百花のレビュー・感想・評価
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人の記憶の不思議
この作品、1番良かったのはキャスティングかもしれない。菅田将暉と原田美枝子の親子は、美しく静かに一定の距離の中で関係性を保っていた。その静かな部分とうちに秘めた過去の複雑な思いが、2人の演技に滲み出ていて良かった。
認知症は辛い。大事なことを忘れてしまう。それを側で見ている家族も辛い。少しずつその人ではなくなってくるような錯覚に落ちる。人の記憶はどういうふうに作られるのか、認知症もそうでない人も、同じ時間を過ごしていても、記憶は違う形で作られる。
映画の中では親子が何を持ってこの記憶なのかの背景があまりわからないので、本当の意味の共感が難しかったように思った。
認知症の母親との生活がテーマではあるが、途中で母親が子どもを捨てて...
刷新の映像描写
百花
劇中で主人公はレコード会社に勤務し、作中の時系列では映画のテーマとは一見似つかわしくないプロジェクトについている。
そのバーチャルアーティストであるKOEは、映画の中では風変わりに写っている。
このデジタル全盛の時代において、常に刷新される映像表現と触れ合い育った世代は、将来認知症になって記銘力を失った際に(母百合子の想起の対象が過去のみに変わったように)、昔好きになったデジタル画像を心象風景として思い起こすことがあるかもしれない。
突飛な考えとなったが、主人公のような若い世代の記憶と、母親の記憶を相対して見せたように、KOEは現在から未来に至る人間の想起の対象、記憶の象徴のように画面内において存在する。
主人公は(描写は少ないものの)おそらく背景においてKOEのプロジェクトを進めている。そして、最終的に母親の記憶、図らずとも過去と向き合っている。
記憶は皆曖昧であり、本人にとって大切なものだけが少し残る。
時代の過渡期である現在において、その不安定さ、切実さを、温もりの下に表現している。
終始台詞回しがセンスない
2022年劇場鑑賞67本目 愚策 39点
菅田将暉が休業前の最後の興行作品で、長らく告知されていたので今の菅田将暉が満を辞して選んだ作品だと思って原作も買って結構楽しみにしていた作品
結論、他の方も仰る通り想像と違ったのが一番で、良い作品ぶる感じは伝わるけど、それに伴う演技と脚本と惹きつける何かが圧倒的に足りない
一番嫌いなのは菅田将暉のの母役の原田美枝子が終始鼻につくし、朝起きて外に出て朝日に受かって子の名前を叫ぶとか寒すぎて引きました
予告にもある半分の花火を最後まで引っ張りますが、それに対しての思い出が取ってつけたような設定で弱すぎる
原作も数ページ読んで惹きつけられず、劇場鑑賞し改めて読み返そうと思い足を運びましたが帰宅後部屋の奥の方にしまいました、もう開くことはないでしょう
母親の 認知症の症状がある程度進んでいる。こんな状態の母親をひとりで残して 葛西泉は妻のいる家に帰ってしまう。
動画配信で映画「百花」を見た。
劇場公開日:2022年9月9日
2022年製作/104分/G/日本
配給:東宝
菅田将暉29才
原田美枝子64才
長澤まさみ35才
永瀬正敏56才
川村元気監督原作
実家に葛西泉(菅田将暉)が帰ってくる。
大晦日の夜だ。
母親(原田美枝子)の認知症の症状がある程度進んでいる。
こんな状態の母親をひとりで残して
葛西泉は妻のいる家に帰ってしまう。
ひどいなと思ったが、
彼は心のどこかで母親を憎んでいたのかもしれない。
それは小学生のとき母親に置き去りにされ、
1年間放置されたこと。
母親「だけど私は後悔はしていない」
阪神大震災のショッキングな再現映像がある。
あのときオレのいた地域は震度4だった。
自分が経験した一番大きな地震があれだった。
あんな大きな地震は今後有り得ないだろうと思っていたが、
その後には東日本大震災が起こっている。
原田美枝子は撮影時64才。
メイクの力もあるのだろうが、
とても美しい。
人間は誰でも死ぬ時が来るし、
認知症になる人もいるだろう。
大地震に遭遇することもある。
人間には抗えないことがいくつもある。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
母と息子 離れてどう付き合ってゆくか
レビューが大変遅くなりした。
2回観て2度目で母の考え・息子の考えのふたつについて理解することが出来ました。
母百合子 認知症を患った者は、自らが認知症になった事に気づかず日常生活を送っていた。それは、傍から見れば一見普通のおばあちゃんであるがやはり一つ一つの行動が観れば明らかであった。子供には何度も注意をし、同じものを何度も籠に入れ同じ動作を繰り返す。息子の帰りを公園で待っていたり、傘を持って当時の小学校に向かう、それは過去の残像であり過去の産物に過ぎないのである。百合子の「半分の花火」これの正体が花火は花火でも建物に遮られた半分に欠けた花火その記憶は百合子の中に強く印象づいて残っていた。最後には、もうほとんど記憶は無くなっていたが母 百合子のしてきた事は息子からすればどう写っていたのだろうか、、、
息子 泉 母の百合子が認知症と発覚してから家に帰ることを少し拒むようになり都会に引越し奥さんの香織さんと共にレコードの会社で働き生計を立てていた。母の病状は年齢よりも早く悪化していくのも早いと病院では診断された。先程も書いた通りあまりに認知が酷いためヘルパーを呼んだりそれからは、介護施設に送り届けた。耐えかねない泉の判断は正しいがただ苦しい母の姿を自分では抱えきれず逃げているだけなのではと私は考えた。だが、こうするしかないのでだろう。何故なら過去の母の失態が泉に深い穴を作ったためだ。泉が幼少期の頃母の友達工藤恵の一言により百合子は子供を置いて家を出ていってしまった。泉は児童施設に預けられることとなったが百合子は、そんなことなど知らずスーパー(?)か何処がで出会った浅葉さんと共にアパートで暮らす事となる浅葉は、大学の先生をしており帰りは遅かったりとあまり良い男ではなかったしかも大学の変更でそれから消息をたってしまっただった。泉の知らぬ所でそんなことが起きていたのだ、、
2人の事柄について考えてみましたが、私のおばぁも私が高校に上がる頃には、認知の疑いがあり私が高校を卒業する頃には、完全に認知症であった。それには、おじぃの影響も関係していたが家族の名前も曖昧で自分が今何をしていたのかさえも分からなくなっていた。認知症は、どんな病気よりも恐ろしい病気だなと改めて感じました。近年でも若くして認知になる傾向が多いようです。日々の生活に気を配りながら頑張っていきたいです。
記憶を失っていく母と、記憶を取り戻すむすこ
母と息子の心をとても繊細に描いた映画でした。
たとえば泉(菅田将暉)が母・百合子(原田美枝子)のオンナの部分を嫌悪している描写があります。
好きだった人・浅羽(永瀬正敏)と泉を混同する百合子。
「今晩、泊まっていくんでしょう?」
まるで恋人のように、腕をからませてくる百合子。
泉はそっと手を除ける。
認知症を発症した母・百合子。
泉の妻の香織(長澤まさみ)は妊娠している。
泉は小学生の時、母・百合子が突然帰ってこない辛い記憶と、
一年後に帰ってきた母への、わだかまりを抱えて生きてきた。
仕事も順調な最中、百合子がスーパーで問題を起こす。
スーパーのシーンは印象的です。
何度も同じコーナーを行き来する。
何度も何度も卵をカゴに入れる。
「走ったら危ないよー」と子供たちに声をかける。
それも繰り返す。
そして男の客の後ろ姿を見て、
「浅羽さーん!浅羽さーん」
とレジで精算しないで追いかけてしまったのだ。
そして検査の結果。
認知症(若年性アルツハイマー)と告げられる。
原田美枝子を見る映画でした。
若い日の美しい人。
病を発症してからは二役かと思うほど別人。
メイクでこんなに変わるものでしょうか?
川村監督は、原田が集中して張り詰めているのを感じて、
疲れ切ってふっと気を抜いた瞬間を映像に収めたりしたそうです。
小学生の息子を捨てて、男と暮らす母親。
(私には理解できない行動です)
それは1年間のことでしたが、
たった1年間なのだろうか?
2日間でも辛い。
母が帰ってこなかった日の、不安、絶望、空腹。
母親が全宇宙の少年にとっては永遠に近いほど長かった筈。
菅田将暉と少年の泉が重なったり入れ替わるシーンが
切なかったです。
母が見えなくなって探す大人の泉。
「お母さーん、お母さーん!」
その声が、声変わりしてない可愛い男の子の声に変わる。
ここが本当に切なくて泣きました。
原田美枝子が監督と衝突したとも話しています。
ワンシーン、ワンカットの長回し。
監督の意図が分からずに、
「なにが撮りたいの?」
原田美枝子は問いかけたそうです。
しかし何度もリハーサルを重ねるうちに、
「監督は芝居の奥にあるもの・・・それを探している」
と気づいて、あとは監督の指示に身を委ねたそうです。
恋に狂う女の部分と、息子へ後悔に揺れる内面。
やはり原田美枝子は圧巻の演技というより百合子そのものでした。
そしてラスト。
菅田将暉も母にはじめて正面からぶつかり叫ぶ。
「勝手に忘れられたら困るんだよ!」
「こっちは全部おぼえてるんだよ!!」
それまでの抑えてた演技がガラリと変わり、
感情の爆発と菅田の瞬発力に説得力がありました。
「半分の花火」
忘れてしまっていたのは泉の方でした。
若い母と並んで腰掛け、ビルの上から半分だけ見える花火。
「一輪の花」
それも少年の日の泉のプレゼント。いつも一輪。
母の思い出の曲「トロイメライ」の調べと共に、
2人の楽しかった日々のシーンが走馬灯のように
フラッシュバックします。
母は記憶を失ったけれど、泉は母を取り戻した。
そう感じました。
もう少し強く心に訴えかけてくれば、もっと泣けた気がします。
トリッキーな映像と音楽で綴られる認知症介護のストーリー
会社の関係でチケットを頂いたので鑑賞🎬
認知症介護当事者的にリアルな描写が刺さる。
同じ音楽や光景がグルグルと回る感じや曖昧な景色をツギハギのされた記憶…
全てを語られないのがまた認知症で記憶を失う切なさを感じさせられます。
ただの介護の話ではなく少し謎めいたミステリーな雰囲気が良かった!
母の秘密の日記を通して母が居ない空白の謎の部分を覗き見。
だけど全てが何でも説明されるわけではなく観る側に委ねられるような映画。
トリッキーな映像と音楽も楽しめて芸術的にもストーリーも楽しめる作品でした!
認知症介護の当事者にはかなりキツイところがありました。
この作品を今後観る時、私はかなり気合を入れて観ないとキツイかも。
でもまた観たい作品。
母親の過去
認知症がテーマで、愛情あふれる親子物語と思いきや、そこは映画だけに、母親には一筋縄では解決しない過去が存在し、ドラマチックに仕立て上げられていました。
ネタバレになってしまいますが、母親はシングルマザーで子供を置いて1年間愛人の元に行ってしまったという過去です。
その時の心情は人には言えないんでしょうね。映画のセリフの中では後悔はしていないということでした。
原田美枝子の演技力が光っていました。母親は認知症になってそのことを忘れてしまっても、子供役である菅田将暉はそのことはずっと忘れられないという設定でした。
後の出演は長澤まさみですから、みんな演技派俳優ですけどね。
昼ドラみたいな映画
いい役者を揃えたんですが…
こんな素晴らしい役者陣なのに、
これは演出、脚本の問題でしょうか。
全ての出来事を深掘りすることなく
浅〜く描いていて、台詞もグッとくるものがない。
ストーリーの内容からしたら、もっと心を動かす
言葉や演出があっても良さそうなのに。
ただよかったのは、原田さんが演じていた母の
認知症の進行度が徐々に酷くなっている様子を
非常にわかりやすく演じられていたと思う。
そして、恋をしている顔の美しいこと。
認知症の彼女と同じ人には見えない。
認知症の不思議なところは昔の出来事は
とても鮮明に覚えていたりする。
そして自分では気づいていなくとも、無意識に
浅葉さんが好きだった卵だけはきらさないように
心掛けてたことなんて、奥ゆかしい乙女心を感じてしまう。
半分の花火が昔子供の頃泉が口にしたこと
だったとはあまりにも切なかった。
それでも、小学生の自分を置き去りにして
男の元へ行ってしまう母親に対する許したいけど
許せないこのモヤモヤする葛藤は辛すぎた。
消え行く想い出と、残り続ける感情…
まず、オープニングから映像マジックに驚かされた。
長編初監督である川村元気の演出は、映画を熟知した巧みさに富んでいた。
監督補=平瀬謙太朗の力もあるだろう。
次に、菅田将暉が長髪を後ろに括っているのが気になってしょがなかった。
センスの違いなのだろうけれど、自分にはあれが綺麗だと思えない。
ま、これは余談。
予告編で「半分の花火」がキーワードとして投げ掛けられている。
本編でこれがあっさり見つかったときには釈然としなかったが、そこに巧妙な仕掛けがあり、主人公と共に目を潤ませることになる。
この映画は、「記憶」という厄介なものを媒介にして、母と息子の因縁、絆、愛情というものを描いているように感じた。
人が健全に生きていくために「忘れる」機能が備わっているのだと、誰かに聞いた覚えがあるが、人は忘れてしまいたいことが忘れられずに苦しむ。一方で覚えておくべきことを忘れてしまう。しかも、忘れてしまうと忘れていることにも気づけないのだ。
「記憶」とは、げに厄介なもの。
母親が記憶をなくしていくのを見つめる息子。息子は母親にある恨みを抱いている。自分がやったことを忘れていくなんて、いい気なものだと感じている。自分は未だに苦しんでいるのに…。
でも、「半分の花火」のことは、母があんなに見たがっていたのに、自分がすっかり忘れていたことに驚く。
母にとって自分は愛おしい息子であり続けたのか、あの優しい母を愛していた子供の頃を自分は忘れていたのに。
年をとると新しい記憶を蓄積できなくなる。老いると新しい記憶から消えていき、若い頃の強く熱い記憶だけが残る。
成長過程で新しい記憶をどんどん積み重ねていくと、幼い頃の他愛ない記憶は逆に薄れていく。
親が年老いて死に近づく頃に思い出す我が子の幼い頃のことを、子供の側はほとんど覚えていないという皮肉こそが記憶のメカニズムなのだろうか。
この映画の母と息子の関係は、一般論が当てはまるものではない。
たが、この記憶のメカニズム自体は多かれ少なかれ誰にも当てはまるだろう。
最後まで残るのは、出来事の記憶ではなく愛おしい感情の記憶なのかもしれない。。
「記憶」という迷路の先に見つけれるものは何か
『認知症は神様が人間に与える最後の贈り物』
という言葉を聞いたことがある。
この言葉は立場によって賛否両論だと思うが、
思い出を忘れていく人間にとっては、後悔や情念などを失い、
生きていた人生の中で忘れ得ない幸せな思い出だけが残るのであれば、それは本当に幸せなことなのかもしれない。
作品の中で日記が出てくるが、
日記として書き留めていても忘れてしまう事は多い。
しかし、忘れ得ない一瞬というものは書き留めていなくとも決して忘れない。
きっとそこには凝縮した幸せが詰まっているものなのだろう。
だからこそ、日記に記された【現実日々の過去】という価値が、それぞれの立場からの価値対比として見事に表現されているのも巧妙だった。
人は誰しも生きていれば多くの後悔や苦しみを抱えて生きている。それはその思いが強いほど多くが記憶に根付いてしまう。
「あんな一言、言わなければよかった」とか
「もっとこうしておけばよかった」とか
「こんなに自分は我慢してるのに」とか∙∙∙。
でも、そこには相手に対する
”思いやり” や ”愛” が根底にあるからこそなんだ。と
この作品を観て気付かされ、考えさせられた。
愛する人との記憶というものは本当に儚く、
自欲によって塗れているものかもしれないが、それは決して悪くない。
大事なのは、大切な人の記憶の中に存在することが価値なのかもしれない。
ワンカットワンシーンの技法であったと聞きましたが
時間が記憶や感情と共に流れて溶け込むような没入感からの
ハッとさせられるアップの表情に 何度も何度も感情が揺さぶられ、
菅田将暉さん、原田美枝子さん、長澤まさみさん
それぞれがそれぞれの思いを抱え交差していく感情の表現が、
本当に繊細で素晴らしかったです。さすがでした。。
ラストに向けての展開回収は勿論ですが、
主人公の泉が携わっていた仕事のラストのくだりも秀逸でした。
記憶って曖昧だが、美しく、愛に満ち溢れている。
これは曖昧だからこそ。なのかもしれない。
現代問題や近代的な要素もしっかり取り入れられてますが、
まるで文学作品みたいな作品でした。
「サンセバスチャン国際映画祭最優秀監督賞」
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