と
言うことに気付かせてくれるのが本作である。
まぁ、長々と書いたけどね。素晴らしい映画だよ♪
普通のドラマに見えつつも超斬新
スタンダードの画角で、少し変わっているとはいえ、ごく普通の現代社会を写し取ったようなドラマ。それを音でもって感動的に仕立て上げようとしている雰囲気があり、かなり警戒を持っての癇性ではあったけれども、結果めっちゃ感動しました。別にしてやられた感覚でもなく、ナチュラルに楽しめた感じです。
見る前からこの題名は?と疑問に思っていて、内容を見ても分かりような分からないような曖昧だったとは思いますが、このタイトルと内容をリンクさせて楽しんだ部分はかなりあります。そして、それが結果的にはかなり斬新な作品だったと思うに至るまでになった気がします。
この社会というのも色濃く出ていて、なんかすんごくいい映画だったなぁと素直に思いました。
ブレンダンフレイザー、見事な復活。
たったひとつのシチュエーションでも、これだけ感情は揺れ動く
結局キレまくる登場人物たちがいとおしい。そして何しろ圧が、、、
スタンダードサイズのスクリーンが幅狭く、暗い室内で心臓止まりそうな巨体をこれでもかと見せつけられる。
外の天気は玄関の扉越しのみで示され、外を通る人影はブラインド越し。舞台装置・部屋のしつらえの細やかな演出はとてもリアリティがあった。マジックハンド、必需品。
重要な役柄へのアジア人女性の配置、ど真ん中にLGBTマター、さらにタイムリーな宗教2世問題までストーリーの核に絡んできて、本格的な社会派ドラマかと思いきや、あるきっかけで太り続けてこうなってまった男の日常動作の一つ一つが、見る者によってはホラーっぽくもあった。
私なりに受けたメッセージは「正直に生きろ」、かな。
自分の行動の結果がどうなるかは良かれと思おうが悪意のあるものであろうが、制御不能。
とにかく見るだけでフィジカルな「圧」との伴走だったので、ラストシーンはあの演出で助かった!
悪意と涙の感動の狂気の組み合わせ!
素直に泣いていいのか?なんか嫌味を感じてしまう内容である。
太った人を小馬鹿にした差別的なタイトル、『ザ・ホエール』。しかし、それは、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』のクジラのことだと、もっともらしく意味深な感じに見せようとするところの嫌らしさ。ゲイの人に対する気持ち悪さをわざと誘うかのようなオープニング。太った人やゲイの人を冷やかしバカにするという悪ガキじみた下品な感性をわざと刺激するかのような真性悪の仕掛けがところどころに散りばめられている。その際たるものは、異様な特殊メイク、そして、まさしく精神を病んで太ってしまったブレンダン・フレイザーという俳優そのものである。
結婚して子供をつくり、かつゲイであるが故に男性を愛してしまい、女房子供を見捨てた極悪人。そして、愛していた男性が自死し、ショックで精神を病み過食症で極度の肥満になってしまう。あるいは、人生を純粋に正直に生きようとしただけであり、憐れな人ともとれる。
彼はただの太ったゲイの極悪人、自業自得であり、差別的にみることを正当化できる人もいるかもしれない。しかし、一方で、人様のプライベートな生き方にいいだの悪いだの口だしをして、いい悪いなどを判断することがいかに醜悪なことであるか、彼の憐れな生活をこれでもかと見せつけられるたびに自制を促されるのだ。
人間とは、不完全なものであり、救いが必要であるとキリスト教的な慈悲の目でみることもできるが、キリスト教の欺瞞的な教えに対するチラチラとした批判がある。キリスト教とはさも矛盾に満ちた宗教でありながら、そのことを十分に理解していた主人公が最後はなんと文字通り天に召されるのである。なんとも人を混乱させ、クジラが空を飛ぶ!と見たまんまを言葉にすれば、それは人を小馬鹿にしたブラックな笑いを誘うシーンでもあるが、自制心をもってみれば彼は神のもとへいったのであり感動的結末でもあるのだ。ダーレン・アロノフスキーは悪意に満ちたものと、感動を誘うものを無理やり両立させようとする本当におかしな趣味の監督だ。なんだこのセンスは!といつも首をかしげたくなるが、面白いのでつい気になってしまう。
非常に憐れであり、かつ下品な感性を刺激し、小馬鹿にされうる存在、ザ・ホエール。矛盾にみちた存在の映画のエンドロールの終わりに、ほわ〜んというクジラの鳴き声をインサートしてくるところが、悪意に満ちあふれていると思ったが、笑えてしまうという自らの愚かさを反省させられるという、キリスト教的にいえば、告解を誘発する内容である。
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